不適材不適所
僕には人望がない。
なにせ、これはお金で買ったりできないからだ。もし売ってたらメリーに買ってもらうんだけど……おっと、また人望が下がった気がするな。
そんな人間が上に立つんだから、そりゃまあ、どうしたって文句は出るだろう。
「キフィナス氏を解任としたい!!」
だけど、いくらなんでも、まだ働き出してから一週間経ってないんですけど?
僕、もう追放されそうなんですけど。すごくない?
いや僕自身のことだけどさ。なんていうか、逆に遠い感じがあるよね。
人事担当として僕が面接した人たちが、みんなで大挙して執務室に押し掛けてきていた。
その時、ちょうど僕はテーブルについて紅茶を飲んでた。で、ちょうどシア様が僕のカップに紅茶淹れてた。『今まで姉さまにしか淹れてないのだから感謝するように』とか言われてた。はい。感謝感謝でーす。
「何事かしら?」
「お館様! この男は勤労意欲に欠け、おおよそ伯爵家の家臣としての品格が無く、何より不吉な灰の髪です!!」
「言い返せない正論きたな……」
僕はシア様が淹れてくれた紅茶に口をつけ──あっつ! うう、舌やけどした……。
「佞臣が……! どう取り入った!」
「妹様が手ずから茶など……」
「嫁入り前の貴族の子女に家事を!?」
僕がシア様に紅茶を淹れさせているのを見て、なんか周囲がざわついている。
いや、淹れてやってもいいって言われたからお言葉に甘えただけなんですけど……。
何かあるんですか? あるんですか。それはすみません。なにが悪いかわからないけど謝っておこっと。僕は座ったまま首だけ動かしてごめんなさいした。
謝るのってコスト掛からないからな。頭を一定の角度に動かすだけでいいんだ。渋る意味がないすぎる。二言目にはとりあえず頭を下げていきたい。
いやー、それにしても早く冷めないかなぁ紅茶。僕はカップをくゆらせて温度を下げようとしてみる。
くるくるくるー……あっこぼれた。
「……何をしているのですか」
「あーいや、ちょっと熱くて」
「……まったく、仕方がないですね」
シア様が、赤茶色の水面に薄紅色した氷の蓮を浮かべてくれた。精巧な作りで、本物とも寸分違わない。
わーい。僕は氷で舌を冷やすため、ばり、と睡蓮を口に含んだ。
砂糖入りの紅茶の、ひと匙分のほろ甘さが口の中に広が──つめたい。冷たいなこれ? うわっ頭キーンってなった。ううう……。
「こんな男が監督をすることは、およそ耐え難く……!」
僕は頭を抑えながら同意する。
まあ、自分たちの上司に当たる人間が僕とか、ちょっと耐え難いだろう。僕もどうかと思うし。人をこき使うことにもやっぱりそれ相応の能力が求められて、僕にはまあ、それはない。
それにしても、こんな短い期間にこれだけの賛同者をよく集めたなあ。音頭を取っている男……ビリーさんの優秀さがよくわかる。
僕ってば結構人を見る目があるのかな?
