方針確定
先頭に立っている人間が間違いを犯すと、そこに前ならえでくっついた人間全員が被害を受ける。
たとえば、レミングってネズミ(この世界にはいないと思う。むかし東京の図鑑で読んだ)がいるらしい。なんか、この小動物は集団入水自殺をするタイプの生き物だそうだ。
理由は色々と推測されていたけど──多分それは、小さめの脳みそで生涯を悲観したわけでも窒息の快感が死の恐怖を上回ったわけでもなく、単に先頭のレミングが足を滑らせたからなんだろう。
人間社会とそこまで変わらない。
ただ違うのは、人間の場合は先頭で足を滑らせた間抜けが死ななくてもいいことだろう。トップによる選択の責任とは、だいたいは下っ端に被せられるものだ。
貴族様も王様も、自分の失敗について責任は取らない。彼らは生まれながらに貴族であり王であり、生涯に渡ってその立場が脅かされることはない。
だからまあ、やんごとなき人が優秀であること──少なくとも、その失敗が原因で僕が私が不利益を被らない程度に優秀であること──を、やんごとなくない人々は祈るしかないわけだ。
「千年祭に備え、ダンジョン産小麦の生産量を上げていたことは幸いだった」
そういう意味では、この黒地の制服を着た女は失敗の責任を押しつけられた立場だと言える。
そう考えれば少しは溜飲も下がる。黒服だから心なしか働き蟻に見えてくるよな。
「そっか。それじゃあ問題は解決だ。早く王都に消えろよ」
僕は蟻を追っ払いたかった。
メリーはというと、いつものように、ひどくどうでもよさそうにしていた。
「会話に誘い水を混ぜる癖は昔から変わっていないな。解決であるはずがない。今日の破滅を、明日に先送りしただけだ」
そりゃそうだろう。都市に2万人がドンっと増えたら食料供給とかどう考えたって覚束ない。単に帰ってほしいだけだ。
王都タイレリアの人口は10万人かそこらだ。そこから一気に2割増し。『いつもの8割配給すればいい』って単純な話にはできない。
貴族様方は自分の取り分が減ることを許さないからだ。彼らは着飾り裕福であること──すなわち権威を示すことも仕事だからだ。身分制社会が絶対であることを示さなければならない。
とても馬鹿げている。
馬鹿げているし、そいつらが餓えたら面白そうだなーって気持ちはなくもない。
……もちろん、餓えるのは弱いひとだけどさ。
「冒険者ギルドは社会の公器だ。これから王都のみならず、《始祖の壁》に面した領地に次々難民が押し寄せることだろう。ついては、迷宮作物の供給量をただちに増やさねばならない」
「は、はい……! 査察官の、えっと──」
「グレプヴァインでいい。ギルツマン。君のことは知っている」
「ヒエっ……」
「迷宮都市デロルの冒険者ギルドは近年とても高い成果を上げている。有力支部の稼ぎ頭の名前だからな。……さて。その働きぶりを見せてもらおう」
「はい! ……で、予算は?」
「迷宮都市デロルには、現時点で金貨500は出せる」
「ただちに! 食糧資源募集の告知と報酬プランを作成してまいります!」
レベッカさんが張り切っている。
相変わらずレベッカさんは随分と職務に対して熱心だし、相変わらずリリ・グレプヴァインはオダテが上手だ。
……ま、いいや。冒険者さんたちがどこまで働くんだかわからないけど、せいぜい勝手にやってればいい。
「アンタも冒険者でしょーがっ!!」
え? ん……あー……、
そうだっけ?
・・・
・・
・
「──というわけです」
僕は執務室でステラ様とシア様に報告した。
報連相って大事だ。時にジェスチャーを交えつつ、僕はありのまま克明に語った。
「どういうわけなのよ」
報連相って大事だ。僕はこれ以上なく丁寧にお伝えしたつもりなんだけど……。
うまく伝わってなくてびっくりするよね。
「びっくりするのはこっちなのだわ!? 王都の件とか初耳なのだけれど!」
「……あの、王都の中央から東を一手に焼き払った、三年前の《王都大火》の犯人がお前だと?」
んー、ええーー、まあ。強いていうなら?
そこ別に本題じゃないですけど。
「本題じゃないとかじゃなくって! ……これ、聞かれてないわよね……?」
「さあ? 人の口に戸は立てられませんし、退屈な貴族邸宅勤めの使用人にとって屋敷内のスキャンダルは大きな娯楽になるかと。だから聞いてるかもしれませんねー」
「ちょっと! それはマズいでしょさすがに──」
「……大丈夫です。扉の前に設置した《氷晶の霧礫》は、魔力を感知しておりません」
へえ。シア様の魔術、ほんと便利だな。
「よかったわ……って! なんで私が慌ててるの!?」
なんでって。
慌てているから慌てているのでは……?
