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第二十六話 浴室


 玉緒の家は、風呂も鳳凰国形式になっている。脱衣所から浴室に入ると、まず身体を洗う場所があり、長い髪を伸ばせるように広い空間がとられている。その奥に浴槽があって、お湯が冷めないように木の蓋が置かれている。鳳凰国形式になっているのは石材が豊富に使われている点だ。玉龍国では竹を随所に用いるが、ここの風呂では少しも使われていない。竹独特の暖かみがないのは残念なような気もするが、玉龍国に居ながら異国に住んでいるようで楽しかったりもする。

 長いかつらを洗ってもらった後は、伽藍たちには浴室を出てもらい、一人で過ごすことが多くなった。もちろん、鬘の下の地毛を洗いたいから、ということもある。

 浴槽に浸かり、たまに浮かんでみたり流れてみたりと遊びながら、その日の疲れをとる。最高の瞬間だ。城にいた時と違って、誰か来るんじゃないかと怯えなくても良い。幸せだ。

 

 湯に身体を鎮めながら、脇腹や肩の傷を見る。赤黒くはなっているものの、随分とましになった。もう湯に付けても、張るような感覚はするが、痛みはない。玉緒の塗ってくれた薬は相当良いものだったらしい。さすが天上の薬だ。

 

 両腕を前に伸ばす。押し出された湯が波を立てる。腕にも小さな古傷がたくさん見える。幼い頃から外を駆けずり回り、男と並んで弓を射たりと身体を動かしていたからこその傷だ。昔はもっとやんちゃだったから、顔にもたくさん傷を作ったし、その度に母親に怒られた。月矢が顔に怪我をしても何も言われないのに、私が頬にかすり傷を作っただけで「女の子なんだから……」と言われたものだ。


 ――顔で判断して選ぶような男とは結婚したくないけどな。


 そう考えながら、さらにお湯に沈む。肩まで浸かると、何とも言えない気持ちよさが突き抜けてくる。髪を短くして良かったことの一つがこれだ。長い髪を湯につけてしまうことを心配せず、首元まで湯に浸かれる。最高に気持ち良い。


 とはいえ、熱い湯に長々浸かっていると、身体がだるくなってくる。私は湯から出て、鬘を被りなおし――湿った鬘は重く、後ろから強く引っ張られているような感じがする――浴室の扉を開けた。


「あれ?」


 いつもなら脱衣所に伽藍が待っているのだが、今日は誰もいない。脱衣所に置かれた竹編みの籠に、真っ白でふかふかそうな湯上り手拭てぬぐいが入れられている。私は鬘の髪を強く絞り、出来るだけ水分を取り除いた後、脱衣所に上がり込んで手拭を取った。身体を包み込む大きさの布である。私はさっとそれで身体を拭くと、くるりとそのまま巻き付けて身体を覆った。あたりを見渡してみるが、脱衣所の中に私の服はない。

 私はそろそろと扉に近づき、廊下にひょっこりと顔を出してみた。そして意外な顔と鉢合わせして驚いた。


「わっ、迅皇子」


 ちょうど通りかかったのは迅だ。玉緒は連れておらず、一人で歩いていたらしい。彼はぎょっとして私を見、うっと鈍い声を上げて視線を逸らし、それから首を傾げてもう一度私を向き直った。


「……な、何をしてるんだ」

「ちょ、そんなじろじろ見ないでくれます!?」


 私は扉の隙間を狭くする。迅は心外そうに目を剥いた。


「何を言ってる、お、男同士だろうが」

「……そうでしたね」


 面倒な話だ。まさか皇子に「伽藍呼んできてください」と頼むわけにもいかないだろうし、とりあえず彼が去るまで待とう。

 そう思って扉を閉めようとすると、それより早く迅が扉の縁を掴んだ。


「どうかしたのか?」


 心配そうな顔をしながら、悪意なく、ひょいと扉の隙間を覗き込んでくる。止めて欲しい。こっちは全裸に布一枚の状況なんだから!


