エピローグ
壁も床も天井も。その全てが黒に統一され、白のラインが無数に走る部屋の中で彼女は目を覚ました。
「……ここ、どこ? ユキ?」
ぼんやりとした思考でシオンは無意識は彼の名をつぶやいた。
だけど彼からの返事はない。
知らない部屋に一人。そんな状況を理解した彼女は、今の状況を確認しようと、上体を起こして周囲を確認した。
「ベット? 大っきい……」
どうやら自分はキングサイズと呼ばれるであろう巨大なベットの上で眠っていたらしい。
一つ状況を把握出来たおかげで、少しずつ思考がクリアになっていった。
(……そうだ私、ドクロって人に拘束されて、それで……)
拉致されてここにいるという状況を思い出したが、ふと気になった事があった。
「なんで拘束されてないんだろ」
特に鎖や手錠で動きを阻害されているわかじゃない。
それだけならばまだしも、手首にはちゃんと両手首とも操具があった。
「拉致したのに拘束もしないで、武器も奪わない。何考えるの?」
「その問いについてはボクが答えてあげよう」
「——っ!」
突然聞こえた声に驚きを露わにするシオン。
誰かの気配なんて何も感じなかったというのに、気が付けばベットの隣にある椅子の上に、一人の少女が座って足を組んでるいた。
「おっと、その前に自己紹介が必要だね。ボクの名前は結月クキ。[黒天院]所属[数字持ち]の一人だよ」
長い髪を三つ編みにし先端を輪っかでまとめ、それを肩にかけるようにして豊かな胸に垂らしている少女。
全体的に黒に染まったこの部屋の中では目立つであろう白を基調にしたワンピースを着ていた。
「[黒天院]! て事はユキの敵だ!」
ユキの大切な人を皆殺しにしたノースと同じコートを纏い、ノースの事を知っていて襲って来たミサやドクロと同じ組織に所属しているクキを前に、シオンはその力を行使した。
「【雪月花・月】!」
手を前に突き出し、クキが座る椅子ごと氷の球体で閉じ込めるシオン。
あんなにも強かったミサたちの仲間だ。これで死ぬという事はないはずだ。
中を観察して弱ったのがわかれば[月]を解除し[花]で拘束しよう。
「おっと、いきなり危ない事をするんだね」
そんな声がすぐ隣から聞こえてハッとした。
横を向けばそこには隣で足を伸ばしてベットの上にいるクキの姿。
「とりあえず君の力を封じていない理由はわかっただろう? 不意打ち尚且つ今の速度でもボクには通じない。君のそれはボクにとって脅威になり得ない。ならばわざわざ取り上げて警戒心を上げる必要はないからね」
「そんな事言われても警戒心は最初からマックスだよ!」
慌てて立つのと同時に跳んでベットから出るシオン。今度は避けられないように更に大きな[月]を発動しようと、両腕をベットに向けた瞬間、背後から肩に手を置かれた。
「そう無駄な事をするものではないよ。いくら君の心力が強く膨大とはいえ無限ではないのだから。酷使は心をすり減らし要らぬ激情に浸される事になってしまうのだから」
「なんでっ」
背後から肩に手を置いたのはクキだった。
慌てて視線をベットに戻すと、そこには彼女の姿はなかった。
今背後にいるのだからそこにいないのは突然だけど、背後から肩に手を置かれた時には確かにそこにいたはずなのだ。
置かれた手の感覚はさっきから変わっていない。何かの術で手だと錯覚させたというのは無い。
「幻術使い?」
「さあ? それはどうだろうね。いやその通りの言うべきなのかな。ボク幻操師の意味合いは幻を操る者だ。きっと世界が違ければ幻術師などと呼ばれていたかもしれないからね」
そう言って笑みを浮かべるクキ。
完全に敵対心を感じさせないその笑みに、シオンはただただ困惑した。
「おっと、どうやら混乱させてしまっているみたいだね。まずは理解とまではいかなくとも把握して欲しい事なのだが、ボクは今君に危害を加えるつもりはないよ」
「ふざけないでよ!」
そんな事をほざいたクキに、シオンは怒りを露わにして叫んだ。
