一振りの刃であれと
盗品市のルールはシンプルだ。
──ここでの売買は他言無用。それ以外には存在しない。
何が売られてようと、売り手も買い手も関知しない。
「クク。ぬしは、我のモノだ」
だからって人身売買はないですけどね? 流石に盗品市に奴隷は売ってないですよ?
僕は無機物じゃないですしあなたのものでもないでーーす。だから触んないでください。商品じゃないです。あっメリーまでべたべたしてきた。痛い痛い。痛い痛い痛い。
「しかし、棚にならんでおったでござろうよ。なあ店主~? こやつは、商品であろう?」
セツナさんは哀れな店主さんの足下を棒でクイっと切り裂き、地を穿つ裂け目を作った。
店主さんはひいいっ、という情けない声とともに、首が折れそうなくらい頷いてセツナさんの発言を認めやがった。ちっ、哀れでも何でもなかったなこの店主……。
おいやめてくださいセツナさん。首すじに指を這わせるな頸動脈をさするなゾッとするから……! メリーもやめ、はなれっ、離れてください!
「……セツナ……!?」
「あの人斬りか!?」
「ひっ、ひいいいいッ!!」
周囲がざわついている。僕はそのざわつきに乗じてべたべた僕の顔とか触ってくるセツナさんから離れ──。
「──逃がさんぞ?」
うおおっ、と僕は叫んで身をかがめた。
セツナさんはふん、と逃げる相手の足を切り捨てた。……僕の方じゃなく、盗品市にいた人の方。
一振りで5人の足が宙に浮く。暗い路地裏に鮮血が散る。犠牲者たちの叫びが耳に張り付く。……まだ息はある。僕が来る前に斬られている人については、もう間に合わなさそうだけど。
僕が来る前にも起こしていたであろう凶行に対し、パニックになって逃げ出そうとしていなかったのは、その殺意が足を縫い止めたためだろう。
セツナという名前で足を動かして、だから斬られてしまった。
「んん~ッ、しかし、屑の血を見ると心がすくなぁ?女遣い。血の香は快眠にいい。そうは思わぬか?」
……物騒なこと言うのやめてください。すくな?じゃない。思わない。別にそんなことないし同意を求めてこないでほしい。言っときますけどあなたも全然そのカテゴリですからね。
「とにかく、暴力やめましょうよセツナさ──」
「これは報復だ。ぬしにも、指図される謂われはない」
セツナさんは、僕の喉元に切っ先を突きつける。
背骨に氷柱を突き刺されるような、頭からつま先まで凍えさせる殺気。
しかし、僕はそれでも怯まない。はっきり言えば慣れている。とりあえず出血を止めないとまずいな……。僕はセツナさんに背を向け、犠牲者の元に駆け寄った。傷口のそばを首締め草のツタで縛り付けて、口の中に強引に薬草を詰める。応急処置ってところだ。
隙だらけの僕の背中に、しかしセツナさんは飛びかかってこない。飛ぶ斬撃もない。
飛んでくるのは、
「邪魔立てをするな」なんて言葉だけだ。
……いつものじゃれ合いじゃない、ということだろう。あれ僕は必死だけど。
いや街中だってのに今だって必死だ。どうなってるんだ。下手するとそこらの迷宮より綱渡りをしているぞ僕……。セツナさんを刺激しないように……かつ怪我人が死なないように……。
「邪魔する気はないですけど、僕は痛いの嫌いなんですよね。僕の知らないとこでセツナさんが何やろうとどーでもいーですけど、目の届くところで乱暴されたら見過ごせないです。ま、傷口とか見てるだけで痛いですし、できることなら見過ごしたいですけどね。
さて確認です。セツナさんの目的はここで暴れることですか? 違いますよね。盗られたものを取り返すためだ。だからここに来た。そうでしょ?」
僕は舌を回す。気を逸らすように。
「応とも」
セツナさんは答える。
「しかし、鏖殺するもまた我が本意だ。殺した後、ゆくりと探せばよかろうよ」
……だが、僕の言には乗らない。
「我は一振りの刃だ。対手を斬る鋼だ。ひとたび抜けば血を見るまでは納まらぬ。
そして、抜かせたのは貴奴らだ」