「な、何でもないです」

「? 下男はいないのか?」

「いや、そりゃ、いませんけど」

「ん? そういえば、お前はいつも誰に身体を拭いてもらってるんだ? その長い髪とか」

「女中ですよ……あの、閉めて良いですか? 扉」

「寒いか?」

「あ、ちょ、待っ……」

 

 迅は不思議そうな顔をしながら、扉の隙間に身体を割り込ませ、するりと脱衣所に入ってきた。そして後ろ手で扉を閉め、はぁと溜息を吐く。


「湿気で暑いな」

「そうですねぇ」


 そう答えながら、私は飛び退がって迅との距離をあけた。脱衣所の壁にどんと背中を付け、前は大きな布でしっかりと隠す。とはいえ胸元から下しか隠れていないが。その下は生まれたままの状態だし、布も丈はそう長くなく、膝下くらいまでしか隠れていないから、何とも心もとない。


「何を警戒してるんだ。男に手を出すほど飢えてないぞ私は」


 迅は必要以上に怒ったような口調でそう言う。何をムキになってるんだ。


「だ、だったら何で中に入ってくるんですか」

「何かあったんじゃないのか?」迅は怪訝そうな顔をした。「様子が変だ」


 そりゃ変にもなる!

 内心で言い返しながら、私は首を横に振った。


「まさかまさか。何もないですよ」

「そうか?」

「そうですとも」


 迅は扉を背にしたまま、疑っているような目を私に向ける。そんなじろじろ見ないで欲しい。流石の私でも照れるというか、状況の訳の分からなさに焦ってしまう。

 迅は不機嫌そうに見つめてくるだけだし、私は焦りのあまり何も言えないので、部屋に奇妙な沈黙が落ちる。そうすると迅の息遣いまでちゃんと聞こえてくるし、熱気のせいか顔の火照りは冷めないし、気味の悪い心地になる。

 ――迅には女だとバレるとまずそうだ。官人の道が潰されかねない。

 そう思ってごくりと息を呑んだが、すると迅は怪訝そうな顔のまま近づいてきた――近づいてくるなよ!


「迅皇子、あの、あんまり近寄らないでください」


 右手で布を抑え、左手を伸ばして制止したが、迅は何も言わない。真剣な目をして、どんどん近づいてくる。どこまで近づいてくるのかと思えば、普段の距離感よりもずっと近くまでやってきた。後ろに逃げようにも、後ろは壁だ。背中をぴったり壁に付けているのにも関わらず、思わず後ろに逃げようとして、後頭部を壁で打った。その痛みに参っている間に、迅は目の前に立っていた。彼の影の中に私が立っている。彼は真剣な目をして手を伸ばしてきた。


「あの……」

「酷い傷だな」


 迅はそう言い、私の肩の傷の近くに指を添わせた。彼は大真面目な顔でその傷を睨んでいる。


「かなり塞がってはいるが。薬はちゃんと塗っているか?」


 息が傷口にかかって変な心地がする。心配しているのは声で分かるが、近すぎる。


「おい」

「はい⁉」


 いきなり目線がこちらに向き、びっくりして声がひっくり返った。


「薬は塗ってるか?」

「あ、さ、最近はあんまり……かなり治ってきてるし……」

「ちゃんと塗っておけ。きちんと治しておかないと後で痛い目を見る」

「そ、そうですね。わかりました」

「何だ、聞きわけがいいな」


 迅が僅かに微笑んだ、その時だった。

 ――扉を開けて中に入ってきた、下女の叫び声が響き渡った。


 下女の甲高い悲鳴に、迅が全身を震わせて驚いている。

 ――あー、なんか、厄介なことになった気がする。そんなことを思いながら溜息を吐いていると、また知っている声が聞こえてきた。


「どうした?」


 緊迫した声。玉緒だ。

 迅の背中越しに、下女の隣に駆け寄って中を見る玉緒の姿が見えた。玉緒はぽかんと口を開けた後、ハッとして私たちに駆け寄ってくる。そして私と迅の間に割り込むようにすると、迅の胸板を軽く押し、私から引き離した。


「――何を?」


 玉緒が端的に尋ねる。その声が低く、相変わらず緊迫していた。

 もう緊張は解いていいと思うんだけど。そんなことを思いながら、迅の顔を見ると、彼は笑ってしまうほど情けない顔をしていた。


「いや、何がどうなってるのか聞きたいのはこっちの方なんだが……」


※8/6 誤字訂正

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