「ユキたちにあんな酷い事したあなたたちがどの口でそんな事言うの!」
「なるほど。確かに君が怒るのは当然の事だね。ボクたちは君たちが幻柱と呼ぶ物を使い、君が先ほどから良く口にしているユキとやらの第二の故郷である佐倉院を侵略したのだからね。しかしそれは仕方がない事なのだよ。しなくてはならない理由があったのだ」
「……理由?」
神妙な顔をしてそんな事を言うクキに思わず首を傾けて呟くシオン。
そんな彼女に向かって、クキは笑みを浮かべて言う。
「ボクたちは才能を認めない」
「……え?」
「世の中には才能と呼ばれる物があるよね。だけど才能と呼ばれる物はその大半が全く別のものだと思っているんだよ」
「……努力って事?」
シオンの答えに対して笑みを深めるクキ。
あまりにも深い笑みに、もはやそれはニコーではなく、ニタァーと黒さを醸し出していた。
そんな笑みから発せられる言葉は勿論。
「そんな無意味なものの訳がないだろう?」
嘲笑の意を込められていたそれから出るのは否定。そして拒絶でもあった。
「確かに個人の資質たる才能というものは存在しているだろう。しかし世の中で才能があるとされている者たちはそれだけではない。必ずと言って良いほどに運命の誰かと出会っている。例えば学校の先生であったり、偶然道ですれ違った権力者。それは偶然ではなくおそらくは必然と呼ばれるものなのだろう。運命というものなのだろう。つまり才能というのは個人の資質だけでなく、運命に導かれる必要があるのだ。エリートと呼ばれるものは良い環境があるからこそ生まれる。土台を用意されているからこそその才能を才能として発揮する事が出来るのだ」
何かを発明した偉大な研究者だとしても、研究するための資金を提供してくれる者がいなければ不可能だ。
もしも必然に導かれりんごが落ちる姿を見なければ、おそらくは違う誰かが万有引力の法則を見つけていた事だろう。
個人の資質だけじゃない。外部の何か。その二つが揃ってこその才能だと思っている、少なくとも彼女の中ではそうなのだろう。
「それが世間で才能と呼ばれているものだ。そんなもの才能だとボクたちは認めない。真なる才能というものに外部の事情など関わる事などない。真の天才はどんな状況の中にいたとしても自らの力のみで生き残り、勝ち進み、成長するのだ」
「……なんで……なんでそれが理由になるの!」
今クキが言っているのは彼女たちの行動の根本にある理由についてだ。
現在才能と呼ばれているものを認めない。それはわかった。わかったけれど、その事がどうして繋がるのかシオンにはわからなかった。何も、わからなかった。
「才能を認めない。その考え方はわかったよ。理解とか受け入れるとかは言わない。そういう考えなんだなって事はわかった。でもどうしてユキの仲間を……佐倉院のみんなを殺したの。才能を否定するって理由で、どうしてそんな事をしたの!」
「それは佐倉院が才能に満ちた者の集まりだったからだ」
涙を流しつつ、心の痛みと怒り、そして何より悲しみに染まった顔をして叫ぶシオンに対して、クキは表情をまったく動かず事なく、ただ淡々とした口調で返した。
「佐倉院は元々資質ある者たちを集めた施設なのだよ。個人の資質という点でいえば皆が合格者だ。だからこそノース君に戦力を提供したのだ」
「……どうして……どうして!」
「真の才能あるものならば外部の事情によって変化する事はない。それはつまり死ぬ事もないという事なのだよ。しかし結果として佐倉院は全滅したと聞いている。それはつまり佐倉院に群れていた者たちは所詮本物ではなかったという事だ。……しかし」
ずっと淡々とした口調で、ただただ事実を述べているだけだったクキは、ニタァーと突然笑みを深めた。
「たった一人だが想定外の人物がいたみたいだね。佐倉ユキト君……今はユキ君と名乗っているらしいね」
「——っ」