「慌てるべきはあなたでしょ!ってコト! 思い返せば、どうりでやたらと放火に手慣れてるわけよね……」
ステラ様が頭を抱えた。
「……おかしいです。あれは下水処理用の魔石の誤作動と、昼食後の火の番を怠った結果の自然火と……」
はいーー。
そうだと思いますー。
「あっ。適当返答モードに入ったのだわ」
「お前……!」
はいー。いいえー。はいーー。
別にとりたてて話すこともないのでー。本題でもないのでーー。
あ、それとも僕辞めた方がいいですか?
「卑怯よ。それは」
「僕は卑怯ですけど」
「……お前が卑怯でないことは、私たちはよく知っています。……語りたくないというのであれば、今は語らなくてもいいです」
「そうね。キフィナスさんが、たとえ過去に何をしていても。私は、あなたを手放すつもりはないのだわ」
「……わたくしは、迷宮都市デロルは、お前を必要としています」
……そうですか?
そうですか。
……なんだか、胸がぞわぞわする。
「きふぃ」
なんだい、メリー。
小声すぎて、もっと耳元で喋ってくれなきゃわかんないよ。
「うれし?」
……わかんない。
「えー、あー、そんなことより。──問題は、人口増加と食糧難が近い中、ウチがどう立ち回るかでしょう?」
こっちが本題です。
僕は紅茶を飲んで、佇まいを正した。
「どうって……?」
貴族の権威とは王によって保障されるという建て前があるが、先祖代々の自分の権利が脅かされることは良しとしない。
貴族は王の臣下であると同時に、領地の王でもある。
そして、迷宮都市デロルは、恐らく……今のタイレル王国で、もっとも力のある領地のひとつだ。
「つまり。裏切れるんですよね、王国」
このタイミングなら。
──王と領主という軛すら崩せる。
かつて帝国や共和国がタイレル王国から独立したように、国を興すことだって──。
「いや。やらないわよ?」
おや。
「……立ち回りというなら、食料品を王都に献上するべきでしょう」
なるほど。
でも、それで王都側の覚えがよくなったりはしないですよ。
あそこは文官やってる無領地貴族と武官の騎士とでそれぞれ権力握ろうとぐだぐだやってましたから。多分今もやってる。
で、国政の責を地方の領主に被せる構造が変化することはありません。
「それは……そうかもしれないけれど……」
「だから、独立してみたらどうかなーって」
僕はけらけら笑いながら言った。
シア様はそんな僕をじーっと見て、
「……お前、本気で計画していますか?」
「ん? いえ。別に?」
あっシア様の訝しんだ目が氷点下まで下がった。
まずいまずい。ええと、うーんと……。あ、事実だから言葉を重ねようがないな。
「……唐突に邪悪な提案をしたと思えば、やはり……」
「ほんとそういうところよ!?」
邪悪でもないですしどういうところかもわかりませんね。
僕はただ、選択肢があるなら提案しないとな、と思っただけです。
──偽りなく。本心から僕はこの二人の力になりたいと思っている。だからこそ、あらゆる提案を俎上に上げるべきだ。
領地領民を最優先とするのなら、これ以上国政による不利益を被らずに済む『独立』という選択肢はけして荒唐無稽なものではない。
国王と貴族の関係は、双務的な契約から惰性による継続へと既に変化して久しい。
地方の領主複数名がこの時期に逍遙に来るということも、王の求心力が失われている事実を示している。
その一方で、王都はいまだに地方領地に税を強いている。
食糧難の影響から、ダンジョンを多く抱えてるこの地が多量に拠出しなければならない結果が見え透いている。
「本気ではないですが、ただの冗談ということもありません。
勝利条件はどこにあるか、ということですよ」
懐中時計のレリーフを──ロールレア家の家紋が入っている──僕は服の上から指で撫でた。
「いつも思うのだわ。『領主の家臣』なら絶対に出さないって考え方を、あなたはいつもするの。無骨で、粗暴で、だけどどこか合理的で。きっとそれは、冒険者のそれなのね」
「……はい。時折、私はお前の思考を昆虫か何かのように感じます」
お二人の評価は心外だった。
とても心外だった。とりわけシア様。
虫って。虫って。僕は表情豊かですよ?
