第七話 第二皇子
玉緒は腰を少し沈め、刀の鍔を親指で押し上げた。こちらが動けばすぐに抜刀できる状態だ。光の灯っていない、薄暗い医務室で、私たちは睨み合っていた。
「それはどういうことだ。説明していただこう」
「ご覧の通り」私は意を決して答えた。「私は女だ」
私が堂々と答えたのが予想外だったのか、玉緒は低く唸るような声をあげる。
「……何の目的があって、女が官人の中に潜り込んだ?」
刃が閃いた。ハッとした時には玉緒は抜刀し、距離を詰めていて、私の喉元に刀の先を突きつけていた。思わず一歩後退すると、彼もすかさず一歩前へ進みだす。力の入れ具合を間違えれば喉を突かれそうなほど近かったが、彼の腕は僅かにも震えていない。
「答えろ。場合によってはここで死んでもらう」
玉緒の声には迷いがない。
その鋭い眼光で射抜かれ、一瞬竦みあがってしまう。恐れを感じた途端、反射的に怒りが沸き起こった。
――何で殺されなきゃならないの。
道理は分かっている。官人になれるのは男だけだ。女は女官として、官人や皇家、貴族に仕えるだけ。政権に携わることは出来ない。それが規則だ。知っている。それを破ることがどれだけまずいことかもわかっているし、性別がばれれば死罪になる可能性だって覚悟してきた。
それでも、こうして面と向かって告げられると、怒りが湧いてくるのだった。
「――女であることがそれほどの悪か」
私はそう言いながら、玉緒の刀の先を掴んだ。よほどの業物らしく、少し掴んだだけでも手のひらから血が噴き出した。それでも脳は興奮で熱くなっていて、痛みなど感じなかった。私は刀の先を喉元にさらに近づけると、呆気に取られている玉緒へ言った。
「女として生まれてきたというだけで、なぜ夢を諦めないといけないんだ。夢を捨て、くだらない人間に仕える人生など、こちらから願い下げだ。私には合わない。死んだ方がましだ――だからここにいる。それが悪だと言うなら、殺せ。この自慢の刀で私の首を切り落とせばいい!」
玉緒はしばらく答えなかった。
私を睨みつけていたその眼光が、刀を掴む私の手へと移り、それから地面へ落ち、瞼によって塞がれた。
「手を離せ」
彼は呟くようにそう言った。私は言われるままに手を離し、背筋を伸ばした。死ぬ時も堂々と死にたい。天国にいる父に嘆かれぬように死にたい。
しかし、玉緒は刀に付着した血を布で拭きとると、鞘に納めた。
「殺さないのか……?」
尋ねたが、彼が答える前に、数名の足音が聞こえてきた。玉緒はハッとすると、さっきまで私が着ていた官服を素早く投げてくる。突然の事で反応出来ず、上半身で受け止めながらその場に尻餅をついた瞬間、勢いよく医務室の戸が引き放たれた。
「誰だ!」
その戸の向こうには、三人の男がいた。彼らは抜刀していたが、医務室にいるのが玉緒だと知ると、すぐに安堵したような顔になった。
「玉緒殿。どうなさった……そちらにいるのは?」
「初品の神楽月國だな」
真中に立ってた男が先んじて答えた。彼ら三人の中で、その男だけ風格が違った。武人らしく、髪は短く、顔や腕に古傷がいくつかある。とりわけ目立つのは、頬に走った一本の切り傷だ。その力量の高さは立ち姿や刀の扱いを見れば一目瞭然であったが、しかし、まだ若く、二十代前半と見え、玉緒と年齢はそう変わらなさそうだった。彼はじろりと不快そうな目で玉緒を見ると、ハンと鼻で笑う。
「初品なんぞを天上へ連れてきて何をしている。お前はそっちの趣味でもあったのか?」
玉緒が投げてくれた官服のおかげで、私の身体は隠されている。女であると気づかなかったのだろう。玉緒は迷惑そうに眉を寄せて答えた。
「雲間の見回りをしていたら彼が襲撃されていましてね。そこを助けただけですよ。また明日にでも詳しく上へご報告します」
「しかし、どういう理由であれ、天上人でない人間を、上の許可なしで連れ込むのは違反だ。相応の処罰がいくと思え」
「それは……」
私を助けようとしただけなのに、と反論しようとしたが、それを玉緒が片手を上げて制した。彼は死んだ目のまま、つまらなさそうに答える。
「迅皇子に、処罰の減量でもお願いすると致しますよ」
「勝手にしろ。ふざけた奴め」
男は玉緒と私とを睨み、両脇の二人を連れて医務室を出て行った。感情のままに戸を閉めたらしく、ドンと重い音が響く。玉緒はわざとらしく両肩を上げると、私の方を振り返った。
