ハッピー・バースデイ
『生まれてきたことに感謝する』という概念は、あらゆる時代や文化を通じて普遍的に見られる──わけではない。
生まれてきたことを後悔するような苦痛、生きていることを喜ぶには至らない貧困は、どこにだって転がっている。この迷宮都市デロルだって例外じゃない。
それに、まあ詳しいところは知らないけれど、ダンジョン東京で読んだ歴史書には『生きることは苦しみだ』って言い切った思想家の人とかも出てきてたしね。しかもその教えが2500年くらい残ってるらしい。
タイレル王国よりもずっと進んだ文明を持った世界ですらそうなんだから、この世界だってそうだ。
大国の文化圏から離れた辺境の村には、暦の概念すら曖昧なんてところもある。
そこでは子どもと大人を体格と体毛とで区別していて、いつまでも大人になれない中年男性や、顔立ち見るにまだ9歳くらいだろうに狩りの最前線に立たされている背の高い女子もいた。
つまり人の生とはいつでもどこでも祝いと共にある喜ばしいものではなく。
つまり年齢の概念すら確立していない場所だって世界には存在しており。
つまり何の話かっていうと──、
「インちゃんにプレゼント用意するの忘れてたんだよなぁ……!!」
ちょっと、あの、これ本気でどうしよう……!?
朝方、メリーにのっかかられながら僕は頭を抱えた……!
べらべら言葉を並べたけど、インちゃんは祝いの中で生きててタイレル王国には誕生日の概念もあるんだよなぁ……!!
「とりあえずどいてほしい、あの、急ぐから、ほんと急ぐからどいてほしい」
僕は本気のお願いをする。こういう時のメリーはさっと退いてくれる。
まあ、ベッドは粉々に破壊されたが仕方がない。買い換えよう。
粉々になって部屋中に吹き舞う羽毛は……えー、インちゃんに掃除をしてもらうことになりますかね……。
僕はインちゃんに、
『ちょっと忙しいので出かけます、直接話せなくてごめんね。冷めてからでも朝食を食べます』
と書き置きを残して窓から身を投げた。
破損したベッドや部屋中に舞い散る羽毛も含めて、なんか凄惨な事件みたいだなって思った。
僕は毎年、メリーとお互い誕生日をお祝いしている。
なんか知らないけど、メリーが僕の誕生日を正確に把握しているからだ。17歳と6ヶ月らしい。スキルの力らしいよ。ヒトの名前と一緒に表示されるんだとかどうとか。
僕とメリーの誕生日は同じなので、毎年、一緒にささやかな──だけど大事な──お祝いをやっている。
──朝の起き抜け。自己弁護のためにべらべら言葉を並べてみたけど、僕は誕生日という概念が好きだ。祝うのも祝われるのも。
僕は毎日楽しく生きてる。生きてることってそれだけで無条件に価値があると思うし、明日が今日より良い一日になることを信じて疑わない。明日が悪いなら、明後日こそ良い日になるだろうと願っている。
もっとも、僕にとってのいい日──すなわち、春の柔らかな陽射しのような、そんな穏やかさとはどうも随分程遠い感じだけど。
それでも、今の生活を、僕は……、その、なんだ。……嫌いじゃないよね。
僕がそう思えるのは、きっと周りに大切なひとがいるからだ。
僕は毎日生きててよかったーって思うし、大切なひとには生きててよかったって毎日思っていてほしい。
自分がひねくれてて性格悪くてねじ曲がってる自覚はあるけど、それだけは素直に思う。
そういうわけで、インちゃんのお誕生日が今日だって知って以来、プレゼントを用意しようとしていたんだけど。
最近色々あって、すっぽり頭から抜けていたわけです。
「メリー、お財──いや、何でもない」
なんか、さらっと踏み越えちゃいけない一線を踏み越えかけた気がする。僕はギリギリで踏みとどまった。
いや、金貨を積めば品質の高いモノはいくらでも買える。インちゃんが欲しがってる香木とか花とか、国中のもの全部買い占めることだってできないことはないし、それは若干オーバーにせよ、用意するのも一瞬で済む。
……けど、メリーからお金貰った上でプレゼントを渡すのはなんというか、なんというか……、仲介商みたいな真似だと思った。
メリーのプレゼント用意するためにメリーにお金をせびるのと、インちゃんのプレゼント用意するためにメリーにお金をねだるのは、まあ、ちょっと違うのだ。メリー相手なら財布ごと貰って一日ばーっと使って遊んでたんだけどね。
それ何が違うのって話かもしれないけど、とにかく僕の中で違うので違います。
さて──。
「ダンジョン行こうか。インちゃんに花を摘んであげようと思うんだ」
「そ」
「ついてはメリー、どうか君はじっとしてるよう──ぐえっ」
メリーが僕の肩にぺったりとへばりついた。
重い。痛い。脱臼しそう。
「めりは。このまま。みてる」
そうしてほしい……。花とか一撃で粉砕するだろうからね……。
でも、その、可能であれば肩からどいてほしいんですがどうですかね……?
