お金を借りよう!!!(やけくそ)《挿絵あり》
クロイシャさんの応接室は、真昼なのにカーテンがかかっていて薄暗い。
彼女の白い肌が、まるで暗闇にぼうっと浮かんでいるように見える。
「ふう……」
僕は、出されたお茶を飲みながら一服する。語っている内に舌はカラカラで、とりあえず一旦落ち着きたかった。
「味はどうかな? 面白い話を聞かせてもらったからね、とっておきの茶葉で淹れさせてもらったよ」
「えーと、なんていうか。複雑な味ですね」
香りがいいので高いものなんだろうとは思うけど……いつも飲むものとの味の違いはわかる。あっこれ違うな、いいものなんだろうなってなる。
でも正直、からからの口内に水分が染み渡る方がありがたくていまいち味とかどうでもよかった。
「どくみ」
「あ、メリーもお茶欲しいの? さっきいらないって言わなかったっけ。というか毒見ならもう手遅れなような」
「どくみ」
「クロイシャさん。よかったらお茶もう一杯──いらないの? え、よくわかんない」
「そいつはキミの飲んでいるお茶が欲しいみたいだよ」
「どくみ」
「メリーは追い剥ぎみたいなところがあるよね。はい、どうぞ」
僕がゆっくりとコップを傾けると、こくこくと喉を鳴らしてメリーがお茶を飲む。
メリーは座るというのに僕をぎゅっと抱きしめる体勢を維持している。ソファーが二人で座れるほど広くてよかった。きっとメリーは普通の椅子でもまったく同じことやってただろうし。
「お話の続きですけど」
「いいよ。続けようか」
「どうしてお金を貸してくれないんですか?」
「先ほどの話と、キミについての情報を総合した結果だよ。キミは金銭に困ってるというわけではない。キミの問題は、冒険者ギルドにおける自身の進退だ」
「ええ。冒険者ギルドから除名されたら、在住権も剥奪されてしまいますので」
「そうだろうね。移民のキミが在住権を得ているのは、ひとえに冒険者の需要が高いからだ。このセカイにおいて、社会の発展とダンジョンの攻略は密接に結びついている。翼を持つ魔物の脅威によってヒトは生活圏に大きな壁を築き、文明の発展性に制限を掛けた。そのため、ダンジョンから発掘される遺物が歴史の針を大きく進めてきた」
「冒険者に崇高な役割があるって思想を否定する気はないですけど。僕は、痛いのも怖いのも嫌なんですよね」
「うん。『嫌だから、定期的に利息分を払うことと引き替えに共犯者になってくれ』ということだね」
「そうですそうです。いやぁ、話が早くて助かるなぁ」
僕が追放されたら、お金を貸してくれた人が回収しなきゃいけないお金は丸々損になってしまう。国が追放者の負債をわざわざ補填してくれたりはしない。
つまり、僕がお金を返しきるまで、お金を貸した側も僕を守らざるを得なくなり、ひとつの共犯関係が成立する。その額が大きければ大きいほど僕の価値は大きくなっていくだろう。
これをしっかり理解した上で乗ってくれるなら話は早い。
僕は商談がまとまるのを期待しながらクロイシャさんの胸を見た。
スーツの上からでも、柔らかい曲線が確かな主張をしている。一方でメリーには骨と皮しかない。身長もちんちくりんだ。
この発育の差は食事の問題かなぁこれ。僕もそんなに身長高くないし。
「いいかい? まず、義務を果たさずに権利を主張するのは看過できない。義務と権利は背中合わせの関係にあり、背がなければ腹もない。キミにはキミの役割を果たす義務があるだろう」
「いちど権利を得てしまえばこっちのものだと思ってますけどー。ダメですかねーー? 義務を義務だと、権利を権利だとしっかり認識してる人って一体どれくらいいるんでしょう?」
「義務を義務だと認識しながら逃避している者よりは多いんじゃないかな?」
「手厳しいなあ。クロイシャさんは僕のこと嫌いですか?」
「個人としては嫌いではないよ。その明け透けな物言いはむしろ好感が持てるし、キミのパーソナリティには強い興味がある。ただ、現在の文明社会にとって有益かどうかという観点から見るとね。実に残念ながら、キミの存在は有益ではないんだ」
うわぁ、金貸しに正面から『お前クズだぞ』って言われてしまったぞ。
僕はちょっと悲しくなった。
