セツナの見切り《挿絵あり》
──用心棒、って話を聞いたとき、嫌な予感はちょっとしてた。
僕の知り合いの中で、ゴロツキ相手だろうと面白そうであれば協力する、善悪の判断をつけないタイプの人が思い浮かんだのだ。
ビンゴだった。
僕は今すぐにでも帰りたくなった。
「用心棒って聞いてたんですけどー。守るべき相手、全員のびちゃってますけどー?」
「かかかっ。ぬしならば解っていように? 我に守るべき相手など。最初からおらぬよ」
「全然わからないんだよなぁ。僕が全員倒しちゃった以上、もう用心棒なんてしなくていいでしょ。帰ってくれません?」
「うむ。連中は見殺しにしたのだ。我の目的は、最初からぬしとの一騎打ちにある」
「もう詐欺なんじゃないのそれ? 用心棒って言葉の意味わかってないでしょ。被害に遭われた方にはご憐憫申し上げます」
艶のある黒い長髪を後ろで纏めた和装の女剣士。通称『人斬りセツナ』。
刃紋が波のように美しい刀を持ち、鮮やかな赤い袴がよく目立つ。その鮮やかさといったら、常に新鮮な犠牲者の血で染めているからだ、なんて冒険者たちの噂になっているほどだ。
現在指名手配中、罪状は辻斬り。貴族だろうと貧民だろうと容赦はしない。僕の知り合いの中でもぶっちぎりにヤバい人だ。
『知り合い』である。間違っても交友関係はない。
「だいたい。なんでこんなとこにいるんですかね。セツナさっ……うわっと!」
花咲くような笑みと共に、蕾を落とすような柔らかで容赦のない剣閃が僕を襲う。セツナさんは斬り合いしたまま僕と問答を続ける気らしい。
話をするときは武器置きましょうよ。僕は手放さないけど。
「勘でござるよ。女遣い。ぬしとこうして再び仕合えると思うてな」
「ふっ、はっ──僕は顔も見たくなかったですね。強い相手と戦いたいならメリーとでも戦ってくださ……わわっ」
「あんな化生のはずれと遣りおうても獲るものはござらぬ」
「はっ、はっ……、人斬りキャラのくせに変な選り好みしないでくださいっ──とと。僕はただの雑魚ですって」
「雲雀の嘶きを耳にしてなお、ぬしは五体を満足にしている。なぜ避けられるのだ? 謙遜をするでない」
「痛いのも怖いのも嫌だっていつも言ってるでしょ! そりゃ避けますよ!!」
刃が駆ける。踊る。翻る。
狙いは僕の首筋、頸動脈。小指の先ほどの深さの傷をつけようとしている。
何度もやりあっているから、彼女の狙いはよく知っている。そしてその狙いは正確だ。
正確だからこそ、ギリギリの位置で避けることができる。逆に言えば避けることしかできないわけで、僕ひとりの力ではセツナさんには勝てない。
……僕の体力が切れたらそこで終わりだ。
さっきまでの連中と違って、懐にある便利アイテムを出す余裕なんてない。
狙いが、首筋の一所に絞られているのにだ。
単純に、純粋に、彼女の技量は僕を遥かに超越している。
「思えばぬしには、《一族郎党皆殺し丸》を折られたこともあったでござるなぁ」
「うわっと! っっ……そりゃ折りますよあんな呪われた武器! 考えたヤツ馬鹿でしょ!」
刀身を見た生物の一族郎党を皆殺しにするまで鞘に収まらない剣とか危なすぎでしょ。レイシャルクレンジング剣かよ。
ええまあ? 確かに僕は水場に睡眠薬を盛って?その隙にあなたの武器を破壊しましたけど?あの武器壊れろっていうのは割と冒険者ギルドの総意でしたからね?直接の実行犯が僕だったというだけであって。だから情状酌量の余地が……むしろ情状酌量の余地しかない。僕は悪くないんじゃないだろうか。むしろ悪いのはそんな危険な武器を周囲のこと考えずに使うセツナさん側でしょ。
何度か言ってますがー僕は悪くないでーす。恨まれる道理がない。
「問答に付きおうてはやらぬよ。ぬしがせっせと回す舌は、気を取るための武器でござろう?」
「いやーそんなことはぁっ……! ととっ!」
「ゆえに、問答にはこの刀で応えよう」
いやいや、ことばのコミュニケーションって大事ですよ。万年ソロ冒険者のセツナさんにはちょっと難しいかもしれないですけど。
そんなだからキレイなのに友達いないんですよ。
「ほう? 興味深いでござるな。その声に応えてやろう」
え? うわっスピードアップした!
