2話目
一方、職員室を飛び出した妃芽たちは、学園の裏側にある一本の桜の木に向かっていた。
樹齢数千年になる桜の巨木は、この聖桜市のシンボルになっており、近隣の市町村からでも、その姿を見ることが出来るくらいだ。
「あ、いたいた。おーい、お前らー!」
その桜の木の下に集まった数人の人影に、陸が声を掛けるが、相手が振り向くより早く、妃芽が勢いよく飛んだ。
「あ・さ・とーーー!!」
「どわあああ〜〜」
迷うことなく、一人の男子生徒に飛びついた妃芽に、陸と陽はやっぱりと、項垂れてしまう。
「んー。朝斗は今日もカワイイなあ〜」
「ちょ、やめろって、妃芽ちゃん」
完全にデレ状態で抱きついてくる彼女に、緋色の髪が印象的な彼、己嶋 朝斗が困り顔でぼやく。
「コラ、バカ妃芽。うちの弟に何してんだ。さっさと離れろ、バカがうつる」
多少荒い口調で言ったのは、朝斗と同じく緋色の髪をした女生徒、己嶋 真昼。
妃芽たちより一学年下の真昼と、中等部1年の朝斗は姉弟で、苗字と髪色で察しがつく通り、己嶋 要の娘と息子である。
「何よ、真昼。陸に相手にされないからって、僻んでんじゃないわよ」
「なっ⁉︎ そんな事ない! オレは陸は、お前みたいに一方的じゃ……そうだよな、陸」
美少女な見た目に反して、オレっ娘な真昼が、妃芽の売り言葉に買い言葉で返すと、そのまま話を陸に降った。
「陸、オレの事、迷惑⁉︎ ウザいって思う⁉︎」
「お、おい、真昼。お、落ち着けって……」
男勝りなわりに純情な真昼に、陸は少し照れつつ応える。
「べ、別に迷惑とかじゃねーよ……。妃芽の言うこと、いちいち気にすんなよ……」
「本当⁉︎ 良かった!」
満面の笑顔になった真昼が、そのまま抱きついてきた為、陸は一気に真っ赤にしてしまう。
親同士が友人なので、彼らも幼馴染みとして育ち、真昼はその頃から熱い恋心を抱いていた。
陸もそれを分かっている為、最近では満更でもない様子である。
「けっ、イチャつきやがって。あたしだって朝斗とイチャついてやるわよ。ねー、朝斗?」
骨も軋まんばかりに朝斗を抱きしめた妃芽、しかしこちらは、陸と真昼のようにはいかない。
「誰がするかーーー!!! 離せーーー!!!」
「ふふふ、照れちゃって可愛いわねえ」
嫌がる朝斗、しつこく彼に迫る妃芽。
「その光景はもはや、幼気な男子中学生に迫る危ない変質者だった……」
「誰が変質者よ! 変なナレーションしてんじゃないわよ、この腹黒陽!!」
すかさず噛み付く妃芽だが、事実なので仕方ない。
「ちょっと作者、今なんつったーーー!」
「誰と話してんだよ、お前……」
見えない誰かにいちいち噛み付いている妃芽に、陸が呆れた視線を向けてしまう。
「何でもいいから、離せーーー!!」
「もうそんなに照れちゃって。本当に朝斗はカワイイんだからぁ〜」
「頼む、妃芽ちゃん。今すぐ眼科行ってくれ!!」
嫌がってるのに全く解ってない彼女に、朝斗は本気でそう思ってしまう。
恋は盲目というが、彼女はもはや末期だ。
「大丈夫よ。あたしの眼は朝斗以外、何も写してないから」
「大問題だ!」
朝斗が青ざめるが、既に彼は変質者……いや妃芽に押し倒されている。
「怖がらなくていいのよ。お姉さんが優しくしてあ・げ・る」
ムダに胸元を強調させた妃芽が怪しく迫り、朝斗は今にも大泣きしそうなほど、怯えている。
「ちょっ! バカ妃芽ーー! 何してんだーー!!」
さすがに弟の身に危険を感じた真昼が、慌てて割って入るが、暴走した妃芽は止まらない。
「ふふふ。朝斗はあたしのもんじゃーーー!!」
「このバカ妃芽ーー。少しは大人しくしてろーーー!!」
そしていい加減にキレた真昼が、弟を狙う変質者・妃芽を、空高く蹴り飛ばす。
「おー、さすが、拳法部員。いい蹴りしてんなあ」
軽く拍手した陸に褒められ、真昼が得意気に笑う。
一方、何とか危機を脱した朝斗が、半ば涙目になりながら身を起こす。
「た、助かった……。本気で食われるかと思った……」
一気にやつれた彼に、陸と陽は生暖かい視線を向けてしまう。
「女嫌いになるなよ、朝斗」
「そ、そう思うなら、何とかしてくれよ。陸兄……」
このままじゃ本当に女嫌いになりそうだと、項垂れる朝斗に、陽が苦笑気味に言う。
「暴走した妃芽を止めるのは無理だよ。それに朝斗も本気で嫌なら、ハッキリ言っていいんだよ?」
「そ、それは……」
何故か口籠った朝斗が、曖昧な表情で彼らに答える。
「確かに妃芽ちゃんのしつこいところは嫌だけど、本気で嫌いって訳じゃないし」
暴走しやすいところを除けば、面倒見のいい優しい部分がある事も、朝斗は長年の付き合いで知っている。
「ただ、恋愛感情云々ってなると、まだ俺にはよく解んねーし」
「まったく、朝斗はそういうところが優しいっていうか。バカ妃芽なんて、適当にあしらえばいいのに」
悩む弟を見かねた真昼が、仕方なそうにぼやくが、そんな彼女を陸が宥める。
「まあまあ、そういう優しいところが、朝斗の良いところじゃねえか」
それにと、陸に続いた陽が、優しく朝斗に告げる。
「朝斗はまだ中1だし、妃芽の言ってる恋云々が解らなくても仕方ない。これから自然と、解るときが来るし、あまり考え込むなよ」
「陽兄……。うん、ありがと」
陽の適切なアドバイスを受け、朝斗が表情を和ませたので、真昼も陸も笑みを浮かべ合う。