「だいたい。いくら追放刑を免れたいからといって、多重債務者になろうという発想がどうかしているだろう」
「え? どうしてですか? 別に不可能じゃないですよね?」
「可能不可能ではなく思想的にどうかしていると言っているんだ。キミは貨幣経済を信用していないのかな?」
「いえいえ。むしろ信頼してるからやるんですよ。このシステムはきっとこれからも崩れない」
「……キミと話していると埋めがたい価値観の相違を感じるよ。否定しがたいのが厄介だ」
これはお金というものに価値があるからこそ取れる手段だ。
金貸しは利ざやで儲けを出す商売。善良な僕は、いい金蔓になってあげると売り込んでいる。お互いが得をする素敵な取引。
もちろん僕一人じゃこんな手は取れないが、Sランク冒険者、最強戦力のメリーが隣にいる。メリーの信用を担保にお金を借りれると思ったのだが──。
「──まあ、つまり。キミの悪事に荷担する気はない。これでもボクは、全うな商いをしているつもりなんだ」
……どうやら、この人に声をかけたのは失敗だったみたいだ。
「憎まれる商売だとは思っているし、愛想が悪い自覚もあるけど。これでもボクなりの信条というものはあるんだ」
「はあ」
「いくら能力を持っていても、機会に恵まれない人間もいる。火起こしと同じさ。いくら設備が揃っていても、種火がなければ炎は燃えない。そして、ボクは火を起こしたいという『意志』を持っている人間を支援したいと思っている」
「ええと、つまり僕には当てはまらないと」
「うん。キミはその逆で、胸の内に炉がないからね」
「火傷しなくていいですね」
「そうだね。ただ、人間の生は短く、時に訪れる冬の季節は魂の底までも凍えさせる。世の中には、ほんの僅かな──それこそ、種火のような一灯を求める者がいるんだ。ボクはそれを……それだけを授けたい。そしてキミはそうではないという話だよ」
……うーん、これはダメっぽいな。
なんていうか、信念レベルで僕にお金を貸してくれなさを感じる。勝利条件が絶対に噛み合わないひとだ。
時間の無駄だな、引き返そう。
僕はお茶をずるずると飲み干した。
「あーすみません。用事を思い出しまして──」
「お金は貸せないが、キミには個人的に興味がある。旧知の者を放っておいてもいいくらいには楽しい時間だった。経験は知識を作るが、奇異な経験で培われた知識というのは触れるだけで面白い。また寄るといい。お茶とお菓子を用意するよ」
「考えておきますよ。舌が筋肉痛になりそうなので、次に寄るのは二世紀くらい後かもしれませんけど」
「《貧者の灯火》は胸に火を灯す。それではご機嫌よう。灰髪の青年。どうか、君の道行きに幸多からんことを」
そんなこんなで、僕の目論見は失敗に終わった。
くそっ。なにが灯火だ。不審火で燃えてしまえ。
僕は不機嫌な気分のまま、六足鳥の串焼きを二本メリーの財布から買って(お金を貸してくれないので手持ちがなかった)、冒険者ギルドにぱっと寄って薬草をカウンターにぶちまけて宿屋に帰った。
ああもう。今日は早めに寝よう。
「さんばい」
えっ何。何のはな──。
…………思い出したぞ。そういえば帰ったらって約束してたわ。
えっ、三倍ってそんななの!? 本当に!?
ちょっと痛みで意識飛びかけたよ!?
「さんばい」
いだだだだだだだ! いだだだだだだだ!! いだぁーっ!!!
「さんばい」
「いやすまない。待たせたね、四肢腐れの姫君」
「余への愚弄は、その命を以て償わせてきた。貴様もその列に並ぶか?」
「はは。嫌悪しているヒトのかたちを取らねばならないくらい弱っている今のキミに、果たしてボクを害することができるのかな? 試してみるかい」
「ふん。この姿は屈辱の極みだが、じきに『終わり』が来るからの。旧き約定に従っているまでのことじゃ」
「そうだね。《キキの魔法》もそろそろ限界だろう。むしろ、既に綻びが見えていたのによく保った方さ。重石を失った秤は勢いをつけて破滅へと傾くことになるだろうね」
「……貴様は、最期の刻を如何様に過ごす?」
「もしかして、ボクにそれを訊ねるのがここに来た理由なのかい? キミも随分と変わったね。丸くなったというか……ふふ。盟友として、その変化を好ましく思うよ。そうだね、ボクは──」




