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第四十六話 桜毒


 玉緒は次々と現れる武人を薙ぎ倒すようにして進み、難なく私を門の付近まで連れて行ってくれた。門近くの木に一頭の馬が結び付けられている。その馬に見覚えがあった。


「その子は、うちの……」

「あぁ、借りてきた。名馬だな」


 玉緒はひょいと馬に跨り、私に手を差し伸べてくる。その手を取り、私も彼の後ろに飛び乗った。

 馬を木に結んでいた縄を玉緒が斬り落とす。私は振り返り、屋敷の全貌を見た。随分立派な、玉龍国造りの建物だ。


「ここは宗家の屋敷なのか?」

「あぁ。雅人殿や雪平の生家だ」


 玉緒が馬の腹を蹴る。馬は鳴き、一目散に駆け出した。後ろから武人が追いかけてくる怒声が聞こえたが、もう間に合わない。彼は容赦なく速度を上げ、馬は道行く人を寸でのところで避けながら城へと駆けていく。景色が見る見るうちに過ぎて行き、振動で身体が上下に揺さぶられた。振り落とされるわけには行かない。私は玉緒の背中に必死でしがみ付いた。


「迅が殺されるとはどういうことだ」


 前方を睨みながら、玉緒が叫ぶように尋ねてくる。


「全ての事件は宗家が仕組んだことだ。迅が皇子になったらあなたが皇帝の護衛になる。そうすれば宗家と分家の力関係が崩れるから、それを避ける為に迅を殺すのだと――全く何の為に城へ仕えているんだ」 

「お前を狙っていたのも宗家か?」

「そうだ! 私が馬鹿だった、証拠を見たのに忘れていた!」


 ぎゅっ、と玉緒の衣を握り締める。もっと早く気が付いていれば、武や香鈴たちが死ぬことはなかったのに。


「迅はどうやって殺される予定なんだ?」

「わからない――でも親睦会で何かが起こるらしい」


 ぐん、と速度が上がったのを感じた。思わず玉緒の背中に抱き着けば、すぐ近くで荒っぽい舌打ちが聞こえる。見上げれば、彼は随分と青い顔をしていた。

 気が付けば夕陽も残照を僅かに残すだけとなっており、今にも沈み切ってしまいそうだった。親睦会は今夜、玉緒の焦り具合からすると、もう寸前に迫っているのだ。


 ――親睦会が始まる前に迅に接触し、危険を伝えなければ。

 もし手遅れになったら、迅は死に、玉緒もその責めを負わねばならなくなる。


 ぎゅっと唇を食む。間に合え、とひたすら願っていた。


                 *


 城外から天上に直接繋がっている、西門。真っ白にそびえ立つ門には真っ青な龍の姿が描かれている。西門は基本的に、女官など、天上にいるが身分の低い者が通る門である。今も門前で商人らしき人物と牛車、彼と交渉している女官の姿が見えた。牛車を通そうとしていたらしく、門は半開きになっている。


「道を開けろ!」


 玉緒は咆哮し、そのまま馬を駆けさせてゆく。門の前に立っていた女官が甲高い悲鳴を上げ、倒れるように脇に逃げた。馬は門を蹴飛ばすようにして天上に飛び込んでいく。入ればすぐに黒衣の武人が待ち構えていたが、彼らは猛々しく駆け込んできた馬の勢いに驚き、それから馬上の玉緒を見てさらに驚いた。


「玉緒殿、これは――」

「説明している暇はない!」


 玉緒は手綱を引いて馬を半ば無理やり止めさせると、転がり落ちるようにして地面に降りる。私もその後ろをすぐに飛び下りたが、馬上での振動で痺れたのか、足を着いた途端、腰が砕けた。思わず両膝を地面に着くが、玉緒がこちらに手を伸ばすより早く、土を蹴るようにして立ちあがっていた。


「急ごう、玉緒! 日が暮れた!」

「あぁ。迅は恐らくこっちだ!」


 玉緒は私を先導するように走る。私もその後ろに着いて走った。天上の建物はよくわからない。煌びやかな建物を幾つも見過ごして走り抜け、玉緒は前方に見える、大きな建物を指差した。


「あれが親睦会の行われる泰玉殿だ」


 玉緒はそう言いながらパッと私の手を取り、泰玉殿の後方へ駆け抜けていく。

 泰玉殿は他の建物がそうであるように、白の壁と青い瓦で造られていた。しかし壁は磨き上げられた水晶のように汚れ一つない純白で、瑠璃瓦は海を思わせる深い青色であり、屋根には龍を象った像が乗せられている。一目見るだけで特別な場所なのだと理解できた。