「……あのですね、もう何度も言ったと思いますけど、あなたは人ですよ。ご飯タカってきて酒癖悪くて寝覚めが最悪な刀なんてありません。大概なひとでなしですけど、どうしようもなく人間だ。
その証拠に、あなたはあなたの意志で誰かを傷つけている。刀だというのに、セツナさんを握るのは誰もいないですね」
「──キフィナス。なぜ、ぬしは屑に庇い立てをする?」
セツナさんは、僕が逸らそうとした話題を更に逸らすような問いかけをした。
「命の価値ってあるじゃないですか」
「そんなものはない」
「あります」
「ならば、我の命がそれだ。野辺に骸を晒すまで、我が命こそが天地に於いて最も尊く価値があるものだ」
「その答えにはいっそ清々しさすら感じますね……。命の重みは、個々人によって違うんですよ。誰だって自分の命は重くするもんです。僕もまあ、二番目か三番目くらいには来るかな」
「そうだ。等価ではあるまい。ならば、なぜ屑を庇う。なぜ屑の命に価値を見いだす」
「あなたも大概それなんですけど」
「だからこそ問うている。ぬしは何度蔑まれた。何度傷ついた。我が刃を突きつけている今なお、そこの陰でぬしの髪を囁く者が居る。ぬしには聞こえていないのか? 殺してよいか?」
「だめでーす。僕の耳じゃ聞きとれてませんし。セツナさんが殺したいだけでしょ」
「ああそうだ。殺してやりたいとも。ぬしは、我が認めた男だぞ。
ぬしの周りには、己を傷つける存在だらけだ。連中を殺せる機会はこれまで幾度もあったであろう。
なぜ、殺さぬ。敵を殺さぬ。我を殺さぬ。殺してしまえば、そこで脅威は仕舞いだ」
「そんなことしてたら。どこにも居場所、なくなっちゃうからですよ」
気の合う誰かと出逢うことには喜びがある。
気が合わない誰かとの対話には発見がある。
気にくわない相手と喧嘩するとすっきりする。
人間はそうやって生きてきたし、これからもそうやって生きていくのだろう。
僕だって端っこの方でいいからそこに立っていたいし、メリーにもそんな人生を楽しんでほしい。……ついでに、気は進まないけど、本当に心から気が進まないけど、セツナさんがいてもいい。
セツナさんは僕を理解できないものを見るような目をしている。多分僕もお互い様だ。
……穏やかで、平和で、だけど寂しい世界で培われた僕の価値観は、セツナさんとは大きく違う。
──それでも、決定的な亀裂じゃない。だから僕は、この人と知り合いができる。
「……ぬしの言うことはわからん。大切なものを盗まれた。だから殺した。郎党皆殺しにする。いったい何の問題がある?」
「問題大ありですよ。それは取り返しがつくことじゃないですか」
「──傍らのそいつだとしても、同じことが言えるか? 王都の一郭を灰燼に帰したぬしが言えるか。腐れ貴族の丁稚奉公に身をやつしながら、家屋のすべてを焼き捨て、遂には辺り一面を火の海へと変えたぬしが」
セツナさんはメリーを指さした。
「…………あれだって、しっかり手回しはしてましたよ。結果的に死人も出ませんでしたから」
「そうだな。だから、中途半端なぬしの代わりに殺してやったのだ。一度や二度煙に巻かれたとて、あれらが考えを変えることはない」
「…………だけど、余計なお世話でしたよ」
……僕は、即答できなかった。
僕は彼女に負い目がある。……こんな考えをしておきながら、セツナさんがあのゲスを殺してくれて助かったーなんて考えが脳裡を過らなかったわけじゃなかったこと。
そして何より、彼女が公爵殺しという選択に至ったのは、僕の存在が関わっていることだ。
「──もっとも、ぜんぶ昔の話です。今の僕は、ここのお屋敷で使用人やってるんですよ」
自分に言い聞かせるように、僕はセツナさんに語った。
「また焼くのか?」
「僕が焼かれる方ですかねー。だから、昔話に花を咲かせてる時間はない。そもそもこの話で咲く花って黒百合とかですし」
探しましょうよと僕は促した。
セツナさんは頷いた。
・・・
・・
・
基本的にスキルとかいうのは持ってれば持ってるだけ有利になるものなんだけど。持っているだけで社会的にマイナス人間だと認定されるものも中にはある。
