第一話 梅が咲く季節
玉龍城での一年は瞬く間に過ぎて行った。
気が付けば梅が咲く季節。文珠殿の窓から覗く花を見ていると、後ろから罵声が飛んでくる。慌てて返事をして、手元の書類に注意を引き戻した。
梅の花を見る度に気持ちが逸れる――来週はついに、待ちに待った『花立の試』だ。
貴族の子供たちは、十八歳になると玉龍城に仕官を始める。それから一年は、たとえ王家の親戚であろうと、平貴族の子であろうと、みな官位の最底辺である『初品』であり、緑色の官服に身を包んで、城での仕事や生活の基本を学ぶ。そして一年が経ち、初品期間が終わる春に、『花立の試』があるのだ。
文官の官位は初品も合わせて十三位ある。初品から次の位である従八品までは誰でもこの春に昇格でき、従八品から正八品、従七品、正七品、従六品までは一年に一度催される試験に合格すれば一段ずつ昇格していくことが出来る。ここまでは黄緑色の官服であり、正六品から上位は、官位によって官服の色が細やかに変わっていく。正六品、従五品、正五品、四品までは三年に一度の試験に合格すれば昇格できる。その上にある三品、二品、一品は、城の正中に位置する天上門より北、皇帝たちが生活したり、国政の中心の場となる、いわゆる「天上」に立ち入ることが許されるようになり、したがって「天上人」とも呼ばれる。この三位までくると非常に重役であり、試験形式ではなく、皇帝や皇太子、あるいは三位などの口添えでしか昇格出来ない。
――と、このように、基本的には試験か、あるいは特別な褒賞としての昇格でしか位を上げることは叶わないのだが、仕官して一年目と、三年目の春には、それぞれ特別な飛び級試験が設置されているのであった。
その一つ目が『花立の試』である。王家の親族であれば従五品まで、有名貴族の子は正六品まで、その他は従六品まで飛び級で到達することが可能になっている。
「月國の父上は、花立の試で、従六品まで昇られたのだっけ。百年に一人の天才と称されたとか」
最近の初品たちの話題の種といえば、来週に控える花立の試である。大きな夢と一発勝負という恐怖を孕む花立の試について話が止まないのは、私も、私の隣で働く結月も同じことだった。
僅かな休憩時間に、お茶を渡してくれながら結月がそう尋ねてくる。
「うん。本当に父上は優秀だったみたいだ」
私の父、神楽明星は平貴族の出自ながら、花立の試にて、今まで片手で数える程度にしかいなかった、最上位への昇格を成し遂げたのである。もう六年も前に亡くなってしまい、当時の詳しい話を聞けないのが残念だ――まぁ、父が生きていたら、私がここにいることなど、許してはくれなかったのだろうけど。
「月國は? どこまで目指すの?」
飛び級できる、と言えども、大半の人間が一つか、二つほど位が上がれば良い方だった。その中で、従六品まで到達した父は異例中の異例である。一応は従五品まで昇格を許されている王家の親族たちでも、正七品に到達すれば拍手喝采、将来有望と褒めちぎられ、一目置かれるくらいなのだ。父が昇格した当時は、城の話題はそれでもちきりだったという。
「どこまで目指すと思う?」
にやりと笑って尋ねてやると、結月は明るい茶色の目を細め、呆れたように笑いながら両肩を竦めた。
「月國にそんなこと聞いた僕がバカだったよ」
「父のおかげで、今や神楽家は名のある貴族だ。正六品までの昇格が許されてるなら、もちろん正六品を目指すさ」
「父上を超えるつもりかい?」
「超えようと思わないと並びさえ出来ないからね。もちろん、超えられるのなら超えるよ。それで? 結月はどこを目指す?」
「僕は……そうだなぁ。兄たちが従七品だったから、僕もそこを目指すよ」
「君なら余裕さ」
そう答えると、結月は照れくさそうに微笑んだ。一年前より、ずっと良い顔で笑うようになったと思う。
雑談に花を咲かせていると、いきなりその間に山積みの資料が置かれた。
「悪いけど、これ武晶殿に持って行ってくれないか」
振り返れば正六品の先輩である。結月がハイと返事するより前に、私は怪訝に思って尋ねた。
