「まあ読んだかな、読み切ったかな、みたいなところがある。まあこれでも? これでもそこそこ付き合いありますし?僕としても考えてますし?」
「ん……」
仮眠から目が覚めると、僕の顔を見つめているメリーと目があった。
馬乗りの体勢でのしかかられている……。
微睡みからまだ回復しきってない頭も、メリーの重さを認識している。
成長を止めた華奢な身体は、肋骨や骨盤がうっすら浮き出るほどに痩せぎすだ。だからこうして、ぺったりと貼りつくようにのしかかられると、彼女の痩せた体躯を感じずにはいられない。
でも、そんなメリーにも重さはしっかりとあって、こうして今も呼吸をしている。
……頭がぼんやりしている僕は、そんな単なる事実に、これ以上ないほどの安心を感じてしまう。
それはそれとして邪魔だからどいてほしいという気持ちがある。
重いし。
ぺったりとくっついてくるメリーを、僕は邪魔なので落と……落とせないな物理的に。
どいて。邪魔。
「ん」
あ、ちょっと待ってゆっくりだからねメリーのパワーで雑に降りると僕の胴体が脊髄ごとへし折れたりするだろうから慎重に降りあ痛ぁ!!
君ほんっと雑だなぁもう!
「おきた?」
起きたよ? そりゃ起きたけどさぁ……。起きがけに肋骨とわき腹にダメージ受けて起きないわけがないよね……?
ああもう、痛いなぁ……。メリーはひどいことをするね? はあ、僕がなにをしたっていうんだ。
悖るところは一切何もないというのに。
「きもちよくねてた。めり、みてた。でも、おきたならおきるべき」
なんだいその理屈は。起きたって寝てもいいじゃないか。僕はね、寝起きのちょっとぼんやりした感覚が嫌いじゃないんだよ。
たとえば……、うららかな春の明け方、暖かな陽射しを受けて布団の中で目が覚めて、でもまだ体に眠気はある。あわよくば二度寝を考えてもいい……。霧が全身を包むような感覚が僕は大好きだ。
なので、そんな強引な理屈を持ち出される道理がない。のんびりしたい。
「すてら。しあ」
ん? あの二人がどうかしたのかい?
「きふぃのばしょ。だいじにしなきゃ、だめ」
……なんだいそれ。今の関係について、選択権があるのは僕の側じゃないでしょ。
それに、可能な限り、その……大事には、してるつもりだよ。
僕は僕なりに、二人のことを信じてる。だから押しつけ……、えーー、ごほん。託したわけで。
単純に適材適所の問題だよ。
実のところ、僕は権力とか権力者とか、そういうものがあんまり好きじゃない。
敬うに足る人間を敬うことは勿論いいさ。僕の狭い人間関係の中でも、皮肉抜きに尊敬できる美徳を持ってるなって人はいる。王国に来てからは、それなりに出会いに恵まれていると思うよ。その人たちを敬えと言われたら、まあ喜んでそうする。本人のいないところでね。
でもさ、特定の立場に就いてるってだけで無条件でそいつを敬わなきゃいけないとか、悪い冗談だろ?
僕は正直は美徳だと考えているので、そういった悪感情を胸の内にため込んだままにはしていられない。亡国の皇帝ぃ? 何それ。大っ嫌いですねーー。
で、しかしながら皇帝様とか権力ひとつで僕のことを100回殺して余りあるわけですよ。なにせ奴隷制を大っぴらに認める腐れ国家のトップ様だ。ああ、いやでももう滅んだからそこはセーフかな? それともまだ人を動かせるだけの権力はあるのかな。わからないけど。
「めり。まもる」
うん。国家対メリーって構造は単純に避けたいよね……。
「まけないよ?」
だからダメなんですよ。族滅するでしょ。
一般的な感覚として、幼なじみに大量虐殺者になってほしくはないよね?
