4:恋人たちの日
一応。
この世界ではバレンタインデーのことを恋人たちの日と呼称しています。
「ぐうっ」
あたしの腹が思い切り殴られそうになるのを、左腕で止める。
眼前には同級生の男の顔。
「どういうイカサマだ、落ちこぼれの癖に」
「……タネをあかす……手品師はいない」
右脚、太腿を蹴られる。崩れ落ちそうになったところ、顎を撃ち抜かれそうになり、左手で止める。骨が折れた感触。
吹き飛ばされて壁に背中を打ちつけ、地面に倒れる。
別の男に腹を蹴られ、昼食を吐瀉した。
女が汚ーいと叫び、けたけたと嘲笑う。
今は2/14の昼休み、魔術戦闘訓練五戦目の直前。
寮で昼食を取って授業に向かう途中で同級生の女2人に両脇を固められ、物陰に連れ込まれて、これだ。
5人か。そのうちの2人は魔術戦闘訓練で4連勝しているヤツら。あたしの魔術の方法を聞きだして勝つか、そもそも棄権させようって腹だろう。
「使い魔やっちまうか?」
「そうよ!蜘蛛なんて気持ち悪いもの!」
あー……それはマズいわね。
「ラーニョ、逃げて」
あたしが寝転びながら力無くラーニョを投げると、ラーニョは糸をたなびかせて風に乗り、高く高く舞い上がる。……良かった。
「なによ、逃げられてるじゃん」
「ちぇ、クソが」
脇腹に蹴り、肋骨から異音。
「がっ……」
ぜえぜえと荒い息をつく。息の度に胸に激痛が走る。
……授業まで、あと20分くらい……。
……………………………………━━
魔術戦闘訓練の授業の前、更衣室で魔術礼装に着替えて校庭に向かい廊下を歩く。
その時に僕の顔を何かが僅かに撫でたような感触、思わず手をやると、光を反射する微かな煌めき。蜘蛛の糸に引っかかったらしかった。
拳の下からは見えないような糸が伸び、その下には灰色っぽい色で2cm程の大きさの蜘蛛が。
……見覚えのある姿だ。
僕は逆の掌に蜘蛛を掬うと、目線の高さにやって見つめる。
「お前……ラーニョか?」
蜘蛛は前脚を擦り合わせて上げ、挨拶するような仕草をとった。
「やはりそうか。1匹で居るとは珍しいな。お前の主はどこへいった?」
蜘蛛はふいとかき消えるような軽さで、窓へと飛び移る。
そして、僕の掌に戻ると、もう一度窓へと飛び移る。
その動きには、単にこちらにいると言うだけではなく、なぜか必死に訴えかけるものを感じた。
「僕に来いと言ってるのか?」
ラーニョは前脚を上げては下げ、頷くような動作をとる。
「分かった」
僕は窓を乗り越え、飛び出して駆けていく。
近くに居た生徒たちがぎょっとした顔をするが構わない。
なぜか胸を焦がす焦燥感にかられ……、走って辿り着いた校舎裏には、数名の男女の姿、吐瀉物の臭い。
そして地面に倒れている女性。普段はちょっとぼさっとしている亜麻色の長い髪は大きく乱れている。やせ気味の身体にすらりと伸びた四肢は右の太腿を赤黒く染め、左腕はあらぬ方向を向いているように見えた。
制服は土と吐瀉物で汚れ、鞄の中身は地面にぶちまけられたように広がり、その中身は靴で踏みつけられていた。
彼女は顔をゆっくりともたげる。灰色の瞳が僕と合った。頬に擦り傷を作った彼女はやはりメリーであった。
怒りで視界が狭まる。
ラーニョが僕の肩からメリーの下へと跳んでいった。
「ラーニョ……連れて……来てくれたの。
……お前は、賢いね……」
メリーの口元が僅かに弧を描く。
「貴様らが、僕のメリーを、傷つけたのか?」
怒りのあまり、呼びだしてもいないスカーレットが具現化した。僕の背中から炎が翼の形に広がり、この空間を囲うような炎の壁を作る。
そこにいた女の一人が声をあげる。
「違うんです!エリオットさん!この女が」
「黙れ、何も違わない。
お前が踏みつけているその羽根ペンは僕が彼女に与えたものであり、彼女の後見人は我が父である」
彼女は慌てて足を退かす。
「彼女への暴行は、我が伯爵家への侮辱に他ならない。
貴様ら全員……決闘か、戦争か、死か。好きなものを選べ」
ゴミ共が青ざめる。
足元から声がした。
「エリオット……やめろ……」
「なぜだ、メリリース」
思わず冷たい声が出る。
「あたしの……次の決闘相手が……いなくなると困る」
「馬鹿な!その傷で戦うのか!?」
「当たり前だ。こいつら、あたしにどういう手妻だと聞いてきたんだ……。つまり、戦えば勝てるってことじゃないか」
彼女の魔力を感じる。メリーの小さな魔力。だがそれは彼女の内で静かに燃え、些かも減じていないように感じられた。
この暴行を受ける中、一切の魔力を防御に回さず……決闘で勝つために魔力を温存してるって言うのか。