「まだ休み時間ですけど?」
「もう十分休んだだろ。いいじゃないか。どうせ来週になればお前の方が俺よりずっと位が高くなるんだから、その時俺をこきつかえばいいよ」
「どういう理屈ですか、それ」
私は笑って尋ね返したが、先輩はじゃあ、と去っていく。仕方がない。結月が書類を運ぼうとする手を止め、私はそれを持ち上げた。
「私が運ぶよ」
「いいの?」
「うん。……それにしても今の時期は忙しいな」
ささやかな休み時間とはいえ、納期が押している仕事を抱えている人間は、みな血相を変えて机に向かっている。
「花立の試の準備で忙しいもんねぇ」
結月がそう言って、自らも途中の仕事に目線を向けた。私はそうだな、と返事をして、お茶の残りを喉に流し込んだ。
春は様々な思惑が蠢く季節だ――決して嫌いではないが。
*
先輩に託された資料も、その試験に関係するものだった。会場の詳細や当日の進行などについて詳しく書かれている書類を抱え、文珠殿を出る。南にある東殿の前を通り、雲門のすぐ後ろを抜けようとしたとき、雲門前を掃除している数人の女官を見かけた。その中に知った顔を見つけ、私は軽く手を振る。
「樹杏」
「月國!」
箒を持って埃を掃いていた彼女は、近づいていった私に気が付き、ぱっと顔を上げた。その顔を正面から見て、私はふとその変化に気が付いた。
「あれ、今日はいつもより白粉を濃くしてるの?」
何気なく尋ねたのだが、樹杏は白い顔をぽっと赤くすると、細い手で両頬を挟んだ。
「変かな……」
「変ではないけど。そうするとそばかすが見えないね」
「そうなの」樹杏は嬉しそうに微笑んだ。「気にしてたから……」
「気にする必要はないでしょ。それがまた可愛いんだから」
私が笑いながら言うと、樹杏はより顔を赤くし、顔の前で手を振った。
「そういうのよしてってば……!」
「あれ、機嫌を損ねたかな?」
「いいから、仕事あるんでしょ! 行かなくていいの?」
樹杏は怒ったようにそう言い、くるっと私に背中を向ける。そして自分の頬をペチペチと軽く叩いていた。
彼女はたまに機嫌を損ねる時がある。私の態度がおかしいのだろうか。
子供の頃から、何度か月矢のふりをして男子と混じって遊んだり、勉強したりしていたから、男らしく振る舞うのはすっかり慣れている。それにもう一年も経ったのだ。かえって実家で女らしく振る舞う方が大変だった程に、男であることに慣れてきた。そうにも関わらず、たまに話している女性が奇妙な態度をとることがあった。自分のふるまいに、まだ女性特有のものが残っているのかもしれない。
白粉の話までしたのがよくなかったのかしら……と思いながら、ごめんよ、と声をかけたが、彼女は振り返らないまま、いいから、いいから、と焦ったように言っている。
そうしていると、近くにいた女官も私に気付いてワァと甲高い声を上げた。
「樹杏、月國様とお知り合いなの?」
「水臭い。紹介してくれてもいいじゃないの」
「そんなんじゃないのよ」
樹杏は少しだけこちらを振り返る。耳まで真っ赤になっていた。彼女ははしばみ色の目を私に向け、むっとした顔をする。とはいえ赤面しているので可愛らしく見えた。
あんまり長居しても迷惑だろうと思い、私は樹杏に手を振り、周りの女官にも軽く頭を下げると、門を離れて、武晶殿へと向かった。
武官たちが務めている武晶殿の厚い扉を叩くと、すぐに私と同じ緑色の官服を着た青年が飛びだしてきた。そしてろくに言葉を交わさないまま資料を受け取ると、礼だけを告げて中へ戻ってしまう。こちらも随分忙しそうだ。
さて、私も自分の仕事に戻ろう――と思って踵を返した時、武晶殿の入り口のすぐ脇で、五、六人の初品たちが困った顔をしているのを見つけた。その視線の先を見てみれば、武晶殿の横に位置する、弓術の演習場に人だかりがあった。
「……どうしたんですか?」
困り果てた顔をしている初品たちに尋ねてみると、その中の一人がこちらを見、両肩を軽く上げた。
「どうもこうも、演習場が独占されていて使えないんですよ」