そもそも、対立する必要なんてないんだ。僕がちょっと、友好的じゃいられないってだけなんだからさ。
そんなケースは社会にいくらだってあって、そういう場面はすっとその場から離れればいい。
人間には自由意志があり、選択の権利がある。
それを放棄し、誰かに隷属することを是とする制度を社会として認めているとか、僕にとっては信念のレベルで相容れない国家だった。正直、グレプヴァインの奴から滅んだって聞いたときはちょっとすっきりした。
もっともっと正直に言えば、そんなことやってた連中が難民として押し掛けてくるのを保護してやる必要とかあるの?って思う。
……だけど、血豆を踏み潰す子ども、弱い相手には、当然手を差し伸べるべきであるわけで……。
だから、僕はお二人に対応を任せようと思った。
説明しなかったのも、僕が抱いている悪感情──それは一般的に偏見とか呼ばれるもので、しかし僕は改善する気がない。なぜなら判断にあたって便利な物差しだから──を二人に移したくなかったからだ。
僕から見た『突然石を投げつけようとしてきた皇帝様』とやらの人物像と、ステラ様とシア様から見た『なんか拉致されてきた身なりがボロボロな少年』の人物像はどう考えたってイコールでは繋がらないだろう。
そこでお二人はどう判断するのか。
まあ、ステラ様は甘っちょろ……えーと、お優しいから、多分支援なり何なりしようって話の流れになるだろう。シア様は割とその辺厳しいけど、お姉さんの意見を尊重するはずだ。
そして僕は、渋々、渋々そんなお二人の選択に従うことになる。
僕のバカでかい自意識と手のひらサイズの良心を諸共に納得させる折衷案がこれだ。
「ん。しってる。きふぃは、めんどう」
面倒じゃないですー。
眠かったなりには会心手だと思っているよ。
「でも。はなす。はなすべき」
僕は口下手でめんどくさがりなメリーさんの方がよっぽどお喋りすべきだと思いますけどね。いくらでも聞いててあげるからさ。
「はなさないと。わからない」
まあね。それはそうだよ。
でも説明したとおり、わかってもらわれると困るんだ。僕の偏見が移るかもしれないからね。
それよりも、泣く子が減るならそれが一番だろ。
「どうでも。いい。きふぃのほうがだいじ。いちばんだいじ」
はいはい。僕もメリーが一番大事だよー、っと。
僕はメリーのふわふわな髪を撫でた。
そのまま、ベッドに腰掛ける。メリーがすっぽりと僕の胸の中に入った。
「はなす。はなす……はなさなくてもよい。つづけてよい。つづける」
そのまま、つい……、つい……と、メリーの流れる髪に手櫛をかけていく。
うん。続けるよー。
僕は話がまとまるのをまったりしながら待って、それから笑顔で出勤すればいいからね。冒険者らしいこと……まあ、薬草でも毟りながら待とうかな。
眠かったから言動に若干のアラがあったのは認めるよ。でも、こうなるんじゃないかなって部分は外してないと思うんだよね。
「髪の毛を整えたら、一緒にお昼ごはん食べよっか。ちょっと遅いかもだけど、スメラダさんにお願いしてさ」
「めりは。ならない。おもう」
不吉なことを言わないでほしい。
僕はメリーの髪を撫でた。
* * *
* *
*
「叩き出しなさい」
「……はい。当然です、姉さま」
辺境の旅路を終えた少年帝は、柔らかい毛布と暖かな食事を前にして口を滑らせた。
ここをダルア領だと認識していたこと。
余に便益を与えろと要求してきたこと。
そして何より、『この国では灰髪が首輪も付けずに歩いている』と嗤ったこと。
──世界ラーグ・オールに現存する国家において、児童保護という概念は一般的なものではない。
無論、児童が生物学的に未成熟であり、肉体的な発達の途中段階であることは当然のごとく認識されている。
しかしながら、それが守るべき対象であるという認識は一般化していない。
この世界には、スキル・ステータスが存在するからだ。
整った環境によってその恩恵をより強く受け、生育が早い貴族にとっては尚更である。
──己の足で立てるようになったその時から、貴人は貴くあらねばならない。
貴族による統治の正当性とは、並ぶものなき優秀さに他ならないのだ。
「いいこと? ──私の家人への侮辱は、家への侮辱と同じよ」
ゆえに、年若いことは免罪符とならず、放言は許容されない。
ステラとシアの瞳には、魔力を湛えた燐光が煌めいていた。
『な、何だ……? よ、余はハインリヒ帝だぞ! この身に宿したレガリア、《苦悶の宝珠》の輝きを見るか!』
「……翻訳が必要ですか?」
「いいえ。いらないわ。だって、何を言っていようが──この距離なら、私たちの眼の方が速いもの」
空気中にちりりと火花が舞う。
瞬間的に冷え固まった水分が破裂する。
燐光が尾を引き、瞳が少年の姿を捉えたその瞬間──!
