表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/55

第二十九話 思いつき

「昨晩はありがとう」

 

 吉祥に頭を下げ、彼女の部屋を出る。思ったよりもぐっすり眠れた。彼女の部屋で身支度も済ませてしまった。化粧もしていない顔を見られるのは恥ずかしいと吉祥は照れていたが、それでも随分と美しく、私はひっくり返りそうになった。


 一晩明けると、李燕への気持ちも変わってきた。嫌悪感よりも、怒りが勝っている。


 ――何なんだ。人の部屋にズカズカ入り込んできて、相手の気持ちも確認せずに言い寄ってきて。李燕のことは信頼していたのに。


 むかむかした気分を抑えながらも、廊下を歩き出そうとすると――ちょうど李燕が廊下を通りかかったところだった。

 姿が見えた瞬間は怒りが湧きあがってきたが、しかし、がっちりと目が合うと、何故か言葉が出なかった。李燕は困った顔をしながら、私の方へ迷いなく歩いてくる。


「月予サ――」

「月予さん」


 それを遮るように、逆方向から声がした。振り返れば、近くの部屋から祥華が出てきたところだった。彼女は私が吉祥の部屋から出てきたのを見ていたらしく、あからさまに怪訝そうな顔をしている。


「うちの娘の部屋で何をしてらっしゃったの?」

「祥華さま!」私は思わず声を上げ、祥華に駆け寄った。「おはようございます! ご機嫌いかがですか?」


 いつもなら鬱陶しい祥華の登場も、今日はありがたく思えた。両手を擦り合わせながら近寄ると、祥華は扇子で顔を隠しながら、驚いたように後ろに退がる。


「嫌だ、何ですの、あなた、様子が変だわ」

「え、全然変じゃありませんよ。いつも通りです」

「気持ち悪いわね……」


 祥華はバッサリそう言い切ると、私を迂回するようにして廊下を進んでいく。そして立ち止まっている李燕に気付き、顎で前を示す。


「李燕、来なさい」

「は、ハイ」


 李燕は慌てたように頷き、ちらちらと私を振り返りながらも、そのまま祥華に着いていった。二難来て二難去った。ありがたい話だ。私はほっと胸を撫で下ろした。

 今日はどうやって過ごそうか。普段は本を読み、読書に疲れたら李燕と話して過ごすのだが、今日はそういうわけにもいかない。自室に籠っていて、また李燕が来ても困る。

 事件の経過についても話がしたいし、迅の部屋を訪れてみてもいいかもしれない。きっと玉緒も一緒だろう。朝から城に戻っていて不在かもしれないが。


 そう考えて迅の部屋に向かったのだが、何だか屋敷の中が騒がしかった。誰もがバタバタと走り回り、忙しそうにしている。どうしたのだろうと思いつつ、迅の部屋の近くに行くと、ちょうど玉緒がその部屋から飛び出してきた。


「玉緒……」

「月國、ちょうどよかった」


 玉緒はどこか焦ったような口調でそう言い、私を手招きする。私が駆け寄ると、彼は部屋の中に私を招き入れた。中では、迅が椅子に座り、卓の上に広げられた手紙を見つめている。彼は部屋に入ってきた私に気付くと、にこりと柔らかく微笑んだ。


「おはよう、よく眠れたか?」

「えぇ、まぁ、思ったより」

「そうか」


 私の返事に、玉緒は不思議そうに首を傾げた後、卓の上に置かれた手紙を指で差した。


「面倒なことになったぞ」

「……なんですか?」

「そう怖い顔をするな。……今日、化野の人間がこの家で会議を開くらしい」

「――え?」

「宗家や分家の人間が集まってくる」玉緒が溜息交じりに言った。「雪平が来るぞ」


 あの血気盛んな宗家の次男だ。私は自宅謹慎を受けているのに、こんなところで会ったらその場で叩き斬られそうだ。さぁ、と血の気の引いていく音がする。


「へ、部屋に籠っている」

「いや、外へ出よう」


 迅がそう言いながら立ち上がった。


「会議は本来なら宗家の家でするはずだった。それを当日になってこちらに移すとは、少々強引が過ぎる――誰かがお前の存在に勘づいているのかもしれない。同じ屋根の下に置いておくのは危険だろう。だから、外へ出る」

「外、っていったいどこへ」

 