ユキについて色々と知られている。その事実だけでシオンは恐怖を覚えていた。
そんな彼女の様子に、クキは面白そうに小さく笑った。
「ふふっ。そんな顔をする必要はないよ。ただボクはユキ君に興味が湧いただけだよ。男の身でありながら特異な力を……いや、特異点となったユキ君という少年にね」
「特異点?」
「おっと済まない。意味深な物言いをしてしまうのは昔からの癖でね。特にこれと言って意味はないよ。それよりも今回は興味深い報告を聞いていてね。君の意見を是非聞きたいと思って招待したんだ」
「意見? 何の話!」
「ふふっ、そんな簡単に感情を解放するものじゃない。それではここぞという時に心が足りなくなってしまうものだよ」
クキはそういうなり歩き出すと、部屋の端にあるソファーへと腰を下ろし、反対側に手を向けた。
まるで君と座れと言っているようなその仕草に、シオンが感じるのはただの怒りだった。
「長く立ち話をさせるのも失礼と思ったのだが、まあ良い。君が立っていたいと言うのであればボクは何も強制する事はないよ」
そう言って二つのソファーの間にあるテーブルの上にセットされたティーポットを使い、紅茶を淹れ始めるクキ。
「一応君の分も淹れておくけれど、飲みたくないと言うのならばそれもまた強制はしない」
そう言って二つのカップに紅茶を注ぎ、ミルクや砂糖などを入れる事なく口にするクキ。
「うん、我ながら良い腕だね。では閑話休題とし、本題に入ろうではないか。佐倉シオン君」
「……わかった」
今のクキからは本当に危害を加えようとする気持ちが見えない。
そもそも一度拘束された時点で優位性は明らかなのだ。
それに理由はわからないけれど、こちらの攻撃は通じない。
言われた通りにするのは癪だけど、それなら今は怒りを封じ込めて話をする。少しでも情報を得るべきだ。
だって、絶対に彼は助けて来てくれるから。その時に少しでも多くの物を渡せるようにしておかないと。
「ふふっ。少しは落ち着いてくれたという事かい?」
「いいから早く話してよ」
クキが座る反対側のソファーに腰を下ろしたシオンを見て、頬端を上げた彼女に対してシオンは冷たく声で返した。
「ふふっ。聞くだけで凍らされてしまいそうな程に冷たい声だね。そんな声では自身の喉すらも冷やしてしまうだろ。是非淹れたての紅茶で温まって欲しいものだね」
「さっき閑話休題って言ったのそっちだよ。これ以上脱線しないでよ」
「ふふっ。これはまた手厳しい。君とこうして話しているだけでもボクにとっては有意義な時間なのだが、確かにこれ以上限られた君の時間を浪費するのは失礼だね。では今度こそ本題と行こうか」
そう言って持っていたティーカップを置き、あらかじめ用意されていたテーブルナプキンで口を拭くクキ。
「本題とはズバリ、他の皆は死んでしまっているというのにただ一人生き残った佐倉ユキ君についてだよ」
「——っ」
思わず叫びそうになったのをシオンはギリギリで抑え込んでいた。
ここで叫べばまた話が脱線してしまう。
今少しでも情報が欲しいのだ。個人の激情は我慢、我慢、我慢!
「ノース君から聞いた話だと確かにユキ君の心臓を貫いた。そう聞いていたのだがね。しかし現実で彼は生きている。それだけでも興味深いものがあるのだが、それ以上に彼には不可解な事が多い」
「……どういう事」
「通常ボクたち幻操師が発する幻力には個性がある。指紋のように一人一人微妙に違っているのが普通だ。そしてそれは一人に付き一つの形なのだよ。だというのに、彼は力を発するたびにそれが変わる」
「変わる?」
「指紋と違って正確に記録する事は出来ないのだが、彼の場合は発するたびにまるで別人のように変わっているのだよ。いやはや、本当に彼は興味深い」
「別人……」
別人のように変わるユキの幻力。
それを聞いてシオンは一つの可能性に気が付いていた。
(もしかしてユキの[偽物部隊]って個々で持ってる幻力の性質が違うって事?)
