いつもの宿屋の、比較的穏やかではない朝
次の日の朝。
僕が何か気がかりな夢から目を覚ますと、メリーが僕に馬乗りになって、ベッドに手足をがんじがらめに縛り付けていることに気がついた。
「一応聞くけど、これは何のつもりなんだろう。拷問の準備かな?」
「きょうは。あぶないところいく」
「そっか。じゃあ僕もついて──「だめ」なんで?」
「だめ。あぶない」
メリーは真剣な瞳で僕を見つめている。
金色の澄んだ瞳に僕の顔が映るくらい、まっすぐに視線をぶつけてくる。
「きふぃはあぶないことする。だめ」
そっか。でも、幼なじみを縄でベッドに拘束する人より危ないことはしないかなー。
ほらここ見て。縛りすぎて鬱血しそうだよね? このままだと僕の腕は腐って──あ、ちょっと緩めてくれるの? ありがとうね。助かるよメリー。
……いやいや、そうじゃないだろ。
なんでこんなことするのさ。
「あぶないから。めりは、きふぃをまもる」
いやいやいや。今までずっとダンジョンに付いてきてたでしょ僕。というか、普通に君に付いてくだけなら全然危なくないでしょ。いつもの稽古と称した虐待行為を突然開始される方がよっぽど危ないからね。
だいたい『守る』がなんで僕を監禁することに繋がるんだい。
僕の知る限り、守るって言葉にそういう意味は込められていないと思うんだけど?
「このへやなら。あんぜん。きふぃをまもれる」
「ひょっとしてメリーは生きることの定義を生命活動の有無だけで捉えるタイプかな?」
「いきてる。だいじ」
「そりゃ生きてることは大事だけど──う"っ」
「とくん。とくん。いのちのこどう。きふぃのいのちのおと」
……僕の心臓に突然掌底を当てないでください。止まるかと思ったわ。
君は僕の胸を目を細めて愛おしげに撫でる仕草をしているけれども、それはあくまで仕草であって、その動きで僕は強い痛みを感じています。胸の肉が削ぎ落とされそうだ……!
「あたたかなむね。いのちのねつ。すって、はいて、じょうげ」
「誰だってしてるよ。君だってしてる」
「さわる?」
「触りません。というか、たとえ触りたくても僕の手は誰かに縛られてるんだよねーー起きたときからーー。不思議なことにねーー」
だいたい、メリーのうっすい胸なんて触っても別に面白くなさそうだし──って痛い! 勢い良くのしかからないでほしい……!
あばらが、君のあばらが僕に刺さる……!
「めりのおと。いのちのりずむ。きこえる?」
メリーは僕の胸にぴったりと自分の小さい胸を合わせてくる。
とくん、とくん──僕の胸の上で、小魚が水面を跳ねるように控えめな拍動が響く。
蜂蜜色の髪の毛が僕の頬をくすぐった。
「……うん。しっかり、感じるよ」
「そう。……きふぃのいのち。ちゃんときこえる」
僕の鼓動と重なって、とくんとくん、とく、とくん──。
「いのち。だいじ」
メリーは僕に覆い被さったまま、そんな当たり前のことを言った。
……そうだね。確かに、命は大事だけどねメリー。僕は時々、それより大事なモノもあると思うんだ。尊厳とかね。
「きふぃは。なげようとした」
「や。命を投げたりするつもりはなかったよ。もちろん大事だからね。あと、そろそろどいてくれないかな」
「きふぃは。死んでた。死んでたんだよ?」
「いや? ──だって、メリーなら動いてくれるって信じてたからね」
──だから死なないよ。
めちゃくちゃ怖かったけど、死の覚悟なんて最初っからしてない。
だいたいさ。知り合ってから一日と経ってない相手のために命なんて投げ出すわけないでしょ。メリーは僕の倫理観をどれだけ高く見積もってるんだい?
僕にとっての大事なものはそんなに多くないし、簡単に増えたりもしないよ。
というか、そんなことより早くどいてほしいんですけど? いくら君が小柄っていっても人の体重って結構重いんですよね。僕が普段持ってる棒きれより重い。僕はそれより重いもの持ちたくないんだよ。
あーもうメリー重い。どいて。
「そか」
あ、どいてくれた。納得したのかな。流石は僕の説得術だ。
自分で言うのもなんだけど、僕って結構口が上手……え? あの、メリー? なんで無言で僕の拘束を強めるの!? なんで!? 何か言って!?
というか食事とか僕の諸々の都合は──!?
