神威野の夢/帰ってこれて何よりなんですが地面がちゃんと地面してるってだけで安心できるのちょっとおかしいと思うんですけど
その小さな旅人が神威野に訪れたのは、セツナの十五の誕生日より一週間ほど前のことだった。
稲穂のように艶めく金髪をした寡黙な幼い姉と、姉よりもほんの少し背の低い、銀灰色の髪をした弟の二人組。子供の足で辺境を旅していて、どこか穏やかに暮らせる場所を探しているらしい。
その言の通り、神奈備の人間が見たことのない形の草履は傷だらけだった。
命の危険がある辺境を旅するような物好きは、主に魔獣によって数を減らすために少ない。
この地への訪問者は数十年ぶりだと村の古老は言った。それも隊商ではなく二人組となると、三代ほど前を最後に訪ねてきた記録はない。
かつては奴隷商の隊商が辺境中を走っており、神威野にも訪れることがあったという。村からは食い扶持のない若衆や身寄りのない子を提供する代わり、獣除けの魔道具などを買うことができるため、お互いに利のある取引であった。この幼き二人組は、あるいはそこから逃げてきたのかもしれない。娯楽のない村落では、そんな話がまことしやかに語られた。
同時に、セツナには怪しげな二人組に対し、有事があれば刀を抜いてもいいという許可が出された。体のいい村の暴力装置として扱われたセツナは、それを無邪気に喜んだ。
小さな村落には娯楽がない。
険しくも悠大な旅の情景を語る幼い吟遊詩人は、二日もしない内に神奈備庄ですっかり人気者になり、セツナもその列に並ぶ一人だった。
語りにはたどたどしさがあり、歌も調子を外すところがあったが、収穫祭の宴会で騒ぐことしかない村民たちにとって、歌や語り部の巧拙は問題ではなかった。
水晶の砂漠で七色の虫を二人で捕まえて戦わせ遊んだこと。
叢雲より高い山の巓から黄金色の朝焼けを二人眺めたこと。
生贄を求める人面獣身の怪物との知恵比べに完勝したこと。
そのどれもが狭い村落で生を終える村民たちにとって驚きと興奮であり、その真偽さえどうでもよいほどに楽しんだ。
人好きのする笑みを浮かべた少年は旅物語をひとつ語り終えると、決まって聴衆から話を聞く。
それが楽しい話なら大笑いして、それが悲しい話なら大泣きする。どんな話をしてもまるで自分のことのように感じ入ってくれる相手に、村民たちは旅の話を聞くこと以上に自分の話をこぞって聞かせたがった。
そして語り終えたら、すっきりとした表情で自分の仕事に戻っていく。列の後ろに並んでいる相手はよく知っているので、わざわざ話を聞こうとも思わなかった。
刀巫女の儀を控えたセツナもまた、その内の一人であった。
禁止されてはいないものの、許可を受けたわけでもないため遠慮がちに列の最後尾へと並び、その頃にはもうセツナ以外誰もその場に残ってはいなかった。
セツナは自分の刀巫女という役割に誇りを持って、穏やかな笑みを浮かべる少年にぽつぽつと自分のことを話した。
──少年はセツナの境遇を聞いて、『おかしいだろ!』と憤りの声を上げた。
生まれつき備えていた力が原因であなたが死ななきゃいけないのはおかしい、と。
選択肢も与えられずに約束された死を自分の役割だと思うなんて残酷だろう、と。
今日がだめでも明日はきっといい一日になるって言葉が嘘になるじゃないか、と。
セツナとしては楽しい話をしていたはずなのに、楽しませようとしていたのに、
感受性が豊かな少年はちっとも笑ってくれず、色素の薄い顔を真っ赤にして怒り、ついには泣き出してしまった。
そうあれかしと育ったセツナには、なぜそんな反応をされたのか、皆目見当がつかなかった。
* * *
* *
*
メリーが何か手遊びみたいなことをすると、僕らは迷宮都市へと戻された。
銀時計の針は時を刻むのを再開し、メリーの宣言通り、その数字は入る前と変わりない。肺に溜まったダンジョンの淀んだ空気を全部吐き出すように、僕は深呼吸をした。
まったくひどい環境だった。メリーからの無茶ぶりは日常的だけど、今日は張り切りすぎだ。ああもう帰れてうれしいな、だって何より地面がある。足を踏みしめ、飛び跳ねてもしっかりとそこにあることに対して、僕は例えようもない安心感を覚えた。
当たり前が続くことって尊いなあって思ったし、そんな尊さを噛みしめさせてくれる僕の幼なじみには程度問題というものを考えてほしい。
心的外傷が致命傷になるぞ。
「てきお。した?」
「しないよ」
「そか。つぎ。がんばる」
「そうだねぇー」
稽古の終わりのいつもの言葉。
今まで僕が適応とやらをしたことはないし、多分することもないんだろう、と思う。
「つぎ。つぎ、ごきたい」
「期待じゃなくて不安かなぁーー」
その辺のことはよく知らないしあまり興味もないけど、なんか色々できるメリーは僕以上に理解しているだろう。