──その代表例が、スキル《窃盗》だ。
都市社会で一定数生まれる彼らは、親兄弟からも犯罪者予備軍だと見なされ、その見なし通りに犯罪者へと無事すくすく成長する。『その灰髪すら羨ましい』なんて言われたこともある。まあ皮肉だろうけどね。
だからまあ、大きな都市にはそんな彼らの社会が必ずどこかにある。
盗品市とは、都市に潜む盗賊たちにとっての同業者組合と言ってもいいかもしれない。
そういうわけだから探すのも一苦労かなー、とか思ってたんだけど。
二人ともあっさり見つかった。盗みの下手人も含めて。
セツナさんは両方ぶっ殺そうとしたけど、僕は止めた。相手まだ子どもだし。
「ぬしは餓鬼に甘いな。ただ姿形が小さいだけであろうに」
「まだ色んなこと知らないんですよ。選択肢が少ないんです。手心くらいは加えます。
セツナさんこそ、厳しすぎると思いますよ」
「餓鬼との違いなど……、そうさな。肉が軟らかいから斬り心地がよい」
「人間性が最悪すぎるだろ」
「冗句だ。カナンを斬ったが、そう感触に変わりはない」
「わかりづらい冗談はやめ……えっ? あの、弟子ですよね? ちょっと? 冗談ですよね!?」
「くくッ」
なに笑ってんですかね。……カナンくんには謝っても謝りきれないぞこれぇ……。
「はぁ……ほんと、暴力的な解決になってしまった。やだなぁ……。顔役のひとを現金で殴ってサクッと見つけようかと思ってたのに」
「女遣い。暴力はいいぞ」
「みなさんが素直になってくれた影響は認めますけどね……」
「暴力で解決できぬ問題はないでござる」
「やっぱ人として最低すぎんだよな」
閑散とした盗品市。
人影はまばらだ。セツナさんが動くたび、息をヒッと止めた緊張感が周囲に生まれる。
「しかし、貴族の紋章とは、またくだらぬものを追っていたのだな。時間の無駄であろう」
「布切れのあなたの方が──いや。大切なものは人それぞれですね」
セツナさんが大切に抱えている──なんか薄汚れた布切れにしか見えないものに、いったいどんな想いが籠もっているのかは知らない。だけど、大切なものだと言うのならそうなんだろう。軽口で突いてはいけないものだ。
くだらないもの、か。
──まさしくその通りだな。
「ええと。今の雇用主様に言われたんですよ。
名誉はどうなる、って。自分を尊重しろ、って。
たぶん、これが僕の名誉なんだろうなって」
貨幣よりもよくわからない石や木の実の方が多い、紋章が付いただけの小物入れを、持ち主の雇い主様へと返す。
すると、まあなんでもない表情をしたステラ様からの「ありがと」という一言を賜ることになるだろう。
何なら、お礼の言葉の前に、説明もせずに窓から飛び出したことで怒られるかもしれない。
僕にとっては、その程度の価値しかないものだ。
何ともくだらなくて、ちっぽけで。
──だけど、誇らしいことだと思えるのだ。
「ふむ。首を刎ねる節介は不要か」
「今回に関しては、完全に余計なお世話ですね」
「そうか。それは──つまらんな」
「おかえり師匠。あれ、なんかいいことあった?」
「禍福の因果とは分からぬものよな。下手人は殺せなかったが、今宵の夢見は良さそうだ」
「えっ? 師匠、殺す殺す絶対殺す一族郎党皆殺すってブチ切れてたじゃん。というかオレまで斬られかけたし。……ひょっとして槍でも降るのか?」
「ふむ。明日の天気は血の雨というのも悪くないな。クク」
「いや悪いだろ。最悪だろ。ああもう、機嫌がよくても師匠はこれなんだな……」
……あの、メリー。メリーさん? なんで僕のこと触るの?どういう感情からくるのそれ?止めてほしいんだけど。セツナさんが触ってきたの含めて止めてほしいんだけど。
「せつなは。ゆるす」
なんでぇ……? もちろん強要とかしないけどさぁ……。こっちは身の危険を感じるっていうか──あの、目、目はやめて目は。まつげじゃなく。まぶたじゃなく。そこは目です。痛い痛い。痛い痛い痛い。今身の危険を感じてるんだけど。あの、めり、メリー! やめ……っ




