魔人は語る
僕の知っている諺のひとつに『好奇心は猫を殺す』というものがある。
物事というのは深入りすればキリがない。人生にはさまざまな選択があって、沢山の葛藤や諦めや情熱なんかが混ざっている。そんな複雑な人生は個人それぞれにあって、ひとつとして同じものはない。
そんな複雑系が集まってできるのが社会なんだから、これはもう、呆れるほどに複雑だ。
そんなものに手を出したら、そりゃあ痛い目を見る。僕は痛いのは嫌いだ。
「ビワチャ。あの時語った言葉は、今も変わりません。あなたが何者であろうと、どのような意図があろうと。私は、次期当主として、我が家について知らなくてはいけないの」
しかし今、ちょっとした事故と不可抗力と腕力から胸の内にいる女の子は、そんな複雑な、痛みを伴うものに真っ向から立ち向かおうとしている。
「お嬢さんが乗り気で何よりです。ですが、ここはひとつ、場所を変えやせンか?」
「いいえ。今、ここで。語ってもらうわ」
「まったくの部外者のお兄さん方も混じっておいでのようですが?」
「そいつならもう帰りましたよー。どうやら忙しいみたいですー」
どうせ相手は目が見えないんだからと僕は適当なことを言った。
「風の流れ、音、匂い。目が見えなくとも、世界を見ることはできやすよ。お兄さん」
世界、ね。
僕には複雑すぎて、そんなものはとても見えやしないけど。
まあいい。目の前の魔人が何が見えると主張しようが、僕にはどうだっていい話だ。一切の興味がない。
「……この人には、立ち会ってもらいます。信頼できるひとなのだわ」
「やや。そいつァ舌のすべりが悪くなッちまいそうでサ」
「同じ言葉を繰り返させないで頂戴。私は、この人を、信頼しているの」
「えーと、お喋りな魔人さん? 決定権は僕らの側にあることを忘れないでほしいんですねー。先に奇術を掛けてきたあんたに、ステラ様の要求を拒否する権利はない。それとも喉元に刃を突き立てたりした方がわかりやすいのかな。試しに舌先とか切って伸ばしたりしてみますー? そうすると、今よりもうちょっとマシに回るようになるかもしれませんよ」
「……《全能者》のオマケの、女頼りのヒモの小僧が、よくもまあイきりたおして──」
──メリー。ちょっと待っ
それは、まばたきの瞬間だった。弾ける光がまたたいて、まもなく僕は目をつぶった。
メリーは一歩も動いていない。
しかし踏みしめた足から、水面に浮かぶ波紋のように破壊の波が世界すべてに伝わっていた。
黄金製の地面はズタズタに引き裂け、地表を暴れ狂う衝撃は金属の延性と妙な化学反応を起こして細まり尖り幾万もの棘を生やしながら世界を挽き潰していったらしい。
地面からめちゃくちゃに生えた金の針山が街中の至る所を串刺しに貫いて、王都タイレリアを模した黄金色の建築物は、水平線の向こうまでみな崩された。
残ったのは、純金製の瓦礫の山だ。
もう、ここがタイレリアを模したものだとは、王都で毎日暮らしている人は勿論、遺構調査を専門とする冒険者だって気づかないだろう。
「──っ、こいつぁまた、なんたる威容で……」
「殺す」
殺さないです。
「殺す」
殺しません。
「きふぃを。きずつけるやつは。ゆるさない」
なにが?別に傷ついてないよ。今更、僕が言葉で傷つくこととかないからね。むしろ僕は言葉で誰かを傷つける側だ。僕にとって言葉の刃ほど使いやすい武器はない。冒険者が自分の武器で傷つくことがないように、慣れ親しんでるもので傷ついたりしないよ。
あー。ええと、ごめんなさいステラ様。話が進みませんね。いやぁ、悪い癖です。
僕はちょっと牽制と茶々を入れたかっただけだったんですけどー。そうしたら、なんかメリーの方が釣れてしまってー。もー。ほんと困るよ?