稽古と称して手を変え品を変え僕に負荷を掛ける作業には、たぶん身体的には何の効果もない。
……だけど、まあ。『次もまたやる』と言われたら。はっきり言ってありがた迷惑以外の言葉が浮かばないしありがたの四文字も必要ないと思うんだけど、メリーの楽しそうな姿を見ていると──表情は一見変わらないが僕はメリー学の世界的権威なのでそのくらいは手に取るようにわかる──しょうがないなぁ付き合わなきゃなあ、という気持ちにさせられる。
「した! 体が軽い! すっげー強くなったのが自分でもわかるんだ!」
一方で、カナンくんはメリーの虐待めいた虐待の効果が十分にあったらしい。確かに言葉通り、身体運びからして以前までとは違う感じがする。
たぶん……もうアネットさんと同じかそれより強いと思う。多くの冒険者を見ての雰囲気的に。つまり僕じゃもう勝てない。
この稽古って健常者が体験すると本来こうなるという具体例がそこにいた。
「ん」
しかしカナンくんへのメリーの反応は雑だ。まったく愛想がない。そもそもカナンくんに顔を向けてさえいない。
それにしても、こういうトコほんとよくないと思う……。あまり僕の言えたことではないけど、都市生活ではね、社会性ってパラメータ大事だよ? なんか《ステータス》には社会性や人格を表す数字はないらしいけどさ。いやでも、こうして返事をするだけ他の人に比べれば遙かにマシな対応ではあるんだよな……。いつもみたいに『おまえにはきいてない』って抜き身の刃みたいな言葉が飛び出さなくてよかった。
「今日はほんと、ありがとなっ! あとでギルドで鑑定してもらってくる!」
カナンくんはそんなメリーさん相手にも気分を害さないでいてくれていい子だなぁ……。
いい子なのに冒険者らしくなると思うと複雑だなーぁ……。
そんなこんなで、カナンくんとはその場で別れた。
なんでも、ここから今日のギルドのノルマを達成するらしい。僕は一週間分拾っておいた薬草を見ながらノルマとか冒険者のひとって大変だなぁって思った。
まあ、ノルマだけが理由じゃないだろう。最悪ぶっちぎってもいいものだし、多くの低ラン冒険者はそうしている。カナンくんは自分が一回り以上強くなったことをすごく喜んでいたから、強くなった自分がどこまでできるのか試したそうにソワソワしていた。
僕にも良心とか呼ばれるものが一応なくはないので、たとえ強くなったからって無理はしないように、具体的にはギルド規定のEランク指定の階層型ダンジョンの一層だけを探索するように言い含めた。
ギルド職員からもその辺聞いてるし何を当たり前のことを? みたいな目で見られたのはとても新鮮である。
「強くなることって。そんな無条件でいいことなのかな」
逆立ちしても強くなれない僕は、無邪気に喜ぶカナンくんを思いながら、そんなことをひとり呟く。
……なんかメリーへの当てつけみたいになってしまった。
別にそういうつもりじゃなかったので、僕は慌てて言葉を続ける。
「あ、えーっと──なんだか中途半端な時間だね。会合は中止って矢文で連絡したし。急げば間に合うとはいえ、今日はもう急いだりはしたくない」
「はこぶ?」
「運びません。メリーはどうも時々勘違いをするみたいなんだけど、どうやら僕は荷物じゃないらしいんだよね」
僕はひなたの光を浴びながら考える。
商工ギルド──商人たちとの顔合わせ。これは僕が領主様の栄えある家来一号としての責任ある仕事だった。
まあセッティングは僕が一人でやったのでバッティングでお流れにするのも僕の個人的な責任ということで問題はないだろう。いやまあ実際のとこ問題はあるけど『進退に関わる大きな問題以外は問題と見なさない』という態度の方が僕の精神衛生にはより良いものが残る。
「同じ荷物でもね、たとえば商品みたいに丁重に扱ってほしい」
「きふぃは。うらない。めりのものなら。めりだけのものにするの」
「所有権の話じゃなくて取り扱いの話をしているんですよ」
「めりも。きふぃのものでよい」
「君は君だけのものだよ。自由意志を持つ誰かを所有することなんてできないし、できたとしてもすべきじゃない」
「……。ん」
商人には権力はないし、腕力もまあ基本的にはそこまでない。
しかしながら、この都市社会で彼らはどうしたって力を持つ。
高度な分業が始まった社会において、人は自給自足で暮らしていくことはできず、人々の生活は市場経済に依存するからだ。
その最たる例が、あの忌々しい金貸しだろう。彼女は商人として、この都市──どころか恐らくこの国全体へ影響力を持っている。
たとえば領主には、商人相手にやろうと思えばカネを借りるだけ借りてから徳政令を出すような権限を行使することもまあ不可能ではない。
しかし、一度それをやらかせば以降領主一族三代程度に渡ってまっとうな商人は寄りつかず、地領と他の領地を結びつける商業が成立しなくなるだろう。