言われてみればそれは当然の事だ。
彼女たちは個々によって司っている属性が違う。扱う属性が違うならそのエネルギー源である幻力が内包している属性も違う。それはつまり別人のような幻力関係にあるという事だ。
「そしてもう一つ。何処かに所属する度に自身を残して他が全滅してしまうという[死神]の名に相応しい運命だ」
「……え? 何それ……」
言っている事は佐倉院の皆がユキ以外全滅してしまった話の事のように思えるが、しかし少し違うニュアンスが込められていた。
「度ってどういう事!」
度という事は複数形なのだ。つまり、ユキは過去にも仲間を皆殺しにされているという事になる。そんな話、シオンはされた事がない。
というよりも、本人からそんな過去の痛みを感じられないのだ。
だけどここでクキが嘘を付く必要はない。
今目の前で何かを納得しているような顔を見せるクキが、そんな嘘を付く理由もないのだ。
「ふふっ、君は何も教えて貰ってないという事だね」
「ち、違うもん! ユキにそんな過去がある影なんてないもん」
「きっと彼自身忘れてしまっているのだろうね。当然だ覚えていたいはずもない。自身がいるだけで他の者たちは皆何かしらの理由によって皆殺しにされてしまう。時にはノース君の手によって失い、時には事故により失い、時には隠蔽のために失う。彼は本当に興味深い、その過去は中々に悲惨なものだ。それ故に今の彼は素質以上の力を身に付け、行使しているのだろうね。不幸をバネに強くなる。しかし彼はそれを忘れてしまっている。ふふっ、ならば彼が思い出した時、過去の不幸は更なるバネとなって彼に力を与えるかもしれないね。ふふっ、ふふふっ楽しみだ。本当に興味深いものだ」
不幸をバネに強くなる。
確かに人は辛い事を経験した後、それを乗り越える事によって強い心を得る事になる。
幻操師は心が強くなればそこから発せられる幻力の質があがり、結果強くなるだろう。
だけど、そのためにわざわざ不幸になりたいだなんて思わない。それを幸運だとは思えない。
「なんで笑ってるの。他人の不幸がそんなに嬉しい?」
「不幸と幸運は紙一重なんだよシオン君。今のところ彼は外部の影響によってその物語を終える事がない。それはつまり、ボクたちの考える本物に最も近いという事だ。とはいえまだまだ未熟なのも事実、ならばボクたちがきっかけになってあげよう。彼ならば死ぬ事はないと信じているよ。……まあ、その周りにいる者たちの身に何が起きるかはわからないけれどね」
「——っお前はまたユキに酷い事するつもりなのか!」
もう我慢の限界だ。
立ち上がり、その声に怒気を乗せて叫ぶシオン。
「そのつもりだよシオン君。彼が本物であると証明出来るまでボクたちは何度だって君たちに不幸を振り向いてあげるよ。何度だって外部からの干渉となってあげよう。今回の一件でボクたちは佐倉ユキ君に可能性を見た。彼を正式に実験体として、今後狙うとしよう」
「そんな事させない!」
ピンポイントで攻撃しようとしても避けられる。
広範囲を狙ったとしても、気が付けば後ろに回られている。
だっら広範囲ではなく。全範囲を狙えば良いだけだ。
「【雪月花・月】」
部屋の全てを自分ごと[月]の力で封印しようと力を発するシオン。
自分の力ならば自分にダメージを与える事がないだなんて、そんな幻理は存在していないものの、それでも常に氷鱗によって守られているため問題はない。
時間で解除されるように仕掛けつつ、発動しようとした。
——そう、しようとしたのだ。
「ウチと一緒にお昼寝しよー」
「誰っ!?」
突然後ろから誰かに抱き締められるのと同時にそんな声が聞こえた。
最後にシオンが見たのは、ウェーブのかかった長い髪。可愛らしい顔をした小さな少女だった。
「何、これ……急に…………ねむ……)
途中からは言葉にすらなっていない。
新たな少女の腕の中で安らか寝顔を披露するシオンを見て、クキは満足そうな笑みを浮かべた。
「お疲れ様だねシオン君」
「別にウチ疲れた事してないよー。だからお疲れ様は大丈夫だよー」
クキからシオンと呼ばれた小さな少女は、抱き締めそして眠らせた己と同じ名前の少女をソファーに寝かせると、まるで家族に甘える子供のように、無邪気にクキの腰に腕を回していた。
「ふふっ。相変わらず君は甘えん坊だね、シオン君」
「むにゅーん。ずーっと同じ名前呼ばれる中待機してたから、変な感じだよー」
いくら能力でその存在を隠蔽されていたとしても、声を出してしまえば意味はない。
クキに名前を呼ばれるだけで嬉しくなってしまうような、正真正銘の子供であるシオンにとって、隠れているのは中々に大変だったみたいだ。
「ふふっ。最後の仕事を終えた後はゆっくりと甘えさせてあげよう。良い子だからそれまで我慢出来るね?」
「出来るー。ウチ良い子だもん!」
無邪気な笑顔を見せる彼女に、クキは母性に溢れた笑みを浮かべていた。
(さあ、君の物語を加速させようじゃないか。佐倉ユキ君)
甘えるシオンの頭を撫でつつ、クキは心の中でそんな笑みを浮かべていた。
その背後に真っ黒な影を伸ばしながら。嗤っていた。
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ご連絡大変お待たせ致しました。
申し訳ございませんが、私情により第三章をいつ更新出来るかわからない状態になってしまいました。
そのためこれで打ち切りとさせていただきます。
七割ほどは書き終わっているのですが、残りを書き切る事が難しくなってしまいましたので、誠に申し訳ございません。
ここまで読んでくださり、応援して頂き、誠にありがとうございました。