「きふぃ」
なんかメリーさんは納得がいってないみたいだけどさ。
僕がここに来たのは、あくまで迎えにいくためであったのを思い出してほしい。
ステラ様は、目の前の魔人から情報を聞き出すって選択をしただろ、メリー。
「殺す。きおくひろって。めりがはなす」
ダメだよ。ダメだ。それは冒涜だ。許されないことだ。個人の思想は、記憶は、人格は、……たとえ、それがどんなにクズ野郎だろうと、その人だけが持っていいものだよ。形がなくて、奪い奪われるものじゃない。
僕は、僕なら、自分の思考を覗かれたりとか絶対に嫌だからね。僕は『力ある者は何をしてもいい』なんてふざけた考え方を許容しない。それは、たとえ君だってそうだよ。そもそも僕は──あ。
えーとステラ様。こっち、ちょっと忙しいので。そっちはそっちで始めててください。
「……語りが終わるまで、このまま、って言ったじゃない」
ぬくくてメリーよりやわっこい感触が、抗議するように僕の胸の中で身じろぎした。
ええと……そういえばそんなこと言ってたな。え、どうしよう困る……。僕はメリーとあっちで話したいんだけど……。だいたい僕が抱きしめてるのとかどうなの?って感じだし。これ不敬とかに当たるんじゃないの?当たらないの?むしろしないことが不敬になるの?法律には書いてないんだよねこういうの。いやまあ不敬とか不敬じゃないとかそんなローカルルール時と場合に応じて普通に投げ捨てるけどさ。いやでも、僕は一度了承したわけで……、
「…………だめ?」
あー……。はい。わかった。わかりました。いいです。いいですよ。
メリーとの話はいつでもできる。というか、誰かに聞かせて面白い話でもないし。今晩、寝る前にじっくり話せばいい。
「たのしみ。いっぱいはなす」
楽しみじゃないんですよメリーさん。
はあ……。ほんと、メリーは困った子だな。
とりあえず、僕らはちょっと静かにしてようか。あいつがステラ様に何か不審な動きをするようなら、そこは──、
「殺す」
殺さないです。
* * *
* *
*
「ヤレヤレ、ウッカリと竜の逆鱗を踏みしめちまいやしたね」
魔人ビワチャはあっけらかんと言う。
己の力を遙かに超越する上位者と対峙することは、一度や二度ではない。
「イヤ、こいつァ参りました。流石は《全能者》。神のごとき力を振るう、タイレルの国、いやさ世界で最強の存在」
それでも、過去相対した誰よりも、メリスの力は強大だ。
荒れ狂う暴威によって、一瞬のうちに、この異界《黄金郷タイレリア》の構造物はすべて破壊された。しかし、その力の主は、足を動かしてすらいない。その直前、一歩前へ進むために地を踏みしめただけで、黄金の都市は瓦礫の山と化した。
その力がすべて個人に向いたとすれば、たちまちに五体は引き裂け絶命するだろう。
「ねえ。……あなたはどうして、私をここに連れてきたの?」
おや、とビワチャは首を傾げる。
「時間を、止めていたのよね」
「ああ。目撃者は少ない方が良かったんでサ。秘奥とは、秘されるものにございやすンでね。あたくしがあの押し込み宿で弦をぴいんと弾いた時点から。あたくしたちは、世界の時間の流れからも弾かれたンでサ。時間っちゆうもんは、共通に流れるモンだけじゃアありんせんのです。世界ごとに──ダンジョンなんかも含みやすね──それぞれに流れとる絶対時間と、人それぞれにある相対時間がある。随分と意地が悪いモンで、たのしい嬉しいと感じる時にゃア短く、つまらん苦しいと感じる時にや長くなる。あたくしゃ、その斜交いにある籠目の境目をちょいちょいッと弄くるだけの、つまらん芸をやりやしてございやす」
「……よく、わからないわ」
「エエ。別に、あたくしの手品のタネは重要なことでもありんせんよ。重要なのは、ここにお連れした理由の方でさ。
つまり──あンなた様が、オームの旦那の後を継ぎ、迷宮都市の管理者になられるからでございますよ。ここは、今を生きるヒトの想いが生んだダンジョンでありやすからね。多くのダンジョンの最奥にある、鬼灯みたいに赤い核は、まだ完成しちゃおらンのです」
「完成……?」
「ええ。ええ。想いは形どるものです。ダンジョンは星の記憶から世界を模倣し、核を形作ろうとするンですが──たいていは、熱量が足りない。魂なき想いだけでは、核は核足りえンのですよ」
だから、後学のために、ヒトの想いを受けて成熟したダンジョンに連れてきたのです、と。
魔人は語る。
「あたくしは、今より七世の祖。セザール様と懇意にさせていただきやしてね。それ以来、ロールレアの家とよろしくやっているんでサ」
