第1話*何てことの無い、普通の日常(3)
「あ、起きたの」
目を開けると、そこには人間離れした美少女がいた──ではなく。
「たしか……サナ、さん?」
「そうなの。ここはわたしの住処の一室なの。急に意識を失ったから、ひとまずここに連れて来たの」
そうだ、サナだ。
彼女の説明を聞く限り、私はあの後眠ってしまったらしい。体の痛みがいつの間にか消えているのが不思議だ。
周りを興味深く見回していると、洞窟を改造して住んでいると説明を受けた。たしかによく見ると、部屋が石壁や丸い天井で囲まれているのが分かった。センスの良いタペストリーが何枚も飾られていて、どこか民族的な印象がある。街の高級宿にも似ているが、サナの《《住居》》と言われると何だか変な感じがする。
「そういえば、あなたはあの街で見ない顔のようだけど……どこから来たの?」
「あー……グリフレート街、創造神グリフィスの大聖堂がある街です。ある人を探していて、今は旅をしてるんです」
グリフレート街。今となっては懐かしい故郷の名だ。
都心部から少し外れてはいるが、他方から多くの参拝者がやって来るため、活気に溢れた街だった。名前を言えば大体は「ああ、あそこね」と反応が返ってくるのだが、サナの場合は少し違った。
「グリフレート街……やっぱりなの。ところでマイリア、ここの管理神の名前は分かるの?」
「え? 女神カデラじゃないの?」
予想外の質問に思わず敬語が外れる。人間界の管理神、その名は女神カデラ。グリフィス神とはまた違った存在で、聖堂で誰もが最初に知る神の名前だ。しかし何故急にその話になるのだろうか。
『《《異界》》の管理神エルバードは──』
いや違う、何か変だ。ここが人間界だとしたら、あの男が生み出した光景は何なんだ。そして目の前のサナだって、あの炎を打ち消すという不思議な力を使って助けてくれた。それはまさに、絵本や聖堂の教科書で見た《《能力者》》かのように。
────まさか。
「ここの管理神はエルバード、つまりここは異界なの。マイリア、どうやらあなたは人間界の隠れ能力者だったようなの」
「……そう、なんだ」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かがストンと落ちた。やはりと言うか、異界が慣れ親しんだ人間界ではなかったのだ。
それに、僅かだが可能性を感じた。どんなに探しても手掛かりがない、たったひとり家族。信じられないかもしれないけど、その人は異界にいるんじゃないかって。右も左も分からないこの世界に迷い込んだことは、むしろ好都合だったかもしれない。
「あまり驚かないの。少し意外なの」
「うーん、サナと会った時点で薄々感じてたのかも。ところで、この写真を見てくれる?」
「これは?」
「私の幼い頃の写真らしいよ。となりの茶髪の子が、私が探してる家族」
「なるほどなの。……ところでマイリア、らしいと言うのは?」
「私ね、幼い頃の記憶がないんだ。それで、何か知ってることはある?」
写真に目を通したサナは軽く目を閉じ、考え込む姿勢をとった。せめて今までとは違った意見が出てくることを祈るばかりだ。
「…………この子、見覚えがある気がするの」
「ほ、本当っ!?」
「まだ確証はないの。それに人間が異界に迷い込むなんて、本来はあり得ないことなの。それこそ《《能力》》を持ってない限り……。だからマイリア、少し落ち着くの」
「ご、ごめん……」
身を乗り出していたことに気付き、体制を整える。そして深呼吸。スゥー、ハァー……よし。
「それで、能力って?」
「分かりやすく言うと、能力とは異界の人が必ず持っている不思議な力のことを指すの。能力の種類は千差万別だけど、基本的には火・水・風・地・光・闇やその派生タイプがほとんどなの」
曰く、異界の管理神エルバードは能力を持たない人間を嫌い、異界に入れないようにしているだとか。しかし稀に人間界で生まれる能力者については、異界に入ることが可能らしい。それが私や例の子という訳だ。
「マイリアの家族かは分からないけど、人間界からやって来た子をひとり知っているの。名前は……ナユリス。彼女は数年間、わたしの元で能力の特訓をして異界で生きていく術を身に付けたの。今は楽師として異界で生活しているの」
ナユリス。そんな名前は聞いたことがない。残念ながら私の家族ではないらしい。でも人間界からやって来たのなら、何か情報を持っているかもしれない。
「……その人、どんな人だった?」
「確か──」
「なになにー! ナユの話してんの!? リンも交ぜてあ痛っ」
バン、と音を立ててドアが開いたかと思うと、あまりの勢いのよさにドアは跳ね返り、何かにぶつかる音が聞こえた。
「リンノ! 話終わるまで入るなってサナ言うてたやろ!」
「あれー、そうだっけ? ナユの話が聞こえたからつい!」
「ついちゃうわ! お客はんが引いてまうやろ」
闖入者の正体は、リンノというとても小さな少女だった。額をドアにぶつけたようで、右手でさすっている。次いで独特な口調の少女が入ってくる。サナは特に表情を変えずに「リンノとカエノなの」と2人を紹介してくれた。
2人の容姿は独特なものだった。民族的な意味もあるのか、女性神職者の装いを纏い、“ゲタ”なるものを履いている。そして1番の特徴は、それぞれ猫のような犬のような獣耳が生えている。……か、かわいい。
「まあまあ、なの。そろそろ呼ぼうと思ってたから問題ないの。この子はマイリア。2人共、自己紹介するの」
