溶岩からの襲撃者
「はあっ……! はぁっ……、しんどいっ……! 帰りたい……」
僕はメリーを抱えたまま蜘蛛糸を登って、なんとか元の位置に帰ってきた。
このまま帰りたい……!それが、それだけが素直な気持ちだ。
なにせ暑さってしんどさに直結してるからね……。継続的にスタミナを削ってくる……。
「……発汗が激しいですね。これをどうぞ。きっ……キフィ」
「あ、氷ありがとうございますシア様。冷たくてきもちー……」
「そんなに辛かったの?」
「辛い? はい辛いですよ。具体的に話しますと足場がなくて上空から超高温のマグマに落とされるところからスタートですよ? そりゃつらいですよ。つらさしかない。なんていうのかな、初見殺し系は覚悟の準備ができないから怖くて嫌だよねほんっと……。僕の命はひとつしかないわけで。なんで火口から足滑らせるマヌケの気分を味わわなきゃいけないのかなってなるわけで……。最初から火山とか登らないってのにああもうつくづく危ないことはしたくない……!」
「……報告は簡潔に」
「あーえー失礼しました。ええと、これ、僕みたいな準備なく入った冒険者は僕みたいに無力なまま即死しますね。多少《適応》が高くてもマグマ直撃は死ねます」
「ふうん。《不可能迷宮》ってやつかしら? 《鑑定》のランクはCなのにね」
──不可能迷宮。
ギルドによって、このダンジョンは探索することが不可能である、と判断されたダンジョンだ。
スキル《鑑定》で示されるランクとかいう文字列は、あくまで目安に過ぎない。低ランクダンジョンの主として、亜竜が控えていたようにね。
「飛ぶ手段を持っていればいいので不可能ではないです。けどまあ、かなり危険なところですかね……」
もちろん、中にはもっとエグいダンジョンもある。たとえば、僕がメリーと探索したところだと……次元の歪みをくぐったら即座に宇宙空間に飛ばされる、なんて奴もあった。
当然、普通の冒険者は酸欠で死ぬ。生身で宇宙空間に放り出されれば人はサクっと死ぬ。真空だからね。無重力だからね。でも、なんかこの世界だと、適応とかいう数字が高いと、なんか、5分10分は普通にいけるらしい……。帰ってこれた人間がいることがそれを証明しているわけだけど、運良く帰ってこれた冒険者はそこを『生命が踏み入れることを許さない呪いの地』と評し、《青空の洞窟》とかいう適当なダンジョン名よりも《呪いの地》で呼ばれてた。
なお、メリーは酸素と地面を作って悠々と探索した。魔獣もいなくて散歩だった。
「とりあえず、探索困難なのは間違いないです。新しいダンジョンですし、その先にも何かあるかもしれませんしね。というわけで、冒険者ギルドにこれだけ報告して別のダンジョンを──」
「そう。じゃ、なおさらコアを壊してもいいことになるわね。迷宮資源の回収も難しいでしょうし」
「…………えーっと……」
冒険者ギルドは、迷宮資源の安定的な産出を目的にしている組織だ。
そのため、ダンジョンを壊すという行為はあまり推奨されない行為ではある。しかし探索できないとお墨付きを与えているダンジョンであれば話は別で、むしろ賞賛されたりするから不思議な話だ。王都の頃は他の冒険者に迷惑かかんないようにってダンジョン選んで攻略してた。
もっとも、僕には落ちる評判がないし、メリーは最強のSランク冒険者で評判が落ちようがないから今はその辺りぜんぜん気にせず壊してるんだけど……問題は、ステラ様とシア様を危険に晒せるかどうかってことだ。
晒せるわけないだろ。
「戻りませんか」
