黄昏に懊悩する乙女/スケルトンカラーってカッコいいなあ!
何かを選ぶということは、こんなにも恐ろしいことだっただろうか?
ステラは震える足で、よろめきながら険しい金色の瓦礫を歩く。その表情は弱々しく、未だ彼女が本調子でないことを示していた。
仮に普段の彼女であれば、足下に広がる黄金の野のうち、向こうに咲いているひときわ大きな塊をくすねていたことだろう。
「メリー。また地形をぐちゃぐちゃにされると困るからさ。だっこするね」
「ん」
ステラの苦境を気にも留めず、冒険者の二人はいつもの調子だ。メリスが、べったりとキフィナスに体を預けている。
だらんと垂れ下がった姿には、子猫と親猫のようにステラには感じられる。
「あったかい。あつあつ」
「あー、ええと、少し、まあ……、うん。僕らしくなかったな……とは。思わなくもないよ」
「すき。かこいい。とてもよい」
「はあ……。君はいつもからかってくれるね。なんていうか、メリーはあんまり性格が良くないんじゃないかなって思うんだ。僕の言えたことじゃないけど」
「すき。みんなすきなる。ばんぶつみりょうする」
「はいはい。メリーの中の僕はいつも謎の超存在になるね」
ため息をつきながら、キフィナスはメリスの金髪を慈しむように撫でる。
(シアは、どうしてるのかしら)
一歩前を行く二人の姿に、ステラは妹と自分を重ねた。
魔人ビワチャから語られたロールレア家の闇。
それらがすべて偽りだ、讒言だと喝破することができれば、どれだけこの心は晴れるだろう?
真にせよ偽にせよ、何かを証明するものは、すべて瓦礫の下へと埋まってしまった。すべてを押し込んだ瓦礫の下に、ついでにビワチャの言葉もまとめてしまえば、きっとステラは『昨日までのロールレア家』へと帰れるのだろう。
昨日までの自分の生き方は常に正しさの中にあると考えていたし、きっと、これからもそうだと考えていた。
ステラ・ディ・ラ・ロールレアには、誇りがある。
迷宮都市デロルを統治する名門貴族ロールレア家の長子として生まれ、高級家庭教師による一流の教育を受け、二つ剣の家紋を背負っていることへの誇りである。
善く生き、善を為すことへの誇りである。
自分の人生の足跡すべての誇りである。
だから、ステラは父オームの所業を、錯乱したものだと考えていた。
善なるロールレア家の次期当主として、現当主の横暴を止めたのだと、そう正当化していた。
迷宮都市の主、ステラには生来の要領の良さがある。
──王都、ロールレア家伯爵屋敷地下。骸の山を荼毘に伏したことには、無意識に、灰燼に変えることで家名を守るという意識が働いてはいなかっただろうか?
ステラは自分に問う。そうだ働いた。いや違う慈悲だ。そうだ。違う。そうだ──積み重なる自己正当化と自己否定。思考の迷宮はどこを曲がっても袋小路だ。
「おっと。考え事をするのは悪いことではありませんけど、足下にはお気をつけてくださいね。ステラさま」
(……ほんと、意地の悪いひとだわ)
ちらちらとステラの歩調を伺いながら、口許をふにゃふにゃと歪める青年。
彼は『さま』を強調した。
再び、いつもの柔らかな仮面を被った、ということだろう。仮面──。
(そう、ね)
ロールレア家を解体するわけにはいかない。
王家やそれに連なる重臣たちを失った10年前の《旧王都災禍》と、王都の有力貴族たちの家財が次々に燃やされた3年前の《王都タイレリアの大火》によって、現在のタイレル王国は政治的にかなり不安定な状況にある。
『迷宮都市の管理』という蜜に群がる貴族は多いだろう。現に隣合うダルア領の子爵はこちらを目の敵にしている。仮に罪を償い、家を潰したとしても、そこから起こるであろう多くの貴族を巻き込んだ領地問題は国を割ることに繋がりかねない。
……その混迷に、愛する領民たちを巻き込むわけにはいかない。
(罪を抱えて。それでも、前に進まないといけない)
血塗られた歴史を知った。父オームの所業は、彼ひとりが乱心したものではなかった。
しかし呼吸は続く。心臓は動いている。守りたいものも残っている。
──ならば、あの日までのお父様のように、高潔で慈悲深い領主を目指せばいい。
残る課題としては、
(……シアには、知ってほしくないのだけれど……。どうすべきなのかしらね)
未だ、ステラは選択ができない。
シアは最愛の妹だ。姉妹間には何の秘密もない、と確信している。
ならば最愛の妹にも、ロールレア家の真実を伝えるべきか。
最愛の妹なればこそ、虚偽を弄し、秘して遠ざけるべきか。
伝えるか否か、再び思考は堂々巡りを繰り返す。
──あるいは。
父オームが姉妹を殺そうとしたのは、ひとつの慈悲だったのかもしれない。
思考の迷宮を探索するさ中、ステラは不意にそんなことを考えた。
しかし、口なき死人が語ることは永久になく、その願望を証明する手掛かりもまた瓦礫の下へと埋められている。ステラもまた、願望じみた思いつきを、思考の澱へと沈めた。
目を焦がすように目映く光る純金製の瓦礫の世界。
遮る雲なき天蓋には、時を止めた金色の空が世界の果てまで広がっている。
高空にて灼ける陽は、沈みゆく黄昏に似ていた。
* * *
* *
*