「ご先祖様が……? でも、あなたのことなんて一度も──」
「そりゃア、そうですよ。お嬢さん。時にひとつ訊ねやすがね。あなた様は、ロールレアの紋章にどんな意味があるか、知っておいででございますか?」
盾の前に掲げた二本の剣と、それを支える一対の翼。
ロールレア家の由緒正しき家紋だ。
「右の刃には誠実さと知恵、左の刃には仁愛と勇気を」
「エエ。ハイ。斬獲した天使どもの二対の翼の上に盾、そこに交わる二本の剣。あなたがたの一族は、王からの覚えが高く、武官であり文官だった。ですがね。何故知恵の象徴も剣なのでありましょう? 疑問に思ったことはございやせんか。
その刃の片側は、ですね。──粛正のために、用いられたものなんでサ。だから《魂削りの笏杖》を与えられた。あの金色の杖ですよ」
「粛正……?」
「ええ。王家が枝分かれして帝国が生まれたのがおおよそ400年ほど前。それ以来、この国はどんざか荒れていやしてね。そう、何せ元々は血を分けた兄弟姉妹でございやすから愛憎悲哀もない混ざる。灰の大地を隔てある、薄紫の花咲く国を、隠れて支援する者も少なくはなかったのでございます」
今なお残る大国、ヘザーフロウ帝国とドノワバズ共和国は、いずれも建国からタイレル王国と関係が深い国である。
「《レガリア》は王家の血を引く者にしか使えない。迷宮管理という重責に付ける家系は傍系親族であることが望ましい。ネルガ、ジュラー、ラフテル……この国に迷宮都市と定められた領地は数あれど、レガリアを分け与えられしはロールレアのデロル領のみでございますから、その信頼は一入でありました。それもひとえに──ロールレアの家が、タイレル王国の暗部に通じていたからでございます」
その言葉に、ステラは息を呑んだ。
「《炎熱の魔石》がよく取れるダンジョンがある。押し掛けた冒険者たちが次々カネを落とす。しかしながら。それだけで、迷宮伯の領地を統括できるほどの予算があるとお思いでござんした?」
魔人は語る。
「つまり──あの時、あなたのお父様がしていたことは、家業のひとつに過ぎンのです」
世界が輝かしいものだと夢抱く少女に、
己の家系は、己の家は、己の血は、
同族の血と屍の上に立っているのだと示しながら。
魔人は、語る。
「《魂削りの笏杖》を使い、無垢な魂に痛苦を刻する。呻きもだえる魂を以て《経験値》を上げるのは実に効率がよろしい。貴族がなぜ民草を統治できるのか。権力の源泉は、力にこそあるのです」
魔人は語る。語り続ける。
「……お父さまは、わたしたちに。人倫の道を説かれたのよ」
「エエ、エエ。そうでしょうとも。何せ、あなた方は未だ後継者ではないのですから。ロールレアの双剣を担うのは一人でいいンですよ。だから、選定の時までは、オームの旦那はまっとうな愛情を注ぐことができた」
「まっとうな、愛……」
そうして、魔人はよく回る舌をぴたり、と止めて──。
「人倫の道と仰いましたがね。実の父を殺すことは、その道を踏み外しちゃいませんか」
『道を踏み外していないか』。
それを問う、芝居がかった訛りのない一本調子の言葉が、ステラの心へと突き刺さった。
呆然とするステラを見て、魔人ビワチャは思い出したように呟く。
「オット。伝えたいことも伝えやしたので、あたくしはこの辺りでおいとましやしょう。──見えなくともわかりやす。お兄さんの、射殺すような視線。いつ気ィが変わってけしかけてくるか、わかったもんじゃありンせんワ」
「しないよ。……あんたは人間じゃないけど、それだけじゃ、生きてちゃいけない理由にはできないからな」
「エエ、エエ。そいつア、ありがたく。──またお会いしましょう、お嬢さん」
そして魔人は背を向けて、黄金の棘と瓦礫の山を滑るように抜けていった。
キフィナスは、ただ、無言でステラを抱きしめる。
その体温は、すっかり冷えていた。
* * *
* *
*
真実は痛みを伴う。好奇心は猫を殺す。
わかっていたことだ。僕はあの、例の《タイレリアの暗殺者》を名乗る──ええと、誰だっけ?まあ誰でもいいか──男から大体のことは聞いていた。自分で調べもした。
……残念だけど、あの魔人が語っていたことに、嘘はどこにもない。
彼女が生まれたのは、暗殺者を名乗る連中や孤児を誘拐する連中と繋がりがある、後ろ暗いものを抱えたご家庭だ。
それは、彼女の血縁上の父親である人でなしだけが道を誤った、というわけではなかった。
僕はあえて伝えることでもないだろと黙っていた。
しかし、彼女には誇りがあった。
そして勇気があった。
だから選んだ。
