prologue
「いってきまーす」
そう言って飛び出した女の子が、単車であるナイトロッドに乗り、もうスピードで登校していく。
背中までの髪を風に靡かせながら、バイクで疾走する彼女の名は、能登山 妃芽。
隣の市にある聖桜学園高等部に通う高校3年生だ。
「ヤバい、チコクる〜」
高校生活が始まってから、通算765回目の同じセリフを吐くが仕方ない。校門が閉まるまで、あと5分とないのだから。
朝に弱く、いつもギリギリのギリまで起きられない故に、毎朝、登校タイムは時間との闘いである。
住宅街を抜け、翔燐市と高校のある聖桜市を繋ぐ大通りに出た妃芽は、通勤ラッシュで混み合う車の合間を手馴れた様子で走り抜けていく。
「よしよし、あの信号を曲がれば、もう学校だわ。この調子なら間に合うわね」
視界に入った、聖桜学園の建物に、自然と口が緩む。
「あと1分で閉めまーす」
「わー、待って待って〜」
校門の前に立った風紀委員がカウントを始め、遅刻寸前の生徒たちが、慌てて走っていく。その中を妃芽は、バイクだから余裕だと呑気に学校に向かっている。
(ふっふっふ。あと1分だろーと、お父さんから譲り受けたこのナイトロッドなら余裕余裕〜。こんな距離、30秒で行けるわ)
「あと10秒ー。10、9、8……」
「10秒? ……はぁ⁉︎ あと10秒〜⁉︎」
余裕こき過ぎて、30秒どころか10秒切っていたタイムリミットに、妃芽がマヌケな声を上げてしまう。
急いでナイトロッドを加速させるが、既に門は閉められかけている。
「5、4、3、2ー」
「ちょっ、待って〜‼︎」
半分以上、閉められた門に他の遅刻者たちは、もう諦めていた。
「1! 締め切りでーす」
「あぁ〜〜っ!!」
あと1歩のところで閉ざされた門に、妃芽が嘆きの声を上げる。
「そんなぁ〜。間に合うはずだったのにぃ〜」
「能登山 妃芽さん、447回目の遅刻ですね。あとで遅刻届け出して下さい」
ご丁寧に、遅刻回数まで口にした風紀委員に、思わず妃芽は青筋をおったてる。
「いちいち、イヤミったらしく言わないでくれる? ちょっとの遅刻くらい大目に見なさいよ」
「447回の遅刻を、ちょっとと大目に見るわけないでしょう」
ごもっともな風紀委員の言葉に、妃芽は返す言葉がない。
「妃芽、そこにいると邪魔だぜー!」
「は?」
不意に背後から聞こえた声に振り向くと、同じく聖桜学園の制服である白い学ランを着た男子生徒2人が走ってくるところだった。
「陸、陽!」
妃芽が名を呼ぶより早く、2人の男子生徒が閉じられた門を飛び越える。華麗に着地した彼らに、風紀委員が噛みつく。
「の、能登山 陸くん、松島 陽くん!! 貴方たちも遅刻ですか!!」
「ちゃんと校門より先に入ってんだから、問題ねえだろー」
詰め寄る風紀委員を軽くあしらったのは、鮮やかな金髪と日本人離れした緑がかった瞳の能登山陸。
「問題ありますっ! 遅刻は遅刻! 言い逃れは出来ません!」
ヒステリックな髪を振り乱し怒鳴る風紀委員の迫力に、陸はちょっと押されてしまう。
そんな風紀委員の彼女を、陸の隣にいた黒髪で穏やかな雰囲気を放つ、松島 陽が宥める。
「まあまあ、風紀委員長。あとでちゃんと遅刻届け出すからさ」
それにと、さわやかに笑った陽が続けた。
「遅刻したのは、実は途中、迷子の女の子を見つけて、その子のお母さんを一緒に捜していたからなんだ」
「ま、まあ、そんな理由が!?」
陽の話に食いついた風紀委員が怒りを抑えたのを察し、すかさず陸も話に加わる。
「そうなんだよ。いたいけな女の子を前に無視するなんて、俺らには出来なくて!! 女の子のお母さんを見つける為に、聖桜市内をあっち行ったり、こっち行ったり……」
「まあ……それは大変でしたわね……」
「って、こら〜〜っ!! あんたら絶対にその話ウソでしょー!!」
