テーブルゲーム
「チェックメイト。僕の勝ちです」
「うー、また負けたのだわ……」
ロールレア家の執務室にて。
僕らはチェスで遊んでいた。
これで三勝目である。
「も一回やりましょう! シアは無理だろうけどあなたには勝てそうな気がするのよね……!」
「望むところですよー。僕もシア様には勝てないですけど、勝てる相手には重ねるだけ勝利を重ねたいですね」
「吠えてくれるじゃないの……っ!」
これは主にステラ様が負けず嫌いなことに起因する。
シア様はそんなことより仕事してくださいと言いたげに無言で僕らを見ているし、メリーはメリーでいつものように無言で僕らを見ている。
僕はニヤニヤしていた。
「その顔ムカつくのだわ!」
「やだなー、生まれつきですよーー」
「次は負けないからねっ! あなたに苦い顔をさせてあげる!」
僕らは駒を並べ直した。
ハンデいりますか?と僕がニヤニヤ尋ねると、ステラ様はふん!とそっぽを向く。僕はけらけら笑った。
手心を加えずにボコボコにしてあげようと思った。
さて。
ゲームのきっかけは、ロールレア家の──より正確に言えばステラ様個人の──共和国訛りの強い御用商人の一人だった。
錬金術だかいう何かよくわからない学問とも工芸とも呼べない謎の悪癖に使うガラクタ集めに荷担する胡散臭い商人がお得意さまにいて、値がつかないゴミを二束三文で売ることを生業にするそいつが『いつもお買い上げアリガトゴザイマース!』とか言って持ってきたボードゲームだった。
いやまあ、正確に言えばチェスではない。僕の知っているチェスとは駒の形や動きが違うし、名前もチェスじゃあない。
「ニアーラーは『シャットゥ』は戦争の予行にもなるって言ってたわね」
ああそうそう、そんな名前だったわ。
「なるわけないでしょう。その発言がもう戦争向いてない感じしますよステラ様」
ステラ様のこの発言は、この国において領地間での戦争行為というのが久しく行われていないことの証左だろう。
僕は戦争に詳しいわけではないけど、仮にどこかとどこか、地域単位で戦うことになったとしたら、こんな風に同じ能力の駒が並んだりは絶対にしない。個人間の戦闘能力には違いがありすぎるんだから、いかに強い個を味方に付けられるかで戦争の勝敗は決定する。
だって、この世界の人間は山を一人で崩したりとかできる。戦術、戦略レベルの戦果を個人の能力ひとつで達成しうるんだ。当然戦争に参加する人数だってかなり少なくなる。
兵士を参加させれば食料がかさむのに対して範囲攻撃のいい的になるのは費用対効果が合わないし、相手の絶滅が目的とかでない限り、終わった後に何とか利益が得られる形をお互いに選ぶだろう。だから、強い駒が休んでいる間の護衛以上の人数を随伴させる意味がないのだ。加えて言うなら適応を重ねていれば休みを取る必要もないから護衛だっていらない。
そういうわけだから、こんな風に一列に並んでお行儀よく一手一手動かすなんて行程はどうやっても発生し得ない。
「ま、貴族さま向きの商売文句ですよね。べつに僕、戦争のこととか詳しくないですけど」
「むー……」
「とはいえ、別に向かなくてもいいと思いますけどね。暴力は慣れるべきじゃないです。この国の歴史は知らないですしそんな興味もないですけど、多分もう領地間で戦争をするって時代でもないんでしょうし」
「そんなこと言って、あなた隣領にふっかけてたじゃないの」
「その場の流れで恫喝に使える材料を使ってみただけですよー。別に戦争をしたいワケじゃないです。僕は穏やかな平和主義者ですよ」
「それは冒険者的な野蛮さを捨ててから言うべき科白なのだわ」
雑兵の駒を取られながら、僕はぐむ、と呻く。
……まあその、実際僕だって捨てられるものなら捨てたいなと思うんだけど。
解決手段の選択肢に暴力って慣れたやり方が浮かんできて、これ選んだら解決早いな……ってなるのは、まあ、悪癖だとは思っている。
ぱちん。
ぱちん。
駒を差し合う。きちんとしたルールを定めているわけじゃないけど、シア様の視線もあってお互いの持ち時間は短めだ。ほとんどノータイムで駒をぱちぱち動かしている。
僕の雑兵の駒がまた取られた。僕がああーって声を上げると、ステラ様は得意げにふふんと笑った。
「……そうですね。現代の領主同士の戦とは、すなわち社交界での振る舞いになるのでしょう。自身の活動を通じて、いかに自領の利益を増進させるかが、領主に求められる能力かと存じます」
