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第三話 裏切り

「お父様、私、神楽家の名を汚さぬように胸を張って生きていきます」

 力の抜けた薄い手を拾い上げ、ぎゅうと握り締めながらそう言うと、父は濁った目でこちらを見た。その唇が、どちらだ、と動く。もう目も見えていないのだ。あの父がここまで弱り果てた姿に、涙腺が熱くなる。


「月予です」

「そうか……」


 僅かに、手を握り返してくる。

 そして父は言った。


「お前を男として生んでやりたかったものよ……」


 ――お前を男として生んでやりたかった。

 私は思わず父の手を取り落しそうになった。

 私が幼い頃から築き上げてきた架け橋には、繋ぐための対岸がないのだと、初めて理解した日であった。


 父の顔がぼやけていく。そうだ。父は六年も前に亡くなったのだった。これは夢か。ぐるりぐるりと視界が回る。どこか深いところから引き上げられていくような感覚。目を開けると、すぐそこに見慣れた石畳があった。顔を上げる。雲門と天下門の間の広場だ。


「……え?」


 黒色の官服を着た男たちが私を囲んで立っていた。その奥で、真っ赤な官服を着た年老いた男がこちらを睨んでいる。真っ赤な服と言えば三品の人間、つまり天上人である。私は驚いてしまった。何故、天上人がこんなところにいるのだ。それに、どうして私はこんなところで倒れているのだ。

 身体を起こそうとして、また驚いた。両手首が背中で結ばれている。私が身をよじると、周りの黒服の男たちが警戒してにじり寄ってきた。

 私は混乱して、辺りをもう一度見渡した。すると、少し離れたところに、人が寝かされているのが見えた。顔から腿くらいまでを白い布で覆われており、その胸部の部分が真っ赤に染まっている。

 それを見て、私はさっき自分が見たものを思い出した。


「神楽月國で相違ないか」


 赤い官服の男が低い声でそう問いながら近づいてくる。


「……はい、その通りです」

「そうか。……お前は誰の手先だ?」

「――は?」


 思わず聞き返すと、彼はこめかみを皺が寄った指で押さえながら答えた。


「お前のような初品が、四品を殺して得になるとは思えん。誰に頼まれた? 花立の試で口添えをするとでも言われたか。それとも金でも積まれたか」

「……お待ちください! そもそも私は殺してなぞおりません!」


 驚きのままに言い返すと、背中を勢いよく押され、顎を石畳で打ち付けた。どうやら黒い官服の男のうちの一人が、私を抑え付けたらしい。

 赤い官服の男がハァと軽く溜息を吐く。


「……お前は、死体の隣で気を失って倒れていたのだ。殺したのではないのなら、一体何をしていた?」

「何も……ただ通りがかっただけです。死体を発見した時に頭に強い衝撃を感じて――気が付けばこのように」

「何故あんなところを通ったのだ」

「近道をしようと思ったのです。弓の勝負をしていて時間をとられてしまったので……」

「弓勝負、とな」


 男がぴく、と眉を上げる。私はハッとして答えた。


「そうです。弓勝負です。私は死体を見つける前、弓の演習場におりました。武官の初品たちに聞いてくださればわかるでしょう」

「ふむ……詳しく尋ねて来なさい」


 男は唸るようにそう言い、脇に控えていた別の男にそう命令した。言われた彼はすぐさま武晶殿の方に駆けていく。

 赤い官服の男は自らの顎を撫で、目つきの鋭さを緩めた。疑いが晴れると思ってほっとしたのもつかの間、その目が哀れみを含んでいることに気付き、私はぎょっとした。私の驚きを察したように、彼は言った。


「初品たちの証言は当てにならんだろうな」

「……何故ですか?」

「わからぬか。花立の試前の初品が、こんな面倒事に関わるとは思えんからだ」

「……彼らが私を見捨てると仰るんですか?」

「そうだ」


 呆れた。

 彼らが私を裏切るはずがなかった。恩を着せるつもりではないが、花立の試を受けられないという危険を背負ってでも弓を射た私を、そう易々と見捨てることはしないだろう。彼らがそこまで落ちぶれているとは思えなかった。

