追跡
ケンジは雑踏を走りながら、時々、振り返って追跡者を見た。
若いケンジを追うのは、中年男の刑事・吉沢だ。
吉沢は、フットワークと絶妙な体のひねりを駆使して、街を歩く人々の僅かな隙間を通り抜けていた。
先を行くケンジは、サラリーマンやスマートフォンをいじる女子高生や、おばあさんなど、平気な顔で、ぶつかっていく。
ぶつかられた方は、ケンジが見えていないし、感じもしない。何者も通り抜けて走るケンジは、幽霊だった。
「あんたに霊感あるなんて、びっくりだけどさぁ」
スピードを落としたり速めたりして、ケンジは吉沢をからかっていたが、そろそろ厭きてきた。
ケンジはニヤニヤと笑って、裏路地に駆けこんだ。捕まらないという絶対の自信から、わざとビルに挟まれた袋小路に入って、吉沢と対峙した。
「オレが、もう生きてねーって、わかってんだろ?」
ケンジと向かい合った吉沢は、彼の言葉に驚くこともなく怖がることもなく、淡々と返した。
「ああ。一か月近く前、車で逃走中に事故で死んだな。スピードの出しすぎでカーブを曲がりきれずに、崖下に転落した」
ケンジは強盗に入った家で殺人を犯し、逃げている途中で死んだのだ。
「なら、追っかけても無駄だろ、刑事さん」
へらへら笑って、ケンジは地上から十センチほど浮き上がった。今のケンジは、成仏していない浮遊霊だ。死んだこの先も、逃げ続けようというのだ。
「見えるだけじゃ、どーにもなんねーよ!」
見せつけるために、ケンジは勢いよく、高度を三メートル以上に上げた。吉沢を見て笑いながら、そのまま飛んで行こうとする。
「逃がさんぞ!」
吉沢は銀色に輝く手錠を、ケンジに投げつけた。
「逮捕だ!」
吉沢の言葉で、手錠は白い光になって、ロープのようにケンジの体を縛り上げた。するとケンジは浮力を奪われて、地面に落ちてきた。
「なっ? なんで……?」
ケンジは訳がわからずに、青ざめて口をパクパクさせた。
吉沢は重厚な足取りで、ケンジに近づいた。
「おまえには、霊界で裁判を受けさせる。…三日前、俺は殉職してな。本日付けで、霊界警察に配属されたんだ」
(おわり)