 玉緒が眉を寄せ、怪訝そうに尋ねた。迅は両肩を竦める。


「市場だ」

「危険すぎるでしょう」玉緒は即答した。「月國は命を狙われてるんですよ」

「だからお前も着いていけばいい」

「俺はその会議に出なければなりません」

「そんな大事な会議じゃないぞ。当日に会場変更しても許される、顔見せ程度のものじゃないか」

「そうですが、」

「お前の父は出るだろう。それで十分だ」

「――あの、そもそも、俺はあなたの護衛なんですが」

「あぁ。だから私も行く」

「……は?」


 玉緒の声が氷点下に落ちる。迅はそれをわかっていたように、目を細めて楽しげに笑った。


「私も市場に行く。そろそろ市井の様子を見ておきたかったからな、一石二鳥だ」

「迅皇子、流石にそれはまずいんじゃないですか……?」


 私もおそるおそる言葉を挟んだ。一国の王子が、そう簡単に市井に出ていいのだろうか。しかも、迅の口ぶりだと、私たち三人だけで行くように聞こえる。

 迅は笑いながら私の肩に手を回した。


「そろそろお前も外を散歩したいだろう。ずっと屋敷の中にいるものな」

「そ、それはそうですけど、でも」

「玉緒と二人で市場に行くことは多々ある。民の目と同じところに立たねば見えるものも見えないし、人を連れすぎると特別視されて、良い顔しか見れん」


 迅は真剣な調子でそう言い、それから玉緒を見た。勝気な笑顔だった。


「――化野家には、第二皇子の命令により会議を欠席すると申告しておけ」

「あなたへの信頼が落ちますよ」

「何を、それくらいのことで下がる程度のものではない」


 迅は自信たっぷりにそう言う。しかし玉緒は言い返せないように、溜息を吐いた。彼はやれやれと首を振り、片手を軽く挙げる。


「わかりました、わかりました。市場へ連れて行けばいいんでしょう」

「あぁ。頼むぞ玉緒」


 玉緒は呆れたように頷いている。

 なんとも強引な皇子だ。見上げてみるが、彼は悪びれた様子もなく笑っている。

 しかし、ちょうど、李燕と一つ屋根の下にいるのが苦痛だったところだ。宗家からも離れられるし、良い機会だろう。


 ――それに、かえって外に出て襲われた方が、その犯人を捕まえて話を聞き出せる可能性があるから、好都合かもしれない。ただ、皇子と共に行くというのだけが不安だが。そこは玉緒がしっかり守ってくれるだろう。

 いつまでも玉緒の家で燻っているわけにはいかないのだ。誰かがまだ私を狙っているのなら、それを捕まえてしまいたい。


「じゃあ、早速準備しましょう!」


 私が迅に向けてそう言うと、溜息を吐いたのは玉緒だった。見れば、彼はこめかみを抑えて、憂鬱そうに天井を見上げていた。護衛としては胃の痛い展開なのだろう。

 ――申し訳ないけど、頑張ってくれ。

 内心で声援を送りながらも、私はその提案を却下するつもりは微塵もなかった。


                   *


「――あれ? 結月、どこか行くの?」


 部屋を出ようとした僕を呼び止めたのは春孝だった。月國が自宅謹慎を受けてから、もう一週間以上も過ぎた。四人部屋を彼と二人だけで使うのは心寂しい思いもしたが、春孝はいつも微笑んでいて、僕を気遣ってくれた。彼はいつでも大人びていると思う。本当に優しい友だ。


「うん。今日は休みだから、月國のところを尋ねようと思って」

「そっか」春孝は微笑む。「結月は本当に月國が好きだねぇ」

「ちょ、ちょっと、誤解を生むような発言はしないでよ」

「はは、ごめんごめん」


 春孝はニコニコと笑う。黒目が見えないほど目を細めて笑う、春孝のその笑顔にいつも癒されてきた。


「でも、ほら、この一年間、君はずっと彼の背中を追いかけてきてたよね?」


 春孝の声は軽く、押し付けているような声音ではないが、しかし、核心を突いていた。気付かれていたのか、と思うと恥ずかしくなる。


「……月國は僕の憧れだから」口にすると余計に恥ずかしい。「月國はほら、賢いし、あと強いだろう? 喧嘩とかじゃなくて、精神的に。誰に何を言われても挫けないし、それどころか怒ってみせる。僕は昔から人にへつらって生きてきたから……あんな風になりたくて」