 裏側へ回り込むと、青色の戸があり、その前に黒衣の武人が二人立っている。しかし、玉緒の顔を見れば、さっと両脇に退いてくれた。


「迅様は先に到着しておられます。もうすぐに会は始まりますよ」


 暢気なもので、武人はにこりと微笑んでそんなことを教えてくれた。玉緒は返事もなおざりに戸を押し開ける。真っ先に目に飛び込んできたのが龍の小さな置物で、そこは行きどまりになっていた。左右に通路が伸びている。両方とも深い紺色の垂れ幕で遮られているが、玉緒はそれを薙ぎ払うようにして退け、迷うことなく右へと進む。しばらく真っ直ぐに通路が伸びていて、二人で走れば耳障りなほど足音が響いた。ややあって通路は直角に曲がっており、すぐそこに扉がある。玉緒は声もかけずにその扉を開き、やっと私の手を離した。


「――迅!」


 ここは控室のような役割を持つ部屋なのだろうか。薄暗く、こじんまりとした部屋だ。しかし、調度品はかなり高価そうに見え、絨毯は上質で、踏み込んでも足音一つ鳴らないし、壁には大きな龍の絵が金色の枠に入れて飾られている。その反対の壁には立派な弓と矢が飾られている。儀式用のものだろうか。もう一方の壁には、別の扉があり、さらに両手を広げたくらいの大きさの鏡が置かれ、塵一つないように磨き上げられていた。そちらに目を向ければ、中央の長椅子に寝転んだ迅と鏡越しに目が合った。迅はいつもよりもずっと豪奢な格好をしており、頭に随分と重そうな帽を被っていた。長い髪も結い上げて帽の下に入れているらしい。後れ毛が首に付き、かえってそれが妖艶に見える。

 迅はにこりと僅かに微笑み、上半身を持ち上げる。長椅子の背にしな垂れかかるようにして、迅はこちらを振り返った。


「どうした。随分と焦っているな。それに月予まで連れてきて」

「ご無事で何より」


 玉緒が安堵した様子で言えば、迅は眉をひそめた。


「無事? 何の話だ?」

「化野宗家があなたの命を狙っています!」


 私が先んじて言えば、迅はピタッと動きを止めた。それからすっと無表情になり、「そうか」と呟くような返答をする。そこにあまり動揺が感じられず、私の方が驚いてしまった。


「そうではないかと思っていた」迅は静かな声で言った。「昨日、雅人が私に会いに来たのを覚えているか?」


 えぇ、と頷けば、迅は目を伏せた。


「――全ての事件を仕組んだのは兄で、私を蹴落とそうとしているのだと。玉緒は知っているだろうが、月予の見つけた四品は私が目をかけていた者だったんだ。他にも行方知れずになっている者がいてな、彼らもみな私を信じてくれている者だった……」

「そうだったのですか?」

「そうだ」迅は僅かに頷く。「雅人は、兄よりも私が皇帝にふさわしい、だから兄を殺し、第一皇子の座を奪えと言ってきた」

「まさか、そんな提案に乗ったりなんかしてないでしょう?」


 そう尋ねると、迅はまっすぐにこちらを見た。その目に暗いものが宿っていることに気付いてしまい、私はハッと息を呑む。絶句した私の代わりに、玉緒が押し殺した声で言った。


「乗ったんですね……?」


 迅はこちらを見たまま、顎を引く。


「兄を殺す為、桜毒おうどくを宗家に渡した」

「なんてことを」


 玉緒が沈痛そうな面持ちになる。


「桜毒……?」

「皇家にしか手に入らぬ特別な毒だ」玉緒がこめかみを抑えながら言った。「無味無臭の猛毒で、一粒で象でも殺せる。桜色の丸い形をしていてな、そこから桜の名を持った毒だ」

「無味無臭なら、いくら皇子でも気が付けないんじゃ……」

「だから皇家にしか手に入らないんだ。あまりにも危険すぎる、暗殺に向きすぎた毒だ」


 玉緒は溜息を吐き、首を振りながら言った。


「どうしてそんなものを渡したのですか。今晩の会を乗り越えても、いつ毒を盛られるかわからないじゃありませんか」


 何も口にしないわけにはいかないし、と玉緒は吐き捨てるように言う。

 しかし、玉緒の焦りとは裏腹に、迅は静かな眼で彼を見ていた。


「……親睦会の始めにな、私と兄とがさかずきを交わすんだ」


 ――場違いに、迅はにこりと穏やかな笑みを浮かべて言った。

 迅の様子がおかしい、と私はそこではっきりと悟った。異様に無気力に見える。騙されたと知っても怒り出すわけでもなく、ただ力なく長椅子の背にもたれかかりながら、まるで思い出話をするかのような優しい口調で、未来の死の事を語っていた。