・・・
・・
・
迷宮資源において最も一般的で、値が付けやすいものは花だと言われる。
植物という資源の用途はとても広い。主に薬草に代表される薬効とか、たとえば薬草が一般的な体にいい成分とか、あるいは薬草とか──それから薬草とかね。
しかし、残念ながら薬草は綺麗な花をつけない。見るからに雑草といった風体をしている。更に言えば希少性もない。
なので値が付けられることがないんだけど、たとえ薬草と効果がそう変わらなくても、茎の上に綺麗な花がついてたら値段が付くようになる。
花弁の色でお金を出してくれる貴族様がいるからだ。物珍しさはそのまま金になる。
極端な話、ダンジョンの外に持ってきても萎れたり枯れたりしない植物は、それだけで十分商品になりうる。
つまり、いつか肩パッドの人たちと探索した保護ダンジョン《フォーチュン・ガーデン》はそれだけ保護されるに足る理由があるのだ。
無秩序に草と見ればちぎって破って引っこ抜くような真似が──これが普段の冒険者なんだけど──結構厳しく制限されてるから、ここは多様な植生とちょっとしたスリルが売りの年中無休の植物園みたいになっている。
迷宮都市の保護対象になってるダンジョンって、狩猟のために他領の貴族も来たりするらしいよ。僕もロールレア家の代表として対応しなきゃいけないんだ、ってシア様が言ってた。
そういう観点でこのダンジョンを見ると、視界が開けているのは散策がしやすく、足元が柔らかいから装飾過美な格好をしていても足を痛めないというメリットがある。
それでいて、ほどよく休憩スペースに使えそうな木立なんかもあると。
なるほど、なるほど……。
──ただまあ、ちょっと番犬がうるさいのは問題かな。
僕は縄引っかけてく転がした狼型の魔獣を、目から脳髄に一息で貫いて殺した。
きゃん、と鳴く暇も与えない。
「おそい。もっとはやくできた」
見てるだけの人から辛辣なご意見が来たな……。
あのね、メリーが僕の左肩にべったりとくっついて僕の部位を破壊してる影響もあるよ。むしろその影響が大きい。事実上僕は左半身を失調していると言っても過言ではないんじゃないかな。
僕は肩胛骨を動かしてメリーを揺すりながら半身不随を訴えた。
「けいこ」
この一言で一蹴された。
何度も、何度でも言うけどメリーのそれは稽古と称した虐待プログラムに近いところがある。DVだ。著しいDV性がある。
もう毎日言ってるような気がするけど──ん? あ。あった。
メリーの頬をちょいちょいと指でつついてたら、視界の端に一輪の花を捉えた。
──銀百合。
白銀に輝く花弁を持つ、険しい崖の中腹に咲いている花。
数百年前にブームになって、そのブームが弾けた後はその人気に見る影もない。
商品価値はないと言い切っていいだろう。というか、商品価値があって崖の中腹に生えてる程度の回収しやすい迷宮資源なんてあったら、徒党を組んで事実上の独占されている。
だけど、ダンジョンの話をしてあげた時に、インちゃんが見てみたいと言っていた花だ。
「というわけで、ちょっと取ってくるよ。流石に険しい崖をメリーぶら下げたまま登るのは無理だからここにいてね」
「とる?」
僕がやらなきゃ意味がないでしょ。
それに。君が採ろうとしたら崖ごと握りつぶすことになるよ、メリー。
・・・
・・
・
スパイクの鋭い靴に履き替えて、指がよく動く手袋を填めて、いざ崖登りを始めたはいいものの、ペースが進まない。
というのも──おなかが空いた。
指先に一瞬力を集中し、体の重心をふっと上に動かしてテンポよく、かつ疲れないように登る。足を掛けれるところにはスパイクを突き刺して四肢を休める位置を確保。そこから指を一段上に伸ばし、指先で強度を確かめ、登る。以下繰り返し。
手順だけなら難しくはないんだけど、この手順の中に【おなかが空いた】がいちいち入ってくる。
指先に一瞬力を集中し【おなかが空いたので十分に力が籠もらない】、体の重心をふっと上に動かしてテンポよく【おなかが空いたので瞬発力がない】、かつ疲れないように登る【でもおなかが空いて空腹感が疲労のようにのし掛かる】。足を掛けれるところにはスパイクを突き刺して四肢を休める位置を確保【おなかが空いたのでご飯を食べる位置も確保したい】。そこから指を一段上に伸ばし、指先で強度を確かめ、登る【おなかが空いて指が動かない】。
下を見ると、距離が遠のいたために僕の視界では豆粒のように小さくなったメリーが微動だにせずぼうっとしている。
……メリーが僕を見ている。そうすると、頑張らないわけにはいかない。
指先がぴくぴくと情けなく震える。
それでも、メリーの視線に押されるように、一段、一段と僕は少しずつ崖を登っていく。
一段。
一段。
いちだん……。
伝う汗が手袋を湿らせる。むしろ登るにあたって好都合ではある……。
一段、一段、一段……。
繰り返し繰り返し、指先の感覚がなくなるまで繰り返したところで、さら、と指先が何かを撫でる感触。
僕は力を振り絞って、二段、三段と登り上がる。
──そこには、銀百合が吹く風に素顔を晒して咲いていた。
「よしっ……!」
力を振り絞り、僕は両の手で銀百合を手に入れ──あっ! 滑ったッ!!