権力を振るうに当たって、その影響力がどこまで及ぶかの見通しを立てられない統治者は、あほです。でもそんなあほも結構いるんだから困りものですよね。だから僕は貴族が嫌いです。
まあ、冒険者も嫌いだけどさ。
冒険者は冒険者で、腕っ節で商人からモノやカネを奪うことができる。
しかし冒険者も都市社会に住んでいて、そんな短絡的なことをすれば犯罪者として社会から排斥されるし、報復行為だって起こる。それに、いくら物品を奪えても、一番重要な『どうやって稼ぐか』という商人の勘どころは奪えない。
まあ実際の冒険者さんは商人さんをダンジョンの外にいる生きてる宝箱だと思ってるフシがあるので割と襲うわけだけど……。その結果商人さんが雇ってる冒険者さんに返り討ちにあったり冒険者さんになって縛り首とかになるわけだけど……。
ケーキの等分のやり方すら怪しい貴族様の叡智や、そもそも等分という概念がない冒険者の貧困な想像力や、痛んだケーキを渡してくる商人の横柄さなどから引き起こされる悲しい現実の事例はともあれ。
概して、商人という存在はまた独自の力を持った存在であると言えるだろう。
──かと言って、あまりナメた真似を許すわけにもいかないワケで。
ステラ様の領主就任はまだ正式なものじゃなく、この迷宮都市には旧領主派がいる。王都の屋敷は全焼したため明確に死亡が確認されたわけではない。そいつらは領内の政治に直接携わることはできなくても、他の勢力と接触することで影響を与えようとする。商人はその影響を受けてると見ていい。
というか、ぽっと出の灰髪が最高権力者になってこれまでの使用人を全解雇とかそりゃ旧領主派も生まれようというものだよね……。しかも低ラン冒険者だ。客観的に見て騙されてるやつだよこれ。
僕がいないとこで、当然ステラ様もシア様も色々言われてるんだろうと思う。それでも僕が重臣を続けていて、しかもその諌言への様子を僕が聞かない辺り、……その、なんだ。
お二人から、まあ、僕は信頼されているんだろう。
まっすぐな信頼に対して、僕なんかに返せるものはないっていうのに。
──だから僕は僕なりに頑張って、あの子たちの力になってあげようと毎日決意を続けるのだ。
ま、今日は早速ドタキャンしたけど。
優先順位ってあるからね。
「ま、ややこしいこと考えるのはいいや。きっと明日はいい日になって、そんな明日のことは明日起きたら考えるとしてさ。
メリー、ちょっと遊びにいかない?」
「だんじょん。もぐる?」
「メリーさんは二言目にはダンジョンですね……。はーあ……。いいよ。ダンジョン行こうか。さっき行ったけど行こうか。さっき行ったけどねさっき。
まあ訪問を控えてるって余所の貴族様たちの遊園地として、新しいところってのは大事らしいし……相手によって開放するところを変えるとか、ブランディングって奴なんだろうけど面倒なことするよねほんと」
「コア。潰す」
「場合によってね。安全で景色が良くて、それから時間がゆっくり流れてるところとかあったら、それは保護して訪問の時に使うからね」
「潰す」
「場合によってだからねメリー」
「潰す」
「メリーさんメリーさん……ほんと、話を聞いてるんだか聞いてないんだか」
僕は責任というものを荷物だと考えていて、すなわちメリーがやるようにスッゲー雑に運んでもよいものだと認識している。
「ま、いいか。明日はきっといい日になるさ」
僕は僕なりに頑張るのだ。
「師匠、帰ったぞー……って、まだ寝てんのか」
「……ん、む?」
セツナは戦士の気配に目を覚ました。
そこに立っていたのは己の弟子。眠りにつくまでは、戦闘者の心得も抱いていないひ弱な存在だったはずだ。急な成長にセツナは訝しむ。
「何かあったか」
「ああ! アニキとそのアネキに稽古つけてもらったんだ! いやでもアネキじゃないのかな、どっちも自分の方が兄とか姉とか言ってたけど」
「そうか。あれの仕業か」
「たくさんしんだ!」
「それは善い経験をしたな。──どれ。我も一手、おまえに指南してやろう」
セツナは、ゆらりとベッドから立ち上がる。
カナンは大いに警戒した。今度は何をやらかしたかと思ったが、心当たりはない。
「なに。そう怯えるな。我は今、気分がよい。善い夢を見ていたからな」
「え、あ、そう……なのか?」
「故に──痛みなく殺してやろう」
「うえ゛っ!? ちょ、ちょっと師匠──」
「構えろ。我の夢見を妨げた成果、つまらぬものならここで死ね」
「ああもうわかったよ! 一合でいいんだよな!? でも、せめて宿屋の外でやろうぜ」
「……ふむ。変わったな」
「そうかもな」
「然らば、ゆくぞ──」
「ちょっ外でって言ったじゃ──!」
結果として。
カナンは何とか一命を取り留めた。




