凶鳥ベリアルムスタング
そりゃあもう危なっかしく、見てられないほど危なっかしい調子で縦穴を抜けると、そこは赤茶けた荒野だった。
「楽勝だったわねっ!」
「よく言いますね。ほんとよく言いますねステラ様」
荒野のまんなかで。
ぷすぷすと白煙がまだ立ち上ってる奈落の底に向かって、糸の長さと種類を間違えて地面と正面衝突しそうになっていたステラ様が何か仰ている。
「あなた、結構過保護なとこあるわよね。適応だってしてるし、シアだっているのに」
「怪我してからじゃ遅いんですよ」
僕が付いてる以上、かすり傷のひとつだって付けさせるつもりはない。そのために、僕は歩道から尖った石を取り除くように斥候ごっこをしている。才能がないなりに力を尽くして。
だからですね、わき道で勝手に転ばれるととても困ってしまうわけなんですよ。
「でも、魔獣ごと焼き払って探索しやすくなったでしょう?」
「それとこれとは話が別です」
「んもう。いつものテキトーなキフィナスさんは何処に行ったのよ?」
「……いつも、その調子なら良いのですが」
「よくないわ! もっと褒められるべきでしょ、わたし?」
「はあ。そうですか。はぁーー…………。あー、すごいですねーーすごいすごい。すごいですーー」
「心がこもってないのだわ。も一回」
僕は舌打ちした。めんどくさい。仕える相手を間違えた性が高い。
僕は頭を掻いて、それから、笑顔を作って。
「はーい。すごいですーすごすぎますー。ちょっとヒきました」
「ひどくない!?」
別に酷くないですが。……いやまあ、実際すごくはあるんだけど。
恐らく深海にいたであろう魔獣は軒並み消し炭になっていたのか、ただ地面には黒いガラス質の物体が色んなところにこびりついてた。
たぶん水中の砂もろとも、あの熱でガラスになったんだと思う。
……なにそれ? 海の水を沸騰させて蒸発させるのもそうだけど、いったい何度くらい出てるんだろう?
もちろん、すごい力とやらの有無に関わらず、ステラ様はステラ様だ。
体内に火の粉を起こすだけでも人は容易く死ぬわけで、その火力がどれだけ高いかとかは僕にとっては大した事柄じゃない。
そんなことよりもずっと良いところが沢山あることを僕はよく知っている。直すべきところもね。
「そんなことより。早く切り替えてください。まずは地形の観察から。ダンジョン探索の基本ですよ」
カラッカラに乾いた空気と、砂埃を含んだ風が吹いている。飛んできた砂塵が目に刺さりかねないので、手で覆いを作って周囲を見渡す。
赤茶色の大地。いびつな形をした大岩が──風化して削られたんだろう──林立している。
薄曇りのぼんやりと青白い空には、黒い鳥がまばらに飛んでいる。
「鳥ね……。懐かしいわ。ずっと昔に飼っていたのだけれど、不注意で逃がしちゃって。シアってばわんわん泣いてね」
「……昔の話です、姉さま。それに、姉さまも泣いていました」
「そうね。でも、あなたが泣いてるところを見たの、あの時が初めてだったから。思えば、お姉ちゃんらしくしようって決意したのはあの時の──」
ん……? でもこの距離でも見えるってことは……かなり大きいな。人間より大きいぞ。
「思い出話はあとで聞きます。そこの岩陰に隠れましょう。ゆっくり姿勢を低くして……」
──近づいてくる影は大きい。人どころの大きさじゃない。
だいたい10mくらいあるか? ちょうどいい岩陰に身を寄せた後、僕はぼーっとしているメリーをだっこして抱き寄せた。抵抗はなく、胸の内にすっぽりと収まる。
「……魔獣、ですか?」
「多分そうです」
上空を旋回する鳥。……気づかれてるか?
僕はいっそう身をかがめた。
「まどろっこしいわね。さっさと爆破すればいいじゃない」
「ダメです。炎が一切通らない相手だっているんですからね?」
「その時は──」
「その時は。隙と危険を晒すだけだ。
まずは相手を見極めてからですよ。相手はしっかり吟味して、ぶん殴る前に十分な準備をしましょう。ちなみに『斬ってから考えてからでも遅くない』とかいう考えをする人もいますが、ほんとロクな死に方しないと思うのでステラ様はそうならないでください」
マグマを泳ぐ鮫に攻撃が通ったからといって、熱を自分の食物とするタイプの魔獣をも焼き捨てられるというわけではない。《火属性無効》なんて身も蓋もないスキルを持った魔獣だっている。
だから勝つための努力は尽くすべきで、そのために僕は、岩陰の隙間に糸を張りながら──あの巨躯にどれだけの効果があるかはわからないけど──観察を継続する。
空にある影の数はいち、に、さん……13体。
……ようやく、その全身が確認できる距離まで来た。
──かたかた、かたかたかたかた。
その音は、上空から発せられている。
本来嘴が付いているべき場所には、漆を塗ったように黒い人骨の面がある。それはかちかちと不揃いな歯を鳴らして不吉に嗤っている。
全身の羽毛からは悪臭を放つ黒い血がぼたぼたと滴り落ちている。タールのように粘度の高い液体は、地面を溶かしていくつもの穴を穿った。……人の皮膚に触れれば、強酸となってその身を焼き溶かすだろう。
巨躯であることがわかると、その動きが非常に速いこともわかる。
そいつを指す言葉は、僕の知る限り複数ある。