二人を、危険な目に遭わせるわけにはいかない。……僕はメリーにだって、たとえ数字がだれより強いことを示していたって、危ないとこには行ってほしくないと思ってる。
当然この子たちはメリーよりは強くないわけで──。
「いいえ。今日はこのダンジョンを攻略するのだわ」
ステラ様は、ぱんぱんに膨らんだリュックサックを掲げながら、自信満々に言い放った。
……なんでかなぁ。僕は一目でうんざりしてるってわかるように、わざとらしく大きなため息をついた。
「……だから、すごく危ないですよ。マグマですよマグマ。しかも、これ最初ですからね? この先にもっとやばい地形とか魔獣とかいるかもしれませんよ。というかいますよきっと」
「そうね。ふふ、きっとスリル満点なのだわ」
「スリルとかじゃなくてですね、僕は──」
「あなたが。私たちのことをくすぐったくなるくらい心配してくれてるのはわかるけどね。
一度決めたものから逃げるって、カッコ悪いじゃない?」
ステラ様は、そう言ってにやっと笑う。
……なんだそれ。そんな理由で参加させられるわけがない。
「べつにカッコ悪くていいでしょう。痛くも怖くもないんですよ」
「カッコ悪いことは、痛くて怖いわよ。誇りを傷つけられて、痛くないはずがないでしょう」
「それは、あなたが貴族様だからで──」
「それ以上に。キフィナスさんが、その痛みに慣れてしまってるだけだわ」
……言っている意味が分からない。
あの、シア様。シア様もなんか言ってください。リスクは避けた方がいい。迷宮都市デロルの領主は換えがきかない。理解してますよね? ダンジョン探索はいいですよ。僕には理解ができないですけど一般的な貴族様の娯楽ってことなら十分慣れておくべきでしょうし。でもここは危ない。だいたいC級っていうのがまず危ないんですよ。罠の質が一段階凶悪になりますし、最悪のトラップのひとつである《テレポーター》なんて、踏んだら最悪白骨化するまで《ダンジョン魔獣かべにんげん》として過ごさなきゃならなくなりますからね。まあ臓器がぐっちゃぐちゃになって呼吸とかできずに即死ぬでしょうけど──ええと話がまとまらないな──あの、わかりますよねシア様?
「……はい。ですが私も、探索すべきと思います」
えええ……?
シア様まで賛同するの?
「……あの、これ、絶対負けられない戦いってわけじゃないんですよ? 普通に回避しませんか?理由もどうでもいいですし。だいたい、仮に負けられない戦いって主張されたとしても、そんな戦いって実はそんなに多くないですから引きますよ。前言はいくらでも翻していい。都合が悪いなら回避したっていいんです。逃げることは恥かもしれないですけど、たとえ拾ったってしょうもない勝ちでしかなくて──」
「そういう勝ちを。一緒に積み重ねていきましょう?」
ステラ様が、僕の手をぎゅっと握る。
「いいじゃない。しょうもなくても、がらくたでも、ちっぽけでも。他の人にはそう見えるだけで、私にとっては大事な宝物──そういうものって、世の中には案外いっぱいあるものよ?」
それに、とステラ様は付け加え、
「今の私たちなら、ダンジョンで遅れは取りません。それどころか、あなたと一緒なら、きっと不可能迷宮だって探索できちゃうのだわっ!」
……そんな曖昧な、ふわふわした自信なんて絶対止めるべきなのに。
僕はなんか、気づいたら首を縦に振ってしまっていた。
自分は結構口が回る方だって思ってたんだけど……、どうも最近、この二人には口でも勝てない。
そして、それを不都合どころか何故かちょっと嬉しいと感じてしまう自分がいることが、自分でも不思議でしょうがない。
・・・
・・
・