僕はすっかり冷たくなった紅茶のカップをくゆらせながら、ふかふかなソファーに身を預けたまま、けらけらと笑った。
「何がおかしい?」
ああ、いや。状況の推移が予想より早かったので。みなさん優秀なんだなーって、嬉しくなっちゃいました。
すぐ失っちゃうかもとは思ってたけど、まさかこんな早いとはなあ。
まあ、これで──、
「ねえ。キフィナスさん」
「なんですー?」
「却下するから」
え、早い。
「……はい。おまえの考えが読めました。おまえ、彼らの存在を以て、ロールレア家に忠臣がいるとでも主張するつもりだったのでしょう」
「私がこの提案を受け入れて寛大さを示す。あなたは悪者として退陣する……、そんな筋書きは私は認めないわ。私たちは、彼らを退ける。するとどうなるか、わかるわよね?」
えーと、あなたたちの評判が落ちる。
讒言とか飛びますね。
「そゆこと。うまく解決してよね?」
いや、僕を追放した方がいろいろ上手くいくと思いますけどね。別に家人って立場じゃなくても、僕にできる範囲で協力しますし。
ただまあ……それがご意向というのなら、しょうがない。
「ええと、僕は今の立場に固執します。理由は──まあ、なんですか。……居心地がいいから、ですかね。というわけで、今からあなたたちを抑えます」
「抑える? ここにいる者はみな、あなたを疎んでいる者ばかりだ」
「ええ、ビリー・トロイアムさん。そうでしょうそうでしょう。ですが、話を聞いてからでも遅くはない。僕の発言に正当性がなければ、野山に捨て置いていただいても構いませんよ。ですけれど。理性あるロールレア家の家人が、相手の発言を聞かずして、一方的に誰かを糾弾なんてしませんよねぇー?」
「おい、その灰髪を黙らせ──」
「……ああ。あなたの言葉に納得できれば、私の解任請求は撤回しよう」
「あれ、ビリーさんのだけなんですか? あなたがこの一団の代表だと思ってましたけど」
「私と皆に上下関係はない」
「トロイアム家って言ったら地元の名士さんですけどねぇ。いやあ、手厳しいなー」
──よし。納得させられれば引くという言質は貰った。
数を相手にするときに一番重要なのは、その集団を統率しているのがどれかを見定め、そいつをいち早く無力化することにある。
ゴブリンの群れなら、一際大きな個体や装飾品が多い個体がリーダーとかね。
一級市民のビリー・トロイアムは《ステータス》の数字が高く、家柄もはっきりしている。つまり一際大きくて装飾がゴテゴテしたリーダーの個体だ。
彼を黙らせれば、大多数は黙る。
あの。メリー。メリーさん? 止まって。そこでストップで。そこから一歩も動かないで。ほんとに。君いまこぶし握ってるけどすごい不吉だからね。
彼らは僕の愛すべき同僚です。暴力はダメだ。無力化ってそういう意味じゃないからね?
僕はテーブルの上にティーカップを置き、するっと立ち上がった。
30人余りの聴衆が、僕を見ている。ざわついている人を、ビリーさんが手を振って制した。
お行儀がいい。
「みなさんが、当家に忠誠を誓って──あるいは僕を疎んで?ま、どっちでもいいですね──諫言を口にできるほどの熱意があることはよくわかりました。僕はそれが嬉しい。とても、とてもね。……ただ、ひとつだけ残念なことがあります」
言葉を切って、一拍置く。
演説中の沈黙は、次の発言にいっそうの注目を集めるのに有効だ。
「この中に、隣領からのスパイ……ダルア領の息がかかった裏切り者がいることです」
僕の言葉で周囲がざわつく。
あ、もちろんハッタリじゃないですよー。
誰かを雇用する上で、人物調査をしないなんてことはあり得ない。
いやほんとに。無条件で雇用とか何言ってるの?って話ですよ。あんなの来るし。懲りました。
「僕が笑った理由、今一度教えてあげましょうか。優秀だったことです。まだお互いの信頼関係を築いていない、こんな早い時期に仕掛けてくれたことですよ。働く時期が長ければ、いくら証拠があっても庇い合ったりしたでしょうからね」
「……証拠は、あるのか?」
「もちろんですよー?」
僕はよれよれになった紙を《魔法の巾着袋》から取り出し、そのまま周囲に高くばらまいた。
「何を!?」
「こちら、この度雇用しました34人、全員分の人物調査になります。僕がでたらめを書いていないのは、みなさん自身が、いっちばーん、よくわかりますよねぇ?」
何人かの使用人が必死になって紙を奪い合っている。
新しい仕事場に即座に飛びつくくらいだ。ちょっと後ろ暗いことがあるって人もまあ混ざっている。
ふふ。顔を赤くしたり青くしたり……大変だなあ。彼らはもう、この場で僕を糾弾できない。
僕はけらけら笑った。
「……確かに、これはあなたの調査能力の高さを意味するだろう。今撒かれた私の情報に、訂正するところはない。しかし、それだけだ。それだけでは──」
「今のロールレア家に求められるものって、なんだと思います?」