「うおっ、うおわああああっ!!」
僕は全身をガリガリとまるで砥石に掛けられたように削らせながら、それでも胸元に銀百合を抱えて谷底向けて落ちていった。
・・・
・・
・
「……というわけで、ただいまインちゃん。これ、お土産ですよ」
死ぬかと思った。
全身傷だらけで、泥と汗でまみれていて、買い換えた方が早い有様だった。
銀百合の花束を、インちゃんに差し出す。
「お誕生日、おめでとう」
…………インちゃんからの反応はない。
えっ、あれ……、怒ってる……?
えっ何でだ事前調査は完璧のはずダンジョンの話でインちゃんは確かに銀百合とか見たいって結構食いついて言ってきてて──、
「おにい。いま、何時ですか」
ええと……夕暮れ前だね。
いや、なんというか……えーと、……ごめん。
ちょっと言い訳を十分くらい語らせてもらうと──うぇっ?
「っ……!!」
──インちゃんが、僕の胸めがけてタックルしてきた。
メリーに比べてずっと破壊力のないそれを、僕は難なく受け止めると──。
「別にそんなのいいんですよっ!」
インちゃんが、僕の胸の中でぐずぐずと泣き出した。
え、あ、えっと……? ど、どうしよう。どうしよメリーっ……!?
「いんを。みたげる」
見てあげるって、いや、その……。
「おにいっ!」
あ、はい! なんでしょう、インちゃん!
「おにいは、だめ! ぜんぜんわかってないですっ! こんなお花より、わたしは、おにぃと毎日、ごはん一緒に食べられることの方がずっといいんでっ……、いいんだもん! わたしの誕生日ケーキなら、おかーさんに作ってもらえばいいもん! だからっ……うえ、うえええええん!!」
あ、えと、その、……ごめん!
本当にごめん!!
なんていうか、その……、インちゃんの誕生日を、僕は……当日まで忘れててさ。
「おにぃーのバカ! 女の子泣かせっ! 心配かけ男っ!! おにぃなんて、おにいなんてぇっ……! うえっ、えええええん!! 死んじゃったかもって、声のひとつも掛けずに出てって、こんな時間まで帰ってこなくて、ごはんなんてすっかり冷めててっ!! ずっと、ずっと待ってたんだよっ!?」
……ごめん。
「なんでそんなボロボロなのっ!」
ええと……、ダンジョンに行ったから。
「うそ! いつもよりずっとボロボロだもん! 顔だって擦り傷だらけ! カッコつけようとしたんでしょ!?」
カッコつけようというか……。そんな気は別に。
「おにいが弱っちいのなんて、わたしだって知ってるもん!! 買えばいーじゃん! 忘れたって、言ってくれればいーじゃん!! もっと気をつけてよ! 痛そうにしないでよっ!!」
……ごめんね。
「わたし、わたしっ……!! ……待ってたの、まってたんですから……! おにいが帰ってこないせいで、わたし、おたんじょうび会、開くの遅くなっちゃったんだからっ!!」
それは、本当にごめん。
胸の中でさめざめと泣くインちゃんの髪を、泣きやんでくれるまで、僕は撫でていた。
その、それはそうとインちゃん?
そろそろ、離れてもいいんじゃないかなって……。
「誕生日ぷれぜんとだから。おにい。今日ずっとこのままです」
え、嘘……。
ごはんどうするの……?
「たべさせたげます」
えっ?
「めりも。やる」
「は? 無理でしょ」
「メリスさんにもやってもらうから。いっぱい、いっぱいやってもらうから」
しょ、処刑が始まる……。
「……ねえ、おにい」
「ん? なんだい。インちゃん」
「すごく綺麗なお花、ありがと。……次のおにぃのたんじょーび。たっっくさん、お祝いしますから。覚悟しててくださいねっ?」
誕生日って覚悟とかするものなのかな……。
そんな言葉を飲み込みながら、僕は胸元のインちゃんを撫でていた。




