第三十六話 相談
「気付いてたのか」
そう言って笑えば、玉緒は肩を竦めた。
「何か用か?」
「うん。ちょうど探してたんだ。話がしたくて」
「話?」玉緒は眉をひそめる。「何だ?」
「ちょっと相談を。……甘えてみようかなぁと思って?」
冗談めかして言うと、玉緒は面食らった様に両目を瞬かせた後、笑った。仕方なさそうな、優しい笑い方に、何故か鼓動が早くなる。心臓がおかしい気がする。痺れ薬の後遺症だろうか。
廊下で出会った玉緒を連れて、自室に戻る。部屋には伽藍も誰もいなかった。窓を開ければ、爽やかな朝の風が差し込んでくる。ぴよぴよと気持ちよさそうに鳥が鳴いている声も聞こえてきた。
二人そろって椅子に座り、顔を見合わせる。
先に口を開いたのは、玉緒だった。髪が風に揺られている。
「それで? 相談というのは――迅の求婚のことか?」
「あぁ」
玉緒はどの程度、話を知っているのだろう。まさか、「迅は私の事が好きらしいんだけど、知ってる?」とは聞けない。しばらく黙って様子を見てみたが、玉緒はそれ以上は何も言わなかった。
「……え、と。まぁ、簡単に言うと、このまま月矢のふりをして官人でいるか、それとも第二皇子の正室になるか、なんだけど。どうしようかなぁと思ってて」
「それで俺に相談を?」
「そう。私と迅の問題だって思ったんだけど……わかってる、怖い顔をするな、昨日、玉緒に怒られたばっかりだから。私一人じゃどう考えればいいかわかんなくて、とりあえず、相談をしようと……」
言っている最中に、手が伸びてきた。頭でも殴られるのか、と思ってきゅっと両目を閉じたが、意外にも、玉緒は優しく頭を撫でてくれた、目を開いてみれば、満足そうな笑みがそこにある。
「偉い」
「偉いって……子供扱いするな!」
「ははは、済まん」
玉緒は笑いながら手を引いた。
「それで? お前はどう考えてるんだ」
「どうもこうも、まだ全然どうすればいいかわかんなくて……」
「とりあえず、その悩んでるままでいいから、吐き出してみろ」
口調は命令的だが、玉緒の声に威圧感はない。まるで子供に言い聞かせるような口調だった。
吐き出せと言われても、混乱はまだ収まっていないのだ。そう思いながらも、私は思いつくことを口にしていった。
「……正直、結婚とかはよくわからなくて」
そう言えば、玉緒の眉が僅かに動く。目を上げてみれば、しかし、玉緒はいつも通りの飄々とした表情だ。若干目が死んでいるのもいつも通りで、真面目に聞く気があるのか不安になる。だが、かえって、こちらも気軽に言葉を続けられた。
「性別を偽って官人になった時点で、結婚は諦めていたから……いきなり選択肢に現れるとどうすればいいかわからないものだな。迅と結婚して上手くいくかどうかもわからないし……」
「それに子供を作ったりもしなきゃならない」
さらり、と玉緒は口を挟む。いきなり生々しい言葉が飛び込んできて、私は口を閉ざした。
「結婚するなら、そういうことも考えないといけないな」
「……玉緒は、反対か?」
おずおずと尋ねてみれば、玉緒はぴたりと動きを止めた。それから窓の外に視線を投げ、さぁ、とぶっきらぼうに答える。
「それは俺がどうこう口出しすることじゃないからなぁ」
「まぁ、そうかもしれないけど……。官人のままでいるのは、月矢に申し訳ない。罪悪感が……凄い」
言いながら胸を抑えると、その仕草に玉緒は笑ったようだった。しかし、こちらは真剣である。
「月矢は私にとってたった一人の兄弟で、大事な大事な存在なんだ。その道を潰してるとか、居場所を奪ってるとか言われて……そんなことを思いつかなかった自分にめちゃくちゃ腹が立ってる」
「そうか」
「あぁ。迅と結婚するかどうかはさておき――このまま、官人を続けるのは、身が持たない気がする。こう……自分の矜持が許してくれないし、許せない話だ」
「お前らしい言い分だ」
「そうかな。だから、その、そういう点から言えば、結婚というのはありがたい手段ではあるんだけど……」
――でも、違和感を感じる。
このまま官人で居続けるのは、矜持が許さないが、だからと言って、結婚には踏み切れない。
「……私は我儘なんだろうな」
「我儘?」
「結婚した方が良いっていうのはわかってるんだよ。道理に沿ってる」思わず自嘲的な笑みが漏れた。「確かに女性でも官人になれる社会は作りたいけど、だからって無理やりに官人になって、正面から突破するのは、私は良くても、周りに迷惑をかける。特に神楽家の、兄や、母には……天国の父も嘆いているかもな。今まではそれしか手段がなかったから、そうしてきたが、結婚なら正当な手段で、女性も官人になれる社会を作れるかもしれない。……周りの事を考えるなら、絶対結婚の方が良い」
「……じゃあ、迅の求婚を受けるのか?」
「うん」
玉緒が笑みを消し、真剣な眼でこちらを見た。何か言いたげな様子だったが、その前に私は片手を挙げた。