「その杯に毒を盛るのだと、雅人は言っていた。ということは、私の杯に、その毒が盛られているということだな」

「そんなの関係ありませんよ。親睦会は中止にします。俺が伝えてきますので――」

「待て」


 部屋を出て行こうとした玉緒を片手で制し、迅は私を見た。


「月予、……私の妻になってくれるか?」


 どうして、今、その話をするのだろう。

 嫌な予感がした。胸にざわつきが走る。迅は真剣な瞳でこちらを見ていた。嘘は吐けないと思った。


「――いいえ」


 私は首を横に振る。

 迅は瞬く。驚いた様子は、なかった。


「そうか」

 

 呟くように言い、迅は立ち上がる。


「……そろそろ会が始まるな。玉緒、」

「はい、今すぐに止めて――」

「済まない」

 

 迅は悲しげに微笑んだ。その笑みを見た瞬間、玉緒の身体が硬直する。迅は踵を返し、近くの扉を開けた。その奥から眩い程の光が見える――そちらは、おそらく親睦会の会場だ。

 途端、背後のもう一方の扉から、黒い影が飛び込んできた。それは刀を振り上げ、玉緒に飛び掛かる。


「玉緒!」


 私が叫ぶのと、玉緒が刀を抜くのはほぼ同時だった。振り抜きざまに、落とされた刀を切り返し、玉緒はその場から飛びのく。

 襲い掛かってきた人物は、音もなく着地し、首を横に振った。


「邪魔されては困る、玉緒」

「雅人殿……ッ」


 その人影は、化野雅人だった。前に玉緒の屋敷で会った時の、気障な笑顔は消え去り、凶暴な顔つきになっている。凛々しい眼が吊り上がり、憎悪に揺れる瞳に玉緒が写っていた。

 玉緒は迅を追いかけようと会場への扉を見るが、その隙に雅人の斬撃が叩き込まれる。玉緒は舌打ちと共にそれを紙一重で避け、床に転がった。もう脇目を振ることは出来ず、雅人を睨み返している。


 ――ぼうっと立っている場合じゃない!

 私はハッとし、迅が出て行った扉を開いた。


 その先は予想通り、会場に繋がっていた。眩さに目が慣れれば、たくさんの人が目に飛び込んできた。広々とした空間に、長机が並び、それを囲むように上質そうな衣服に身を包み、装飾品を纏った人々が腰を下ろしている。壁際には黒衣の武人たちが所狭しと並んでいる。

 人々の視線の先は前方――私の立っている場所から、まっすぐに五メートルほど進んだところに向けられている。そこには龍があしらわれた金色の屏風が立てられていて、その前に迅ともう一人、青の衣を身に纏った、どことなく迅に似た風貌の男性が並んでいる。彼らの間には二つの杯が載せられた台があった。あれに毒が仕込まれているのだ。

 

 駆け出せば止められるか、と思ったが、私と迅の間には、黒い衣の男たちが膝を着いて並んでいた。ここから駆けだしても、すぐに止められてしまうだろう。それで親睦会の進行は止まったとしても、きっと迅は杯の毒を飲むに違いない。


 きっと、死のうと思って、迅はあそこに立っている。


 偽りの笑顔を浮かべ、隣に立つ第一皇子らしき人物と何やら和やかに言葉を交わしている。あの挨拶が終われば、杯を煽るに違いない。

 ――それは毒入りだから、だれか止めろと叫ぶか? しかし、制止されるのを迅が感じ取れば、その場ですぐに杯に手を伸ばすだろう。間に立っている武人たちがいかに素早く動いてくれたとしても、間に合うとは思えない。


 迅に気付かれずに迅を止める?

 

 そんなのどうやって?


 ひゅ、と鋭い風切音がした。ハッとして横を見れば、すぐそこに白銀の閃きがある。思わず後方に飛びさがると、私と刃の間に玉緒が飛び込んできた。自らの刀の腹で雅人の刀を受け止めながら、玉緒は後ろ手で私をさらに後方へと押しやる。その勢いが強く、私は壁で背中を打ち付けた。


 背中をぶつけた衝撃で、壁から何か落ちる。

 見れば、それは儀式用の弓矢だった。思わず手に取り、扉の向こうの迅を見る。迅は既に杯へと手を伸ばしていた。


 ――馬鹿だ。あまりにも馬鹿だ。こんなもの、成功する訳がない。

 身体中の血が凍りつくのを感じる。けれど私は弓を握り、矢をつがえていた。

 

「止せッ……!」


 そう叫んだのは雅人だ。また風切音がし、今度は右肩に激痛が走る。見れば、右肩に彼の刀が突き刺さっていた。玉緒が雅人を引き倒すのが視界の端に見える。

 右肩から血が溢れだす――凍り付いていた血が爆発したような心地があった。


 ――外すものか。

 私は神楽月國。神楽家の名を背負って立つもの。たかだかこんな距離で、矢を外してたまるか!


 迅は毒杯を掴み、今にも口付けようとしている。

 私は無我夢中で矢を放った。矢は真っ直ぐに、迅に向けて飛んでいった。 

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