全員分の蜘蛛糸を結びなおして──メリーはイヤイヤ期なのか無言でぶちっと引き裂いて拒否したので僕の胴にくっつけたまま──再び、次元の扉に身を投げた。
落ちる。
落ちる。
落ちる。
頬を横切る風が、ぐつぐつと煮えるように熱い。真下に見えるのは溶岩。溶岩が少しずつ近づいてきて、でも緊張で暑さはどこかを過ぎたらとにかく暑いとしか感じられなくなった。
怖い。怖い。やっぱり怖い! 耐火性は十分だけど、万が一糸が焼き切れたら止まるべきところで止まらずに溶岩に真っ逆さま。それどころか、じゅっと空中で燃え尽きるだろう。
気づいたら僕の口からはあわわわとかばばばばとか悲鳴が漏れていて──。
「わーっ! やっぱりスリル満点ね!」
「あああうわわわやっぱり怖いこわ──そんなこと言ってる場合じゃないですからね!? 策がないならここで戻りますから!」
「……私にお任せください」
──青き燐光が煌めく。
瞬間。
「……う?」
僕は、ひんやりした地面に横たわっていた。
どうやら、シア様が空中に氷の足場を作っていたらしい。
感触は……柔らかい。さながら、ソフトクリームの上にいるみたいだ。
「……空気を混ぜて形成した氷のクッションと、不純物を通さない厚く堅固な氷の土台。二層構造の足場です」
「流石ね。シア」
「……誤って落ちないよう、手すりも用意しています。おまえから報告を受けた時点で、用意を調えていました」
「でも、溶岩地形で氷の魔術って相性悪いんじゃ……」
そう思って氷を眺めても、ぜんぜん溶ける気配がない。寝そべったまま、僕らから少し先にある氷の床をコンコンと木棒で叩いても崩れる様子はなかった。いや崩れられたら崩れられたで困るんだけど、一応ね。一応。
「……私の魔力は、以前のダンジョン探索時よりも遙かに増しています。その精密性も、質も。今屋敷にいる人間すべてを載せても欠けませんよ。姉さまの炎には譲りますが、溶岩程度で溶かされるものではありません」
シア様はそう言うと、大きな氷塊を空中に作り上げ、そのまま自由落下で落とした。
どっぼん、という少し鈍めの音を立てて、氷塊は溶岩に接触する。……が、氷は形を変えず、溶岩の上に立つように浮かんでいる。
「……魔術ってすごいな」
僕は手すりを掴んで立ち上がった。手すりは、氷でできているというのに肌を刺す霜の冷たさがない。固体で安定している氷の温度がゼロ度以下じゃない。
……魔術ってすごい。改めて、そういう感想が出る。
水の状態変化はもちろん、そもそも空中から生える氷の回廊とか、物理化学に対して真っ正面から喧嘩を売ってるよなぁ……。いやまあ、物理化学って概念もあの世界でだけで通じるルールなわけだけど……。
「……見直しましたか、キフィ」
「え? ええ、はい。見直すというか、まあ……ん? あれ?」
──いま僕のことキフィって言った?
んんんん……? え、なに。なにそれ。謎だ。《迷宮問題》か何か?
ええと……これ尋ねてもいいものなのかな? うーん……。僕は瞬間思考をフル回転させて考え、思考を巡らし、考えこんでる内に──ここがダンジョンであることを殺気が迫っていることで思い出した!
「……き、キフィ。突然黙り込んでどうしましたか……?」
「ええとあの──来ます! 溶岩から!!」
溶岩をざぱんと裂いて、黒い鮫のような影が飛びかかってくる。赤熱する溶岩が飛沫になって宙を舞い、黒い影はそれより遙か高くを舞う。
そいつは大きな口を開けて、使い古された鋸のようにガタガタの乱杭歯をガチガチ鳴らしながら──宙に出現した氷の壁に衝突し、大きな音を立てた!
ぎがあああああああ!という咆哮がびりびりと地面を揺らす……!
