ランク昇格
「ランク昇格っ!?」
カナンは、冒険者ギルド受付の男性からその報を聞き大きく喜んだ。
Fランク冒険者とは、都市社会の成員として何とか認められた程度の待遇である。
薬草の採取や下水道の掃除、道路の清掃が主たる業務となり、低ランクのダンジョンの探索は──迷宮資源がなく、ダンジョン・コアも見つからないためいつまでも残っているダンジョンは、冒険者ギルドが適性判断のために解放している──実入りがとても少ない。
Eランクへの昇格とは、継続的に冒険者として活動する見込みがあることを示している。
冒険者という職業は広く開かれており、多くの都市に存在する。そのため、市民として認められている者が、何の気の迷いか冒険者として登録。その後、過酷な肉体労働を続けられるか、という現実問題に直面し逃げ出す、という事例も多い。
冒険者ギルドの職員は、カナンに『これで本当に冒険者の仲間入りだ』と言った。
「そっか……! あの、ありがとうございます!! オレがんばります!」
誰かから認められること──物心が付いた頃から浮浪児だったカナンにとって、それは得難い経験で、嬉しさで胸がいっぱいになる。
それを真っ先に報告したい相手の元に、カナンは向かった。
なんか紋章入った小物入れを返したら予想してたよりずっとステラ様は喜んでた。まあ、喜んだ理由は外側ではなく中身、錬金術の材料として懐にしまってた何やら怪しげなものの方だけど。《ダイソン樹の種》とか何に使うんだか、錬金術とかいう胡散臭い学問は僕よくわかりませーーん。早口で語られても僕もシア様も困るし、メリーに至ってはいつも以上にまったく話を聞いていない。
さて──ピカピカに磨いている紋章入りの銀時計を見ると、時刻は14時過ぎで少し日が傾き始めている。
ふむ。急がないと遅刻するなぁ、これは。
領地の経営には、とにかく多くの人間を必要とする。
遠方から貴族がやってくる日が近くなるにつれて、僕はそれを日に日に実感するようになった。
とにかく根回しに次ぐ根回しが必要で、一応の責任者として顔を出さないといけないどうでもいい会合なんかが多い多い。
「じゃあ、商工会の方に行ってきます。今日はそのまま直帰しますね。お疲れさまです」
「……はい。また明日」
「今日はありがとね! 色々あったけれど……ほんとに色々あったけれど、感謝しているのだわ」
「……次は私がやります、姉さま」
「そうね、ひとりじめはよくないものね」
「…………いえ。そのような意図はありません。曲解です姉さま」
お二人の楽しそうな声を背に、名残惜しさを感じつつ僕は玄関を出る。
なんとも豪華な作りだ。急拵えで用意した、四角形の簡単だった外見も、土の香りが漂いそうな内装も、しっかり魔法による改修工事を終えた。
僕はシンプルでも別に構わないし、なんならステラ様もそんな感じだったけど、余所の領地の貴族様を迎えるにあたって、体裁を整える必要はある。
あとは臨時にその辺に姿勢よく突っ立ってるだけが仕事のバイトのひととか雇用して、今の使用人たちに言葉遣いとか礼儀作法とかを何とかしてもらって……と言ったところ。『屋敷の人間全員解雇』という大鉈を振るわれたせいで僕はけっこう大変だ。
まあ……今のところ、冒険者って職業と違って辞めたいと思うことは一度もないけども。何せ基本業務に痛いことと怖いことがないからね。昼食あり・美味しい紅茶つき。職場環境が違う。
さーて、午後の仕事もテキトーにがんばるぞ。僕はこれまた豪華になった門を一歩踏みだし、
「アニキっ!」
一歩前にカナンくんが立ってた。
大きな声出すからびっくりした。
ううおおおおっ!?ってなった。メリーが抱きついてなかったら腰が抜けてたと思う。
「……初めて会った頃より不意打ちが巧くなりましたねー」
「へへ、そうかな?」
カナンくんは笑っている。
……その笑顔に毒気を抜かれてしまった。褒め言葉のつもりは全然なかったんだけど……まあ、成長したと受け取ってもらえるならそれはそれでいいか。
「こんにちは、カナンくん。お元気そうで何よりです」
僕はカナンくんの四肢を注意深く確認しながら言った。彼の師匠を名乗る危険人物は斬撃の瞬間は五体満足に身体動かせるのにその実しっかり斬れててちょっと歩いたら全身バラバラ、みたいなことを平気でやる技量と人格がある。トントン肩とか腰とか叩いてみた。何やってるのって?なんでもないですよー。よし大丈夫そうだ。
……耳になんか細い線みたいな切り傷があるのは見ないフリをする。たぶん、薬草二回くらい擦り込めば治りそうな傷だし。
「今日はアニキに伝えたいことがあって来たんだっ!」
「そうなんですか? ……僕がいる保障もない領主邸宅の門前に立つ案件……セツナさんの件かな?ずばり師弟関係を解消したい……。カナンくんの希望は可能な限り叶えてあげたいけど、あの価値観が決定的に違うひと相手に僕にできることはあるだろうか……嫌だけど怖いしほんとに嫌だけど最悪差し違えてでも……」
「いや師匠は別に。あれで、いいところもあるし」
「えっ……? いいとこ……? ぐ、具体的には……?」
「えっと……。……ん?あれ……? 今日も昼間から酒のみながら寝てたりとかするよな……?
