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第四十五話 雪平


 いくら襖を開けてもまた襖。この屋敷はどれだけ広いのだろう。

 適当に進めば家の用事をしている下女や寛いでいる武人と鉢合わせし、悲鳴を上げたり、さらに追いかけられたりと、じりじりと追い詰め続けられている。一度廊下に飛び出したが、そこを突っ切る前に奥から武人がやってきて、逃げる方向を変えるしかなかった。

 自分が出口に進んでいるのか、それともさらに奥へと進んでいるのか、それすらもよくわからない。


「待てェッ!」


 後ろから声が聞こえる。もう三、四人の武人に追いかけまわされている。何とかして撒かなければ。次の部屋に飛び込み、今度は進路を変え、右の部屋に入った。急いで襖を閉めながら、部屋の中を見渡す。

 背の低い机に突っ伏して眠っている人物がいた。衣服はゆったりとした寝間着で、部屋の中心に布団も敷いてある。彼は布団から這い出し、机に向かったようで、そこでまた眠ったらしい。私が部屋に飛び込んできたことも気付かず、眠っているようだ。

 私を追いかけてくる足音が聞こえる。一か八か――敷きっぱなしの布団の下に身体を滑り込ませた。ぎゅっと身を固め、息をひそめる。ややあってがらりと襖の開く音がした。


「ここは――」

「おい、そこは問題ない、行くぞ」

「はい」


 武人たちの声が聞こえる。しばらくして、襖を閉める音がし、足音が遠ざかっていった。布団の下の暗闇の中、ほっと息を吐く――その瞬間、何者かによって布団をはぎ取られた。視界が明るくなり、目の前に白銀の光が閃く。見やれば、首元に刀の先を突きつけられていた。


「……お前は、あの初品か」


 そこで眠っていたはずの男が立ちあがり、私に刀を突き付けていた。さらに視線を上げ、その顔を見て驚いてしまう。宗家直系の次男、化野雪平だ。頭に血が上りやすい男らしく、出会うたびに刀を向けられている気がする。

 彼はどこか青ざめた顔をしつつ、汗で頬に貼りついた髪を払いながら、さらに刀の切っ先を近づけてきた。


「ここで何をしている? お前は自宅謹慎中だろう」

「白々しい質問だな……」


 右手に刀の柄を握り締めつつ、そう言い返すと、雪平は怪訝そうに眉を寄せた。


「何がだ」

「私をここに連れてきたのがあなたたち宗家だろっ」


 ぱっ、と刀を握った右手を持ち上げれば、雪平ははっとしてそちらに視線を向けた。その隙に空いた左手で枕を掴み、彼の顔めがけて投げつける。雪平も刀を持っていない方の手で枕を払いのけたが、その間に私は雪平の刀が届く範囲から転がり出ていた。刀を構えなおし、立ち上がる。


「何の話をしているのかさっぱりわからん」


 雪平はまだとぼけたようにそんな事を言い、首を横に振る。しかし刀は下げられることはなく、瞳にも殺意に近いものが宿っていた。


「――だが自ら来てくれたのなら好都合。お前の事は怪しいと思っていたのだ、ここで俺が切り伏せてやる!」


 そう叫んだ途端、雪平はすぐ目の前まで移動してきていた。咄嗟に後ろに飛び逃げれば、さっきまで私が立っていた空間を、彼の刀が掻っ切った。容赦なく真っ二つにするつもりらしい。刀が振り下ろされるのを見届ける暇もなく、雪平はすぐに手首を返すと、そのまま突きの形に変えて突進してきた。


「わぁっ」


 それを避けられたのはほとんど奇跡だろう。反射的に左に飛んでよければ、その刀は後ろの襖を深く刺し貫いた。雪平はすぐに刀を引き抜き、構え直す。しかし、一瞬よろめいて、軽く頭を押さえた。


