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第三十話 桜梅祭


「凄い人の数……」


 牛車から降りると、東市は人で溢れ返っていた。町人の中に混じり、顔を隠した貴族の姿もちらほら伺える。次いで牛車から降りた迅が得意げに鼻を鳴らした。


「今日は桜梅おうばい祭と言ってな、今年初めて出品するものや、他国からの輸入品が並ぶ日なんだよ。たまに珍しいものも混じっていると言う事で、貴族の間でもひっそりと話題になっていた」

「……あなた、それ知ってて来たんですか?」


 先に降りていた玉緒が、こめかみを抑えながら言った。迅は肩を竦める。


「それを先に言えば、お前は嫌がるだろう?」

「当たり前ですよ。これだけ人が多かったらはぐれるかもしれませんし――」

「まぁ、そう言うな。行こう」


 迅は玉緒の小言を遮り、私の手を掴むと、人混みを掻き分けて市場の中へ進んでいく。玉緒は憂鬱そうに溜息を吐きながら、その後を着いてきた。

 

 皇子とその護衛だとバレてはいけない為、今日は二人とも普段とは異なる格好をしている。雲間で働く官人が私用の外出で着るような衣服で、玉緒はともかく、迅も顔さえ隠していないので、高名な貴族という風にも見えない出で立ちだった。まさか皇子だとは誰も思わないだろう。

 とはいえ、端正な顔をさらけ出して歩いているので、近くにいる女性たちはみんな顔を赤らめながらこちらを振り返る。しかし、迅に手を引かれている私に気付き、声をかけてくることはしなかった。私も吉祥から、彼女が出かける際に着る服で、古くなったものを借りており、女装をしている。いくら好青年でも、女連れには声をかけづらいのだろう。


「何か見たいものがあるか? 月國――月予は」


 迅は私の手を引きつつ、ちらりとこちらを見て言った。


「いえ、皇子――じゃない、迅、のお好きなところで構いませんよ」

「ふむ」

「呼び捨てって慣れません」

「すぐ慣れる。玉緒なんか常に呼び捨てだぞ」

「それはもっと小さい頃からの付き合いだからでしょう」

「まぁ、そうだな……あちらの店に行こう」


 迅はそう言い、方向を変え、人混みの間を擦り抜けて行く。これほど人混みに慣れた皇子が他にいるだろうか。

 玉緒を心配して振り返ってみれば、彼は思ったよりもすぐ傍に居た。彼も彼で慣れた様子をしてひょいひょいと人の流れの中を進んでいる。目が合うと、彼は不機嫌そうに眉を寄せた。


「俺の身にもなって欲しいよ」

「同情する」

「どうだか」

「どうだかって何だ」

「わかった、わかったから噛みつくな」

「噛みついてなんかない!」

「――月予」


 迅に腕を強く引かれ、私は慌てて前を向き直った。

 彼は人混みから私を連れ出し、ある店の前で立ち止まる。今日は祭りだからだろうか、本来の店の前に、大きな机が並べられており、そこには『桜糖』と書かれた旗が挙げられていた。机の上には、大小さまざまな瓶の中に、桃色をした丸いものが詰められている。


「一番小さな瓶を」


 机の奥に立っている男に、迅がそう言う。男は破顔し、迅から硬貨を受け取ると、手のひらに収まるほどの大きさの小瓶を渡した。中には、桃色の丸が五つほど詰められている。飴玉だろうか?

 迅は小瓶の栓を抜き、私の方を振り返る。


「手を出せ」

「? はい」


 言われた通り、手を差し出す。迅は、桃色の丸を一つ、私の手のひらの上に転がした。


「食べてみろ」

 

 そう言いながら、迅もぱくりと一つ口に含んでいる。皇子ともあろう人が、そうほいほいと物を食べていいのだろうか。不安になったが、傍で見ている玉緒は咎める様子もなく、それどころか、迅に勧められるままに、その丸いものを口にしている。


「食べないのか?」


 迅がそれを口に含ませながら、不思議そうな顔をして言った。


「い、いただきます」


 そう答え、こわごわと口に含んでみて――驚いた。

 舌に乗せた感覚は固く、やはり飴玉かと思った。しかし、それは歯に触れた途端に潰れて、口内に何とも言えない甘さが広がった。とんでもなく甘いのだが、花のような上品な香りがふんわりと広がり、厭な感じがしない。美味しかった。


「これは……」

「桜糖ですよ」店の男性が笑う。「桜の蜜と苺を絞って作った菓子です。白虎国で大人気なんですよ」

「そうなんですか」

「美味いだろう」


 そう言いながら、迅は私の手にその小瓶を滑り込ませた。見上げれば、「やる」と言いたげに彼は頷いている。


「ありがとうございます」


 嬉しい。微笑んで礼を言うと、彼は口角をちらりと上げ、また私の手を引いて喧騒の中へ戻っていく。

 迅はどうして知っているのか、色々な店の前で立ち止まると、たくさんの美味しいものを私に食べさせてくれた。桜糖と同じように、いくつかが一緒になって売られているものは、一番小さなものを買い、残りを与えてくれる。初めはどうして小さなものを選ぶのだろうと思っていたが、次々と買っていくので合点がいった。そこそこの値段のものもあったが、皇子からすればただのつまみ食いなのだ。