「さて、応急処置をしておこうか。まずその手を出せ」
彼は軽い口調でそう言い、医務室の棚から小さな壺と白い布を取り出して、私の前に腰をおろした。手を出せと言われたが、私としてはそれどころではない。聞きたいことがたくさんあった。
「その、えっと、あの、」
「別に逃げも隠れもしないから、一つずつ言えばいい」
玉緒はそう言い、私の手首を引いて手のひらを出させた。壺を開け、そこに入っていた緑色の液状のものを手のひらの傷口へ塗り付けていく。途端に傷に染み、痛みが走った。
「我慢しろ。良く効く薬だから」
「……玉緒、」
「何だ?」
「どうしてさっきの三人に私が女だということをばらさなかったんだ?」
こわごわと尋ねると、玉緒は傷口に目を向けたまま、あっさりと答える。
「その必要がないと思ったからだ」
「必要ないって、どうして……さっきはあんなに」
「迅に危害を加えないのならそれでいい」
「迅?」
尋ね返してから、「迅皇子」という呼び名を思い出した。
「皇子のことか」
迅皇子と言えば、この玉龍国の第二皇子である。皇家の人間は基本的に顔を隠しておられるから、私はどんな顔の人かは知らないが、噂では相当な美形だという。
「皇子を呼び捨てにするなんて、あなたは余程の家柄か?」そう尋ねながら、不安がよぎった。「もしそうなら、さっきの話、本当に大丈夫なのか? あなたは気にしていないようだが、処罰と……」
「気にしなくて大丈夫だ」
玉緒は乾いた布を私の手のひらに巻き、力強く引っ張った。痛みに思わず顔をしかめたが、玉緒は手の力を弱めることなく、そのまま布を結ぶ。そして、次に私の肩口の傷にも同様の手当を始めた。
「あの男は俺と同じ化野の人間だ。奴が宗家で、俺が分家の身とはいえ、同じ化野の名を持つ人間に、家の名を貶めるほどの厳しい処罰はかけないさ。奴の機嫌が悪くて、せいぜい自宅謹慎か、まぁ、おそらく始末書程度のものだろうな」
「化野――あなた、化野の人間なの!?」
思わず素っ頓狂な声が出る。
化野といえば、武士の名家である。古来から皇家の護衛を任されており、皇帝からの信任も厚い。武官の天上人のほとんどが、化野の血を引く人間だとまで言われている。
玉緒は気取った様子もなく「そうだ」と答えると、棚から真新しい、真っ白な服を取り出した。怪我人や病人が着るような服だ。
「その官服はもうボロボロだろう。とりあえずこちらに着替えるといい」
彼はそれを私の傍に置くと、すぐに距離を取り、戸の方を向いた。
「着替え終わったら言ってくれ」
その声音がどことなく気まずそうで、思わず笑みが零れる。私は下の官服も脱ぎ、急いで新しい衣服へと着替えた。ずっと棚に置かれていたのだろう。独特の冷たさが肌に心地よかった。
「着替え終わったよ。……あなたが化野の人間だというなら、前にあなたが護衛していた、あの白服の方も名のある貴族ってことか?」
「名のある貴族というか……」
振り返りながら、玉緒が微笑した。それが可笑しさを秘めており、不思議に思っていると、何故かその笑顔がすぐに不機嫌そうなものになる。彼はむっとして唇を一文字に結ぶと、再び戸の方へ向き直った。それと戸が開くのはほぼ同時だった。
「護衛なしで出歩くようなことはしないんじゃなかったんですか?」
玉緒の声にわかりやすい棘が混じる。戸を開いて現れた人物は、不満そうに眉をひそめた。服が貴族の寝間着になっていて、一瞬わからなかったが、話題の当の人物の、白い官服を着ていたあの男だ。
「心配して様子を見に来てやったのに、何だその態度は」
「心配なんて聞こえの良い言葉を使って誤魔化すのはやめていただけますか、迅」
迅。
――すぐには理解が及ばなかった。
頭が真っ白になる。迅。それは第二皇子の名前だ。その事実と、目の前の男の正体が結びつく。
目の前に第二皇子がいる。しかも、顔も隠さずに。ありえない事態に、卒倒しそうになる。ほぼ反射的に両手を床に着き、頭を下げると、玉緒が笑った。
「月國は権威に屈しないと思っていたが」
「まさか初品の身でお会いできるとは思っていなかったから……」
「まぁそう固くなるな」
迅は満足げに微笑む。顔を上げろ、と言われて、私は額を床から離した。
