雄弁饒舌にして舌鋒の尖に毒針を備う
カナンの一撃は、大斧を持った男を打ち倒した。
胴への一撃。勢いよく打ち倒された後頭部の衝撃。
一般的な人間は、魔獣よりも脆くできている。
男は、既に白目を剥いて気絶していた。
「はあ……っ! はあっ……!!」
呼吸が上がり、緊張が緩和された全身に疲労がやってくる。
熱された汗がぷしっと吹き出て、顔をべったりと濡らした。
「や、やった……! やったぞ! オレ、勝っ──」
そしてカナンが安堵した、
その刹那、
「ぎああっ!!」
──カナンの片耳が宙を舞った。
人斬り鬼は、長棒についた血を振るい払う。
その所作は優雅で可憐だ。彼女には月さえも見蕩れる生来の美があり、常に血をしたたらせている。
「何を……っ! 何をするんだよ師匠!! オレは、もう、こいつを倒しただろっ!?」
カナンは混乱し声を荒げる。
師匠と仰ぐ彼女に暴力を振るわれたことは、一度や二度ではない。受けた傷をひとり薬草で癒した夜は数知れない。
しかし、今回は、自分は相手を打倒したはずだ。
暴力を振るわれる謂われは──。
「聞こえの悪い耳は、いらぬな?」
「な、なんだよ、ソレっ!? オレはっ」
「我は、こう伝えたな? ──殺せ、と」
セツナの白魚のように細長い指が、カナンの斧を持つ手を掴む。
そして、その手を倒れ伏し、白目を剥いた男の首に鈍色の刃を添えた。
「殺せ」
セツナの手は離れた。しかし、斧を持つ腕が、蛇に縛られたように重い。
「殺せ」
鈍き刃の重みだけで、太く節くれ立った首を割ってしまいそうになる。
「殺せ」
殺人を教唆するセツナの声には、熱さどころか冷たさすらない。
カナンの全身から、ぶわっと冷めた汗が噴き出した。
「でも、でもっ……!! もう、勝負はついただろっ……!?」
「勝負とは、生きるか死ぬかだ」
よいか、とセツナは言う。
「人間の命とは、もとより等価ではないのだ。我が魂が世界で最も貴く強く価値がある」
その声には、自分の言が絶対的に正しいという確信が籠もっている。
「次いで、まあ……そうさな、我が必殺の剣を見切れる、あやつであろう。あやつの次に、あの愛愛とやかましい同盟者を入れてやってもよい。
それから、この最も貴き我の弟子。おまえだ」
命の価値には軽重がある。
然らば──殺めることに、何の非があろう?
「遺恨とは酒だ。熟さば、濃厚に芳醇になる。しかし、おまえはまだ雛鳥に過ぎぬ。敵対者は、骸を団子刺しに晒せ」
だから殺せ。
冒険者カナン。
黒煙を撒きながら、天に向かって火が煌々と燃え上がっている。
何ら見るべきところのない貧しい街並みに鮮やかな色ができた。ついでに近づくと暖かい。恐らく香木なんかも保存していただろうし、煙はいい匂いするんじゃないかな。こうして並べてみるとなるほど、これは観光に使えるんじゃないか?
んー、となると……むしろ感謝されてもよいのでは?
「こ、こんなことをしていいと──」
「むしろ感謝されても……こんなこと? こんなことってなんだろう。僕はただ、そこの窓を塞いでるカーテンを裂いただけですけどぉー?」
悪趣味なカーテンを裂いて模様替えをしただけだ。
僕はなーーんにもしていない。
領主邸宅にいながらダルア領の食料庫を焼くことは──何十通りか浮かぶけど──困難を伴う。善良な僕がそんなことするわけがない。
直接はね。
「あんたは、デロル領に冒険者狩りの連中を送り込んでいる」
「どこで……何を、莫迦なことを言う」
いやー、冒険者の真似してる親切な旅人さんの鼻をヤスリでちょいっと研磨したら教えてくれたんですよ。
ここじゃデロルの冒険者の首に賞金かけてるって。
これでも、何もしてない認定なんですよね?
「……知って……!?」
──じゃあつまり、『誰かを煽動する』まではセーフってことだろ?