「シアの例えなら……他領からの訪問に備えて、キフィナスさんにお願いしていることは戦の準備になるのかしら。……急拵えの使用人で、作法とか大丈夫かしらね……?」
「大丈夫って言えるのは一級市民やってたビリーさんくらいじゃないですかね。これ『全員やめさせる』ってステラ様の指示が響いてますよね」
「それは……そうね。……でも、わたしは彼らをこの家から解放してあげるべきだと思ったし、今でも間違いじゃないと思うのだわ」
「……姉さま。それは──」
「はは。ステラ様はお優しくあらせられますね。その優しさをもう少し僕にも向けてほしいところですが。引き継ぎも最低限未満でしたし」
僕はシア様を遮るように不満を述べた。
「わ、私だってあんな急にみんなを辞めさせるなんて思わなかったのだわ! それも一日で!」
「早い方がいいでしょうしー。僕悪くないでーす」
不審火で領地も王都も全焼って状況なら、使用人を急に全員辞めさせるという動きは第三者から見て理解ができないでもない。それなら、使用人を解雇するのは早い方がいいしタイミングも合わせるべきだ。
『お前たちを疑ってますよ』って態度をしているのに引き継ぎの時間なんて用意していられないし、マトモに業務の引き継ぎができるとも思えない。
……まあ実際は『魔人によってロールレア家の血塗られた歴史を語られたから』だけども。そして、シア様にはいまだ詳細を語っていないようだ。
多分、ずっと心に秘めておくつもりなのだろう。
妹に厭なものを見せたくないという気持ちは僕にもよくわかるし、それは最大限に尊重したいと思ったが──。
「はい、チェックメイトです。このゲームの勝利条件は、相手の王を倒すことですからね。
戦争において、雑兵をいくら潰しても効果は薄い。このゲームは大凡戦争のシミュレーションには向いてませんが、そこの結論は変わらないようですね」
「くうーっ!!」
ゲームの手は抜かない。
「きふぃは。まけずぎらい」
「そうかもね。まあなんていうか、誰かさんは手の抜き方が露骨に露骨で露骨すぎるから困るんだよね。誰かさん」
* * *
* *
*
逍遥を理由にした、ロールレア家領地への王国内の西から東まで多数の領主たちの一斉訪問は稀に見る事態である。
前領主オームの失踪に乗じて、新当主と目される娘と顔合わせを済ませる──そこに利はあるが、それだけが理由ではない。
それは成人前の娘に言い寄ったと見なされる向きも考えられうるし、王都タイレリアにて、王国千年祭が催される前に、迷宮都市デロルを訪ねるということは他の貴族からは讒言の種になりうる。
貴族の一挙には、大きな影響力が伴うのだ。
しかしさりとて、この時期に複数の領主が同時にロールレア家を尋ねるに至った。
その最大の理由は、すなわちダルア領──ヘザーフロウ帝国親和派貴族の領地に対して、かつてタイレルの懐刀と呼ばれたロールレア家から戦争を仄めかす発言があったことに起因する。
遡っては400年前。タイレル王国歴563年、王族の傍系であったヒース公爵家ヘザー領は、三種の《レガリア》の内のひとつ、宝殊を携えて灰の平原を越え帝国を興した。
あわや建国歴200年代のような大規模な戦争に発展する危機であったが、当時の王はそれを制止する。しかしながら、傍系王族であるヒース家と関係が深かった家々は冷遇され、その軋轢が派閥を形成する一因となる。
ダルア領のドーレン男爵家は、隣接する親王族派・ロールレア家との関係の更なる悪化を受け、自身が帝国貴族であるという意識を400年に渡って強めた帝国派の急先鋒であった。地名や人名に帝国風の名前を付けていることにも、その屈折した意識が強くある。
当主代行として領内の政治の差配をする一方、どちらを間引くか決めかねていたために社交界から遠ざけられていたステラやシアにとって伺い知れぬことであり、
発言者のキフィナスに至っては、派閥政治どころか貴族の主義思想に何ら興味を持たず、ただ相手を追いつめるための放言という認識しかなかったが──。
該当の発言はすなわち、10年前の大災禍によって力を大きく失った王家による示威行為ではないかと捉えられた。
──迷宮都市の夜は暗い。
瞬く星と青白い月明かり、そして窓から漏れる光の他は無明の闇が広がっている。
魔石入りのランタンが男の顔を幽かに照らした。
(そろそろ宿に戻るか)
冒険者という肩書きは、領地間を移動するのにとても便利だ。
財によって名を上げ、爵位を得た新興貴族、バルク男爵は『到着が遅れる』という報せを送りながら、自分の配下を迷宮都市にいち早く到着させていた。