見れば見るほど美しい御仁である。ゆったりとした、上質な衣で身を纏い、長い艶のある髪を一つに束ね、肩にかけている。元々美しいと感じていたが、皇子と聞くとまた格別に思えた。見上げるだけで眩ささえ感じてしまう。
「どうしてこのような事態に?」
迅はちらりと玉緒を見る。玉緒は頷き、答えた。
「月國が何者かに矢を射られておりました。明らかに殺意があったものと思われます。雲間より天上の方が安全だと判断し、こちらへ連れて参りました」
「ふむ……月國、何故お前が狙われているのだ? 昼の件も、お前の弁当にだけ毒が仕込まれていたそうだが」
「そうなんですか」そうではないか、と疑っていたが、事実として聞いたのは初めてだった。「私には身に覚えがありません」
「変わったことはないのか? どんなに細かいことでもよい」
「一週間ほど前に死体を発見したこと。今日の昼に目の前で友を亡くしたこと。先程、いきなり矢を射られたこと。……それくらいしかございません」
「死体を発見する前に何か変な事はなかったか」
首を横に振るしかなかった。それまでは平穏に過ごしていた。
迅は私の様子を見ると、ううむと唸ったように声を上げた。
「死体を発見した際、怪しい人影などは見なかったか?」
「見てません」
「そうか……しかし、見られたと勘違いした犯人が口封じを狙っている可能性はあるか」
「確かに」思わず唇を食んだ。「私は後ろから殴られて意識を失いました。あの近くに事件の関係者がいたことは間違いありません。念には念を入れて、ということも考えられるかもしれません」
「気絶しているお前を見つけたのもさっきの宗家の人間だったぞ」玉緒が思い出したように言った。「月國を事件の関係者だと思い込んでいるようで、先の件でもとくに追及することなく解放されたのを悔しがっていた」
「死体の近くに転がっていた人間が、特に追及もされずにほったらかしにされたら、誰だって不可解に思うよ」
私は当時の気持ちを思い出して言った。
「まぁ、あなたが私の肩を持ったと思えば、誰も手出しができなくなるのも当たり前ですが……」
目の前の迅を見て言うと、彼は微笑した。
それから、彼は玉緒に視線を移し、言う。
「どうする。このまま月國を放っておくと、次こそ命が危うい」
「はぁ。どうしましょうかね」
この、玉緒という男は、何かに気合を入れるということがあまり好きではないのだろうか。さっきから、緊張感が高まりそうな気運がすると、すぐに力の抜けた受け答えをしている。
しかし迅の方はそんな態度に慣れているようで、眉一つ動かさないまま言った。
「化野から特別な護衛でも付けて、厳重に守らせておくか? これ以上、宮中で死者を出すわけにもいくまい。二、三日は毒を仕込んだ犯人探しで花立の試験も、通常業務もままならないだろうし、月國の方にも迷惑はかからないだろう」
「ま、それが妥当ですかね」
「……もしかして、部屋に軟禁状態になるのか?」
こわごわと尋ねてみると、二人ともあっさりと頷いた。思わずえぇっと声を上げてしまう。
「それはお断りだ。護衛なんて要らないから、私にも捜査を手伝わせてくれ」
「無茶を言うな」玉緒が片眉を上げる。「大人しく部屋で待っていた方がいい。友の後を追いたいわけでもないだろう?」
「それは当たり前だ。でも、私の代わりに死んだ友の為に何かしてやりたい。部屋で黙って守られているなんて癪だ」
「その心意気は立派だが、別のことに向けるべきだ」
「嫌だ。一生後悔する。私は自分の命より、自分の生き様の方が大事なんだ」
私ははっきりと言った。玉緒はまだ何か言おうとしていたが、迅がそれを遮った。
「いいだろう……ただし単独行動は認めないし、捜査に加わるのも許さない。代わりに日中は私たちと共にいるがいい。捜査に携われなくても情報は次々に入ってくる。私の近くにいれば玉緒もいるから、命の心配も無用だ」
「迅!」
「そ、それは恐れ多すぎます」
玉緒が制止の声を上げ、ほぼ同時に、私が恐縮したが、迅は気にしていなかった。
「無理に抜け出され、宮中での死者を増やすよりましだろう? 玉緒。私と彼が似ているというのなら、間違いなく月國は部屋を抜け出し、捜査に加わろうとするぞ」
そう言われ、玉緒はぽかんと口を開けた。それから目を泳がせ、しばらくして「確かに」と溜息交じりに答えた。
「仕方がありません。そうしましょう……」
ここまで読んでくださって、ありがとうございました!