はぁ、と生半可な返事をすると、そこにいた初品たちは、栓が外れたように、次々に不平を漏らし始めた。
「来週に花立の試があるでしょう。僕ら武官は、弓や刀などの実技の能力が高い方が昇格できるのです」
「だから個別の休み時間ごとに演習場で練習をしているんですけど……」
「最近、あの方たちが、この時間によく弓術場を独占なさるんです。僕らはこの時間しか弓を射れないので困っていて……」
「本当に。お遊びなら別の時間にして欲しいよ」
「何も花立の試前になさらなくても」
「彼らには初品なんてどうでもいいのだろうよ」
はぁ、なるほど、とさっきよりは少しだけましな返事をして、私はもう一度人だかりの方を見てみた。そこにいるのは、ほとんどが薄赤や朱の官服を着た、四品や正五品のような、私たちより遥かに位が高い人々だった。天上人はいないようだが、今春の人事異動であの中から天上人が生まれるかもしれない、というくらい高位の人々である。そして、その中に、黒い官服を着た男と、白い官服を着た男が一人ずついた。
黒い官服は、官位を離れた武官、いわゆる要人の護衛を行う武士が着用する服であるとこの一年で知った。また、白い官服は客人や芸能に富んだ人間が着る服で、こちらも官位を離れている。どうやら、白い官服を着た男に護衛が付いているらしい。他の貴族たちも、その白い官服の男を囲み、彼に微笑んで色々と話しかけたり、弓を射ってみせたりしていた。
「場所を空けてくれ、とお願いすればよいのでは?」
私がそう提案すると、武官の初品たちはみな存外そうに首を横に振った。
「他人事だと思って簡単に言わないでくれ。目を付けられるのはごめんですよ」
「でも、このままじゃ、あなた方は弓の練習が出来なくて不利になるんでしょう? 花立の試は一度しか受けられないのですよ。それでもいいのですか?」
「そうですが……」
――呆れた。
青年たちは皆、唇を噛んだり、拳を握ったりと一丁前に悔しそうな顔はしているが、実際直訴に行こうとはしていないのだった。ここでグダグダと文句を言って何になるのだろう。私は思わず溜息を吐いた。そんな情けない人間に構っている暇はない。会釈をして去ろうとしたとき、ふと、上位の人々に目がいった。
一人の男が弓を打つ。矢は的の端に当たるに留まったが、それでも男たちはわぁわぁと嬉しそうに騒ぎ立てている。その程度の腕で名手だなんだのと褒めちぎっているのを見ると、吐き気がした。
青年たちが悔しそうに唸っている。
――たかだかお遊びで、若者の可能性を潰していくのか。
「老害だな」
思わず言葉が零れた。訴えに行く根性もない青年たちに対する同情よりも、若者の芽をお遊びで踏みにじっていく大人たちへの怒りが沸き上がった。
「誰も行かないなら私が行こう」
「え――」
私は縁から地面へと踏み出し、演習場で遊んでいる彼らへと歩を進めていった。置いていった青年たちが一挙にざわめき、そのざわめきに上位の人々も気付き、怪訝そうな顔でこちらを見た。
「初品が何の用だ――」
「彼らが弓術の練習をしたいそうです。お遊びでお使いなさるなら、場所を空けてくださいませんか」
まさかそんなことを言われるとは思っていなかったらしい。彼らはぎょっとして顔を見合わせた。そして、思った通り、「身分を弁えよ――」というお決まりの言葉で返してくる。
「我々のどこが遊びというのだね。我々は高次な交流の為に崇高な目的で弓を引いておる。そんなことも分からぬ若造に口を挟まれる謂れは無いぞ」
「そうですか。花立の試を控えた若者を邪魔なさるほどの目的なのですから、さぞかしご立派なものでしょうね」
「な……」
傲慢な口調で抑えつけるように言った男が、私の切り返しに眉を跳ね上げた。
遠巻きに見ていた青年たちが、おろおろしながら私の後ろへと近づいてくる。しかし、私に加勢するわけでもなく、ただ話のなりゆきを見守っているようだった。情けない。
薄赤の官服を着た男が、ほほうと不愉快そうな声を上げた。
「貴様、名前は?」
どうして上位の人間は、名前を聞くことが脅しになると思っているのだろう。
