第四十四話 抜刀
「迅皇子を殺す……!? 皇家を守る化野の者がよくそんなことを言えるわね!」
「我々が仕えているのは玲皇子ですから」
「だったら玲皇子の命令ってことなの!?」
「彼は何も知りませんよ。もともとそういうことには向かないお方だ」
迅を殺せば、玲も化野宗家も安泰――逆に考えれば、迅が生きていれば、玲も化野宗家も危ういということだ。意図を掴み切れずにいると、速水は笑顔を浮かべたまま言った。
「我々は万が一にでも迅皇子に皇帝になられると困るのです」
「……どうして?」
「彼が皇帝になるということは、玉緒が皇帝の護衛になるということですから。化野家の力関係が逆転してしまいます。今まではどの皇子の護衛も宗家が担っていたんですがね……いやはや、雅人殿も雪平殿も分家程度に後れを取るとは情けない」
「待って、じゃあ、宗家の権力を奪われないために、迅皇子を殺すのか? 彼が即位出来ないように?」
「えぇ」
「――お前たちは誰に仕えてるんだ!」
思わず吼えると、速水はビクッと強張った顔になる。
「自分たちの保身だけ考えるなんて……皇家を護衛する化野一族の名が泣くぞ! 自分たちの矜持を自分で傷つけて、恥ずかしくないのか!」
「何を怒ってるんですか……一族の名を守る為に、色々と手を尽くしているんですよ」
「迅皇子はこの国に必要な人だ。それも分からない人間に、皇帝を守る資格なんかない!」
そう叫んでから、私はハッとした。速水を怒鳴りつけている場合ではない――このままでは迅が殺されてしまう。
「迅皇子をどうやって殺すつもりなんだ」
速水は微笑むだけで答えない。余裕そうに首を振るのを見て、私は歯を鳴らした。
「すぐに答えないと喉を嚙み切る!」
「乱暴だな」彼はまだ微笑んでいる。「わかりました。接吻してくれたら教えてあげてもいいですよ」
「――は?」
「香鈴みたいな可愛い子も好きですが、あなたみたいに美しい人も好みなんですよね」
――どこまでも舐め腐っている。
速水が真面目に返事をしていないのはすぐにわかった。用済みになれば始末する私を、最後に構ってやっている、くらいの心持ちなのだ。いくら組み敷いていようが、向こうは刀を持っている。大声を出せば仲間もくるだろう。
悔しい――と同時に腹立たしい。
「……そうか」
私は微笑んだ。ぴた、と速水が動きを止める。
「恥ずかしいから目を閉じてくれる? 私の人生最後の接吻になるだろうし」
「それは随分と浪漫がありますね」
彼は「噛みついたりしないでくださいよ?」と笑いながら、そっと目を閉じる。
もちろん、喉を噛み千切る、というのはただの脅しだ。そんなこと、流石の私でも出来ない。
けれど。
私は頭を振りかぶり、勢いよく速水の口元に頭突きを食らわせた。声にならない悲鳴が上がる。彼の口から血が溢れ出た。歯の欠片のようなものも血と共に飛びだしている。速水は両手で口元を抑え、悶絶した。
その隙に、私は速水の上で転がり、後ろ手で彼の刀を軽く引き抜いた。腕を結ぶ縄を押し当て、前後に揺すると、縄は簡単に切れた。這うようにして身体を起こし、速水の上から転がり落ちると共に、その刀を完全に引き抜き、奪い取る。
速水が唇を抑えたまま体を起こし、血走った目でこちらを睨む。何やらモゴモゴと叫んでいるが、口内が血でいっぱいな為か、何を言っているのかさっぱり聞き取れない。
私は奪い取った刀で足の縄も切り、手足の自由を確保する。すぐさま刀の切っ先を速水に向けると、彼は青白い顔をして後退った。
「れっきとした裁きを受けろ、この屑!」
そう叫び、私は刀を手の内で回して、峰の方を彼に向けた。大きく一歩踏み込み、懐に入り込むと、それで鳩尾を叩く。一発では気絶しなかったらしく、速水は口に溜めていた血を吐き出し、咳き込んでいる。全身を震わせているところに、もう一打撃、今度は柄頭の部分で、確実に鳩尾を抉った。
ひゅ、と空気の漏れるような音がし、速水が崩れる。ぱっと後ろに飛びのけば、彼はそのまま畳に倒れ込んだ。もうしばらく目覚めないだろう。
刀を握りなおし、構える。ある程度の扱い方は身につけているが、武人相手には素人同然の腕前だろう。正面突破ではすぐに捕まる。出来るだけ身を隠しながら、抜け出して城を目指そう。
そんなことを思いながら、襖に手を掛ける。それはすっと抵抗なく開いた。奥を見やれば、畳張りの部屋に繋がっている。その部屋は三方とも襖になっていて、どれもきっちりと閉ざされていた。見渡してみたが、人影はない。するりと入り込み、後ろ手で扉を閉める。
盛られた毒のせいか、まだ頭の奥が痺れているような、鈍い感覚があった。頭を振り、集中力を高めながら、目の前にある襖へと駆ける。とりあえずまっすぐ進み続けてみよう――そう思ったが、前の襖を開ける前に、別の襖が開けられた。
「速水殿、ご連絡が――」
男の声だ。振り返れば、武人らしき人物が私を見て、ぎょっとしたような顔をしている。神楽の、とその唇が動き、ぱっと柄に手を掛けた。動作を見るだけでも、腕の立つ武人だとわかる。私はそのまま襖をあけ放つと、がむしゃらに逃げ出した。
*
「――失礼する」
表門から突入し、母屋に飛び込めば、玄関口にいた下女が甲高い悲鳴を上げ、持っていた壺を落とした。その音を聞きつけ、化野宗家の武人が次々に飛び出してくる。彼らは俺の姿を見ると、一斉に刀を引き抜いた。
「お早いご到着で――おい、速水殿に伝えろ、あの女はもう殺して良い」
そう言われた男が一人、踵を返して駆けだしてゆく。すぐに追いかけようとしたが、前方を三人の武人に阻まれた。
宗家と言えど、本当に直系の者だけで組織されているのではない。他の分家や末端の人間も、宗家の加護を得る為、宗家に仕え、宗家を名乗るのだ。化野速水も本来は末端の人間であり、宗家の権力にしがみ付き、加護を得ていたはずだ。
三人の顔を見比べたが、どれも薄らぼんやりとした記憶しかない――ということは、名のある武人ではない。どうせ、腕の立つ武人のほとんどは、今晩の親睦会の守護に駆り出されているはずだ。
ならば、早々と突破して月國を救い出すのみ。
それまで生き延びてくれ――
「誤って死んでも文句を言ってくれるなよ」
三人の男にそう囁き、俺は抜刀した。
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