人には選択の権利がある。それを選んで、不幸になる権利もあると僕は思う。
だけど……、もしこの感情が不敬でないのなら、僕は彼女に親しみを感じていて。
こうして打ちひしがれる姿を見るだけで心が苦しくなる。
魔人がべらべらと語りを終えてダンジョンから姿を消しても、なお僕は彼女を抱きしめていた。
「……ねえ。キフィナスさん」
「なんですか、ステラ様」
「わたしたちのお屋敷ね。こんな風に、ぜんぶ瓦礫に変わっちゃって、もう何も残っていないの。残っているのは、今まで勤めてくれていた使用人たちだけ。でも、誰を信用すればいいのか、ずっとわからなかった」
「はい」
「だからね。私の方から、あの吟遊詩人に飛びついたの」
「そうだったんですね」
「そうだったの」
ステラ様の背中は、消えてしまいそうなほどに小さい。
「シアに、いい報告をしたかったんだけどなぁ……。わたしたちのおうちは……、何に悖ることもない、使用人たちもっ、みんな優しくてっ、正しくてっ……!」
すすり泣きが、言葉に混じる。
声にならない声が、痛みが、傷だらけの心が僕の前にある。
だから、
「──選んだのは、きみだ」
不敬でいい。
「君は、君自身の選択を後悔したかもしれない。だけど、それは君の、君だけのものだ」
ありのままの僕を、彼女に晒そう。
「ロールレア家の所業を知って。君は、選択することができる。それを全部見なかったことにして、記憶を、この瓦礫の山と一緒に沈めることだってできる」
「……おやしき、みたいに?」
「うん。デロル領も王都も、どちらも瓦礫の山だ。証拠は全部爆破されて粉みじんだろう。だから、罪が露顕することはない。仮に使用人が告発しても、それは貴族に対する讒言と取られるだろう。そして、君はまだ家を継いではいない。きっと、君が法的に裁かれることはない」
──だから、これは君の選択だ。
真実から目を背けるのか。それとも、向き合うのか。
向き合うとすれば、どのような形で向き合うのか。
「多くの選択には失敗と後悔がある。人間は間違える生き物だ。たぶん世の中には、触れなければいいことの方が多い。知識があることは選択肢を増やすけど、選択肢の多さが幸福に結びつくわけじゃない。むしろ最善の選択肢はどれかって、迷ってばっかりだ」
「……ええ。そうね。わたしも、知らなきゃよかったって──」
「だけど。生きていれば。生き続けていれば。痛みと、後悔を伴った過去の選択を、けして誤りではなかったって肯定することもできるんだ」
前を向いて、歩き続けろ──なんて、自分にできないことを言うつもりはない。その人の痛みは、その人にしかわからないからだ。
僕は斜めを向いて、不真面目にだらだらと日々を過ごして、それでも機会を得た。
時間の流れは、時に視野の広さを僕らに与えてくれる。
奇異な再会もある。……訳知り顔で話している割に、最近知ったことなんだけどさ。
「いずれにせよ、選択は、選択だ。まっすぐな君が好きな僕としては、真実から──自分の選択から、目を逸らさないでほしいと思うけどね。たとえそれが、どんなに痛くても、怖くても」
だって、僕らはそれを積み重ねて、立っているんだからさ。
「……あなた。とっても意地が悪いわ」
結構よく言われるね。
けど、改める気はないよ。僕は自分の性格が嫌いじゃないからね。かわいげがあると思っている。ないかな? ないか。
「そう。あなたは、とっても、とっても困ったひとなのね」
それもよく言われるよ。まあ僕自身は困ってないけど。
よって改善することはない。
「意地悪で、困ったひとで……、だけど。とっても、とっても、とっても。優しいのだわ」
え? あー、ええと……。
そっちは、そうだね。あんまり言われてないかな。
「ねえ、キフィナスさん」
「なんですか、ステラ様」
「……いつもの調子に戻ってしまったのね。そのしまりのない笑顔より、さっきの顔の方が素敵よ?」
「あはは。手厳しいですね」
「手厳しくなどありません。あなたは素敵よ、キフィナスさん」
「そうですか。僕も素敵だと思いますよ」
「……だからね? 二人っきりの時だけは、ステラって、呼ぶのをゆるしてあげるの」
「はあ。それは光栄ですね、ステラ様」
「……もうっ!」
「え、いや、メリーいますし……」
「ん。めりは。いるけど。いない」
「えーと……? まあいいや。とにかく、帰りましょうステラ様。シア様が待ってますよ。ああ、足下には気をつけて。なんか、誰かが、平らな地面を棘と瓦礫だらけにしたので、歩きづらいったらないですね」
「…………本当に、いじわるなのだわ」