私は呆れる思いでいっぱいになりながら、いつも通り胸を張って答えた。
「神楽月國です」
すると彼らの顔色が変わった。怪訝そうな、不愉快そうな顔をしていた男たちが、途端に面白いものを見たような顔に変わる。そして、後ろでまごついていた青年たちも、あぁ……と驚きの声を上げた。
「お前が、あの、噛み癖が酷いとかいう初品か」
「へぇ、そのような噂があるのですか」
実際、初耳だった。本気で驚いて尋ね返したのだが、それを相手は侮辱と取ったらしかった。
すると、彼らの一人が手元の弓を持ち上げた。
「面白い。では、我々と弓の勝負をしよう。三本勝負で、そちらが勝てば、花立の試が終わるまで、我々はここを使用しない。――その代わり、我々が勝てば、君たちも試が終わるまでここを使うのを禁止とする。どうかね?」
不利な条件であった。何せ、彼らはここを使えなくても何も困ることはないのだから。
しかし、上位の人間たちは、それは面白い、とわっと盛り上がり、中には手を叩いて喜ぶものもいた。打って変わって、私の後ろにいた初品たちはエェッと悲惨な声を上げている。その様子がもう既に面白いらしく、上位の人間たちはニヤニヤと下卑た笑いを浮かべていた。
「月國殿。もう結構だ。試験までここを使えないのは困る」
後ろの初品の一人が、私の腕を引く。しかし、私はそれを振り払った。
「月國殿――」
「――その条件は呑めない」
私がそう答えると、怯えていた後ろの青年たちはホッとしたように息を吐いた。同時に、下品な笑顔を浮かべていた上位の人間たちも、それみたことかと言いたげに、満足げな笑みを浮かべた。
「いやはや、神楽家の人間と言えど、そこまでの度胸は持たないかね……」
「あら。誰が勝負を降りると言いましたか」
私は微笑み、弓を掴んでやった。すると、相手の男は驚いたように目を丸くした。ぎょっとしている彼らに、私は言い放つ。
「勝負を受けるのはこの私です。しかし、その条件ですと、私には何の利益も不利益もございません。私が不利益を被る条件にしていただいても?」
相手の男は、まさか私が乗ってくるとは思わなかったらしい。彼はグッと唇を噛むと、しかし、すぐにありえないことを言った。
「では、君が負ければ、花立の試を受ける資格を君から奪おう」
――上位の人間も、初品の青年たちも、思わず場が一つになってどよめいた。
花立の試を受けられないのは、未来を捨てるのと同じである。そんなとんでもない条件があるかと、私も思わず言葉を失った。しかし、男の方はもう引っ込みがつかないようで、どうだ、と息込んでいる。
「それは流石に……」
後ろでずっと眺めていた白服の男が、ややあってそんなことを言った。
しかし、彼が言い終わる前に、私は答えていた。
「上等だ。受けましょう」
すると、また、その場の全員がどよめいた。
「あなた方の中で最も腕の立つ人間が弓を引いてください」
私はそう答えると、さっき手に持った弓の弦を弾いた。強度は良い塩梅だ。一つ深呼吸をし、発射場所の近くに置かれた筒から、一本の矢を引き抜いた。
「一本目」
相手が射手を選出する前に、私は発射場所の線のすぐ後ろに立ち、弓を引いた。的は遠い。柔らかな風が吹き抜ける。十数人の呆れた視線が私を差す。
私は息を吸い込み、止めた。そして、心を静め、今だ――という瞬間に指を離した。
私の手から離れ、矢が飛んでいく。指を離した瞬間に、私は頬が緩むのを感じた。飛んでいった矢は気持ちのいい音を立てて空を切り、そして的の中央を射抜いた。感嘆の溜息が周囲から零れる。
「弓では右に並ぶものがいないと、先生に称されておりました」
間抜けな顔で驚いている上位の人間たちにそう言うと、彼らは少なからず慌てたようだった。
勝負をふっかけ、あまりにも不利な条件を提示した上で、負ける、なんてあまりにも恥の多いことである。彼らはお互いに顔を見合わせ、無言のうちに責任を押し付け合った。しかし、しばらくして、彼らの目は自然と一人の男に向いた――黒い官服の男である。
――あれ?
