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第二十五話 夕暮れ


 夕刻になり、李燕と別れ、私は裏庭の弓場へ足を運んでいた。

 塀の向こう側から橙色の光が差し込んでくる。夕刻の寒さが、一週間前よりもずっと緩くなった気がした。そんなことを考えながら進んでいると、目的の弓場の方から、弓を射る音が聞こえてきた。


「――玉緒」


 見れば、弓場には先客がいた。弓を引いていた玉緒は、綺麗な動きで矢を射た後、視線だけを動かして私の方を見る。


「月國か」彼は口角を上げた。「弓を引きに来たのか?」

「あぁ。……迅皇子は?」

「部屋におられるよ」

「ずっと部屋に? やっぱり気分が悪いのかな」

「本を読んでいたようだが。気が散るから出て行けと怒られた」


 屋敷の中だし、夜じゃなかったら安全だろう、と呟きながら、玉緒は弓を下ろす。


「それにしても、玉緒が弓を引いてるなんて珍しいな」

「そうか? 昔は一日中引いてたぞ」

「そうなのか」

「上達したくてたまらなかったしな」

 

 玉緒はさらりとそう言い、目を細めて的の方を見た。

 ――その何十、何百日もの積み重ねが、今の玉緒の実力に繋がっているのだろう。

 負けてられない。そんな闘志が燃え上がる。

 私の内心の炎に気付いているのかいないのか、玉緒はいつも通りの、死んだような眼で私を見た。


「お前は誰に弓を習ったんだ?」

「お父様とか、月矢……兄に弓を教えていた先生とか」

「それは、兄上のふりをして?」

「そうだ」

「双子は便利だな」


 玉緒は可笑しそうに、白い歯をちらりと見せた。もともと笑わないわけではないが、最近ことさらよく笑ってくれる気がする。気を許されているのだろうか? そう思うと少しくすぐったいような心地がした。


「あぁ。私が双子じゃなかったらと思うとゾッとするよ」

「兄上の事は好きか?」

「大好きだ」

「そうか。羨ましいな、俺は一人っ子だし」

「あなたにも兄弟がいれば、祥華様への態度も少しは変わってたかもな」


 あえて軽い口調で言ってやると、玉緒は眉を跳ね上げ、それから呆れたように溜息を吐いた。


「またその話か。お前は俺の叔母上への態度がよっぽど気に食わないんだな」

「だって……」

「いや」玉緒が片手を軽く上げた。「下女の話は正論だったと思う」


 下女の話――家の者が働きやすい環境を作るのが主人の役目だ、と私が怒鳴ったことだろう。

 玉緒は眉尻を下げると、項垂れたように視線を下げた。


「あの下女……芙蓉ふようには謝った」

「謝るだけじゃ駄目だ。これからのことも考えないと」

「そうだな」玉緒はまた笑う。「でも俺にはどうしようもない。俺も耐えるから、芙蓉にも耐えてもらわないといけない」

「だから、どうして耐える必要があるって言うんだ」

「俺のせいだからだよ。分家のくせして、皇子の護衛なんかになった俺のせいだ」


 玉緒はそう言い、視線をまた、的の方に向ける。幾本か射られた矢は、全て中央に突き刺さっていた。背筋が凍るほど腕のいい弓人。きっと、弓だけでなく、刀や格闘技だって得意なのだろう。高い教養だって持ち合わせているはずだ。だって、第一皇子の、いずれは皇帝になる可能性の高い方の護衛に選ばれたのだから。

 しかし、玉緒が的の正中を貫く矢を見る眼は、どこか後悔のようなものが混じっていた。酷く傷ついた表情にも見えた。見ているこっちの胸が痛むほど、悲しそうな顔を、彼が見せるのはこれで二度目だった。


「……高望みなんてするんじゃなかった」


 玉緒は自虐的に笑い、肩を震わせた。


「お前なら第一皇子の護衛になれるかもしれない――そう言って夢をくれたのは叔父上だったよ。小さかった俺はそれをひたすらに信じて、必死に追いかけていた。本当に叶った時は、至上の幸せを感じたよ。とてつもなく誇り高かった。けど、結局、叔父上はそのせいで亡くなったし、俺のせいでこの家は宗家から厄介者扱いさ……俺の夢は叶えるべきじゃなかった。自分の立場ってものを、もっとわきまえるべきだった」