同情する風紀委員とは逆に、眦を吊り上げた妃芽が、門の向こうで怒鳴る。
「な、嘘なんて失礼だな! 俺が嘘つく訳ねえだろ!」
「あんた、ウソつくと視線が斜め向くから、すぐ解るわよ!」
言い返した陸を、あっさりと制した妃芽が得意気に鼻息を荒くする。
そんな、どや顔の妃芽に陸は思わず青筋を浮かべ、売り言葉を投げる。
「そういうお前は、まーた寝坊したんだろー?」
「うぐっ!!」
図星を突かれた彼女が二の句に困るが、今度は陽が爽やかな笑顔で痛いことを突く。
「妃芽の寝起きの悪さは天下一品だからなぁ。確か、目覚まし時計を5個くらい、壊してるんだっけ?」
「目覚ましの音が五月蠅いからって、壁に投げつけたんだよな。それで兄ちゃんに怒られてベソかいてたって聞いたぜ」
陽の話に便乗した陸が、笑いを堪えながら続いたが、次の瞬間、門を飛び越えてきた妃芽が鬼の形相で迫ってくる。
「あぁ〜ん〜たぁ〜らぁ〜〜!!」
「や、やっべっ!」
からかい過ぎたかと、陸が青ざめたが頗る目つきを悪くした妃芽は、ホラー映画に出てくる殺人鬼のような殺気を放っていた。
「あ〜あ、陸がからかうから……」
「陽、お前も同罪だろーが!! ってか、逃げるぞ!」
呆れる陽を促し、彼らは慌てて走り出す。
「待ちなさいよ、このうすらバカーーっ!!」
「あ、ちょっと、能登山さん! バイクをこんなところに止めて行かないでください!!」
ご丁寧に鍵まで掛けて、ナイトロッドを校門前に止めていった妃芽を呼び止める風紀委員だが、陸と陽を追いかけて行く彼女は全く聞いてない。
そんな彼女たちの様子に、残された風紀委員長は深ーいため息をついたのだった。
一方、凄まじい勢いで、彼らを追いかけてきた妃芽は、逃げる彼らの背中目掛け跳び蹴りをかます。
「食らえっ! 妃芽ちゃん怒りのスーパーイナズマキーック!!」
「どぅわぁぁ〜〜!!」
見事に蹴り飛ばされた陸が、校庭を大スライングしていく。ちなみに陽は、ちゃっかり躱して無傷である。
「このバカ陸〜! あたしを怒らせるとどうなるのか教えてやる〜〜!!」
「いでででっ!! バカ妃芽、蹴るなってーの!」
タコ殴りならぬ、タコ蹴りしまくる妃芽に、こいつ本当に女かと思わず陸は呆れてしまう。
「あー……妃芽、妃芽。そのくらいにしときなよ」
「何よ、陽。邪魔すんじゃないわよ⁉︎」
「バックプリントのくまさん」
制した陽に噛みつく妃芽だが、彼の発した言葉で、一気に血の気が引いた。
「ミニスカで跳び蹴りはやめた方がいいぜ。くまさんが丸見えだったから」
「っ……い、いやああああっ!!」
真っ赤になった妃芽が、大絶叫し、慌ててスカートの裾を押さえるが、既に遅い。
彼女の可愛いバックプリントのくまさんは、校庭にいた大半の生徒に目撃されているのだから。
「穴があったら入りたい〜! むしろ今すぐ掘って入る〜!!」
「待て待て、落ち着け妃芽」
面白いくらいにテンパった彼女が、何処から出したのか、スコップで今にも校庭を掘りそうだ。
「もういっそ、あたしを埋めて〜〜」
「阿呆かーーー!!」
もう言ってる事がメチャクチャな彼女に、陸か全力でツッコンでしまう。
「あはは、妃芽は見てて面白いなあ」
「呑気に笑ってないで、手前ぇもなんとかしろや、陽!!」
他人事な陽に、さすがに妃芽を宥めるのに疲れた陸が、今にもキレそうだ。
「仕方ないな〜。ほら妃芽行くよ。このままじゃ本鈴にも間に合わない」
「ったく、世話の掛かる従兄弟だぜ」
未だにショックから立ち直れない彼女を、立ち上がらせた陸がぼやき、陽も可笑しそうに笑う。
そう、彼らは全員、親戚関係にあたる。
妃芽の父親の弟である陸と、彼女の母親の弟である陽、つまり妃芽からすれば彼らは従兄弟で、陸と陽は再従兄弟同士だ。
何やら、ややこしい関係だが、彼ら本人は至って仲の良い三人組である。