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冒頭②/始まりは風と共に

 初めて口にした酒の味は微妙に苦かった。

 酔っ払わない程度に適当に舌を濡らす。周りでは、私と同様に宮仕えを始めることとなった、官位の最底辺である初品たちが、わいわいと騒いでいた。入官式の後、皇太子主催で開催される親睦会である。

玉龍城の正中に位置する天上門のすぐ南、玉葉殿ぎょくようでんに驚くほど長い机が幾つも並べられ、そこに豪華絢爛な食事が溢れんばかりに置かれている。初品の緑の官衣の間に、ところどころ上位を示す黄緑の衣が見え隠れする。出世への野望に満ちている人間はこぞって黄緑の衣を着た男たちの近くに席を取っていたが、私はあまり気にしていなかった。このような祝宴の場に、赤らんだ顔を引っ提げてやってきて、部下に絡んでくるような者はどうせ大した人間ではない。


「神楽家の人だよね?」


 そんなことを考えながら食べる手を進めていると、いきなり声をかけられた。振り返ると、隣に席を取っていた少年がにこにこしてこちらを見てきていた。色素の薄い髪は癖が強いらしく、くるくると巻かれている。目は大きく、体つきも小柄で、私と同じ十八歳だとは思えないほど幼い容貌だった。


「そうだけど……ええっと、君は……」

「大丈夫。名乗ってないよ。僕が一方的に覚えていただけだから」

「一方的に?」

「入官式の時に、名前が呼ばれたでしょ?」

「あぁ……でも、何百人もいるじゃないか。よく私の名前を覚えていたね」


 驚いてそう答えると、彼の方が驚いたように目を丸くした。


「あれだけ騒がれていたのに、覚えてない方が変だよ」

「……私、どこかおかしいんだろうか?」


 入官式の時と言い、城に入ってから、やたらと人のざわめきを受けていた。心配になって何度も鏡を見返してみたが、そこにいるのはやっぱり男に見えるし、変な姿には見えなかった。立ち姿や歩き姿が女々しいのだろうか。不安になって、声を落として尋ねてみたが、彼は困ったように眉を下げた。


「いや、おかしいとかじゃなくて…そうだなぁ…人目を引く顔立ちなんだよ」

「そんなに珍しい顔かなぁ」

「うーん」


 彼は困り笑いを浮かべている。そこで、私はハッと気が付いた。


「済まない。君の名前をまだ聞いてなかったね。君は?」

「僕は照日結月てるひのゆづきだよ。『月』仲間だね」


 私は微笑んで返そうとして、ふと引っ掛かりを覚えた。照日。聞き覚えがある。すると、その表情で察したのか、彼は嬉しそうに目を細めた。


「君の父上と僕の父上はご友人だったんだよ。君の父上の話を何度も聞いたことがあって。あの方のご子息と共に入官できて、これ以上の光栄はないよ」

「あぁ! 私も聞き覚えがあるよ。よろしく」


 何度か父から聞いた名前であった。不愛想で、人との交流を面倒がる父親が、人の話をするのは珍しかったから覚えていた。父の友人の息子と聞けば、自然と親近感が湧いてくる。私が握手を求めて手を差し伸べると、彼は恐縮したように肩を竦めた。


「や。僕なんかと仲良くしてくれなくていいよ。君はああいう人たちと親交を深めるべきじゃないの?」


 彼が軽く目線を振った方を見れば、私があえて避けて座った黄緑色の官衣の男がいた。私は思わずしかめっ面になり、首を横に振った。彼――結月は親切心からそう言ったらしいが、私にとってはとんでもない話である。


「ああいうのは好かないんだ。あれに媚を売るくらいなら、君と話している方が幾倍も良い」


 握手する為に差し出した手を、もう一層伸ばしてやると、結月は照れ臭そうに手を取って握手をしてくれた。しかし、すぐに表情が暗くなる。


「いや、でも、本当に、僕は話す価値のない人間だからね。君が父の友人の息子だから、思わず話かけてしまったけど、何だか、申し訳ないよ」

「やけに自信がないな。どうしたんだ? 君の父親は高位の貴族じゃないか。高飛車になるならわかるけど、どうしてそう卑屈なんだ」


 笑いながら問いかけると、彼はつられたように笑いながら答えた。


「兄が二人いてね。彼らが凄く優秀なんだ。昔から劣等感が凄くて。卑屈でごめん」


 ――変わった子だな。

 私は酒を軽く煽りながら思った。随分と弱気らしい。そう謝られても、私は何の迷惑も受けてないのだからどうしようもない。


「自分くらい、自分の事を誇りに思ってやれよ――」


 軽い口調でそう言おうとした時、隣ににゅっと白い腕が伸びてきて、私はぎょっとして口を閉ざした。伸びてきたのは女官の腕である。新しい酒を置いてくれたらしいが、声かけがなかった事に気が付いたらしく、私の驚いた顔を見て、彼女はかぁと赤くなった。