「はいはーい! リンの名前はリンノ! それでこっちはカエノ!」
「ワイらはサナの《《使い魔》》ちゅう立場やが、気にせんで仲ようしようや、マイリアはん」
「……って、使い魔?」
これ以上は話が脱線してしまうからと、簡潔に説明された。
サナは能力者の中でも高い立場で、使い魔を使役する権限を持っている。それで妖怪種であるリンノとカエノを使い魔とし、共に暮らしているそうだ。
ちなみに妖怪とは、異界が作られた際の時空の歪みによって作られた存在らしい。人間の空想上のみだった存在が、異界の出現により具現化されたとのことだ。
今は2人の意向で人型をとっているが、本来の姿はもっと威厳がある……らしい。
「さあ、紹介終わったよ! 早くナユの話しようよ!」
リンノの耳がピョコンと楽しそうに揺れる。見ていてとても癒される。
「ええと……リンノはナユリスって子と仲が良かったの?」
「もっちろん! ナユってばね、初めて会った時はリンより小さかったくせにさあ、すっごい生意気だったの!」
このくらい、とリンノが自分の肩辺りを指差す。その身長から察する限り、ナユリスという少女はかなり幼い頃に異界に来たと考えられる。
「それは仕方ないことなの。幼子がたった1人でここまで来たもの、警戒するのは当たり前なの」
「あー、よう分かるわ。それにお前のストッパーが増えて正直助かってたんや」
「それは同感なの」
「はれれ!?」
おっかしいなぁ、とリンノがぼやく。
以降の会話を聞く限り、ナユリスは能力の出現により人間界から離れ、その代わり異界の空気に馴染んでそのまま異界に留まっているようだ。
人間界では、能力者の存在はあまり良く思われていない。近年ではほぼ確認されていなかったが、それは彼らが能力のことを隠していたからだろう。
「ねえサナ、その子が異界に来たのは本当に幼い頃だったんだよね。何ていうか、その……ずっと洞窟にいることは出来なかったの?」
「異界に留まり、洞窟を出ることを選択したのはナユリス自身なの。それはあの子が決めた第二の人生だから」
「……そうなんだ」
たしかにサナの言う通りだ。彼女には彼女なりの理由があったのかもしれない。
「ちなみにこれは、マイリアにも言えることなの。あなたはこの先どうしたいか聞きたいの」
この先。それは人間界に戻るか、異界で旅を続けるか、という意味も含まれているだろう。
異界へ足を踏み入れたということは、私が能力を持っていることを証明している。そもそも人間界に戻る方法は分からないし、戻ったとして万が一バレたら大変なことになる。かといって異界に留まるには、知識が足りず危険だ。だが『家族の情報』が手に入った。そして私は旅人で、目的があれば何処へでも行くことが出来る身だ。
──なら、答えはひとつだろう。
「……私、その子に会いたい」
リィン、と不思議な音がどこかで鳴った。
音の出所はタペストリーにぶら下がった小さな鈴だった。細かく揺れながら、鈴たちは余韻を鼓膜に残していく。
「ええ、マイリアならそう言うと思ったの」
予想通り、と言わんばかりに頷くサナ。
「ただしなの、マイリア。ナユリスに会うよりも、まず異界へに慣れることが必要なの。少なくとも、他の能力者に攻撃された時に対処出来るように能力を鍛えるの」
「ああ、さっきの能力者みたいな人ね……」
「本来は無秩序な能力者は滅多にいないはずなの。それでも持つものは最大限利用出来た方が良いの。異界に来たばかりのマイリアには、知識が圧倒的に足りないの。それをわたし達が教えるの」
「いいの?」
もっちろん! とリンノとカエノが答える。よく見ると、2人の顔の眉辺りに赤いペイントがされているのが分かった。エスニックなものを感じる。
「だってリン、ナユだって育てたんだからね!」
「お前……あいつのオカンちゃうやろ」
「言葉のアヤですうー! それにナユの能力育成にひと役買ったのはリン達じゃん!」
「それならわたしはナユリスのママなの」
「サナまで変なこと言わんといて!? 今じゃあいつと見た目年齢そんな変わらんやろ!?」
「……ふふっ」
他愛もない会話を続ける3人を横目に思わず笑いが溢れる。この人達は、きっといい人だ。
右も左も分からないようなこの世界でも、意思を持つ者は根本的なところは変わらない。それに気付いた私は、心の底から安心感を覚えた。
「……私、決めた。この洞窟で生きるための知識を身に付けるよ。そしていつか絶対、私の家族を見つけてみせるよ」
夕飯までゆっくり休むように言われて3人が出ていく。部屋は私ひとりだ。
ボフッ、と音が聞こえる勢いでベッドに倒れ込む。何だか疲れた。肌触りの良いシーツがとても心地よい。
今日はたくさんのことが起こった。泥棒犯から荷物を奪い返し、その犯人に殺されそうになり、美少女に助けられ、いつの間にか異界に迷い込んでいたことを告げられ、そして家族の手がかりを見付けた。およそ1か月程の経験をした気がする。
「ユーリア……」
……いや、気を抜くな私。この名前を口に出してはいけない。いつだってそう言い聞かせていたはずだ。
ふうっと大きく息をつき、胸元のペンダントを取り出した。半透明の小さな球体の中で揺蕩う蒼い石は、普段は何の音もしないくせに、指で弾くとリィンと綺麗な音がする。──その音は、まさに数分前に聞こえた鈴の音にそっくりで。
「……まさかね」
目を閉じる。意識が沈んでいく。
────リィンッ────