「いいこにしてて。おみあげ、もてくる」
ばきゃ、と宿屋のドアの蝶番を破壊しながら、メリーは部屋を出ていった。
困ったことになった。
困ったことになったぞ……。
何が困ったって一番困ったのは──。
「はあ……。また弁償だなぁ……」
朝からメリーの所業に胸が痛んだ。
・・・
・・
・
さて。
ずっと縛られていて、そろそろこの体勢もつらくなってきた。
多分僕が熟睡してるうちから作業を進めていたのだろう。
何より、そろそろ退屈だ。
「すみませーん! ちょっと来てもらっていいですかー!?」
僕は廊下に向けて叫んだ。都合よく蝶番が壊れていてドアはドアの役割を果たしていない。
度重なる迷惑行為の補償による補修によって、僕らの部屋は完全防音になっているので、メリーがドアを壊してくれて助かった。
「どうしましたおにい……!? おかーーさーーーーん!! おかあさーーーーーーん!!」
「ああインちゃん。おはよう。大人の人呼んでくれるのは助か──」
「キフィナスおにいがへんたいセーヘキに付き合わせようとしてきましたーーーー!!」
「逆にチャンスよぉー」
「えっ何です? 何の話?」
僕はただ、全身に絡まった縄をほどいてほしいだけなんだけど……。
この宿屋のおかみさんと娘さんは何を言ってるの?
「やっぱりSランク冒険者さんは夜もエスなんですか!?」
「? いや、昼夜関係なくメリーはいつも強いけど……それよりこの縄ほどいてほしいかなーって」
「〜〜っ、しゅごい……っ!」
何が?
なんでインちゃんは頬を染めてるの?
「インちゃーん? あの、僕はね。縄を、解いてほしいんだ」
「えっ……? ででででもっ、これっておにいとメリスさんの愛の結晶ですよねっっ!?」
「違うよ。全然違うよ。仮に結晶だとしても歪んでるしすぐに破壊した方がいいよ」
「そ、そそ、そんな不謹慎なことぉ……!!」
「あー。残念だなー。動ければ僕は胸元の財布にも触れるんだけどなー」
「すぐほどきますっ!」
お金の力ってすごい。
僕はそう思った。
「というわけで、扉の修繕費と心付けです。お納めくださいスメラダさん。またメリーが壊しました。僕じゃなくてメリーです。ごめんなさい」
「謝らなくてもいいわぁ。あなたたちが物をひとつ壊すとおかずを200品は増やせるものねぇ」
「そういっていただけると助かります。たぶん今後もガンガン破壊するので」
「お兄とメリスさんが来てから、ほんと、ウチは見違えるくらい変わったんですよ!」
「実質建て替えよねぇ。助かるわぁ。ちょっとくらいの特殊な性癖なら付き合ってあげてもいいくらい」
「何の話ですかね」
スメラダさんは大きな胸に手を当てて謎の提案をしてくるが、真剣に心当たりがない。
ちょっと特殊な性癖って何だ。深く掘り下げる気はないけど。
「それよりも朝食ください。ここのスープは毎朝とても美味しいです」
「銅貨2枚よぉ」
僕は適当な貨幣を二枚取り出してスメラダさんに渡した。
「おにい。金貨ですよこれ」
「そうだった? じゃあ、ちょっと量を多めにしてください」
「はあい」
「ちょっと! お母さんもキフィナスおにいも! 一食でこんなにお金貰ったらダメですってば!!」
・・・
・・
・
いやぁ、満足満足。ここの料理はいつも美味しい。
朝食は焼きたてふわふわのトーストにチーズを乗せて、蜂蜜を垂らしただけの素朴さだったけど、素材が違うんだろなって思う。
まずパンからして違う。ここのやつ食べたらもう余所じゃ食べられない。
小麦粉に石膏の混ぜものとか入ってないからすごく柔らかいんだよね。
さて。お腹がいっぱいになったし、そろそろ出かけよう。
メリーの言うとおり、今日はいい子にしないとなぁ。
「じゃあ、行ってきますね」
「はいっ! いってらっしゃいませっ!」
「いってらっしゃあい。怪我には気をつけてねぇ」
「人一倍気をつけてますよ」
とりあえずギルドで薬草納品を受けて、昨日の分と合わせて、手元に有り余ってる薬草をその場で渡す。それから雑貨屋で棒きれを買い直す……かな。
うーん、やることが。やることが少ない。
メリーがいないとこんなに暇なんだなぁ。さーてどうやって暇つぶそう。
昨晩のうちにメリーに貰ったおこづかいで、なんか色々買って遊んだりしようかなぁ。ギルドの裏、ギリギリつまみ出されない敷地外で焚き火するとかどうだろう?
僕は宿屋の扉を開け、外の空気をゆったりと吸いこんで──、
「オマエ、Dランク冒険者のキフィナスだな? 付いてきてもらおう」
──目の前に短刀を持った小柄な人が立っていました。
もちろん『怪我には人一倍気をつけてる』という宣言通り、無条件に従いましたよ。
……宿屋から出て、たった一歩。
まだたった一歩だぞ僕。
それで拉致される人っている?
《翠竜の憩い亭》
迷宮都市西、母子で経営している宿屋。
立地が悪く、母スメラダの大らかな性格によって経営状況は非常に悪かった。
そんな母の影響で娘インディーカはしっかりものの耳年増に育った。
度重なる増改築でもはやかつてのボロ宿の原型は留めていない。
1Fは料理屋を兼ねており、近所からの評判は非常によい。
色々な事故が多発したため、現在宿屋としての機能は1部屋以外死んでいる。