鳥葬鳥、群れなす人肉漁り、空飛ぶ死神……。どれもこれも不吉で、それは冒険者という職業にとってそいつが極めて危険であることを示している。
──凶鳥・ベリアルムスタング。Bランクの魔獣だ。
「……まずいな……」
僕の手持ちで、あれを相手に出来る道具はない。即席で張ってた蜘蛛糸は、巨体相手には意味が薄いことに加えて、全身から滴る血によって容易く溶かされてしまうだろう。
その上、地面に足を着けていない。それだけで二本足で地面に立たなきゃいけない僕らよりも優位だ。地形を気にせずに戦えて、かつ動き回れる角度が違う。
……影は、じわじわとこちらに近づいてくる。編隊を組んで、ぐるぐると僕らの周りを旋回している。
まだ気づかれていない──なんてのは、希望的観測が過ぎる見方だろう。魔獣とは狡賢なもので、冒険者を騙すくらいのことは平気でする。油断した冒険者の方が簡単に食べ物に変えられるからだ。
この岩陰から……引き返せるか?いや難しいか。ここで無防備な背中を晒せば直ちに飛来するだろう。
「……ねえ、メリー」
「…………」
「…………ごめん。君が怒ってるのはわかるんだけど、それでもさ──」
相手はBランクの魔獣だ。僕には打てる手がない。
……だから、もう、メリーに戦ってもらうしかない。
あの時戦った亜竜よりも強い相手に挑めと、あの時震えていた女の子たちにお願いするなんてことは……、僕にはできない。
……ああ、奥歯が折れそうなくらい惨めだ。僕は、メリーに危ない目に遭ってほしくない。僕の代わりにと暴力を押しつけたくない。……だけど僕は弱い。僕の力じゃどうすることもできない。できない。できない……! 受け入れてるつもりだけど、自分の弱さをこういう時に認識させられて──、
「なによ。あの鳥が、あの時のあいつよりも強いなんて──むしろ上等じゃない!」
「……ステラ様?」
「……実のところ。わたくしたちは、それなりに負けず嫌いです。……メリス。あなたは、特等席で見ていなさい」
「シア様……?」
二人が、すっと立ち上がる。
──そして、空全体が白く爆ぜた。
* * *
* *
*
緋色の魔眼は、映したものを焼き払う。
魔人ビワチャと相対し、遅れを取った時から、ステラは考えていた。
──あのときも。目に映るものすべて焼き払えば、対応できたのではないかと。
赤茶色の荒野には、視界を遮るものはない。曇天模様の空を切って飛ぶ巨体が、ステラの目にはよく見える。きっと速いのだろう。
だけど関係ない。
ステラの魔眼は燐光を放ちながら、空を一面覆い尽くす爆熱を放った。
……しかし、凶鳥はそれだけでは墜ちない。大きくひるみ、よろめき、しかしその姿は未だ健在だった。
「一撃入れたわ! シアっ!」
「……はい!」
次いで、碧の瞳が輝く。
凶鳥の身を、その身を守り敵を害する黒い血液ごと凍らせるためだ。姉ステラが剛毅なる力の行使であれば、妹シアは巧緻にその力を行使する。
怯んだ直後、満足に動けない相手を視界に収め、魔眼の力で軛を打つ。羽に。尾に。頭に。全身に。
13体26対の羽は、凍りついて次々に地上へと墜ちていく。
──その間に、シアはもう一手動いた。
シアの力の本領はその精緻さにある。魔力以上に、持ち前の空間把握力にある。彼女は空中に、地上に、縦横無尽に伸びる幅3cmの氷のレールを組み立てた。
「流石っ!」
レールの視点はステラの足下にある。氷の表面に着火し、靴先でサーキットを掛ける。
氷と炎の二条のラインが、墜落する巨鳥を囲むように巡り──。
「過熱限界解除っ! 撃ち尽くすわ!」
ステラの手にある回転式魔導詠唱機が、毎秒300発の魔力弾を叩き込む。
魔導詠唱機はギイギイと悲鳴を上げ、熱を持ちながらも氷に包まれた凶鳥ベリアルムスタングを撃ち抜いていく。
「ば!ば!ばばばばばば──爆破っ!!」
合図と共にステラは手にした詠唱機を投げつけた。
そして杖芯ごと、凍り付いた凶鳥は破裂した。
・・・
・・
・
「ふふーん。どう? 褒めてもいいのよ?」
──僕は、二人の姿から目を離せなかった。
止めるべきだ。危ないだろ。逃げろ。
この子たちが動くたび、呼吸をするたび、まばたきのたびにそんな言葉が浮かぶのに。その輝いた表情を見て声を掛けられずにいた。
……まさか、倒せるとはなぁ。
「……そうですね。よく頑張りましたね」
「そうでしょー? ほら、シアも褒めてあげてちょうだい」
「はい。……成長したな、って。思います」
「……おまえが目を離しているからです。私たちは、日々成長しています」
「ずっと見てて、って言ってるのだわ」
「……ね、姉さまっ。…………言葉の解釈は任せます」
……本当に。二人とも成長したんだな、と思う。
僕じゃ倒せない強さの魔獣を一方的に倒したこと──そんなことよりも、それがずっとずっと嬉しい。
そして何より、二人が無事で良かった。
「さてと。それじゃあ探索に──」
──かたかたかたかた!!
横合いから、けたたましい音が響く!
討ち漏らし……いや違う、最初から待ち伏せていた! なんてざまだ、なんてざまだ、なんてざまだ! 僕が、僕が気をつけなきゃいけないのに! ああまずい、まずいまずい、二人の死角から巨体が一直線に突っ込んできてて、僕はとにかく飛び出して──!
「……。じゃま」
メリーが小さな手のひらを握った。
凶鳥は、それだけで潰れた。