ゲームのルールを定めたのはあんただ。
「僕は善良なので、穀物庫を焼いた犯人が誰なのか教えてあげますよ」
一呼吸だけ間を置く。
しかし言葉は挟ませない。
思考の隙間だけを与え、
「く、くくっ……。これをやったのはですねー……、領民の皆さんです! き、キヒっ、ぎゃヒひひははハハ!」
悪意をぶつけた。
「莫迦なッ!」
おやおや?おやおやおやおや?
何を驚くことがあるんでしょうねー。不思議ですねー。
僕はげらげらげら!と大笑いしながら、看板くん(さっき拾ったゴミ。所有権はステラ様にあるゴミ)とお話をはじめた。
「ねえねえ看板くーん。看板くんは、なんで看板くんなのかなぁー?」
『テツガク的なトイカケだねオニイサン!』
僕はオウムみたいな裏声で看板くんを演じる。あ、メリーやりたい? いいよ。僕は看板をメリーに手渡した。
メリーが手にした途端、木製の看板は大部分が破砕し、残った部分もぐちゃりと粘土のように歪む。
メリーは、原形を留めない残骸を両手で顔の前に掲げた。
「名前がなぜ必要かと言えば、区別をつけるためにあるんだよぉー。土地には、本来名前なんて付いてないはずだよねぇー?」
…………。
あの、メリー? メリーさん? 看板くんやってくれるんだよね?
お返事は?
「ん」
んもー。ぐだぐだじゃないか。
ま、いいや。たった一人の聴衆は、僕らの即興道化芝居にとても関心があるようだからね。
リクエストに乗った甲斐はある。続けよう。
さて。名前を付けるのは区別をつけるためにある。
たとえば、僕らが暮らしてたあの廃村には、外部との交流なんてものがほぼ皆無だったために村の名前という概念がない。柵の外に広がっている世界を恐れ、そこの住民の世界は小さな村で完結している。村人は村で生まれ村で死ぬのだから、内と外を分ける必要が生まれないのだ。
一方、辺境行き武装商人なんかは『果ての村』とか、『西』って方向とか、あるいはその時の村長の名前で呼んで区別してたらしいけどね。それは、他の村々と区別が必要だから名前が付けられたものになる。
ひるがえって、ここの看板の話。
地名という目印は、邪魔者を呼び込む。
地元の人間にとって、よそ者とは多くの場合邪魔者だ。
それを許容しないこと自体は珍しくない。
しかしながら、支配者の名前を載せた状態で地面に倒れ伏しているとはどういうわけだろう。
為政者に地名がなぜ必要になるのかといえば、即ち統治をより円滑に行うためとなる。正確な住所を定めることは、その場所に代理人を派遣できる──即ち税を徴収できることに繋がる。
よそ者が入ってくる目印を立てることを住人が承伏していないということだ。
更に言えば、領主をよそ者と認識しているということだ。
「つまり──ドーレン家には権威がない。ダルア領の領主様は、住人のみなさんから認められてないんだよぉ、看板くぅーん」
ご領主様のみことばは届かず、
憲兵隊の能力も軽く見積られ、
領民たちは逞しく生きている。
だから僕はけらけらと笑った。
「なんだと……!? その侮辱千万、もはや許し難い!」
「ん」
看板くんに扮するメリーの相槌は、タイミングがちょっとズレている。
そこが面白くて僕は笑った。メリー下手すぎでしょ。あはは。
「何がおかしい……ッ!」
は? あんたのことじゃないけど?
まったく……。落ち着いてくださいな。
「だいたい、侮辱じゃなくてただの事実ですよー? ん、事実の指摘も侮辱に当たるか。まあいいや。侮辱でした。じゃあ侮辱続けますね?
いやーー。でもね、流石に驚きましたよねぇー?」
僕はただ、石でも焼ける《炎熱の魔石》入りの魔法の火口箱を、きらきらした金貨と抱き合わせにして何人かにプレゼントしただけなのになぁ?
何がおかしいって……ああ、ほんと、おっかしいったらない。
けらけら。
けらけらけらけら。
げたげたげたげたげた!