 私はそう考えて、全身の力を抜き、穏やかな気持ちで待っていた。私が無抵抗なことに気付き、取り押さえていた男も私を離してくれた。

 腕を結ばれたまま、正座をして待つこと、たったの十分程度。

 先程駆けて行った男が、戻ってきた。そして開口一番こう言った。


「――武官の初品たちは皆、神楽月國など知らぬと申しておりました」


 頭が真っ白になった。

 赤い官服の男が、悲しげに目を細めた。


「そうか。気の毒に」

「待ってください! 弓勝負をしていた初品について尋ねてきていただけませんか? 名前を忘れていただけかも……」

「その事についても聞いて参りました」男は片膝を着いたまま、冷淡な声で答える。「彼ら曰く、弓勝負など知らぬ、そんなものは行われておらぬと……」

「そんな……!」


 あの武官の初品たちは、私を、見捨てたのか。

 人間の成すことだとは思えなかった。今まで感じたことのない程の嫌悪感が沸き上がってきた。そんな保身の嘘を言い放ち、よくぞ前を向いて生きていけるものだ。自分の矜持に自分で泥を塗りたくる真似だ。信じられない気持ちと怒りとで身体が震えた。

 その身体の震えを、男は怯えと取らえたのかもしれなかった。彼はより一層瞳の哀れみの色を強くして、幾分か優しげな声で言った。


「犯人が死体の隣で気を失っていたとも思えんし、たかだか初品のお主に、四品を殺すほどの恨みや利益があるとは思えないが、今の状況では疑う他あるまい。――牢屋敷へ連れていけ」


 心臓を槌で打たれたような、強烈な衝撃が身体に走った。

 牢屋敷。いわゆる囚人の収容施設である。ひとたび入れば何かの病気をもらうと言われるほど劣悪な環境であるといい、捕まって終身刑になるくらいなら自殺するというものが後を絶たないという恐ろしい場所であった。

 地獄に連れていかれる。

 私には恐ろしいのはそれだけではない。

 ――女だという事実がすぐにばれてしまうだろう。そうなれば、晴れて無実が証明されようと、もうここには戻って来れない。それどころか、牢屋敷からもう一生出られなくなるかもしれない。


「や……やめてください! 私は殺人なんかに関与してません!」


 叫び声も虚しく、周りを囲んでいた黒服の男たちが、腕を掴み、私を無理やりに立ち上がらせた。もう問答無用で牢屋敷へ連れて行くつもりなのだ。ぞっとした。


「落ち着きなさい。自身が無罪だとわかっているなら、尚更だ。すぐに戻ってこられるだろう」


 赤い官服の男が宥めるように言った。それでも私が抵抗をするのを見て、彼の目に疑惑の色が浮かぶ。


「すぐに連れて行きなさい」


 彼は非情な声でそう言った。

 目の前が暗くなる。絶望的だ。情けないとはわかっているのに、ついその場に踏みとどまろうとしてしまう。それを男たちが腕を引きずって連れて行こうとする。どれだけ鍛えていても、やはり力では男には叶わない。

 私の夢がこんなところで終わるなんて。しかも、家の名を失墜させるような、酷い結末で。

 やりきれなかった。私の為を思ってくれた、私の為なら何でもしてくれた兄の月矢の顔が何度も脳裏に蘇る。


 全てを諦めて泣きそうになった時、ふと視界の端に見覚えのある姿を見つけた。


「玉緒!」


 知ったばかりの名前が口を突いて出た。私がそう叫ぶと、その人はぎょっとしてこちらを見た。

 死体のすぐ傍に、玉緒と、あの白い官服の男がいた。どうやら、死体の身元を確認しに来たようだった。


「私はあなたと弓の勝負をした! 違うか!? 答えてくれ!」


 彼ならば、そうだ、と頷いてくれる。そんな確信があった。

 玉緒は目を見開いて私を見、それから赤い官服の男と、目の前の死体とを見た。それから、もう一度私の方を見た。

 そして、彼は肩を竦めて答えた。


「……さぁ? 私にはそんな覚えはありませんが」

「……え?」


 赤い官服の男が、疑惑に満ちた目で私を見た。周りの男たちは、もう容赦することなく、乱暴に私を引きずっていく。

 玉緒は死んだ目で私を見ていた。


「どうして嘘を吐くの……?」


 思わず零れた言葉に、玉緒は何も答えず、私から視線を外した。

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