エピローグ(2)
「……ん」
目が覚めた。
それは二つの意味があるのだけど、それを誰かに伝える必要はない。
視界に映るのは白い天井。少し視線をズラせば白い壁と白いカーテンが見える。
そんなカーテンの向こうに見えるのは青い空だった。
「……ユキ?」
窓とは反対側からそんな声が聞こえた。揺らいでいて、今にも消えてしまいそうな声だった。
ゆっくりと頭を動かし、声の主へと目を向けると、そこにはたくさんの涙を浮かべたシオンの姿が見えた。
「……おはようシオン」
「ユキ……ユキっ!」
最初は涙を流しつつ、混乱しているのか呆然としていた彼女だけど、ふと目覚めるように飛び跳ね、横になったままのユキへと抱き着いた。
「シオン……ちょっと痛い」
「ユキっユキっユキィー!」
(聞こえてないか)
声にするのは無粋だと思って考えるだけにした。
でも、そっか。こんなにも心配してくれていたってことはだよね。そういう事なんだよね。
シオンはシオンとして、こんなにも大切に思ってくれているって事なんだよね。
「なあシオン」
「ぐすん……なぁに?」
泣き叫んで少し落ち着いたのか、やっと声が届いた。そっと涙を指で取りながらユキは微笑む。
「ごめんな」
「……ふえ?」
目を丸くしているシオン。何に関してなのか言わないままいきなり謝罪されたんだ、当然の反応だろう。
「ごめんな」
「……ユキ?」
ユキは首を傾げさせているシオンの頭に腕を回すと、そのまま彼女の抱き締めた。
ここに彼女がいる事を確かめるように、強く、強く。
「ユキィー苦しいよぉー」
「あっ悪い。ついな」
謝りつつシオンを解放したユキは、笑みを浮かべながらいつもするように彼女の頭を撫でていた。
目を細めて気持ち良さそうにしているシオンは、やがて「あれ?」と呟きながら首を傾げていた。
「どうした?」
「なんだか今日のナデナデはいつもと違うなーって」
「……そうか?」
「うん。なんかね……んー、うまく言葉に出来ないけど、ちょっぴり違う。でも……うんっ、なんだろう嬉しいな」
そう言って笑みを浮かべ、ユキに胸に頭を押し付けるシオン。そんな彼女の頭をユキは撫で続けていた。
「なあシオン。ちょっと頼みがあるんだけど良いか?」
「ユキが私に頼み!? 珍しいねっ!」
普通頼み事をされても喜ばないと思うのだが、押し付けていた頭を上げ、満面の笑みを見せるシオンにユキは苦笑した。
「むぅー。そんな顔しないでよー。ユキってば私に頼み事なんて滅多にしないんだもん」
「それは……まあそうだな。悪い」
「誤る事じゃないよー。それで何ー?」
「ちょっとそこに立って自己紹介してくれないか?」
「ふえっ!? まさかの記憶喪失!?」
今にも泣き出しそうな顔になったシオンにユキは「そうじゃないって」と苦笑した。
「むぅー。それならどうして?」
「まあ、それは置いといてさ……よろしく」
「んー。ユキのおねだりなんてレアだもんね! いいよっ!」
まるでウサギのようにピョンっと効果音が付きそうな勢いで飛び跳ね、ベッドから少し離れた所に着地するシオン。
これからファッションショーでも始めるのではないかという勢いでクルリと回り、ピシッとポーズを決めていた。
「私の名前はシオンです!」
「もう一回」
「シオンちゃんだよっ!」
「もう一度」
「私は佐倉シオンっ、佐倉ユキの事が大好きな女の子です!」
繰り返し同じ事をさせるユキに質問する事なく、何度も名乗ってくれるシオン。
そんな彼女の名前を聞く度に、ユキはその目に涙を蓄えていた。
「ありがとうシオン。俺も大好きだよ」
「うんっ!」
笑みを浮かべるユキの瞳から、一筋の涙が流れていた。
だけどその顔はスッキリとしていて、二人の顔は幸福に満ち溢れていた。
☆ ★
結局ユキは一週間も眠り続けていたらしい。
そんな彼の隣に在り続けたシオンは、この一週間一度も眠ってはいなかった。
「……それにしては元気ね」
「えへっ、元気が取り柄だからね!」
元気いっぱいな顔をしているシオンに向かって、会長は呆れ顔を浮かべていた。
「一週間も飲まず食わずの眠らずでしょ? もはやそういうレベルじゃないと思うのだけど……」
「まあまあ会長。そんな些細な事はどうでも良いではありませんか。ユキさん無事に目覚めてくれてよかったです。生十会一同心から心配していたんですよ?」
会長を宥めた後、ユキに目を向けてそう言う六花。彼女の言葉に同意するように桜や琴音もまた笑顔で頷いていた。
「……そんなドストレートに言われると思ってなかったから照れるんだけど」
「……あら?」
自分ではわからないけれど、きっと赤くなっているだろうなと思いつつ本音を漏らすユキを見て、会長は首を傾げて疑問符を浮かべていた。
「会長、どうかしましたか?」
「いえ気のせいかもしれないけど、随分と表情が柔らかくなったなと思ったのよ」
「何を言っているんですか? ユキさんは元々表情豊かでしたよ?」
「それはそうなんだけど、なんというか今までは壁を感じたというか……」
会長の疑問を聞いてユキと、そして彼の変化に誰よりも先に気が付いていたシオンもまた、心の中で密かに驚いていた。
(これも人の上に立つ始神家の資質って奴なのかもしれないな)
人の上に立つ者は人を良く見る事が出来ると言うものだ。会長は既にそのレベルに至りつつあるって事なのかもしれない。
「なあ会長、それにみんな……」
「……どうしたのよ」
突然真剣な顔になって皆の顔を順番に見たユキは、見回し終えるのと大きく息を吸い、そして頭を下げた。
「黙っててすみませんでした!」
ユキの行動に皆が驚いた表情を浮かべるものの、それは一瞬だけですぐに納得顔へと変わっていた。
「顔を上げなさい。ユキ……」
「……会長、俺は——」
「その話なら委員長から少し聞いたわ」
「え?」
驚愕の表情を浮かべているユキの顔を真っ直ぐ見詰める会長に、彼はハッとすると小さく口を開いた。
「あんたが眠っている間にあんたの事をどうか許して欲しいって頭を下げたわ」
「……あのジトメが?」
妙にプライドが高いのがジトメって少女だ。見栄っ張りで素直になれない。そんな彼女が頭を下げた? ユキが受けた衝撃は大きかった。
「そうよ。でも全てを聞いたわけじゃないわ。過去に大きな事があってそのために許されないような事をしようとしていた。そう聞いているわ。ねえユキ、あんたが嫌じゃなければ教えてくれないかしら? あんたの過去に何があったのか」
強制ではないと安心させるためなのだろうか、優しい笑みを浮かべながら問う会長に、ユキは迷っていた。
そんな彼の動揺を察したのか、シオンは静かにユキの服を摘んだ。
「……シオン?」
「ねえユキ……私、席外そうか?」
彼女の言葉にユキは目を見開いた。だけどすぐに柔らかい笑みを浮かべると、瞳を揺らしているシオンの頭に手を置いた。
「……いや、シオンも聞いてくれ。これはお前の過去でもあるからな」
「……ん」
シオンは自身の過去を知らない。恭介には話しているが、シオンにはここ一年と少しの記憶しかない。
思い出の場所を巡ってみたりしたけどだめだった。だけど、この手は試した事がなかった。
過去の話。佐倉院で何があったのか。
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