僕は大きな声で嗤った。
「お前は、いったい……、何なのだ……!?」
不安、困惑、恐怖……。ご領主様の表情からは、よくそれが見えてくる。
さて、ここで畳み掛けよう。
僕は舌をぺらぺらーっと回す。
「沢山の選択肢があった。
お金を貰わず、忠誠心から領主に報告することができた。
あるいはお金だけ自分の懐に納めつつ、僕のことを憲兵隊に密告することもできた。
領民はそれを選ばなかった。
憲兵は憲兵で、そもそも治安維持のための活動が前からできたはずだ。
今日この日に限っても、重要拠点だと考えて控えていたのなら、小火の段階で鎮火させることができた。
憲兵もそれを選ばなかった。
商人は商人で、僕が余所者の商人まがいで放火教唆をしてることを誰かに伝えることができた。
出火を防いで領主の信任を得ることより、燃えた後に商品を売り込んだ方がいいって判断したんだろう。
商人もそれを選ばなかった。
僕は灰髪だ。魔術が使えたり、人の心が操れたりなんてしない。
僕はただ、手段を与えてみただけだ。
デロル領の名産品、炎熱の魔石入り魔道具の使い方を教え、石だって簡単に燃やせますよと伝え、一握り分の金貨を握らせて、試しに燃やしてみたらどうですかと尋ねただけだ。
日々抱えてる不満を発散するための手段。効率よく社会にダメージを与えられるテロル。その案を、少し与えてみただけだ。
僕は選択肢を与えたに過ぎない。
だけど誰も、あんたを救う選択肢を選ばなかった。
結局は、それだけの話なんだよ。
出火に至るまでには、大勢の人々の、数多の選択肢があって──そして彼らは『不満の解消のために燃やしたい』『別段領主の財産が燃えてしまっても困らない』『むしろ燃えた方が都合がいい』と考えたのさ」
──領主様はいと高き城に坐して、しかして誰も従う者がいない。張りぼての虚飾の城と、権力者気取りのはだかんぼだ。
最っ高に笑える話だろ?
けらけら、げたげた、けひゃききひはは!
「あ……、あ……」
「ひきき……、はっはは。何うなだれてるんですかねー?」
心が折れるにはまだ早い。
まだまだ、こんなもんじゃ終わらないぞ?
「続いてー。ええと──ロールレア家・デロル領の代表として。ダルア領に、これより経済という分野で叩き潰すことを宣言しましょう。
具体的にはーー……、食料品について?」
「なッ……!?」
「穀物庫は焼けたけど、商人たちは当然在庫を抱えてるだろうし、パンギルドなんかの民間でやってる組合にも食料は沢山あるだろう。穀倉庫にあるものが全部じゃないし、あんたの私財置き場に近い。
だからぁー、あんたの手に食料品が渡る前に、全部買い取らせてもらいますねぇー? 市場原理に則った適正な価格で、彼らと商行為をさせてもらいます。需要に基づいて価格を定める権利を彼らは有しているわけで──つまり僕は、金貨を積めるだけ積ませてもらう。採算を考えずにね。僕の財布とあなたのおなか、どっちが保つか競争しましょう!」
この貧乏領地に正面からぶつかる金はあるか?
それとも、よそ者の金貨に目が眩まない信頼関係を築けているか?
空腹を感じなくなるほどの適応を重ねているか?