余計な言葉は遮る。関心の持つテーマで塗り替える。
そして、一拍時間を置く。さも、考える時間を与えるかのように。
「明確な弱みとして、対外的に領主が不在であること。脅威として、隣領との関係が歴史的に悪いこと。これは皆さんも考えられていることですね?」
──しかし答えは決まっている。自由回答はさせない。別にクイズじゃないんだ。考える時間を与える必要はない。
一瞬で答えを出すことが難しい問いを自分から出す。そして、解としてはごく当たり前のことを、さも大発見であるかのように提示する。
これは、当たり前だから効果がある。
ここにいる34人──高等教育を受けた者もいれば、教育の機会がなかった者もいる──の誰もが理解でき、同意できる結論だからだ。
納得させるのが目的であって、深い洞察に基づく知見など今は必要ない。
「もちろん、強みだってあります。今ここに集まっている、心ある同志の皆さんですよ」
ついでにおべっかは忘れない。
「僕の放送を聞いて思ったはずだ。伯爵家にふさわしくない言動。労働意欲のなさ。過剰なまでの気安さ。
そんな輩を重用する姉妹には付け入る隙がある。……そう考えたひと、この中にもいませんか?」
僕は辺りを見回す。視線を、ひとりひとりに合わせるようにゆっくりと。
うち何人かが視線を逸らした。……今の顔は覚えておこう。
「すべては、脅威を炙り出すためだったんですよ」
──嘘だ。
最初はそこまで考えてなかった。
「ロールレア家の人事再編は、当家にうずもれた問題を一手に解決するためにあった」
──これも嘘だ。
ステラ様の、ちょっと感情的な──それでも僕は寄り添いたい──ご意向だ。
「大きなリスクを抱えなければ、相応のリターンはない。僕は冒険者だ。それを嗅ぎわけるのは長けている」
──もちろん、大嘘だ。
僕ほど臆病な冒険者はいない。
「だから、僕がここにいる。そして僕は、当家の家令として、炙り出された者を糾弾する。
ビリー・トロイアム……の、隣のひと。洗濯女給のトレーシー」
そして最後に、するっと犯人を指名する。
これで終わりだ。ここからの主役は、僕じゃなくて彼女に委ねよう。
化粧っ気のない、どこにでもいそうな顔をした、単純な仕事を担当している女性。大事そうに人物調査書を抱えて、青い顔で俯いている。
「わ、わたしは──」
「ミス・トレーシー。このビリー・トロイアムは、いつでも自分の紙を開示できる。あなたは、どうか」
発言力があるビリーさんが完全に流れた。
さっきまで僕の方を見てた聴衆たちの目は、みんな彼女を向いている。
「あ……、あ……」
紙を渡そうとしない彼女の周囲に集まる。ざわめく。ひとりから罵倒が飛んだ。
ふたり、さんにん……、それは次第に大きくなり、糾弾する人々の目には、残酷な色が灯り──。
「──そこまで。ここから先は。領主である私が預かるわ」
破裂しそうな空気に、ステラ様が介入した。
「あなたたちも、家令に任じた彼がどういうひとなのかわかったと思うわ。これ以上、執務室で騒ぎを起こされても困るの」
「……業務が滞っています」
領主であるお二人が睨みをきかせ、張りつめた空気が弛緩する。
「はいはーい。集まっていただきありがとうございました。
というわけでトレーシーさんだけ残ってもらって。あとの皆さんは、とっとと仕事に戻ってくださいねー」
僕は家令らしいことを言ってみた。思うところはあるだろうけど、領主様の裁定が出た今、僕の言葉に何を言うこともできない。ぞろぞろと持ち場に戻っていく。
あ、ビリーさんだけ残った。どうしました?
「……キフィナス氏。あなたを認めたわけではないが、その言には一定の説得力があった。私は撤回しよう。しかし、あなたに資質がないと判断した際には、お館様にはあなたを追放するよう進言する」
はーい。
いつでもどうぞ。僕だって役目を終えたらいつ退場しても──、
「もう。いい加減になさい」
僕はステラ様に背中を抓られた。
いたい。いたいです。
・・・
・・
・
「それで。色々話を聞かせてもらおうかしら。まずは、なんで彼女を残したの?」
ステラ様はじろり、と見る。トレーシーさんはひっ、と小さく悲鳴を上げた。
まあ魔眼ありますからね。怖いですよね。
その点僕は怖くない。魔眼とかないからね。そんな僕は彼女に優しく声を掛ける。
「もちろん交渉のためですよー? ねえトレーシーさーん。
──いくら払えば裏切ってくれますか?」
彼女はひいい、と悲鳴を上げた。
うーん? もっと穏やかにしなきゃだめかー。
「えーと、つまりですねー? あなたはー、わかりやすい捨て駒なんですよー。洗濯係として、屋敷内の情報を抜いてこいー、とかー? 言われたと思うんですけどー。そんなのタカが知れてますもんねー? だからー。最初から失敗することを見越して配置されていたんですー」
僕は間延びした声を出してあげる。
おや。寒いのかな。震えてますね。ステラ様?
