銀の時計
出勤日。
「……キフィ、ナス。これを」
シア様から、なんか時計を貰った。
銀色の懐中時計で、上蓋にはロールレア家の紋章が描かれている。
……ええと、これは?
「……おまえは、よく遅刻しますから。時計を用意しました。銀製です」
え。困る。
時間の流れからして違ったりするダンジョンだとほとんど役に立たないし、僕が普段時計を持ち歩かないのは言い訳が効くからという部分が大きいわけで。
だいたい、銀製って脆いし。しかも紋章が彫ってあるって紛失したら悪用できちゃうやつだ。
持て余す……。
「銀って脆いですよね?」
「……そうです。大事にしなさい」
「あと、僕冒険者もやってるんですが」
「…………知っています。……だから、大事にしろと言っているんです。……それと。わたくしは、殿方に着用品を送るのは……、は、はじめてです」
シア様の白い肌が赤くなった。
というわけで、今日も僕にできない仕事をしよう。
領地を経営する側にとって『質のいいダンジョン』とは、すなわち安全でほどよく魔獣が出て景色が綺麗なところを指す。ダンジョンひとつを観光資源とすることで、他の貴族との繋がりを作ることは外交政策としてかなり有効だ。
しかしそれは、冒険者ギルドの言うところの『質のいいダンジョン』とは合致しない。冒険者ギルドは希少資源の産出による社会全体の発展を目的としている組織で、定められているダンジョンのランクが高ければ高いほど──危険であればあるほど──尊重される傾向がある。
だから、地方領主と冒険者ギルドは共存できる。
『冒険者ギルド』とはね。
つまり僕が何を言いたいかというと──『領主様の家来』と『冒険者ギルドの日雇い労働者』は結構仲がよろしくない。
平穏で、かつ目立った迷宮資源がないダンジョンとは、冒険者個人にしてみれば強くなれるチャンス──即ち、ダンジョン・コアを破壊するチャンスともなるわけだ。
「はいーー。ということでウチで接収しますのでー。その銀の扉から手を離してくださいねー」
もちろん、銀の扉を越えて主を倒さなければならないので、引き返す選択もあるけれど。道中がピクニックなら扉の先も相応にピクニックであることが多い。
目の前の冒険者の一団は、そう考え、危険を冒す選択をしたらしいけど……いやーー、若干申し訳ない。
申し訳ないけど、ここは接収させてもらいます。
「なんだぁ? この灰髪が──」
「待てッ! あいつは……!!」
背中のメリーを抑えながら僕はウインクをした。灰髪でーす。いえーい。ぴーすぴーす。
すると、相手は作り笑いを浮かべ、後ずさりから逃げ出した。
ロールレア家の紋章とかギルド発行のDランクまでのダンジョン管理許可証(レベッカさんは僕にこれを渡すことをすごく渋った。悪用を考えたらしい。やだなぁ。しませんけど?)を出さずに済んでよかったです。
持ち物に依拠する権威は盗られればそれでおしまいだし、僕はスリとかあまり気にしない方だからね。すれ違いざまに財布とかよく盗られて、そのたびにメリーからお金を貰っている。
とはいえ、どっちも紛失するとマズいので、あまり表に出したくはない。
「ここは。のこす?」
「ああ、うん。壊すために来たけど……まあ、残した方がいいかなって。なんか地方の貴族がグループ単位で来るらしいからね。それなら、貴族さま用のアトラクションは数を用意した方がいいだろうから」
どこの家とどこの家は仲が悪いから一緒にしちゃまずいとか、逆に仲が良すぎるから分けた方がいいとか、そういう面倒極まりないことを考えておもてなしをする必要があるわけだけど、それならダンジョンは多い方がいい。
そもそも、貴族さま方が一団でいらっしゃる、というのが何とも胡散臭い。
タイレル王国の千年祭を前にして、王都タイレリアよりもこちらでの遊興を優先する?