「――と言いたいところだが、それも何だか受け入れがたい」
「……そうなのか」
拍子抜けたように玉緒が肩を下げた。呆れているような声だった。
「何でなんだろうな。迅の事は嫌いじゃないし、皇家に嫁ぐなんて、信じられない僥倖だと思うんだけど……」
もやもやとして、何故かすっきりしない。
私は一体、どうしたいんだろう。
何か肝心なものを忘れているような気がする。
「一つ、いいか?」
玉緒が遠慮がちに言った。何だ、と目で答えれば、彼は腕を組みながら、不思議そうに言った。
「兄と話してみるというのは、駄目なのか?」
「……え?」
「いや、だから、月矢、だったか? と話してみて、彼と相談してみるのはどうだ。そもそも彼が城になんか微塵の興味もないと言えば、それで済む話だろう。居場所を奪っていることにはならない」
――しばらく言葉が出なかった。
あんぐりと口を開けていると、玉緒が耐えきれないように苦笑した。
「その間抜けな顔、やめてくれないか?」
*
「――着いてきてくれてよかったの?」
玉緒と二人きりで牛車に乗るのは、これで二回目だ。一度目は、初めて玉緒の家に向かった。そして二度目の今は、私の家に向かおうとしている。
向かいに腰かけている玉緒は、あぁ、と軽く頷いた。
「お前は一応、刺客に狙われている身だしな。迅からも許可は出た」
「皇子を守らずに初品を守ってどうするんだ」
「第二皇子の未来の正室かもしれないから、いいんじゃないか?」
「意地悪なことを言うなぁ」
溜息を吐き、私は視線を逸らす。玉緒はくすくすと笑っていた。
――それにしても、緊張する。
月矢は一体どんな顔をするだろう。「実はずっとそう思ってた」と言われたら、私はどうすればいいのだろうか。大好きな兄の犠牲の上に、今の自分があっただなんて、考えたくもない。しかし、それが真実である可能性は小さくないのだ。
「あんまり考え込むなよ」
物見から外の様子を眺めながら、玉緒が言った。昨日の外出とは違い、今日は武官として黒の衣を着ている。武官の衣は文官の衣よりもずっと厚く、しっかりした生地で作られている。
――玉緒は黒が似合うなぁ、と全く関係ないことが頭をよぎった。何だそれ、と頭を振ると、玉緒が黒眼をひょいとこちらに向ける。
「聞こえてるか?」
「聞こえてるよ。ありがとう」
「ん」
――別の事を考えよう。
月矢のことも、玉緒のことも、今は考えないことにする。そう思って目を伏せた時、次にパッと脳裏に浮かんだのが迅だった。今朝の求婚を思い出し、顔がぽんぽんと熱くなる。思わず両手で顔を覆って蹲ると、玉緒はぎょっとしたような声を上げた。
「だから考え込むなって言っただろ、人の話聞こえてるか?」
「わ、わかってる、わかってるから……! これは、その……精神統一?」
「精神統一なら姿勢を正してやれ」
「ごもっとも」
顔を叩きながら、私は姿勢を直した。玉緒が呆れたように溜息を吐く。
人に好きと言われるのは――あれで二回目か。
李燕の顔がよぎった。胸の奥がざらついた心地になる。
「……李燕を追い出したって、言ってたけど……よかったのか?」
「気にするな」玉緒はまた外に目をやった。「もともと厚意で置いてやっただけだ。鳳凰国に戻ると言ってたし、十分な金も渡した。才能もある奴だから、問題ないだろ」
「そうじゃなくて、ずっと一緒にいたんだろう? あんな勘違いくらいで……」
「泣いてたくせによく言う」
玉緒の声に苛立ちが混ざった。ハッとして玉緒を見るが、彼は眉一つ動かさず、まだ外を見ている。
「お前が気に病むことじゃない。あいつのことは忘れて良い」
「でも」
「顔を見ると俺が苛立つから追い出したんだ。斬られるよりましだろう」
「……玉緒、」
「何だ?」
相変わらず、彼は外を見ている。
「祥華が盛った毒って、後遺症とかあるか?」
「どこかまだ動かないのか?」
ぱっ、と玉緒がこちらを見た。心配そうな顔に、思わず首を横に振る。
「動かない訳じゃなくて」
「じゃあ何だ」
「心臓が痛かったり、鼓動が早かったりするんだけど、何でだろう……」
そう言うと、玉緒は至極不思議そうに眉を寄せた。
「そんな後遺症は聞いたことがないが……とりあえず薬でも用意しておこう」
「頼む……」
「……緊張のせいかもしれないから、そう悩むなよ。気楽に行けばいい」
玉緒はそう気遣うような声で言いながら、私の頭をまた撫でた。
鼓動が早いと、心臓の音がうるさくてたまらないなぁ、と私は何気なく思った。
本人たちには昨日でも、私にとっちゃ一週間前なので、めちゃくちゃ混乱する。「この間こんなことがあって」って書こうとして、(あれ?)と思って確認したら、昨日の出来事か…ってなる。
書きたかったシーンの連続なので、調子に乗って書き殴ってしまいました。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!