閑話・哲学者たち/だらだらする時間
深夜。
迷宮都市デロル、ダンジョン学研究会準備室にて。
「わかったぞ! わかったぞッ!わかったわかったわかったわかった──」
汗と垢でべたりと肌に貼り付いた髪をかき乱しながら、男が叫ぶ。
男の名はラスティ・スコラウス。
ダンジョン学研究会に在籍している若手研究者であり、以前、生成直後のダンジョンをキフィナスと探索した人物だ。
「キフィナス氏との出会いはいい転機だった! 灰髪の中にもあのような者がいようとはな!」
研究で身を立てることを志す者には、その胸の内に多かれ少なかれの狂気に似た熱がある。
彼もまた──ダンジョンではその片鱗を見せてはいなかったが──例外ではなかった。
学問とは、先人の知を積み重ねる行程を指す。天才のひらめき、歴史を変える大発見、未来を見たような仮説……優秀な個人がその優秀さを遺憾なく発揮する背後には、積み重なった先人の知という財宝がある。
そして、その積み重ねには『先人を否定すること』も含まれている。時間の流れに埋没せず、数多の論客に否定され、それでも残ったものが現代まで残った知識だ。
研究者はその事実を十分に弁えている。
そこに自身のひらめきを加えることを、研究という。
研究者は弁えている。
自身の閃きもまた、時間の流れと後世の人々からの批判という金床と鎚によって打ち付けられることを。
そして、自説は負けないと主張できる人間が研究者となるのだ。
血走った目。際限なく昂ぶる体温。思考だけが動いている。
ラスティは羊皮紙を刻むような勢いでボールペンを走らせ──。
「ああッ! そうだ! この世界の発展は! 何者かによって都合よく操作されている! これが世界の──」
「ごきげんよう~」
結論を書かんとした直後。
間延びした声が、背後から響いた。
声の主は、くすんだ灰髪の男。
「『世界の真実』に一人でたどり着くなんて優秀だね~」
そして、ラスティの結論を事も無げに認めた。
まるで、車輪の再発明を目撃するかのように。
「というわけで~。ぼくらの『哲学者たち』に入らない~? 活動内容は、そうだねぇ~」
世界を守るため。
男は真剣な表情で、ラスティに告げた。
* * *
* *
*
一日を3600と24回で割ることで、人間は人間の管理を容易くした。正確な時間という概念は人間からあそびを奪っている。
すなわち──やることが多い。僕は銀時計を乾布で磨きながら思った。
会議、資料作成、報告、連絡、それから休み時間のダンジョン探索……『メリーとだらだらする時間』をわざわざ記帳しないといけない始末だ。
幸い、誰も彼もが腕時計を付けているわけでなく、時を知らせる鐘打ちも時々寝ぼけたりご飯を食べてたりするけれども、全員が全員こんなものを持ちだしたらいったい社会はどうなってしまうんだろうね。
きっと息苦しいんだろうと思う。
「きふぃ」
なんだいメリー?
僕は手を動かしながらぞんざいに答える。
膝の上にいるメリーの視線は、僕の手指に向いている。
「たいへん?」
ん?うん。大変だよ。すごい大変。見ればわかると思うけどまあ大変だ。すぐに黒ずむからね銀って。銀貨とか見ればわかるよね、なんかくすんで薄汚れてるやつ。あれ絶対バイ菌とかすごいよ。実際どうだかは知らないけど。
で、流石にそんな色にはできない。これは身分証の代わりになるからね。僕を雇い入れる時点で問題があるとは思うんだけど、迷宮伯って立ち位置はこの国でもかなり権威ある立場だからさ。あと、銀の手入れが大変であることを知っている人間には僕が勤勉で誠実な人間であることのいいアピールになる。勤勉さも誠実さも自分で主張しないと伝わらないからね。身嗜みというのはそれを積極的に主張するための手段だよ。だからメリーももう少し自分の着る服に興味を持つべきだと思うんだよね。君の口からは『着やすい』と『着にくい』しか出てこないから困るんだよ。君が好きなデザインとか色とかモノとか「きふぃ」そうじゃなくて。
ん?あれ、何の話だっけ。ああそうそう、銀の手入れの話だったね。いやぁ、いい磨き粉があればいいんだけど……よく知らないんだよね。鍛冶とかやってるひとは迷信深いひとが多いから、髪隠さないとまず会話にすらならないし。なんか金貨を積んでも首を縦に振ってくれない人が多い気がする。
きゅっきゅっきゅっ。指でこすって音が鳴る。うん。
「ほんとに面倒くさいったらな──」
メリーが時計に手を伸ばした。
僕はさっと持ち上げた。
メリーが立ち上がった。
僕はすっと手を下げた。
メリーが背中からおぶさってきた。
僕はそっと手をしまった。
「きふぃ」
なんだい、メリー。
「めりが。してもよい」
「ダメに決まってるでしょ。これ大事なものなんだか……、…………えー、あー……、うん。だめです」
僕は咳払いをしながら、ポケットに銀時計をしまい込んだ。
扱いの雑な子に壊されちゃたまらない。これは差別とかじゃなく、区別だ。
……とはいえ。たとえメリーが壊さなくても、渡すつもりはないけどね。
「かわい」
ぺっとりとくっついたメリーが、僕の耳元に唇をひっつけながら、ぽそっと言った。
……君、最初から時計触るつもりなかったよね?
うるさいです。
「よし、これで終わっ──」
「おにいっ!!!」
おや?
血相を変えてインちゃんが部屋に飛び込んできた。
どうしたのインちゃん。
「実は、表通りで言葉がわからないヒトが来てて……、あの、冒険者さんとなんかケンカをはじめちゃって……」
言葉がわからないヒト……?
あ、辺境から来た人かな?
身振り手振りでなんとかコミュニケーションするっていうのは、別に珍しいことじゃない。
「そっか。でも、憲兵隊に任せればいいと思うよ」
僕はメリーの髪を撫でながら言った。
珍しいことだけど、なにも前代未聞というわけじゃない。
僕の予定である『だらだらする時間』を崩すには至らないのだ。
「で、なんか紅白の服着た女のひとが突然両方をボコボコにしだしてっ! おにい出さなきゃ時間の鐘が鳴るたびに一人ずつ首斬り落とすって!! 道の往来で!!」
……え?
なに言ってんの?
なにやってんのセツナさん?




