第四十話 勝負
「え、何で……?」
驚いて聞き返す――心のどこかで、優しい月矢なら快諾してくれると思い込んでいたのかもしれない。予想を裏切る返事に動揺が隠せなかった。
月矢は笑みを浮かべたまま、優しい声で答える。
「だって危険な道なんだもの」彼はちらりと玉緒を見る。「彼から聞いたよ? 随分と危ない目に遭ってるみたいじゃないか。もとより男社会に女の子を一人で行かせるのには不安があったけど、命さえ危ないのなら、僕はもう君を城に行かせることは出来ないよ」
「事件の捜査は進められてるから、いずれは犯人が捕まるはずよ。その後ならもう命も狙われないと思うわ」
「何で君が狙われてるかもわからないのに?」
「それはそう……だけど……そんなもののせいで夢を諦めるなんて嫌よ……」
思わず声が尻すぼみになる。
「気持ちはわかるけどね、月予。僕らが偶然、双子として生まれてきたように、世の中には自分の力じゃどうしようもない偶然がたくさんある。今回もそうだと思って、受け入れて、結婚をして欲しい」
月矢があくまでも優しい声でそう言う。言い切ってから、言葉選びを間違えたことに気が付いたのか、彼はぱっと唇を抑えた。
「ごめん、こう言うと、君には受け入れがたいね」
「当たり前じゃないの。そもそも、私が女として生まれてきたのが、どうしようもないことなんだから」
「そうだね……」
彼は遠い目をして微笑む。私は畳に両手を着き、前のめりになった。
「ねぇ、お願い、月矢。もうどうしようもないことに振り回されるのはごめんなの。私は官人の道を進みたい。危険も伴うかもしれないけど、でも、諦められないの。お願い、私の事を思うなら、道を譲って欲しい」
「――俺からも頼みます」
静かな声が加勢した。見れば、玉緒も畳に手を着き、頭を下げてくれていた。
「玉緒……」
「夢を諦めて欲しくないんです。身勝手だと思われるかもしれないが、彼女が夢を叶えることを期待しているので」
月矢の瞳の奥が僅かに揺れた気がした。彼は玉緒と私とを見比べ、目を伏せると、淡い溜息を吐いて円卓に凭れかかった。
「そうだなぁ……そこまで言うのなら――勝負しようか、月予」
「勝負?」
「うん。僕が勝てば君は結婚する、君が勝てば官人のままでいればいい」
「受けて立つわ」
気が付けば即答していた。顔を上げ、きっぱりと言い放つと、月矢は満足そうに頷いた。
「よし。じゃあ……弓勝負にしよう」
「弓? でも月矢は……」
「あぁ、相手は僕じゃないよ」月矢はへらっと笑い、指差した。「射るのは玉緒さん」
指を差された玉緒が、ぎょっと目を丸くする。思わず目があった。彼も相当に驚いた顔をしていたが、こちらだってなかなかに酷い顔をしていた気がする。
――玉緒と勝負?
城の中で弓勝負をしたのが、遥か以前のことのように感じる。本来は私が負けるはずだった。そこを玉緒がわざと打ち外してくれたおかげで、負けを免れたのだ――もう実力差ははっきりとわかっている。
月矢が微笑みながら付け加えた。
「玉緒さんが手を抜いていたら、その時点で月予の負けとするから。頑張ってね」
*
――本当に喰えない奴だ。
思わず舌打ちをしそうになる。月國には勝ってほしいのに、手を抜くなときた。
弓を射れる場所へと、廊下を先導して歩いていく月國は、いつもながら背筋を伸ばし、堂々と風を切って歩いている。不安じゃないのだろうか? 正直、俺は不安だった。もしも月國が負けたら、俺が勝ってしまったらどうすればいいのだ。いや、どうするも何も、月國が迅と結婚してしまうのだが――あまりにも癪だ。
何とか勝ってくれよ、と訳のわからない祈りを、その背中に捧げていると、隣を歩いている月矢がふふと笑い声を上げた。
「小難しい顔をしていますね?」
月國によく似た顔が、こちらを見上げてくる。全てを察しているような、意地悪な顔だ。
「……兄の立場からすれば、皇子と結婚させたいのはわかります。この勝負で彼女を負けさせて、納得させる作戦ですか?」
すると月矢は頭を振った。
「まさか。月予が勝ってもいいと思っています。全てはあの子次第だ」
「形式上ってことですか?」
ほっとした気持ちで尋ねると、また月矢は頭を振る。
「いや、負けてもいいとも思ってますからね。どうか全力でやってくださいよ」
言葉が口内で泳ぐ。何と言おうか迷った果てに、俺は素直に白状した。
「その、俺は武人なので、弓は人よりもずっと得意なんですが……」
「あら、そうですか」月矢は笑った。「それなら結構。どうぞ存分に打ち負かしてやってください」
思わず絶句すれば、彼はきらきらと輝く瞳をこちらに向けてくる。
「負かしちゃったら結婚、ですけど、手を抜いても結婚、ですからね。心苦しいとは思いますが、どうぞ気概を見せてください」
――やっぱり、見抜かれている気がする。
はぁ、と曖昧な返事をすると、月矢は満足げな顔をした。