「ご、ごめんなさい……」


 ぺこぺこと頭を下げ、走るように去っていく。気が付いて周りを見てみれば、たくさんの女官があくせくと働き回っていた。その誰もが手が震えていたり、やたらときょろきょろしたりしていて、不慣れな様子である。


「今年から入った子たちなのかな」


 結月がぽつりと呟くように言った。


「……私たちは酒を飲んで、ご馳走を食べて、とふざけているのに、彼女たちは初日から仕事か。大変だな」


 何気なく言った言葉に、存外に棘が生えていたらしい。結月はびっくりしたような顔でこちらを見て、それから「そうだね」と深く考えるようにして答えた。


「私はね、結月」


 少量とはいえ、酒を入れたからか、舌がよく回る。


「女も平等に扱われるような、女も堂々と官位につけるような、そんな社会にしたいよ」


 杯を机に置きながらどう言うと、結月はしばらく何も言わずにこちらを見つめていた。しまった、変なことを言った、と思ったのだが、結月は意外なことを言った。


「君には双子の妹さんがいたんだっけ」


 いきなり自分の話をされ、ドキッとした。あぁ、だの、まぁ、だのよくわからない返事をすると、彼は私の動揺には気付かないで、遠くを見るような目で微笑んだ。


「随分と才能のある妹さんらしいね。双子揃って秀才で羨ましいや」

「……それ、誰から?」

「君の父上が、僕の父上に」


 それを聞いて、さっきのとは違う意味で胸が高鳴った。

 思わず顔が赤くなる。間接的とは言えど、父に褒められるのは初めてだった。


「……ちょっと飲み過ぎたかも。水を貰ってくる」


 顔の赤みをそう言って誤魔化し、杯を持って立ち上がった時、ふと隣の机の様子が目に入った。

 さっき結月が目をやった、黄緑色の衣の男が、酒を交換しに来た女官に何やら話しかけている。女官は顔を赤くし、困ったように俯いているが、そうした様子を見て、その男や、周りの初品たちは楽しそうに笑っている。しばらくすると、その男は女官の様子に味を占めたのか、強引に肩に手を回し始めた。周りの初品たちも媚を売るためか、えいやえいやと騒ぎ立てている――品位も矜持もないのか。

 結月が眉を顰め、苦々しげに言った。


「確かに。君の言う通り、ああいう人たちには関わりたくないかもね」

「どうして周りは止めないんだ」

「あの人、正七品だもの。僕らより三つも四つも位が上じゃないか」


 そうか――と私は返事をし、長机に叩きつけるようにして杯を置いた。結月も、素知らぬふりをして周りで談笑していた初品たちも、ぎょっとしてこちらを見る。

 私は長机を回り込み、女官に手を回している男の傍まで歩み寄った。男は気づいていないが、周りの初品がニヤニヤした顔つきのままで私を見ている。


「――嫌がっているでしょう。離してやってください」


 私がそう静かに言うと、初品たちの表情が強張った。女官に手を出していた男が、赤らんだ顔をこちらに向ける。随分と酔っ払っているらしい。


「何だって?」

「離してやれと言ってるんですけど」


 男は理解が出来ない、といった顔をした。しばらく黙った後、は、と乾いた笑い声が漏れる。


「そういう冗談は面白くないな」

「良かった。冗談のつもりは毛頭ございませんので」

「無礼講の意味をはき違えたか?」

「それはこちらの言葉だと思いますが」


 冷ややかに言い放ってやると、男は頭に来たようで、女官を床に突き飛ばすと、のっそりと立ち上がった。顔がさっきよりも赤黒くなっている。怒りでぶるぶると震えていて、何だか間抜けだった。


「私を誰だと思っている。そこに直れ。叩き切ってやる」

「刀の一つも持っていらっしゃらないのに?」


 男は吼えるように叫ぶと、女官が持ってきた徳利とっくりを掴み、その中身を撒き散らした。避ける余裕もなく、そのまま頭から酒を被ってしまう。熱されていたら、と一瞬恐怖を覚えたが、冷酒だった。おろしたての衣服が濡れ、全身から酒の匂いがする。

 近くに倒れ込んだ女官がアッと声を上げ、顔を真っ青にしたり、白くしたり、大慌てしている。その様子を見て、男は満足げに笑った。


「身分をわきまえよ。貴様、名前は何だ? この私が覚えておいてやろう」


 豪快に笑い声を上げながら、男は私に近づいた。もはや玉葉殿の人間はみな私の事を見ていた。男に媚を売っていた初品たちは元気を取り戻したようにニヤニヤ笑いを再び浮かべている。


