冒険者ギルドの混迷
通い慣れた冒険者ギルドまでの道に、今日は朝靄が立ちこめていた。
石造りの街の中、白い煙は天に向かってゆるゆると登っている。あえて白いもやに顔をつっこんで潜ると、頬が少しひやっこい気がする。
こういう、いつもの違った景色みたいなの。僕は結構好きだ。傍らの幼なじみとダンスのひとつでも踊ってみたくなる。
「やる?」
「やらないよ。ステップで僕が吹き飛ぶのが見えてるからね」
「やる?やる?」
「やりません。メリーが僕を振り回す姿しか見えないからね」
「やる」
「やらないってば。他にやることあるんだから」
朝の始業直後。ダンジョン攻略で体内時計が狂って生活リズム崩すことが多い冒険者は、だいたい揃って朝陽に弱い。僕らが行くには狙い目の時間帯だ。
なにも僕だって進んでトラブルを起こしたいわけじゃない。ただ、冒険者とかいう社会はとにかく治安が悪いので、一度弱みを見せるとそこに付け込んで来る厄介さがある。右の頬を殴られる前に左の方を蹴っ飛ばせ。……弱者がどうなるかは、王都にいた頃によーく学んだ。彼らは、差し伸べられた手を掴もうという気力すらへし折られている。
まあでも、それ以前にメリーが殺気を振りまく、という理由の方が大きいけど。メリーは殺気ひとつでその辺の冒険者を気絶まで持っていけるし、多分やろうと思えば全身麻痺からの心停止までいける。でも僕としては、この子が怖がられて、ひとりぼっちになってほしくはないわけで。可能な限り、人が少ない時に行った方がいい。
そんなことを考えつつ、ゆったりと二人で歩いて──、
「なーんか人多いなぁ……」
朝のうちから、建物の外まで列を作っている姿があった。
……ええー。
やだなぁー……。
邪魔だなぁーー……。
僕忙しいんだけどー。
「ぜんいん。ねかす?」
「やめてね。永眠はやめてね」
破滅的な空想と破滅活動を実行することには大きな隔たりがある。持ってる果物が爆弾だって妄想と実際にギルドを爆破することは全然イコールじゃないしそもそも爆発させるとか最初から望んでないから。
僕には爆弾が一人一人に超高速で腹パンをぶちカます姿と、いつものように雑な加減でひとりふたり大層グロく死ぬ姿が見える。
……ま、いいや。多分これ関係ない列だろ。冒険者ギルドの受付窓口ってひとつじゃないしね。たぶん別だ。いや知らないけど。
僕は自分のモラルを周囲に合わせるタイプだ。TPOというものを弁えている。つまり、相手に合わせて投げ捨ててもいい。
そういうわけで長蛇の列をするっと抜けた。
睨んでくる視線にはウインクを返す。これは冒険者の挨拶だ。あまりにも治安が悪くて笑えてくるけど。ガンの飛ばし合いで相手を石化させかねないメリーは目隠ししつつ抱っこして引っ張っていく。
「あ!おはようございますメリスさん! ……と、そのオマケ」
「ん」
「あっメリスさんがお返事してくれた! おはようございます!おはようございます!! 今日はいいことありそうっ!」
「おはようございますレベッカさんー。ご機嫌そうで何よりですー。あー今日はなんか忙しそうで大変ですね。いやー大変そう。なにせこの人の数だ。まるで事件でもあったみたいですね。あっでも隣の列だからいいのかな? 忙しそうにしてる人を眺めるのってなんか気分いいですよね。いやそんなこと言っちゃいけないか。忙しくしてる人の目の前で言うのは流石にね。心の内に留めておきましょう。でもレベッカさんよかったですね、あっち担当じゃなくて──」
・・・
・・
・
べらべらべらべら。
べらべらべらべらべら。
べらべらべらべらべらべらーっ。
僕は何度も何度も脱線を挟み、時に婉曲的に時に直接的にレベッカさんがヒマであることを指摘しながら喋りに喋る。メリーを撫でたりつねったりしながら喋る。口を挟もうとするレベッカさんを押しとどめながら喋る、喋る、水を飲む、喋る、薬草渡す、喋る、喋る、喋る、喋った。