見覚えがある気がした。黒の短髪に日に焼けた肌。白目が際立つ、鋭い目つき。確かに見覚えがあるのだが、一体どこで見たのかは思い出せない。
彼は騒動とは無関係だと言いたげに、少しだけ離れた場所に立っていたが、皆の視線を受けては無視を決め込む訳にもいかなくなったらしい。呆れたように息を吐き、指示を仰ぐように白い服の男を見た。白い服の男は、今まであまり気にしていなかったが、随分と整った顔立ちの男だった。彼は切れ長の目で黒い官服の男を見ると、こくりと頷いた。
「行け、玉緒」
「……はぁ」
玉緒、と呼ばれた黒い官服の男は、ずいぶんと面倒くさそうに返事をした。そしてふらりと軽い足取りで前に出てきて、他の貴族から弓と矢を受け取った。
舐められているのだろうか。こんなやる気のなさそうな人間を選ぶなんて。
また怒りがふつふつとこみあげてきたが、彼がひょいと弓を構えたのを見て、私は全てを忘れて驚いた。
その型の美しいこと。玉緒という男が弓を引くと、それで一つの完成体という感じがした。さっきまで死んでいた目に、突然背筋が震えるような熱気が籠る。
私がごくりと息を呑んだその瞬間、彼は矢を放った。矢はひゅんと快い音を立て、まっすぐに飛んでいく。終わりまで見ずとも、それが正中を貫くことはすぐに分かった。
おお、ともう一度感嘆の声があがり、何故か、白い官服の男が自慢げに声を上げた。
「玉緒とて、右に並ぶものがいないと称された弓の名手だ」
「それほどでもありませんけど……」
玉緒はハァと息を吐きながら弓を下ろす。その目はまた死んでいた。
――何、この人。
私よりも腕が立つかもしれない。
そこで、また、自分が呑んだ条件を思い出した。
――負ければ、花立の試を受けられない。
つまり、二年後の飛び級試験まで、初品の次に最低辺である従八品でいなければならない。その二年後の飛び級試験も、その段階での品位によって到達できる最高位が変わってしまう。すなわち、花立の試を受けないということは、出世の道を捨てると言う事なのだ。
冷や水を浴びた心地になる。熱っぽかった頭が一気に冴え渡った。
――自分でも自分のバカさ加減に腹が立つ。
――けれど。
誰かに庇われて、「神楽月國は腰抜けだ」と評される方がよっぽど腹が立つ。
そう思うと、どう転んでも、この勝負は受けざるを得なかったのだ。
私の矜持は私が守らないと。誰も守ってくれないのだから。
当てればいい。全て中央を射抜けば、私は負けない。
ただ、それだけの事だ。
「二本目」
私がそう宣言して矢を引き抜くと、上位の人々も、玉緒までも驚いたらしかった。私が服従すると思ったのだ、とその顔を見ればピンと来た。その発想がそもそも私になかったので、あぁ、と自分で笑ってしまう。
私は矢を番え、力いっぱい引いた。さっきの美しい型に心は乱れていたが、深呼吸をすると雑念は消え去った。ただ射るだけ。真ん中を穿つだけ。
気が付けば指を離していた。確固たる感覚が指に後からやってくる。ほう、と息を吐くと同時に、矢は中央を射抜いた。
「どうぞ」
私が玉緒に言うと、彼は面食らった様にしながらも、何も言わずに矢を引いた。その様子を見るだけで、私は歯痒い気持ちになる。これは真ん中を射抜くだろう。その予測は的中し、また誰もが感嘆の声を上げる。
「あなたほど腕の立つ人を見るのは初めてだ」
思わずそんな声を上げていた。言われた玉緒の方は、軽く肩を竦めただけで、それほど嬉しそうでもなかった。かえって不快そうにも見え、意外だった。
私が三本目の矢を引き抜くと、上位の人間も後ろの青年たちもごくりと息を呑んだ。これで決まる。しかし、また真ん中を射れば、何も問題もない――
そう思って弓を引こうとした時、ふと玉緒と目があった。
目があって、彼は、僅かに微笑んだ気がした。
しかし、もう一度見た時には、やはり死んだような目で、つまらなさそうな顔をしていた。
一瞬の微笑み。
やっぱり覚えがある。
脳の端が痒くなるような妙な感覚を覚えた。
そして、また矢から弓を離した時、私は足の裏から頭の天辺にめがけて、冷えた感覚が駆け上っていくのを感じた。打った瞬間から、込めた気持ちが逸れて飛んでいくような奇妙な感覚が指を這う。何とも言えない不快感が内臓を転がし、あっと呟いた頃には、矢は中央を離れ――的の右下部に突き刺さった。
私はほとんど反射的に玉緒の方を振り向いていた。彼の目はやはり死んでいる。そしてその目を見て、私は彼が的の中央を射抜くことを確信した。
品位の話に触れたので、ちょっと前半が説明的でしたね。
ここには上げてないんですけど、今まで書いてきた小説の主人公は、爽やかに正義感に溢れる子だったり、ただの馬鹿だったりしたので、こういうめんどくさそうな子は初めてです。お話を色々考えながら、こいつめんどくせぇな~!って思ってます。
自分の考えを信じて突き進む人間は、多分みんなめんどくさい奴なんでしょうね。でも同時にすっごくカッコイイですよね。そういう人こそたくさん間違ったり失敗したりすると思うんですけど、それでもめげずに頑張って欲しいな~と思っています。
さてはて月國はどうなるのだか。とにかく、私は、登場人物を魅力的に描いていけるように精進していきます。
後書きまで読んでくださり、ありがとうございました!