そこに意図がないはずがない。
おおかた、行方不明と発表しているロールレア家の当主を死んだものと認定して、残された姉妹と今のうちに懇意になっておこう……とでも考えているんじゃなかろうか。
成人前の婦女子が二人だ。御するのも容易い……なんて思ってるんじゃないかなって。
これは何とも不思議なんだけど、一般レベルの下衆の考えというのは何故か結構似通っていて、さらに不思議なことに僕はその下衆の考えが自分のことのようにわかってしまう。
「不思議だ。心当たりがない」
僕は心当たりのなさを強調した。
あ、でもぶっ飛んだタイプの下衆はわからないよ。『できるならやらなきゃ』とか証言しやがった、王都で《感染呪術》を一般人貴族冒険者一切関係なくぶち込むテロ起こしたマレディクマレディコとかね。
……まあ、なんだ。
ステラ様とシア様を護ることに繋がるなら、僕の人間性だって少しは肯定できる。
「きふぃは。いいこ」
狙い澄ましたようにメリーが僕を擁護した。
「んーー、えーー……あー………。うん」
僕は曖昧に頷いた。
メリーの評価は角砂糖の蜂蜜漬けよりも甘いのでいっこうにアテにならない。
胸元のロールレア家の紋章の入った銀製の懐中時計が、僕にはなんだか、とても重く感じる。
銀はすごく柔らかい金属で、雑な扱いをすればすぐに傷だらけになる。ぶつけでもしたら凹んだまま戻らない。
……だから『危険なことは慎め』ということだろう。僕は弱いから。
だけど、僕は……。
「きふぃ?」
……ん、ああ、ごめん。ぼーっとしてた。
とりあえず、管理ダンジョン処理として、銀の扉を埋め立てようか。
インちゃんの言葉にしても、銀時計にしても──。
信頼とか、好意とか。……僕を縛る枷だなと思う。
胸の奥がざわついて、落ち着かなくて……だけど、何故か逃げ出したくはならない。
* * *
* *
*
(またこの時期がやってきましたね……)
冒険者ギルドには、年一回の査察がある。本部の職員が支局を訪ね、事情をよく知りもしないのに何かしらをあげつらってネチネチと指摘する行事だ。
ダンジョン新規生成数が多く、有力冒険者を数多く抱える迷宮都市デロルも、その査察からは抗えない。
「憂鬱だねえ……」
ギルドマスターがぽそ、と呟く。
新任職員のライラ以外の全員が、その言葉にはあとため息を返した。
「せんぱい? あの、何かあるんですか?」
「ん? ああ、ライラは知らないか。実はね、そろそろ王都中央からお客様が来るのよ。多分、あと三日くらい後かな」
王都中央が本部で、各領地の冒険者ギルドは支局である。
10年前、王都タイレリアに移って以降は、目立つ成果をそう上げられていない。しかし、本部と支局、積み上げた立場はそう易々とは崩れず──。
「あいつら嫌いなんだよな」
「せんぱい!?」
レベッカの言葉に、新米職員ライラは大いに驚いている。
しかし、仕方がないだろう。
あの連中は二言目には成果だの効率化だの言い出すくせに、去年も一昨年も、ウチよか《安定ダンジョン》保有数も迷宮資源産出額も少ない。
(しっかも言うに事欠いて──メリスさんを寄越せとか! ねーよ!無理っ!!)
──何より許せないのは、レベッカ個人の心の癒しを取り上げようとするところにあった。
メリスさんはかわいくて賢くて強い。あんなにかわいいんだから、冒険者ギルドの掟などに縛られるべきじゃない。遠征要請とかクソ。
レベッカは本気でそう思っている。
(それに、メリスさんは冒険者じゃなくても生きていけるでしょうし)
ただ、傍らの青年が冒険者をやっているから。
あの忌々しい男には、冒険者以外に選択肢がなかったから。
その付き添いで冒険者をやっているだけだ。
レベッカはそう認識している。
(メリスさんには世界をより良くしようという意識とかないですし。むしろメリスさんが息をしてる世界の方が自発的により良くなるべきですし冒険者やってる人でもそこまで意識高い人なんてほんの一握りです。でも、不思議なのは、メリスさんは自分の持ってる力にぜんぜん頓着してないことなんですよね)
レベッカとしては、メリスさんには当然冒険者を続けてもらいたい。
冒険者ギルドの理念は社会の発展、すなわち世界をより良くするためにあり、その理念に共感してこの道を選んだのだから。
「せんぱいはメリスさんの話になると早口になる……」
「というかメリスさんが王都から離れたのは王都中央のやつの責任じゃないのかよって──」
「──ご機嫌よう」
ガタン、と全員が席を立って敬礼した。
黒地に金刺繍のドレスは、王都・本部ギルド所属を示す制服だ。
左の額から頬にかけて黒変した大火傷のある女が、そこに立っていた。
予期せぬ登場にレベッカは顔を青ざめさせている。なんだかんだ、査定は──給与カットは怖い。
「お初にお目にかかる。私はリリ・グレプバイン。王都の情勢は混乱しており、査察官が派遣できないためここに来た」
「キフィナスの……いや、《金虎児》メリスの。元、専属担当者だ」