い、いやある! つ、強いところ! ギリギリのところでオレを殺さないところ!!」
「11歳の男の子の口から出てくる精一杯のフォローがこれかぁー……。カナンくんの価値観が染まってなくてよかったって心から思うけどー……これフォローかぁ……」
一言で表現してひどいな。言葉が尽くせないほどひどいな。思いつく表現手段を可能な限り模索してもこの感情を伝えることを諦めるくらいひどいな。僕は自分の良心に基づいてこの子を引き離すべきではないだろうか……?
というかあの後寝たの? アドレナリン垂れ流して寝れるの? だいたいまだ昼間だけど? あのひと生活リズム乱れてんなぁ……。いや冒険者って乱れがちだけど。でもダンジョン潜らないよねセツナさん。
なんかもう何もかもがひどいな。タイレル王国に児童虐待という概念がないのが悔やまれてならない。いや冗談ではなく本当に。
「たぶん根は悪い人じゃないと思うから……いいんだ、アニキ。そんなことより──」
「根っこが地底にあるやつですよ」
「そんなことよりっ! オレ、Eランクになった!!」
「へえ。おめでとうございます」
カナンくんは満面の笑みだ。その表情に合わせて僕も笑った。……僕にも、こんな時期があったっけな。
道行く人々の出世事情なんて僕にとって天気の色よりどうでもいい話題だけど──いやまあロールレア家での職務的に人事労務管理がどうでもいいとか言ってられないんだけど、それはそれとして隣の家のおじさんがどんな仕事してるかより雲の形の方がまだ関心が持てるし──それが知り合いならまた話は別だ。
その上で、努力してることが認められてる姿なら、まあ、素直に祝福してもいい。トントン拍子の出世はダメ。なんとなくダメ。……まあ、祝福するとはいえ、自分のことのように喜べるほど感受性が豊かじゃないわけだけど。
報告しがいがなくて申し訳ないな、と思う。
「僕もすぐに追い越されちゃいますねえ。身長だってこれから伸びる。腕相撲はもうこっちが両手のハンデ貰っても勝てないでしょうね。あ、やらないですよ。痛いのヤですし」
「え!? いやいや、アニキを越えるなんてオレには──」
「きっと。すぐですよ」
王都でもここでも、何人もの冒険者が僕を追い抜いてった。老若男女、沢山の顔が浮かぶ。
いけ好かない乱暴者も、灰の髪を薄気味悪いものと見る相手も、僕らと普通に仲良くしてくれる奇特な人も。家格やら人柄やら態度に関係なく、多くの冒険者にとってはDランクなんて通過点でしかない。
「沢山の遠ざかる背中を見てきました。僕はこれで、冒険者って仕事を平均よりも続けてますからね」
…………そして、背を向けた彼らの多くは、もう振り向くことがない。あまた浮かんだ顔のうち、だいたいはもう死んでる。死亡通知を見てないだけで、ずっと前から顔も噂も聞かない相手ならそれよりも多い。
5年という歳月は、別れを積み重ねられる程度には長い。
──そんな具合だから、カナンくんの顔を、もういない誰かと重ねてしまった。
「……正直に言えばね。複雑な気持ちなんですよ。君の選択はもちろん尊重すべきだ。成功も失敗も君の責任。そして君はどうやら成功した。それを喜ぶ気持ちはある。
だけど、コインを何回も投げたらいつか裏が出るもので、裏が出たときの結果を僕は君よりずっと知ってる」
「……死ぬんだろ。それは、オレだって知ってるよ。だって師匠が師匠なんだぜ?」
「ええ。惨めに死にます。足を滑らせただけで。打ち所が悪かっただけで。ほんの一度のファンブルで、人は簡単に死んでしまう。……セツナさんだってそうだ。あの人は、自分の死も他人の死も平等に軽いなんて考え方してるけどさ。……もっと惜しむべきだよ。
ああ、ごめんね。ほんとはもっと、君が喜ぶようなお祝いのことばを掛けてあげるべきなんだろうけど、聞きさわりのいい言葉で現実を覆い隠すのは違うと思うからさ。喋りたいことを、喋りたいだけ喋るよ。