「――何それ」


 反射的に言葉が飛び出した。私は玉緒を睨みつけていた。


「じゃあ、天上人になりたいっていう私の夢もあなたは否定するのか?」

「いや、そういうわけじゃない」

「だったら何なんだ!」


 想定以上の大声が出て、自分でも驚いた。怒りなのか哀しみなのか、よくわからない感情で身体が震える。


「立場をわきまえるべきだった? 高望みなんかするんじゃなかった? ――よくもそんな言葉を私の前で言えるな! 立場なんかわきまえてやるもんか! いくらでも高望みしてやる! 女に生まれて何が悪い――分家に生まれて何が悪い!」


 私は玉緒の胸元の衣を強く握り締めていた。身体を揺さぶられ、玉緒は目を丸くして私を見ている。


「あなたは何も悪くない! 私が保証する! あなたの夢は何も間違っていない!」

「月國」

「あなたの叔父上だって、きっと天国で誇り高く思ってる! ――そして今のあなたの様子を悲しく思っているさ!」

「けど」


 玉緒が私の両手首を掴んだ。握り締められただけで、力の差で私の手から衣が離れる。玉緒は私を無理やり引きはがすようにすると、手首を掴んだまま言った。


「叔父上はそのせいで死んだんだぞ」

「だからって叔父上があなたを恨んでると思うのか⁉ それはあなたの叔父への侮辱だぞ!」

「だが……っ」

「もし叔父が玉緒を恨んでるなら、きっと今頃天国の父が、神楽明星が、そんな叔父上を怒鳴りつけてくれているさ!」


 私は玉緒の手を振り払った。思いのほか、容易く拘束は外れた。

 玉緒は呆気にとられたような顔で私を見ている。私は胸を張って言葉を続けた。


「それでもまだ、叔父上のことが気になるなら、私が死んだ後に、あなたが悪くないってことを叔父上にわからせてやる!」


 ――沈黙がおりた。

 玉緒は驚いているのか、呆れているのか、目を丸くしたまま、何も言わない。そうされていると、膨れ上がった気持ちが一気にしぼんできて、私は視線を泳がせながら、少し声の調子を落として言葉を付け足した。


「……すまない、玉緒の叔父上を侮辱するつもりはないんだ。ただ、あなたにもっと堂々としてほしくて。なんていうんだろう、その……簡単に言うと、励ましたいんだよ」

「……励ます?」


 玉緒が怪訝そうに眉を寄せた。


「あっ、励ますというか、その、どちらかというと怒らせてるみたいになってるんだけど――叔父上の事はあなたは全然悪くない。だから、夢を追いかけたのが間違いだなんて言うな。過去の自分を否定するのはやめてくれ……そんな辛そうな顔をするのも、もうやめてほしい」

「……そんな顔してるか?」


 玉緒はふっ、と表情を柔らかくした。してる、と私が頷くと、彼は困ったように肩を竦める。


「わかった、気を付けるよ」


 その声音はさっきよりもずっとしっかりしていた。彼は軽く息を吐いた後、目を細めた。


「ありがとう、月國」

「感謝を言われる覚えはないよ」

「そんな怪訝そうな顔をするな」


 玉緒がははっと声を上げて笑う。少なくとも、無理をしているようには見えなかった。少しは自分に自信を持てただろうか? 自分の過去を否定する気持ちが薄れただろうか? ――もしそうなら、純粋に嬉しい。

 何となく微笑んでしまうと、玉緒はふと手を伸ばしてきた。肩を叩くのかと思ったが、その手は肩を過ぎてさらに後ろに回される。


 ――あれ、玉緒、近い?


 玉緒の手が私の背中に軽く触れた瞬間、しかし、玉緒はそのまま身体を反転させると、私の横に並ぶようにして、私の反対の肩に腕を回した。そしてそのまま肩をぽんと叩き、微笑んで、私からさっと離れる。


「弓の練習もほどほどにな」


 振り返れば、玉緒は後ろ手を振りながら、弓場からのんびり立ち去っていく。

 ぽかんとしてその背中を見つめた後、私はいつの間にか詰めていた息を吐いた。


 ――抱きしめられるのかと思った!


 玉緒がそんなことをするわけがない。あのキザな宗家の男、雅人ならやりかねないけど。

 一瞬でもそういうことを考えた自分が恥ずかしかった。ぶんぶんと首を振り、雑念を追い出す。

 でも、これは私の雑念というより、意味の分からない距離の取り方をした玉緒が悪い。からかわれているのか。いや、そういうことをからかうような人じゃない。一体何を考えてるんだ? 何も考えてないのか? それとも?――私はもう一度首を振って、今度こそ雑念を追い出した。





ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

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