「くそっ……大人しく斬られろ!」


 上段から刀を振り下ろされたが、どこかぞんざいな動きだった。

 顔色の悪さ、足元のふらつき――もしかして、体調が悪いのかもしれない。そうだとすれば、こんな時刻から寝ていたことに納得がいく。


 分析をしていれば、また刀が伸びてきていた。刀の腹でそれを押し返すようにしてはじき返し、部屋の中を逃げ回る。どうにか別の部屋に逃げ出したいのだが、襖に手を掛けようとすると、彼は俊敏な動きで刀を突き出し、手のひらごと襖を刺し抜こうとするのだった。


 何とか隙を作りだし、上手く逃げ出したい。このまま応戦していれば、いつかはその刃に捉えられてしまう。

 

 ふと、真ん中に敷かれたままの布団が目に入る。あれを使えば、何とかなるかもしれない。部屋の中心に転がり出て、掛け布団を手に取った。横に払うような斬撃を腰を屈めて避け、後ろに飛び戻りながら、掴んだ掛け布団を雪平めがけて投げつける。それはふわりと広がり、雪平を包み込むように覆った――ように見えた。布団に気を取られる瞬間に逃げ出そうとしたのだが、踵を返す間際、鋭い風切音が聞こえた。布団が上から真っ二つになり、その合間を、まるで飛ぶようにして雪平が駆け抜けてくる。


 その動きに気を取られたのがまずかった。ず、と軸足を引っ張られるような感覚を感じた途端、私は畳に足を滑らせていた。後ろへ飛び退きたかったのだが、そのままその場に留まってしまう。尻餅をつくまでの、私にはどうしようもない僅かな空中移動、それを狙って、雪平の刀が閃く。


 ――真っ二つにされる!


 布団と同じ運命を辿ることを確信した時、目の前に真っ黒な影が飛び込んできた。金属同士がぶつかり合う音が聞こえ、雪平が舌打ちしながら後退する。私は尻餅を着き、腰を強かに打ち付けた。握っていた刀も手のひらから離れ、畳に突き刺さる。

 飛び込んできた人影が振り返った。


「無事か?」


 見上げれば、よく覚えのある顔がそこにある。


「……玉緒」


 人影――玉緒は真剣な眼をして私を眺め、ややあって口元を緩めた。


「ひとまず大きな怪我はなさそうだな。そこに座ってろ」

「あっ」


 呼び止める暇もなく、玉緒は姿勢を下げ、ぎょっとした顔をしている雪平に突進した。雪平もすぐに真剣な表情になり、二人は剣戟けんげきを交わす。


 刀に手慣れた者同士の衝突は圧巻だった。目にも見えぬ速さで刀が閃く。お互いに懐へ切り込もうとし、避け、飛び込んでくるのを待ちかまえ、あるいは踏み込む。雪平の方がよく動き回っているように見えた。玉緒は私に背中を向け続け、最小限の動きで応対している。雪平が飛び上がるようにして、玉緒の頭をめがけて刀を振り落とす。玉緒は刀の腹でそれを受け止め、もう一方の手も添えた。


「――雪平、お前は自分が何をしているのかわかってるのか?」

「人の屋敷に入り込んできて大暴れしている男が何を言う」


 玉緒がぴく、と身体を震わせ、そして滑るようにして後ろへ後退した。頭を切り裂く為に力を込めていた雪平の刀が、目標を失って真下へ落ちる。雪平はすぐに手首を返し、切り上げようとしたが、それより早く、玉緒が刀で刀を抑えつけるようにして、雪平の刀の動きを止めた。


「……お前は何も知らないのか?」


 玉緒がびっくりしたような口調で聞けば、雪平は怪訝そうに眉を跳ね上げた。


「何も知らないって何を?」 


 ふ、と戦闘状態が途切れた気がした。雪平の問いに、玉緒は言葉を選ぶようにして答える。


「俺も何がどうなっているのかわからないが……化野速水が月國をここに連れてきたんだ。おそらく殺すつもりで」

「……嘘を吐くにしても、もっとましな嘘を吐け。何故速水が初品なんぞを殺さねばならん」

「あなたこそ、もっとましな嘘を吐けば」思わず声を上げていた。「口封じの為に四苦八苦していたくせに」

「口封じ?」

「どこまでシラを切るつもりだ? もう全部知ってる――お前たちが迅皇子を殺そうとしてることも」


 すると玉緒も雪平も揃って目を剥いた。


「何!? 何の話だ、それは!」


 雪平が怒鳴るように言い、刀をその場に投げ捨て、私の元へ近づいてきた。それを玉緒が押し留めようとしたが、雪平は彼を突き飛ばすようにして追いやり、私の肩を掴む。容赦ない力で掴まれ、縛り付けられるような痛みが走った。