怪我の様子を見る。これだけ傷だらけなのに右手と頭部への傷がない。魔術師の生命線である頭と、決闘の作法として杖を掲げる手だけは護っているのか。
……信じられない精神力と覚悟だ。
「おい、そこの女。彼女の荷物を拾って持ってこい。
全員、授業に行くぞ。逃げたらその場で殺す」
僕は炎の翼を仕舞い、メリーを抱き上げようとしたが、メリーが抱きかかえられて決闘に行く馬鹿がいるかと言うので、手を貸すにとどめる。
彼女の無事な右手を握り、痛めている右脚に体重があまりかからないように。
━━……………………………………
「……!ミス・スペンサー、その怪我はどうした?」
先生が尋ねてくる。
「後で……エリオットから説明を聞いて下さい。
気にせず決闘を。同郷人の決闘は後回しにされるでしょう?あたしの相手はその2人のどちらかな筈です」
先ほどまであたしを殴り、蹴っていた男たちを指差す。
「だが、その怪我では……」
あたしは言葉を遮る。
「先生、授業中……言っておられたでしょう」
あたしは腫れ上がった右足をひきずり、折れた左腕をラーニョの糸で固定してゆっくりと舞台の中央に向かう。
後ろでエリオットが続ける。
「授業で言っていた決闘の心得ですよ。決闘の妨害は恥ずべき事だが、あり得ることだと」
「つまり決闘の妨害があったと?」
「ええ、唾棄すべきことに。
わたしは彼らを殺そうとしたのですが……メリリースが止めたので、彼女の意志に従い、我慢して……」
あぁいけない。エリオットの声が遠くに聞こえる。
誰かがあたしの前に立った。顔も良く見えないが、右手だけは怪我しないように守ったので、杖を構える。
杖も折れているが関係ない、あたしの魔術は杖から放たれていないからな。
「我が……名はメリリース……スペンサー、使い魔……ラーニョを従え決闘に……臨む」
声を出すたびに肋骨が痛む。……だが魔術を練れないほどではない。
相手は杖を取り落としながらやっとの思いで構え、震える声で名乗りを上げた。
「始め!」
彼は先生の声が終わる前に襲い掛かってきたが、もう糸をかけてある。
つまり、こちらの方が圧倒的に速いのだ。
男は前のめりに顔から地面に倒れ、それで終わった。
「勝者、メリリース・スペンサー!」
これで……5勝。
あたしはその場で倒れ……るところをエリオットに抱きかかえられた。地面よりはマシだが、エリオットの身体に当たった箇所が痛み、ぐぅっ、と声が漏れる。
あたしの頰に冷たいものが当たるのを感じる。
「泣くなよ、……泣き虫エリオット」
「……いつの話だ。
保健室に連れていくから、1分だけ待ってろ」
あたしは意識を手放した。
熱波が何度か顔を炙ったのを感じた。
気付くと、白い天井を見上げて寝ていた。
目を開けるやいなや、視界に榛色の瞳が割り込んできて、口の長い水差しを差し出してきた。
大人しく水差しの端を咥えると冷たい水が少し流し込まれ、顔の脇に金属の皿が置かれた。
水をそこに吐き出す。何度か繰り返し、口の中がすっきりしてきたら、水を飲む。清涼なものが身体の中心を流れていく。
「あり……がと」
「痛みは?」
「……ない」
ここは保健室か。治癒魔術をかけて貰っていたのだろう。
痛みは無いが、患部に包帯など巻かれているか違和感がある。
日差しはだいぶ傾き、白いカーテンを橙色に染めている。
「……ラーニョは?」
「そこに」
エリオットが指差したサイドテーブルにはぐちゃぐちゃになったあたしの鞄が置かれ、そこに小さな蜘蛛が止まっていた。
蜘蛛はあたしと視線が合ったのに気付くと、ベッドの上に飛び移って枕元で前脚を上げた。
「ラーニョ、ありがとね……。
……エリオットも、助かった」
「ああ、無事で良かった」
「あいつらはどうした?殺してない?」
「うん、メリーがそれを望まなそうだったから。
顔を焼く程度にとどめたよ」
「……そう」
さっき爵位を出して話してたしね。まあ……それくらいは自業自得かな?どのみち、自主退学させられる位の騒ぎにはなっちゃうだろうしね。
「ところで、この小箱は僕のものと考えて良いのかな?」
エリオットが潰れた青い包装に赤いリボンの箱を掲げる。
ん、ああ。恋人たちの日の贈り物か。
「踏まれて、ひしゃげてしまったか……。
すまない、エリオット。作り直すよ」
エリオットは箱のリボンを解きながら言う。
「また作ってくれるのは嬉しいな。頼むよ。
でも僕は、今日メリーから貰いたいんだ」
エリオットは潰れて歪んだハートを手に取ると、ひょいと口に入れて顔を綻ばせた。
「美味しいよ。ありがとう」