ちょっと速いはやいはやいはやいっ!
動け!足を止めるなっ!一瞬でも足を止めたらそのまま頸動脈切られる!
やばい!
死ぬっ!
──語尾にござるとか付ける変な人に殺されたくないぞ僕は!
「いいぞ! やっちまえ!」
あっ、もう目を覚ましたのか。流石に冒険者だけあって多少頑丈だな。
……っと!! 意識をそらしたら殺られるっ!
「後ろ髪か。ふむ。惜しい惜しい」
……斬り落とした髪を恍惚とした表情で撫でないでください。指をつっと這わすな。背すじが寒い。
「では、ゆくぞ──」
き、と鳥の鳴くような音を立てて、セツナさんの剣は鞘へと納まった。
──来るか、秘剣・雲切り雲雀。
もう言葉を発する余裕はない。口を開いたその瞬間、彼女は必殺の剣を僕の首筋へと突き入れるだろう。
僕は呼吸を整え、セツナさんを視界から外さない。
セツナさんは足を止めて笑っていた。
子どものような、どこまでも無邪気な笑顔で、僕は毒気を抜かれそうになる。思えば、セツナさんの剣にはずっと殺気がない。
だからこそめっっっっちゃ厄介なんだけど。
「ふっ……はっっ……」
僕は体中から絞るように息を吐き出し、新鮮な空気を取り込んだ。
ここから先は、一秒のその半分のまた半分のもう半分の……、刹那の世界だ。一瞬でも気を抜けば僕は死ぬ。首から血がびしゃーってなって出血多量で死ぬ。死ぬ。
僕はセツナさんの肩に意識を集中する。
手元や足元は簡単にフェイントができるが、体幹は誤魔化せない。体全体をバネにして加速する動きを模そうとすれば体勢それ自体が崩れ、必殺の一撃を打ち出せない。
だから、僕はただ、必殺の瞬間を待つ。
汗のひとしずくが鼻にこぼれた。関係ない。セツナさんの草履の擦れる音。集中を乱すノイズだ。
意識を集中し、視界を狭め、ただセツナさんのみを僕は見る。それ以外の感覚は後回しでいい。見つめろ。
──まるで、世界中にたった二人だけになったようだ。
「ふふ……──が──というのは──面はゆ──」
声ももう聞こえない。何言っているのか聞き取ろうなんて考えたらそのまま死ぬ。
百回やったら百回負ける相手だ。百一回目の勝ち──はまあ無理だから、せめてノーゲームを掴まなきゃいけない。
言葉はただの音として僕の耳をすり抜けていく。僕はただ構え、相手が近づいた瞬間にカウンターを放つ体勢を維持するだけだ。
まだだ……。
まだ…………。
………………。
──来るッ! けど、動け……ないッ……!
アドレナリンによって何倍にも引き延ばされた時間の中で、抜刀の音さえ置き去りにした白き閃光が、身じろぎすることもできない僕にゆっくりと迫り──、
「あがっ……あ、ああああああ!!!」
──きゅ。き。
悲鳴と共に、刀身が鞘を擦る甲高い音が虚空に響いた。
そして、ごろつき冒険者の片腕が宙に舞った。




