閑話・蠢動
王都から少し離れた位置にある、迷宮都市デロル。
この街の活気は、王都のそれに引けを取らない。
冒険者や、彼らを相手に商いをする者たちが大勢住まうこの都市。街並みの新陳代謝はとても激しい。表通りの軒先に連なる看板のうち、三つにひとつは二ヶ月で入れ替わるほどだ。
──そんなデロルの一角に、いつまでも看板を変えることのない、淋れた佇まいの店がある。
「ご機嫌よう。ようこそ、《貧者の灯火》へ。初めまして。ボクはクロイシャ。この店のオーナーにして、胸の内に火を抱くあらゆるモノへの味方だ」
燭台に火が灯り、暗闇の中に、客と店主の顔がぼう、と浮き出る。
ここは、迷宮都市デロルの貸金屋《貧者の灯火》。
来る者拒まず去る者追わず。されど、債務不履行は絶対に許さない。
「こんにちは~。お噂はかねがね~」
「ふむ。ボクの噂というと……、そうだね。あまり愉快なものではなさそうだ」
「その噂を聞いてでも、お金がほしかったので~」
間延びした声の灰髪の男を、店主クロイシャは値踏みするように観察する。
服の仕立ては悪くない。言葉遣いにも、特段おかしなところはない。
灰の髪──すなわち《適応》のない、社会から排斥されることが多い身なりにしては、それなりの社会的地位にある人物のようだ。
「キミは、生活に困窮しているというわけではなさそうだけれど。いや、むしろ生理的欲求が充足しているからこそ、ボクの元を訪れたのかな。ヒトは寝食が満たされてはじめて、上を向くことができる生き物だからね」
「はい~。叶えたいことがあるんです~」
「叶えたい願い。心に秘めた熱があるのかい。それは──いいね。結構なことだ。ヒトの生とは、情熱があってこそ輝くものだ。ボクはどちらかというと、欲求段階の底部を埋めて、上を向いて歩けるようにしてあげる、ということが多いけれど。たまには、キミのような手合いを相手するのも悪くない。
して。キミの願いを成就するにあたっては、どれだけのお金が必要なのかな?」
「タイレル4世金貨で、ざっと3000枚くらいですかね~?」
それを聞いて、クロイシャはくふ、と小さく笑った。
「……ひょっとして、灰髪の間ではそんな冗句が流行っているのかい? いや、今のは少し面白かった。前にもそんなコトを言う訪問者がいたけれど──おや? キミは、どうも本気のようだね」
クロイシャは、訪問者の灰の瞳を見る。
相手は、目を逸らさない。そこには真剣さと、いくばくの狂気をクロイシャに感じさせる。
──万雷の喝采か、さもなければ惨めな死か。その目は、クロイシャにそう訴えかける。
将来の成功者か、破綻者か、あるいは両方か。そういった手合いが、クロイシャは嫌いではなかった。
「なかなか、いい目をしているね。だが、金銭を貸し与えるには、担保が必要だ。これでボクも、慈善事業をしているというわけではないからね」
「要求は、なんですか~?」
「──キミの、人生の物語だ」
クロイシャは、誰を相手にしても、同じ担保を要求する。
それは、貧者でも富者でも、重みが変わらないためだ。
人間は生まれながらにして不平等であり、富は富豪を好む。この残酷な根本原理は、世界が巡ってなおも変わらない。
クロイシャは、それを知っている。
彼女にとって必要なのは、これまでの人生経験の豊かさではない。これまで生きてきた自分の人生を、どのように語るか──ひいては、どのように生きるかなのだ。
「キミは何を想い、何を憎み、何を愛するのか。どの色が好きで、どんな信念を持っているのか。このボクに、キミのすべてを見せてくれ」
「ぼくは口べただって、よく言われるんですよね~」
「構わないよ。口の上手さは求めていないんだ。それなら、資本を投下して世界中の吟遊詩人を集めている。ボクがそれをしないのは、虚飾のない物語を欲しているからなんだ。人生の物語に、娯楽性は必要じゃない。
そして。多くの人生の物語を聞いてきたボクから言わせれば、世の中には二通りの人間しかいないよ。『自分はコミュニケーションが下手だ』と思いこんでいる者と、『自分はコミュニケーションが上手だ』と錯覚できる者とだ。
後者の方が、幾ばくか世を渡るのには便利だが──ボクにとっては、どちらでも同じなんだ。キミの胸に、世界すらをも焦がそうという熱量があるのなら。ボクはタイレル4世金貨3000枚──国家予算と並ぶ額だろうと、支援することを躊躇わないよ。それでキミは。いったい、何を成そうというのかな」
「世界の救済のため。世界を創りし聖女キキと、その裏切り者ブーバによる、歪んだ世界を正すために、ぼくはいます」
「……へえ。それは──」
「──いま、キキの名を挙げたか! 人間ッ!!」
その時。
隣の部屋から大きな物音と、それをかき消すほどに大きな声がした。
クロイシャは、大きなため息を吐く。
「彼はボクの客であって、キミの出る幕はもうどこにもないんだけれど……。──ああ、すまない。少し席を外していいかな。身寄りがないから置いてやっている厄介な知人が、ボクの商売中に口を挟んでくるとは思わなかった」
クロイシャはそう言って、暗闇に溶けるように姿を消した。
隣の部屋から、言い争う声。
「……待たせたね。それじゃあ、キミの物語を聞こうか。紅茶にミルクは要るかな?」
「いえ~。おかまいなく~」
「そうか。──では、始めてくれたまえ」
「はい~。それでは~。ぼくはですね~。王都グラン・タイレルで生まれ──」
橙色の明かりに照らされた男の声を表情を語り口を、クロイシャは静かに観察する。
その紅き両の瞳は、煌々と好奇に輝いていた。
「……しかし、世界を救うため、か。ずっと昔、どこかの男に融資をした時を思い出すね。あれは結局、貸し倒れになって大赤字だったかな。
ああ……、今でも思い出せる。あの四本足の、銀に輝く錬金城。あれは、答えにたどり着けたのだろうか。《キキの魔法》の綻びを正す術を、ボクにも検討がつかない命題の解を、見つけ出すことができたのだろうか。それとも、数百年をただ無為に費やしたのだろうか。
……いや。いずれにせよ、彼らがまとめて壊してしまったか。ああ──なんとも無情だね、この世界は」
薄氷の上で踊るように、世界は営みを続ける。
来たる決定的な破局に抗おうと、もつれ、絡まり、蠢くは善意。
地獄への道とは、善意で舗装されているものなのだ。