少なくとも、シア様より笑顔は上手いと思う。
「……れ、練習中です。……不敬な発言は控えるように」
おっといけない。また不敬ポイントが貯まってしまった。
10ポイント貯まると首が飛ぶ感じのやつ。次までに覚えていたら気をつけておこう。
「……その態度が既に不敬なのですが。……いいです。お前の態度を、私はとくべつに許します」
とくべつに許されたらしい。
やった。
「シアは甘々ね」
「……そ、そんなことはありません、姉さま」
そうですよ。
僕にだけ当たりが厳しいのを感じます。甘くはないと思う。
「……許すの?」
「…………ゆ、許します……」
許しタイムが継続している。
どうも多くのことが許されるっぽいな。無駄に試したくなってきた。例えば今メリーにやってるみたくほっぺを突っついたりしても許されるかもしれない。
あるいはノータイムで指を折られるかもしれない。五分五分だな……。
僕がスリルとの誘惑と戦っていると、ステラ様がすくっと立ち上がった。
「いい? オーダーは、食料支援よ」
「その心は? 勝利条件は、どこにありますか?」
「私の勝利条件は『みながより良く暮らせること』、なのだわ。それは領地のみんなはもちろん、この国の人だって例外じゃありません。もちろん、身分の差だってそう。
──あの日見た、道行く誰もが笑っていた轍路を、地平線いっぱいまで広げたいの」
「そうですか。それは、ずいぶん大それた願いですね」
「いつだって、目標は高くあるべきだわ」
ステラ様の言葉に、迷いはない。
「姉さまは、私が支えます」
シア様の眼差しに、怯えはない。
……まったく、危なっかしくてしょうがない。
「……じゃあ、まず、ギルドと協力関係を結びましょう。報奨金を領地から出す。ウチに取り立てるとか言う。適当な栄典をでっち上げて授与とかする。きっと二つ返事で食いついてきますよ」
「そっちも考えてたの?」
「どっちも考えてないです。いま、ぱっと思いついた範囲ですよ。詳細はみんなで詰めましょう」
「ふふ。そんなこと言って、協力することを最初から考えてたりして。あなた、何だかんだでいいひとですもの」
「いや別に──」
「……そして、否定するのですね」
……僕は舌を休ませた。
ステラ様とシア様はくすくすと笑った。
「……いちおう聞いておきますが。その、王都から派遣されたリリ・グレプヴァインという人物とは……その……、親しいのですか?」
「は? いや、ありえないですけど……」
何をどうしてそんなことを思ったんですかね……。
「……お前が、その持って回った敬語を使わない相手は。……私の知る限り、とても少ないものですから……」
ん、ああ、まあ。
……あいつは、僕らを裏切ったから。
「ようこそ。貧者の灯火へ──やあ、琵琶。ここに来たってことは、また金が必要になったのかな?」
「お久しゅうござンす、姐さん。いいえ、最近のお客さンはお大尽サマが多くございヤして。顔を見せようと寄っただけでサ──っと。ロマーニカのお嬢さんまでいらしてヤしたか」
「相変わらず訛りの酷い言葉遣いだな。聞くに耐えぬ」
「へへ。おあいにく、目覚めたのがこの間でしたンで。そういうお嬢さンは、随分と変わられヤしたねぇ」
「……フンっ! うるさい! 不快だ!」
「ロマーニカ。手足がないのに暴れられても困るよ。今のキミは身体でも言葉でも誰かに勝てないことをいい加減理解してはくれまいか。被害が出るのは、ボクのテーブルクロスくらいだ」
「貴様はともかく、飛蜥蜴にまで劣るのは我慢がならぬッ!」
「おお。こンわいこわい」
「別室に行こうか、四肢腐れ」
「おい!余は《貴き紫鱗の──」
「まったく。賑やかすぎて、少し参っているんだよ」
「姐さンによく懐いていやスね」
「昔はもっと可愛かったんだけどね」
「昔っからああでござンしたよ」
「さて──ヘザーフロウへの進行は、もう少し後だと思っていたんだけど」
「熱心な《指揮官》でございやスねぇ」
「そうだね。現代人を認められなかったのかもしれない」
「あたしらの方が過去の遺物でありヤしょうに」
「いやまったく。──しかし、これで運命が動いた。世界の終末、その短針がまたひとつ動いた」
「熱が来るよ。ヒトの心。その熱が、黄昏の世界を焼くほどの熱が来る。1000年待った。待ち続けていた。ボクは、ずっと焦がれているんだ」
「あたしャ、歌えりゃそれでいいンですが。姐さんは難儀でござンすねぇ」