「──で。あの列なんですか?」
「……くッッッどいンですよアンタ!! 『隣の列なに?』って訊ねるのにどんだけ喋るの?喋ってないと死ぬの?死ぬんですか? そんなコトねえでしょ? というか見ればわかるでしょ? ほんと人をおちょくるの好きですね!?」
「はい。好きですよ。何ていうのかな……、最近はなんか、こういうことあんましたくないなーって相手が増えちゃいましてね。その点、レベッカさんなら別にいいかなーーって。
「あ?」──いやいやだってほら、レベッカさんだってダラダラ続く話を聞き流して勤務時間消化する方が楽じゃありません? だから僕の中身のない発言を止めなかった。何回か止めようとはしてましたけど、別に本気ではない。止めましたってアリバイを作っているだけだ。だってそういう算段を立てられる人ですから」
「…………ノーコメントで」
レベッカさんは苦虫を噛み潰したような渋い顔で沈黙宣言し、
「こほん。こほんこほん。あの列ですよね。
……昨晩ですね。《追憶具》が回収されまして。あれは試用列です」
「あー、そりゃ並びますね。報酬おいしいですし、早いもの勝ちですし」
追憶具──そのダンジョンが抱えたものを追体験させる迷宮資源だ。
人の記憶、モノの記憶……触れただけで頭の中にそれが強引にぶち込まれる。
その記憶によって、これまで使い道がわからず放置されてたガラクタが、金貨を何枚も積まないと手が出せないほどの迷宮資源に化けたりする例は結構ある。
──何より、まともな教育機関のない世界において、知識とは誰にも奪われることがない力だ。
「私としちゃあ、あまり気は進まないんですけどね。……低ランクの冒険者さんは、こういう機会を稼ぎ時だって勘違いしがちですけど、あれはとても危険なものですから」
ただし。
耐えられればの話だ。
「自我が弱い人は、自分が味わった追体験を現実のものだって錯覚してしまったり。もちろんウチは即施薬院まで送って療法士も用意してますけど、深さによっては人格まで変わっちゃうこともあるんだとか」
「だからカネでクソ雑魚冒険者釣って安全確認しようって魂胆ですよね。まさしく試用ってやつ」
「その表現やめろ。せめて声抑えろ。……メリスさんも十分にお気をつけて。キフィナスさんも、絶対触れないようにしてくださいね? ないでしょうけど」
何度もある。けど、それをわざわざ言う必要もない。
「ダンジョン内のモノに素手で不用意に触ったりしませんよ。毒とかあるかもしれないし。資源だって取りません」
「いやアンタそれは冒険者として、」
「だって区別付けられませんよね?
たとえばー、魔石かなーって拾った宝石が猟奇殺人鬼の追憶具で酷いことになったー、とか?」
「……ウチの幹候事案?」
──さて。
本題を通す前の会話としては、こんなもんでいいだろう。
「いやちょっとなんでアンタそれ知ってるんですかちょっと」
「今日はいい天気ですねー」
「そんなんで話題変えられるワケねえでしょ!? あの!?」
僕の会話に耳をそば立てようとする手合いが、冒険者ギルド内にも何人かいた。明らかにふだん冒険者してないですーって風体の──装備の質がいいのと、何より綺麗すぎるんだよね──連中が、何組かテーブルにいるのが見えてた。
……多分、貴族様周り。正直、僕に貼り付いても時間の無駄だと思うんだけど。それならもっと時間を浪費してもらおうということで。先ほどの、我ながら時間の無駄極まりない会話を適当に深読みでもしてくれればいい。それっぽい符丁っぽい発言を沢山散りばめさせてもらった。
もちろん、ロールレアのお屋敷とは何の関わりもない。全部無駄だ。
「そんなことよりレベッカさん。もっと無駄話をしたいんで場所を変え──」
「ひ、ひひッ! ひひひひひーッ!!」
──突如。
口角泡を垂れ流した若い男が走りながら向かってきた!