人はあっけなく死ぬ。ただでさえいつ終わるかわからない人生なのに、冒険者なんて仕事をしてたら尚更だ。君は冒険者になっていいことあった、って思ってるだろ? ──だけど、人生にはきっといいことが沢山ある。冒険者じゃなくたってそうだよ。
君はいま、青空の下で、誰に悖ることもなく当たり前に笑えてる。覚えてるかい? 最初に会ったときの君は、そんなつまらないことが人生の勝利条件だって言ったんだ。
もう、それだけじゃ満足できないだろ? 別に強欲とかじゃない。君は、多くの人にとっての当たり前を手に入れただけなんだ。そして、これからもっと良いことがあるよ。世界はどんどん広がっていく。確証はないけど保証はする。僕でよければ、だけどね。
──だから。今なら、あの時よりもずっといい選択肢を君に提示してあげられる」
今の僕は、ロールレア家の家令──使用人の最高責任者で人事担当なんて不相応な職に就いている。
だから一人二人、ひいきするくらいなら問題なくできる。カナンくんの人格面に不安はないし、仕事ができない人にも組織での役割はある。
冒険者なんてキツくて汚くて危険な仕事よりも、ずっといい選択が──。
「──結構しつこいよな、アニキって。冒険者になるって決めたって。前も言ったろ」
カナンくんは、どこかで見た顔をした。
痛みと恐怖に怯まない、決意を抱えた顔だ。
「オレ、バカだからさ。たぶん、アニキが言ってることの半分もわかってないと思う。もちろんアニキがオレのことを考えてくれてるのはわかるよ。
だけど、アニキに甘えるわけにゃいかないんだ」
「いやあの、甘えるとかじゃなくて……」
「だって、オレのいまの目標、アニキみたいになることなんだぜ?」
「え……?」
その言葉に、何故かどくんと心臓が跳ねた。
一方で、頭の左側から理性がそれは考え直した方がいいんじゃないかなと語りかけてくる。まあ『セツナさんみたいになること』よりは遙かにマシだけど、それでもどうかなってなるよねと。僕の脳内でいつもの僕のダラダラした口上で僕に語りかけてくる。
あーーわかってるわかってる。わかってますって。僕は自分のことが大好きだけど、それはそれとして自分が褒められた人間じゃないことは十分に自覚している。理性さんが諭す必要がないくらい、間違っても子どものお手本にしてはいけないくらいは……!!
「よい」
……ん? メリーさん?
どうしたの?
「とてもよい」
「あの、メリー? いやちょっと待ってあの」
「すばらしい」
メリーさんどうしたんですかー……?
随分ノリノリだけど何かありましたかー……?
「こい」
「痛っ!いだだぁっ!? いつもアニキの隣にいるやつチカラ強ぉッ!?」
「ちょっとメリー!ダメだって!」
「きふぃは。いつも。これくらいたえる」
「いでぇ……! さ、流石アニキだぜ……!! オレもう腕もげそうだってのに……!! 楽しくなってきやがった!」
「アドレナリンでおかしくなってんじゃん……! 腕もぎに楽しい要素とかないよ!? ちょっと、メリー! 離そう! 代わりに僕の手もいでいいから!! ちょっどこいくのメリー!?」
メリーはカナンくんの腕をぐいと掴み、ずんずんとダンジョン特区へ──ダンジョンの新規生成が多い区画、領主預かりの土地だ──入っていく。
いやあの僕仕事……、パンギルドとお話しとか……いやでも放置できないなこれ。
「めりは。きふぃの。あね」
「アニキの姉さんってことはアネキも同じだな!」
「いやそれは違うと思う」
「きふぃ。まかせてよい。かなん。きたえる」
鍛え……!?ダメだダメだダメだ! 僕もついてくからな! メリーが稽古つけるとかそれだけで全人類にとってのファンブルなんだよ!
……あーーーーもう! めんどくさい会合とか明日でいいや!!
僕は先方に対して雑に矢文を飛ばした。