複数の貴族が訪ねるにあたっては、家格によって訪問の順番を定めるならいがある。そのため、バルク家から日取りを定めなければ他の領主たちも訪問の日時を定めない。
これは家格の低い家が他家に都合のいいよう日時を調整する必要がある一種不合理的な慣習であるが、今回はそれが幸いした。
すなわち、バルク家が泥を被ることで、今回の訪問に参加する家々に大きな貸しを作ることができる。
そのために、礼を失した手紙を送りつけたのだった。
(戦争になれば、この迷宮都市に勝てる領地はあるまい)
冒険者上がりのバルク家家臣の男は、そのように評価をした。
数多のダンジョンを抱える迷宮都市は、デロルの他、王国内にも数カ所は存在している。
しかしながら、デロル領ほどに戦争に強い領地はないだろう。
戦力として期待できる冒険者の質が高く、また領主自身の戦闘力も非常に高い。
次期領主ステラの、対象を視線ひとつで焼き払えるその魔瞳は、こと戦において最悪の威力を発揮する。
調査員の持つスキル《鑑定》によって示されたのは焦熱の炎。その紅蓮は領地すべてを焼却してなお余りある火力だ。故に、仮に戦争をするのなら、手段を選ばなければ領地に甚大な被害を被ることになる。
(──そして、最強の冒険者メリス)
あれに至っては格が違う。人類種が到底相手できる存在ではない。
なぜ人類社会にあんなモノが紛れているのか──かつて相対し、命からがら逃げ出した魔人でさえ、あれの前ではただの虫ケラだろう。
風の噂よりもなお恐ろしい。男は一目でそう思った。
(灰髪には見るべきところはないが、あれを配下にした理由があの武力とすれば辻褄は合う)
なんの気まぐれか、かの《金色の魔王》は噂通り灰髪に張りついている。
無能な灰髪に出来ることなどない。なるとすれば、せいぜいが道化だ。そんな灰髪を使用人の長に据えるなど貴族社会では失笑を買う行為でしかないが、最強の駒を手にする投資と思えば、あるいは──。
「犬の臭いだ」
鋭い殺気に男は足を止める。
闇の中、一陣の風が横腹を撫でた。
「ああ臭う。臭うぞ。ぷんぷん臭う。貴様の腑から、なにか腐った臭いがする」
「強さに溺れた物狂いか」
適応を重ね、力を得るうちに正気を失う手合いは、そう珍しいものではない。
それらはもはや人間社会には馴染めず、獣としていずれ迷宮に呑まれ姿を消す。
──男とて、腕に覚えはある。懐の暗器を構え、人影に向かい投擲をしようとしたその刹那に、
「くはッ。溺れるのは貴様の方だ、三下ァ」
男は血の海へと沈んだ。
「他人のさがを暴こうと、《鑑定》の目を翳す輩が骸を晒すこととなるは道理であろうよ」
《ステータス》への意識は、個々人によって異なる。冒険者にとって、己の数字は強みや弱みを開示することに直結する。
──確固たる強者であろうとする者にとって、それを暴こうとするのは敵対行為に他ならない。
常在戦場の心胆とはそういうものだ。
「ふむ」
暗い闇夜にて。
声の主──セツナは男の持ち物を漁る。
薄い財布と、書き連ねられた紙切れを見つけた。
奴からは何か勘違いをされているようだが、セツナは他者から奪わねば生きられない弱者ではない。財布はその辺りへ投げ捨て、懐に丁寧に仕舞われた紙切れを裏返し、左右に回転させ、じろじろと眺める。
「なるほど。わからん」
無明の闇の中、その紙に何が記されているのかは定かでない。そもそも辺境で育ったセツナに文字は読めない。
ただし、封蝋に見たことのある模様があり、自分が斬った相手がどこかの腐れ貴族の犬であることを理解した。
「うむ。やはり斬って正解だった。くく、王都を思い出すではないか」
──物事は斬ってから考えても遅くはない。
すっかり昼夜を逆転させて闇夜に目が冴えていたセツナは、男の死体をダンジョンの入り口へと放り投げた。
暴力に慣れきった冒険者の姿であった。
「ふうん。日程の調整について、ね。今度は随分としっかりした手紙ね」
「はい。紙の質もいいですね。鼻紙にちょうどよさそうです」
「……キフィ。これは、おまえの仕業ですか」
「いや? 心当たりないですね」
「もう。すぐそうやってトボケるんだから」
「え、あの、いや本当に。僕なにもしてないですよ? ルクロア領とか全然知らないですし。ここ最近は商業ギルドとのゴタゴタで──」
「……それは初耳なのですが」
「あーあの進捗がまだはっきりしてないので? はい。いいえー。はいー。あ、そういえば今日こそ会合ですねちょっと行ってきますーー」