「迅皇子を殺そうとしている!? それは速水が言ったのか!? 玲皇子はどうなる!?」

「え……」

「玲皇子も殺されるのか!? あぁ、こんなところでお前なんかの相手をしている場合ではない、私も城へ行かなければ……」

 

 そう言って雪平は手を離したが、同時に勢いよく咳き込んだ。頭痛がするのか、頭を抱え、苦しそうな咳を繰り返している。無防備な額に手をやれば、相当な熱が出ていた。やはり体調が悪かったのだ。すぐに雪平は私の手を払いのけ、さっき投げ捨てた刀を拾い上げる。


「速水め、あの優男がそんなことを考えていたとは……」

「待って、あなたは本当に何も知らないのか?」

「知らん! 卑怯な手を使う男と一緒にするな!」

「迅皇子殺しは化野宗家の企みだぞ! 毒を盛ったのも、私を襲ったのも、全部、宗家の仕業だ! 速水だけじゃない……!」

「……何?」


 雪平が目を見開いた。隣で玉緒も呆然とした顔をしている。理解が早かったのは、玉緒の方だった。彼は瞬時に刀を納め、冷静な眼で雪平を見る。


「確かにこいつははかりごとには向かない男だ――全て顔に出るからな」

「何だとッ……そんなはずがないだろう、全てこいつの作り話だ! 化野の名誉を汚すとは……玉緒、今、この場でこいつを討つなら、今の無礼、許してやる」

「断る」


 玉緒はさらりと答え、襖に目をやった。


「作り話ではないだろう。見ろ」


 そう言った途端、襖が開けられた。五、六人ほどの武人が刀を持って飛び込んできており、その切っ先を迷わず私と玉緒に向けたが、そこに雪平もいることに気付き、ハッと息を呑んだ。


「雪平様、これは――」

「お前たち、何をしている?」

「あ……玉緒殿と神楽月國を……その……」

「その、何だ?」雪平の声に怒気がこもる。「玉緒は分家次期当主。私はともかく、お前たちが簡単に刀を向けて良い相手ではないはずだが?」

「ま、雅人様が……」

「兄か。玉緒とこの初品を殺せとでも言ったか?」

「いえ、玉緒殿には、その、そこまでは……」


 言い訳を探るような武人の声に、雪平は身体を震わせた。


「お前たちは知っていたのだな!」


 雪平の吼えるような声に、武人たちはビクッと震えあがった。雪平は刀を彼らに向け、視線だけを私たちに投げてくる。


「殺されるのは迅皇子だけか? 玲皇子は……」

「玲皇子は狙われていない、迅皇子だけだ」

「なら行け」


 雪平はそう言い、武人たちを睨みつける。


「最近様子がおかしいとは思っていたのだ、まさかこんなことになっているとはな。私は卑怯な手段が吐き気がするほど嫌いだ。何の為に武人をやっているつもりなんだ、速水も、兄も、お前たちも……――お前の主君を救ってこい、玉緒」

「……ここは任せました」


 玉緒が軽く頭を下げる。そして振り返り、私の手を掴んだ。熱く、固く、しっかりとした手だ。


「ひとまず城へ急ごう。事の顛末は道中で教えてくれ」


 私の手を引き、玉緒は迷いなく走り出す。必死に走らなければ置いていかれそうなほど速い。玉緒が焦っているのがよく分かる。ぎゅっと手を掴み返し、駆けると、玉緒がちらと振り返った。


「間に合って本当に良かった」


 僅かに彼が微笑んだ気がした。

 敵陣を駆け抜けている、こんな状況なのに、その声一つで、今まで静かだった心臓が驚いて飛び跳ねる。


 ――これは、痺れ薬の後遺症なんかじゃない。

 こんな危機的瞬間で、そんなことを自覚してしまった。


 

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