「敵ねっ!」
ステラ様が、大きなリュックサックにガサゴソと手を突っ込んで──何やら、投石猟具に似た形の物体を取り出した。
その物体は、Y字の両側から延びる紐の代わりに、一個の大きな円筒が付いている。
ステラ様が右手で円筒を回すと、燐光が光り──。
「シアっ!」
「合わせますっ」
「いくわよっ! 遍くを灼く紅蓮弓っ、矢衾かかり対手を貫けっっ!!」
合図と共に氷壁が消失し、何百発もの火球があんぐり開いた口の中めがけて炸裂する! 止まらない火球の連射に、黒い鮫はガチン、という音を響かせながら口を閉じた。不揃いで鋭利な歯が、顎を縫い止めるように口内に突き刺さって顔の肉から歯がはみ出ている。口の中を噛んだ時の酷いやつだ。
しかし、なおも射撃は止まらない。その苦しさに悶え、大きくよろけて敵は溶岩へと落ちていった。溶岩の大飛沫があがる。
……しかし、今なおその巨体は健在だ。
そりゃ、溶岩の中で悠々泳いでるような生き物だからね。炎が通ったりはしないだろ──。
「仕上げっ! ──豪炎炸裂っ!」
巨体が破裂した。内側から。ばあんって。
した。炎が通った。普通に通った。
「溶岩よりも、私の炎はずっと熱いわっ!」
内側から爆破させるってやり口がえぐい。
飛び上がったときよりずっと勢いのついた肉片がびしゃびしゃ!ってこっちに向けて飛んでくる。見た目的にもえぐい。
「……氷壁よ──」
「ばばばばばっ!」
それらがこっちに届くより前に、溶岩の飛沫ごとまとめて全部ステラ様が火球ではじき返した。
「ふっふーん。どう?どうかしら?」
「ええと……それ、なんですか?」
ドヤ顔のステラ様を前に、僕はとりあえず手に持ってる物騒なやつを指さした。
「よくぞ聞いてくれました! これは、回転式魔導詠唱機よ!」
なにそれ。
「オリバンド工の魔術杖を改造したのよ。秒間100発を50秒、ちょっと無理すれば300発を10秒撃ち込めるのよ?」
魔道具は魔術を使えない僕でも使える便利アイテムなので結構色々持っているけど、杖とかその辺は使えないのもあってさっぱりわからない。たしか、補助具とか言ったかな。色々種類があって……魔女の箒とかブランドがいろいろあって、専属の職人がいて、なんか白兵戦仕様とかガンナー仕様とか色々種類が出てたはずだ。
秒間100発というのはすごいけど……ステラ様には魔眼がある。目視で、距離を問わずに超高温の熱をその場に現出させられるわけで。一撃で、確実に致命の一撃を与えることができる能力を自前で持っている。
確かにすごい。すごいけど……、これいる?
「この子の一番の長所は、自前の魔力を使わないことよ。カートリッジに精錬済の魔石を入れれば、誰でも使えることにあるの。魔力が切れた時でも戦うための道具なのだわ。
……もう、前みたいな遅れは取らない。そのために作ったのよ」
「……はい。わたくしも姉さまも。以前よりも、強くなりました」
「わたしは。私たちは。──護られてばかりの、貴族の小娘のままじゃいたくないの」
そう宣言する二人の目は、魔力を湛えた燐光よりもずっと輝いて見えた。
「……ところで。魔力切れに備えてって話なら、こんなところで撃たない方がよくないですか」
「…………もうっ。いいでしょそんなことは! 私だってシアみたいにカッコつけたかったのだもの!」
「……姉さま。わたくし格好をつけてなどおりません。姉さま」
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《回転式魔導詠唱機》
ダンジョン《怪虫の巣穴》探索後、ステラが迷宮都市デロルの職人に発注していた魔道具があった。オーダーは、迷宮都市デロルの特産品である炎熱の魔石を動力源とした、自分の魔力を用いずに魔術を発動できる物品。迷宮都市は発掘された資源の調査研究・応用のため、魔道工学も発達している。
納品物を元に、錬金術の怪しげな知識と、キフィナスから時々聞く地球の情報を元に改造されたもの。本来は領主一族に納品する物品として見た目にも気を遣われた、ルビーをあしらった金色の杖であったのだが、その姿は見る影もない。
シリンダーの回転速度と火球の発射数はリンクしている。この機構は威力に不満があったステラが改造したもので、原理はマニ車に近い。1回転で10回分の魔術詠唱となり、声を合図に発射する。なお、カタログスペックでは300発を10秒で撃てるが、仮に実行した場合杖芯が保たずに爆発する。試作品──複数の業者に発注・納品されていた杖──を既に2回爆発させている。
やたらとぎゅるぎゅる回すところも含めてステラはこれを気に入っている。
余談であるが、仮にダンジョン東京を探索した場合、ステラが一番気に入るガジェットはハンドスピナーである。
とても気に入っている。