僕らがダンジョンを出ると、まだ夜は明けていなかった。無機質な白色光に照らされた夜霧がぼんやりと街を覆っている。
それにしても……、目がじんじんする。魔人とかいうやつのせいだ。人でなし性が高いな。
目は全身が雑魚でできてる僕の数少ない常人と同程度の能力を持った部位に当たるので、そこにダメージを与えられると非常に困る。
僕は目をごしごしと擦った。ちょっと涙が出た。ううう……。
「さっきまでのあなたはどこ行ったの……」
え? 僕はいつもこうですけど。
あ、メリー降ろすね。きみ重いし。
「もっと」
痛い痛い痛い痛い。
ちょっとしがみつかないでいたい痛いいたいー。あーもういいですよ持ちますよ重いけど持てばいいんでしょ。あっちの角までね。
もーこれ虐待では?見ましたよね今の。取り締まったりしてくださいよ。
──領主様なんですよね。ステラ様は。
「ええ。私は、デロル領の領主なのだわ」
……そうですか。
あー、やっぱいいです。このおっもい荷物、もう少し運びます。もひとつ先の角まで。
「そうなの?」
そうです。お騒がせしました。
……僕はステラ様を見る。赤い瞳を覗く。まだ迷いはあるみたいだけど。少なくとも、ステラ様が前を向こうとしていることはわかった。
僕は誰かの選択に干渉する気はない。最終的に選ぶのはその人自身で、誰かに強制されたって納得できるものじゃない。
考え抜いた上での選択なら、たとえどんなものでも僕は尊重したいなと思う。もちろん僕とメリーの生活に直接関わらない範囲でね。
夜のタイレリアを行く。
冷たい夜風が頬を撫でた。寒いな……。この時期に出歩くにはちょっと薄着だったかもしれない。まあ奪った服なんだけど。後で文句をつけよう。
メリーをだっこしていると、低めの体温でもまあ温かい。降ろすって言ったけどしばらく湯たんぽしててもらおう。僕はメリーをだっこした。
「そこで曲がって」
ステラ様の指示に従うと、そこには夜闇の中でつるりと光る馬がいた。
「え、なんですかこれ。馬の……スケルトンカラーだぁ……!?」
わ、関節とか透けてる! ゴーレム馬だ。骨格が見える。
すごい、カッコいいな……。
「ふふん。それだけじゃないわ。こうやって手をかざすと……」
「わっ!──光った! カッコいいなあ! ねえメリー買お!あれ買おうよ!」
「ん」
メリーは財布を出した。
僕は受け取った。金貨を一枚かざす。
「う、売らないわよ。これは特注品ですし、自分で改造したのだもの」
手のひらに金貨を重ねる。
「う。売らない……、のだわ」
もうちょっと重ねればいけるか……?
「や、やめて頂戴! ここで商談をしてもしょうがないでしょう!」
そういうものですかね。
むしろここだからこそ買えるかなって。色々考え事してるでしょうし、冷静になる前に売ってもらえばいいかなと。
「もう! 油断ならない人だわ……」
いえいえ、どんどん油断してもらえれば。
僕は《スキル》も《魔術》も使えない、ただの弱小冒険者です。
「ほら、そんなことより馬車に乗って。……壊れやすいから、メリスさんは気をつけてね?」
「メリーは僕にしがみついて乗車──いたいいたい」
馬車を破壊するだけのパワーが僕の身体を傷つけてくる。いたいいたい。
多分腕とか折れたんじゃないかな。
「おおげさ」
「大げさじゃないです」
馬車は広く、天井が高い。
座席の感触は……うん。しっかり柔らかいな。固いとお尻が痛くなるからね。長時間乗ってると、ちょっと耐えられないくらいになる。
僕はメリーを座席に座らせた。なのにまだひっついてくる。じゃま。
ステラ様が向かいに座る。
「キフィナスさん」
「なんですか?」
「高名な教師だって、あなたみたいに教えてはくれなかったわ。きっと、あなたは色んな経験をしたのよね」
「ええ、まあ。べつに誇れることばかりじゃないですけどね」
「……でも、それだけじゃないわよね? あなたと話していると、教養を感じるもの」
「買いかぶりですよ」
「あなたは──何者なの?」
何者、と言われましても。
僕は辺境出身の、八流くらいの冒険者ですよ。
「私にとって。魔人という存在よりも、あなたの方がよっぽど不思議よ」
ええと、魔人っていうのは──。
「それは後で聞きます。……それよりも、私の家のことを知ったのだから。あなたのことについて、教えてもらいたいと思うのだけれど?」
「僕のこと、ですか?」
「ええ。教えてほしいの。あなたのような知見は、どうすれば得られるのかしら」
ええと……。僕の知見って言ってもなぁ。
いやしかし、確かに僕はステラ様のおうちの事情を知ったわけで、一方的に相手のことだけ知っているというのは、あんまりフェアじゃないといえばそうかもしれない。
まあ、強いて言うならあれかなぁ。
「そうですね。僕らは辺境のダンジョンで、多くのことを学びました」
「それは、『冒険者として』ということかしら?」
「いえ。別に冒険者としてとかじゃなくて。本当に、色んな知識を学んだんです。僕らはそこで、だいたい4年くらい過ごしました。
ダンジョンの名前は、《2020年3月21日14時12分の東京駅》」
今の僕の骨子には、あの地で過ごした経験がある。