「……市のものを皇子が食べてていいの?」


 周りを見渡しながら着いてくる玉緒に尋ねてみると、彼はひょいと肩を竦めた。


「一応、毎度見かけるような店しか入ってないから大丈夫だ。それに、店のものを食べて皇子が死んだとなれば、その店も終わり、働いている者も死刑だ。誰もそんなことを望まないだろう」

「そうだとしても、でも、」

「皇子が来ることが知られていたら別かもしれないが、こう唐突にやってきたら、その分かえって安全なんだ」


 玉緒はそう言いながらも、目線は周囲へと向けていた。

 護衛は大変そうだ。


「そうなんだ……頑張ってね」


 肩を軽く叩くと、彼は苦笑して頷いた。


                      *


「――疲れたか?」


 どれくらい歩き回っただろうか。つまみ食いを繰り返し、腹も膨れたところで、私たちは一旦市場を離れ、すぐ近くの川沿いに腰を下ろしていた。同じように小休憩している人々があちこちに見える。私と迅は斜めになった草地に座っていたが、玉緒は一段高い平地に残り、木に背中を預け、周りを見渡している。


「私は大丈夫。玉緒は大変そうだけど」

「あれが仕事だから大丈夫だ。慣れている」

「そう……」


 振り返って見上げていると、玉緒はこちらの視線に気づき、ひらりと軽く手を振った。気を遣うな、と言っているように見える。 


「月予」


 迅の声に、そちらを向くと、彼は真剣な顔をしてこちらを見ていた。


「李燕と何かあったのか?」


 ――心臓が跳ね上がった。

 ぎょっとした様子で何かを察したのか、迅は眉をひそめている。


「今朝、あいつが近くを通るたび、そわそわしていたが。一体何があった?」

「いや……特に何も……」

「月予」


 迅は声音を低くし、私の肩を掴む。ぎゅっと力を込めて掴まれ、昨晩の李燕を思い出してしまった。それが顔に表れたのか、迅はさらに眉を寄せ、怪訝そうに言った。


「本当に何があった。言え。言わないのなら李燕に聞こう」

「いえ……大したことじゃないんです」

「大したことかどうかは私が決める」

「……ちょっと抱きしめられたりしただけです。私が彼の事を好きだと、勘違いしてたみたいで。ただ、それだけですから」


 迅の手をやんわりと外しながら言おうとしたが、かえって迅は手に力を込めた。


「ただそれだけ?」

「そ、それだけ」

「――腹が立つ話だ」


 迅は心底怒っているような声でそう言った。肩を掴む手がわずかに震えている。


「叩き斬ってやりたい」

「で、ですから、それだけの話なので……」

「私は許せん」迅はぎろりと私を睨んだ。「お前が良くても私は許さない」


 芯のある声でそう言われ、どきりとした。迅は空いた手で私の手を掴む。肩を掴む手とは違い、それは優しく、慈しむようだった。


「何かあったら言え。私が守ろう」


 ――真剣な眼だった。


「迅皇子――」

「――迅! 月國!」


 そんな声が聞こえ、目の前が暗くなった。何かと思えば、玉緒の影だ。玉緒は上から飛び降り、私たちを背にして着地した。と同時に抜刀し、振り抜く。何かが切れる音がした。見やれば、近くの地面に欠けた矢が落ちている――矢?

 ぐいと迅に引っ張られた。無理やり立たされ、先導する迅に続いて斜面を駆けあがっていく。玉緒も抜刀したまま、その後ろを着いてくる。


 振り返れば、川の向こうに、建物の裏へ隠れている男の影が見えた。まさか、私たちを狙っている輩は一人ではあるまい。そう思った瞬間、別の方向から矢が飛んできた。咄嗟に頭を下げて避ける。


「人混みに混じるぞ」


 迅はそう言い、ためらいもなく市場に戻ろうとする。

 川から市場に戻るには、店と店の間の暗い路地を抜けねばならない。迅と私はそこに飛び込んだが、その途端、目の前に人影が現れた。顔の下半分を黒い布で覆っており、人相が分からない。衣服もこれといった特徴のない、黒い衣で、右手には抜身の刀を持っていた。迅が立ち止まり、勢い余って私はその背中に額をぶつける。


「迅皇子!」


 皇子を死なせるわけにはいかない。

 咄嗟に迅の前へ出ようとしたが、それを迅の腕が押し留めた。目の前の男は刀を振りかざし、それを迅の頭めがけて振り下ろす――

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