その手には片手斧を持っている。僕は咄嗟にテーブルを蹴倒してメリーと隠れる盾にし──あっレベッカさん忘れてた!
「まず──!」
「ああもう、失敗した人はしっかり施薬院に送るようにって伝えたでしょうに……!」
レベッカさんは壁に掛けている大斧を取り出すと、カウンターをよいしょと飛び越え、
「《スマッシュ》っ!」
列に並ぶ冒険者に向かって斧を振らんとする男めがけて、斧頭で空中に綺麗な正円を描くようにフルスイングした!
──高い金属音! 理想的な角度で勢いを付けた大斧の刃と、理性と勢いが乗ってない手斧の刃がぶつかり、弾かれた男の斧はくるくる回って天井へと刺さる。……あぶなっ!
「安全配慮っ!」
「がへぇっ……」
掛け声一句に乗せた一撃!
どこか欺瞞を感じるレベッカさんの発言と共に、手首が変な方向に曲がった男は壁まで吹っ飛ばされた。
……ぐったり気絶しているようだけど……、うん、息はあるな。血も出ていない。
どうやら、一撃目で斧を弾き飛ばした後、一瞬のうちに持ち手を端から柄先──刃のすぐ手前へくるっと入れ替え、木製の柄の部分をぶつけて相手を吹き飛ばしたらしい。重心が手元にあってよくそんな威力で棒が振れるな……。ステータスの力か、それとも技量か。僕がやったら持ち替えるときに刃のとこ持ってケガしそう。
「ふー……みなさん、怪我はありませんね?」
……レベッカさんには汗ひとつない。
慌てた様子で出てきた他のギルド職員が──たしかレイラさんとか言ったっけ?──気絶した男をどこかに回収していく。
それを横目に、よっこいしょとか言いながらレベッカさんがカウンターまで戻った。
「こわー……」
何が怖いって冒険者ギルド職員はもちろん、並んでる人たちすら全然普通にしてるところね。ちょっとざわついてる程度だ。
利用者も職員も、これを『冒険者ギルド内での時々あるトラブル』程度にしか捉えてない。突然暴れ出した人についても、追憶具ならまあ起きるだろ、みたいな空気。まあ?まあって何。そもそも何で受付の人が戦えるんだよ……。受付だろ。事務職じゃん。いやわかるよ?冒険者は力と武器持ってて粗暴なんだからそれを管理する立場のギルド職員はある程度強くなきゃいけない。そりゃあわかる。わかるさ。わかるけど……おかしいでしょ? まともなの僕だけか?
「はあー……」
僕は大きなため息を吐いた。残念ながら、ステータスとかスキルとかある世の中で、おかしい考えなのは僕の方なのである……。
なんていうかさあ……、ほんと、冒険者とか嫌いだよね。
「やっぱ腕落ちてるなー。次の休みは運動しよ……。お見苦しいところをお見せしましたね、メリスさん」
「ん」
「やた!二回目のお返事っ!」
「見苦しいってあなたの謙遜をメリーは肯定してるんですけど」
「メリスさんの見方が全面的に正しいです。メリスさんなら斧からビームとか出せたはずです。世界のきたないものを焼き払うんです」
「レベッカさんはメリーのことになると大概おかしくなりますよね」
「キフィナスさんにだけは言われたくないです。それに私はおかしくないですし。おかしいなら世界の方です」
「大概にしてほしい。……こういうのも幼なじみの責任になるのかな……」
「でるよ」
ん? なにが。
「びーむ」
「ほらやっぱり! 出せるじゃないですか!」
「みる? きふぃ。でる。だす」
出さなくていいから。
幼なじみが突然そのへんの斧握ってビーム出すって高熱の時に見るシュールな夢じゃん。それにそのビームとんでもなく致死性だろ。街で撃たせるわけないだろ。
ほら、その手しまって。しまっ、しまってください。しまおう。ほら。あのメリーさん。僕が右手しまったら左手出すのやめようね? あっこら。やめてね。メリー。メリー?