「月國は強すぎるのが問題だけどね。いろんな人に敵視されすぎだよ」

「それは確かに。僕らも色々と迷惑を被ったね」思い出して笑みが浮かぶ。「けど気持ちの良い生き方だな」

「そうだね」


 春孝は微笑みながら頷く。傍で見ていればよくわかる。月國は危なっかしいほどに猪突猛進だが、走り抜けていく姿はとても気持ちが良さそうだ。壁にぶつかればその壁を壊して先に進む。いくら怪我をしても、周りに引かれても、先に進みたい気持ちでいっぱいいっぱいなのだ。

 

 ――彼に出会えてよかった、と心底から思っている。

 出来のいい兄たちに馬鹿にされ続け、父親から一切の期待を受けずに、仕官する年齢になった。出来るだけ楽な仕事に就いて、目立たず、そこそこ幸せに生きていければいいな――という僕の思いは、彼と同室になって砕け散った。

 ――自分を卑下するのは、全力で頑張ってからでいいや。

 そう思って、今まで適当にしか取り組んでいなかった勉学に励むようになった。


「お前なんかいくら頑張っても駄目だ」


 小さい頃、僕が本を開いていると、兄が寄ってきて必ずそう言った。

 実の成らない努力は虚しいだけ。

 そんな呪いを、月國は壊した。

 ただひたすらに勉学に夢中になり、必死に仕事をこなし、滅茶苦茶に前進していく彼を見て――何もしなければ実が成らないのは当たり前だと、そんなことに気が付いた。

 実の成らない努力は虚しいかもしれない。けれど、ただそこに在るだけでは実は成らない。


 ――自分の矜持は自分で守らないと。他の誰も守ってくれないからな。


 そう言った彼の言葉が、今でも忘れられない。

 自分の価値は自分で高める。そんな当たり前のことを彼は教えてくれた。

 同い年で、友である彼には面と向かって言えないけれど、僕の憧れであり、目標だ。


「……ずっと自宅謹慎だとあいつも暇だろうし。ちょっと顔を見に行ってくる」

「そっか」春孝は微笑み、それから自らの頬を掻く。「僕も行きたかったな。用事入れるんじゃなかった」

「春孝の分も挨拶してくるよ」

「家に行ったら、双子の妹さんとも会えるかな。どれくらいそっくりか見てきてほしい」

「うん。――あ、そうだ、何か、手土産にお勧めのお菓子はある?」


 すると、春孝は目の色を変え、次々とお勧めのお菓子を紹介し始めた。あまりの口の速さと情報量についていけず、慌てていると、彼はそれを小さな紙にまとめて渡してくれた。


「一番上がお勧めだけど、開店一番に行かないと売り切れてるかもだから。その時はこっちか、そっちね。ここは少し遠めだけど確実に美味しい」

「はは、わかった。ありがとう」

「うん。よかったらお土産に買ってきてよ」

「がめついなぁ。まぁ、いいよ。春孝には色々もらってるもんね」

「よろしくね」

 

 春孝は声をあげて笑いながら、僕を見送ってくれた。

 僕は荷物を持ち直した後、よしっ、と気合を入れて、部屋を出る。

 月國は一体何をしているだろう。一週間ぶりに会う友の顔を見て、何を言うだろうか。

 きっと機嫌が悪いだろう。城に戻りたくてウズウズしているはずだ。あと、きっと夜中まで本を読んで寝不足だろう。弓勝負で負けたことを根に持っていたから、弓を射るのに明け暮れているかもしれない。


 ――月國が、不機嫌そうに怒りを表明する声を、久々に聞きたいものだ。

 そんな風にまで思ってしまうのは、流石にまずいかもしれない。

 そんなことを考えつつ、我ながら可笑しくて笑ってしまった。

 

もう本編で出すタイミングがなさそうなのですが…

春孝は、病気で仕官が一年遅れた為、月國たちよりも一つ年上という設定です。

一年遅れだと月國なら焦りそうなものを、どしっと構えてのんびり前に進む、月國にはない余裕を持った登場人物として作りました。

ですが、気が付いたらお菓子を好むのんびり屋さんになってました。春孝という名前が、ぽかぽかしてそうで、よく似合っているなぁと思います。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