全部、ノーだ。
「ああ、もちろん。僕の選択で、ダルア領の一般庶民にまで影響が出ることは避けたいです。だから、ウチで移住者も受け入れさせてもらうことにしましょう。関抜けした人でもね。
僕はですね? 親切で、善良なのです」
なのです。
僕は笑った。
「そ、そんなことをしていいと──」
「思ってるさ。──思ってるから、あんたはウチに手を出してきたんだろ?」
おっと、顔面が蒼白だ。
なるほどこれが貴族様に流れるって噂の青い血かー。やー初めて見たなぁ。嘘。結構見た。全員赤かった。
「お、王家が! 我らが王が黙ってはいないぞ!」
「黙ってるよ。いまの王家は王都を管理するのに手一杯で、領地間のゴタゴタに介入するだけの余裕がない。あの睡眠不足の姫様は──レスターさんには悪いけど──張り詰めた糸みたいな、今にもぷちんと切れてしまいそうな精神状態のままだ。
だからあんたは、策謀ごっこに興じることができてる。この国じゃ法律なんて、守った方がいいお約束ぐらいの意味しかないんだよ。──それとも、何をしても慣習が護ってくれるとでも思ったのか? 領地間の戦争を引き起こすつもりはないとでも、保証もなしに思ってたのか?」
「せ、戦……そう?」
「兵糧攻めで経済を止められたら、戦争しかないだろ?」
表情を見るに、どうやらそこまで考えていなかったらしい。この世界のひとたちは、こういうところで牧歌的だ。
領地間戦争……それだって、僕がよく知っている地球の世界史のそれに比べて、遙かにまっとうなものだ。
やあやあ我こそは! と爽やかに名乗りを上げての乱戦。民間人が傷つくことはまずない。
そもそも、個人個人の身体スペックが違いすぎて戦えない人を戦場に引っ張っても戦力にならない。
『戦場に立つ』という選択をした者が傷つく世界だ。僕が躊躇う理由がない。
「もっとも、あんたが戦争を引き起こしたことを大義名分に、こっちはあんたの領地を叩き潰すことができるんだけどな。あんたが傷つけようとしたやたらと戦闘力の高い存在──冒険者を、デロルは多数抱えてる」
その上に、勝算しかない。
「あ……」
「冒険者を戦争に巻き込むための理由も、あんたが作ってくれたからな」
「だ、だが! 戦争など、既存のパワーバランスを変えるなど! それこそ王家が許さない!!」
「は?」
いや、逆だろ。
むしろ王家の立場なら、あんたの領地をぜんぶ更地にしてデロル領の面積を増やした方が処理が楽だ。
遺恨は残る。隣り合う領地だ。貴族様は教育とか伝統とかいう名前の呪いを遺伝させていく。10年後、20年後、あるいは50年後100年後、また戦争を引き起こすことになるかもしれない。より大きな戦乱の元になるかもしれない。じゃあ、遺恨を残さない解決手段はなんだ?
──片方を完膚なきまでに叩き潰すことだ。そして、残った片方にちょっとした罰を与えること。これが小領地同士の小競り合いなら話は別だが、迷宮都市デロルは、ロールレア家は、ご機嫌を取らなければいけない立ち位置だ。
痩せた土地の弱小子爵と違ってな。
おや、フェルなんとかが震えている。
怒りか、恐怖か、それとも絶望か。
僕は無言でじっと眺める。震えが増した。
じーっと眺める。
じーーっと、眺める……。
ほら、なんか言えよ。
僕はテーブルを蹴り飛ばした。ガクンって大きく体が揺れた。ウケる。
「し、証拠は……」
く、くふっ……、はははははははは!!
ダメだ、面白っ、作り笑いじゃない笑いが出る!
「証拠おーー??? 証拠とか、なーにを今さら、寝ぼけたことを言ってんですかね。トレーシーさんの存在が……、いや。そもそも、別になくてもいいんだよ。ないならないで、あんたを滅ぼした後、じっくり捏造ったっていい。
僕には選択肢がある。あんたを死んだ方がマシだと思わせて、だけど絶対に殺さないで、自分から素直になってもらうか。
それともあんたがくたばってから、本物以上に本物らしい証拠を作って死後も未来永劫あんたとあんたの家の名誉を毀損するか。
それとも両方かな」
あんたは、ロールレア家を──いや、ステラ様とシア様を侮辱した。
メリーを人形と蔑んだ。
別に、僕を侮るのはいい。そこはもう本当に今さら感があるし、隣のメリーが僕の分以上に怒ってくれるっていうか怒りすぎてて逆に冷静になるというかだし。
でも、僕を信頼してくれているひとを侮るのは──不快極まりないことだ。
「人には自由意志があって、選択の権利がある。他人を害そうと、傷つけようと、蔑もうと。何をしようと自由だ」
だから、あんたもその自由を行使したに過ぎない。
僕はそれを咎めはしないさ。
ただ、僕も、同じ自由をあんたに向けて行使する。
全身全霊で、あんたを貶めてやる。
「なーに縮こまって頭抱えてんですかね。殴ったら殴り返されるってことくらい、事前に想像できるだろ」
こんなんじゃ全然まだまだ殴りたりないんだよ。
もっと殴りいいようにこっち向いてくれなきゃつまんな──ん?
──執務室の扉が、勢いよく開かれた。
「悪魔っ……!!」
ん……ああ、トレーシーさん。
里帰りは楽しかったですか?
僕は握っていた両の拳を体の後ろに回して、ばちんとウインクをした。