・・・
・・
・
メリーの右手をしまうと左手が出てくる。左手をしまうと右手が出てくる。左手、右手、左手右手、左右左右左右左──やたら速度が乗った手遊びをしている。
もちろんそれだけじゃない。その間に、僕が冒険者ギルドまで来た本題について、筆記で伝えた。
「いやーしかしレベッカさんも戦えるんですねぇ」
左右左右左右左右左右左右左右左右左右──合間合間に筆を動かし──!
『ロールレア家の使用人として。どうも冒険者じゃない誰かに見られてるので、筆談で失礼します』
左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右「《スキル》の打撃って、スキルの動き頼りになりがちなんですけど」右左右左右左右左『ウチのトップは、王都タイレリアの帝国難民受け入れを支持し、王都に食料支援を計画しています』左右左右左右左右「レベッカさんの動きにはそれがなかった」右左右左右左『それは既にお話ししてましたけど、ちょっと状況が変わりました』右左右左右左右左右左右左「レベッカさんは」左左──フェイントっ!?くそっ難易度上げてきたな──右右左『このタイミングで他領からの来賓がある』左右右両手!?左右左「やっぱり斧って使いやすいからですか?」左右左右右右『ぶっちゃけた話をしますと、現当主のオームはもう死んでまして』右両手「重さが力だから手入れが雑でもいいところ?」右左左左『タイミングが怪しいんですよ。千年祭を控えた王都よりもウチを優先する理由がどこにあるのかがわからない』左右両手右左左「でも僕は持てませんね。重くて運んでるだけでダメだ。あと危ないですし」左左右右左『生物資源の収穫量を増やすのと、輸送用に氷属性魔法が使える人が欲しいんです』左右右右左左左両手両手両「あ、それとも大柄な武器を掲げてるからですかね? 相手に威圧感を与えやすいから?」左右右右両左左右『けど、何の目的で入ってくるのかわからない連中に、ウチの経済力を明かさないために冒険者ギルドに委託したいんですね』左右右左右両両右右「武器選びって性格が出ま──」
「何やってんのか何言ってんのかわかんねーんですけどぉ!? 何その無駄に忙しい動き!」
僕も必死なんですけどねぇ……!?
とりあえず場所を変えたい。メリーの視界から斧を外したい。いやなんか既に斧とかぜんぜん興味なくて僕との手遊びが目的になってる気がするけど。
僕はメリーの腕を握って上下にあげさげしながら、場所を変えることを提案した。喋りながら手遊びを継続しながら筆談で。
つくづく多忙の身であった。
《タイレル王国の食料事情》
タイレル王国の食料生産は大きく二種類に分けられる。
ダンジョンの外で養殖している生物資源。羊や牛の家畜、ジャガイモや麦などが栽培されている。農業が盛んな領地はタイレル王国に複数存在する。
ただし、農業は迷宮都市デロルでは行われていない。ダンジョンの数が他領に比べて遙かに多いためだ。迷宮都市の経済はダンジョンが数多くあることを前提としており、さながら鉱山都市のように採掘される迷宮資源を利活用するための産業が発達している。
迷宮都市では農業は行われておらず、多くの食料品は他の領地からの輸入である。しかし、多数あるダンジョン内の生物資源によって迷宮都市デロルの食料自給率な支えられている。地上で養殖するよりも、地上と時間の流れが異なるダンジョンで狩猟採集した方が効率的なのだ。
なお、ダンジョン内から産出される食料としては、まともに食べられることが十分に確認された──低ランク冒険者相手には、少しでも多くのダンジョン資源を活用するために毒味の仕事などもギルドでは募集している──魔獣の肉なども、食料として認定されている。《ゴブリンの耳》など。味は保証されていない。
一部の魔獣の肉は珍味として珍重され、冒険者の中にはそれを獲ることを目的とする、ギルドにグルメ・ハンターといった専門家に認定された者なども存在する。(食料だけでなく、植物、鉱物などさまざまな分野で専門家が存在する。専門性を高めることは冒険者個人のブランディングにも繋がると冒険者ギルドは意図しており、認定を受けた者もその恩恵を理解している。が、多くの冒険者は目に付いたものを根こそぎ乱雑な処理で持ってこようとする。一部の例外を除き、高位冒険者にはそれ相応の知識も求められる)