「世界の合言葉は愛っっっ!!」
執務室の扉を拉げて、エプロンドレスと大量の洗濯物を翻しながら、アイリーンが姉妹の視線を遮るように突入した。
スリットの入ったスカートからは、健康的な色をした太股が覗いている。
「雇い主のかたがたっ! 愛が足りませんっ!!」
そして、眉を八の字にしながら、ステラとシアをびしっ!と指さした。
「あなたね……。持ち場に戻りなさい」
「戻りませんっ! 優しさを知るまで、戦いますっ!」
「……あなたは当家の使用人でしょう……。アイリーン。いったい何と戦おうというのですか?」
「愛なき世界に! 愛を取り戻すための戦いですっ!!」
ステラとシアは、キフィナスの人事によって家人となったアイリーンを、未だに扱いかねている。
彼女はステータスの値に100を超えたものを持つ──いわゆる《桁違い》だ。
実のところステラには、既に何枚も衣服をだめにしている洗濯係を、武官として確保しておこうという打算があった。
メリスを絶対に戦力に数えない・数えさせない普段の態度とは違って、キフィナスもそういった扱いを暗に認めている部分がある。
「愛の人が何をお考えだったのか! わからないんですかっ!?」
「昏睡状態のまま拉致してきたのにわかるわけないでしょう……」
「それは──……愛です!!!!」
その声には迷いがなかった。
(どうすればいいのかしら……?)
(……この活力は、当家で管理することが望ましいとは思われます)
(クーデター未遂を起こしていたって話だものね……。未遂である以上処罰はできないし、何より多分、そういう手はあの人が嫌がるし……)
ステラとシアが、ひそひそと会話をする。
『……ん? ど、どうした? 余の威光にひれ伏したくなったか? よいぞダルア領の。余は父上と母上から、帝王は寛大であれと教わった。その頭を垂れるなら、行状を──』
「はーーむっ♪」
アイリーンは少年帝に組み付き、耳たぶをかじった。
『!!?? な、何をする! 呪術かっ!?』
「じゅる……じゅるじゅる……。この味……ああ、つらい旅路を体験したのですね……わかる、わかります…………。ウチの子たちとおんなじですね……」
『やめ──やめよ! 余は花咲きの地の帝なれ──ひっ』
「じゅるじゅるじゅる……愛が……愛が足りないのですね……」
「私たちは何を見せられているの……」
「……猥褻です……」
「え?」
「……いえ。何でもありません」
「わ。蜂蜜細工のレモンシャーベット、いいですね。僕このお菓子大好きなんですよ。いただきまーす」
時間のあるときにスメラダさんは凝ったデザートを作ってくれる。
「えへへ。今日は私も手伝ったんですよ、おにい」
「そうなの? ありがとね、インちゃん」
氷属性の魔術と料理スキルによって、蜂蜜は薄く引き延ばされ、シャーベットの上に金の冠を作っている。
舌触りは硬くて、口に入れた瞬間にほろっと溶ける。蜂蜜の濃厚な甘さが口に広がるこの瞬間がたまらない。
僕はずっと昔から甘いものが好きだ。僕は続けて、メリーの方にスプーンを差し出した。
「ゆっくり食べてていいですよ、おにい。私が冷やして固めてますからっ」
本当? 嬉しいな。氷菓子はおいしいんだけど、ゆっくり食べようとすると溶けちゃうのが何とも困りものだから。
それじゃあゆっくり味わって──。
「たのもーっ!」
この何やら甘ったるいちょっと鼻にかかった女の子って感じの声は……!!
僕が頭を抱えていると、ピンク髪の、いつものシスター服の上から丈の短いエプロンを着たアイリーンさんが玄関から上がってきた……。
「一応確認なんですけど……、アイリーンさんって今の時間は洗濯をしていると思うんですけど……」
「追い出されてしまいました♪」
はいーー。なるほどーー。参考になりますーー。
……そこの、皇帝陛下様も?
僕は髪の毛を焦げさせたり、氷柱を作ったりしてる皇帝陛下様と目があった。
「はいっ!」
「そっかぁ……」
お返事に元気があっていいなぁ。
蜂蜜は甘くておいしいなぁ。
僕は無心だった。
無心でそう思っ──、
「てき」
メリーが、ぽつりと呟いた。
瞬間、窓ガラスが割れた。
「きゃあああああああっ!!」
音に驚いたインちゃんが泣き、スメラダさんがすっと台所に身を隠し、粉みじんになった窓ガラスがシャワーになって氷菓子に降り注ぐ。
「……ふざけんなよ?」
僕はキレた。