「はいはい」
ごう、と音を立ててステラ様のティーカップから小さな火の柱が上がった。
彼女の顔を煌々と照らす。
「これで寒くなくなりましたかー? あ、飲み物とか飲みますかねー? 僕の飲みかけでよければ──」
「……だめです」
シア様?
僕の腕がしって掴まないでください? なんですか?
「……それは、おまえに淹れたものです。……私が、新たに淹れますよ、洗濯係のトレーシー」
あ、トレーシーさんガクガク震え始めた! 唇が青い! あっ意識失った!
うわーどうしましょう? ちょっと想定してなかったな。
「めりの。ばん。なかた」
何言ってるんだい。
最初からないよそんなの。
「あら? 最大限に怖がらせるつもりだったんじゃないの? いきなり話し方を変えたりして」
「いやいや。怖がられてるなーって思ったから、ゆっくりと落ち着くようにですね……まあとりあえず、そこのソファーでゆっくり寝ててもらいましょうか」
「……随分優しい対応ですね」
「そりゃ優しくもしますよー。だって残しておくと面白そうですし」
裏切られ、処分されることを見越して派遣した者が、そうと暴かれた上で家人として取り込まれている。
その状況は相手からはどのように見えるだろう?
重要な情報を売ったからと見るか、何と見るか。
奇貨は忍び寄って噛みついてこない限り、手元に留めた方がいい。
「推測ですけどね。たぶん、他に本命がいます。反応を見るだけとか派遣する意味がない。まあ、いなきゃいないで楽ですけどね」
「なるほどね。……あなた、最初の放送の時点でそこまで考えてたの? さっきはああ言ってたけれど」
「ええ、もちろん──考えてないですよ?」
僕はあっけらかんと言った。
僕には人望がない。人望はお金では買えない。
じゃあどうしようか?
──売ってないなら作ればいい。
具体的には問題を自分で作って、それをサクッと解決しよう!
だから、放送の時点で僕はトラブルを引き起こすつもりだった。
もしわかりやすいスパイさんがいなかったら、まあ……、その時は即席で誰か生贄とか立ててましたかね?
「生贄って。あなたね……」
ただまあ、ハッタリですよ。あくまでハッタリ。
僕の人物調査なんてちょっとした聞き取りで即席で立てたものに過ぎないし、記述に不足があって、僕の能力を過小に評価した人だって中にはいただろう。わざわざ空中に舞い上げたり、全員に開示してみたりと、過剰な演出で勿体つけただけだ。
「というわけで。すぐにメッキが剥げてボロが出るので、さっき事実上の代表やってた人にこの立場譲った方がいいと思いますよね」
「いいえ。あなたはやっぱり、今の立場で丁度いいのだわ」
「……そうですね。姉さま」
「そうですかねー。そうでもないと思いますけどねー」
僕はけらけらと笑いながら、すっかり冷えた紅茶を口に含んだ。
「……おまえ。自分の勤務態度は演技だと言いましたね」
「シア様だって知ってるでしょ。演技がまず演技ですよ。嘘です」
「そうね。でも、騙し通すために、もう少し来てもらう日を増やした方がいいかもしれないわね?」
「いざとなれば、またそれっぽく振る舞いますよ。いいです」
「……よくありません。もっと増やしなさい。こちらは毎日でもよいのですよ」
「ワークライフバランスを大切にしたい……」
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《嫁入り前の貴族子女に家事をさせる》
この世界には魔力というエネルギーが存在するため、男女の身体能力に大きな差はない。
しかしながら、跡継ぎにならない貴族の子女には、姻戚を結び家に貢献するという役割がある。
故に、貴族の子女が同世代の異性に家事働きをすることには『特別な意味』があるとして、避けられる風潮があるのだ。
町民と貴族とは、同じ都に暮らしていながら、別の文化を持っている。