「この愚か者の名前はですね――」


 そのうちの誰かが勝手に私の名前を告げようとした。

 肩に手を回そうとしてきた男の手を強く払いのけ、私は堂々と言い放った。


神楽月國かぐらのつきぐにだ」


 ふん、と鼻を鳴らすと、少なからず男は驚いたようだった。まだ立ち上がれないでいた女官が、また衝撃を受けたようにあたふたしている。


「どうしてお名前を仰るのですか、目を付けられてしまいます――」

「いずれ、この方よりも上位になるから問題ないよ。目を付けたいのなら好きなだけどうぞ。後でお目が高いと褒めちぎられることでしょう」


 私はそう言い、笑ってやった。また初品の笑顔は消え、男はぽかんと口を開ける。そして、しばらくして私の言った言葉の意味に気付いたらしい。彼はまた怒りで震えると、今度は空になった徳利を私に向かって振りかぶった。周りから悲鳴とどよめきが上がった。すぐ傍の女官も甲高い悲鳴を上げてパッと顔を両手で覆う。

 私はその徳利を避けようとしたが、その前に、黒い影が間に割って入ってきた。その影は振り落とされた徳利を掴むと、赤子から玩具を奪うように容易く自分の手に納めてみせた。


「――何の騒ぎだ」


 ――割って入ってきたのは、黒の官衣を着た男だった。問う声は低く、鋭い。対峙する赤ら顔の男は、突然の闖入者にしどろもどろになっている。もう攻撃的な様子は見えないと判断したのか、男はこちらを振り返った。鋭い眼光が目に飛び込んでくる。黒い短髪と、日に焼けて浅黒い肌。肌の黒さが白目を際立たせ、一層目付きが鋭く見えた。身長は私よりも高く、黒の官衣から覗く腕は細身ながらも筋肉質である。武士だろうか。


「何があった?」

「そちらの御仁が彼女を侮辱してらしたので、止めに入りました」


 素直に答えると、彼は片眉をひょいと上げ、意外そうにしてみせた。すぐ脇の女官が済まなさそうに身を竦める。


「私のせいです、済みません。お咎めは私に……」

「いや、それは違う。彼が貴女を侮辱したんだ。咎めるなら彼を。それが無理だと言うなら私を咎めればいい。貴女は少しも悪くない」

「月國!」


 結月が慌てたように駆けてきた。


「一体君は何をしてるんだよ……! いきなり騒ぎを起こしたりなんかして……」

「ああいうの、黙って見てられないんだ。許せなくて」

「それは良い正義感だけど、でも……」

「正義感とかそんなんじゃなくて。許せないんだよ。こういう時に自分が黙っているのを。そんな醜い人間には――そういう意味で自分の名を汚すような人間にはなりたくないんだ。自分の矜持は自分で守らないと。他の誰も守ってくれないからな」


 私がそう答えると、結月はハッとしたように口をつぐんだ。私を庇ってくれた男性はその様子を見て、溜息を吐く。どこか好意的に微笑んでいるように見えて、私が驚いていると、どこからか朗々とした声が響いてきた。


「やぁ、皆、愉しんでいるかな」


 玉葉殿の一番奥。そこに黒い官衣を着た男たちに囲まれ、一人の青年が立っていた。その服は息を呑むほど美しい青色で、遠目にもとても上質なものだと思う。誰かが「第一皇子だ」と呟くと、その囁きは次々と広がり、初品も、他の品位の者も、みな一斉に片膝を着いた。もちろん私もその囁きが聞こえると同時に膝を着いていた。髪から頬に伝ってくる液体が酒臭くて頭がふらふらする。

 第一皇子はそのまま一言、二言私たちに挨拶をし、未来を期待しているといった旨の言葉を告げると、厳かに去っていった。さっきまで緩み、荒れていた雰囲気も、彼のおかげで引き締まる。ここは城の中だということ。我々は皇帝、そして次期皇帝となるだろう彼に仕えるのだということ。当たり前の事実がもう一度蘇り、緩んでいた意識がピンと張り詰める――しかし、私の立場は変わらなかった。


「私を咎めなさいますか?」


 黒衣の男に尋ねると、彼は立ち上がりながら首を横に振った。


「……いいんですか?」

「場を先に乱したのはこちらの男だろう」


 彼にちらりと見られ、男はびくりと肩を震わせる。


「とはいえ、このような場だ。あなた方が不問にしてくれるならそれが一番助かる」


 そう言われ、女官がすぐに三つ指を付き、もちろんですと頭を下げた。彼の鋭い眼光が私を見る。私は睨み返しながら答えた。


「そちらの方が彼女に謝るのなら、それで十分です」


 ――するとまた、彼は微笑んだ気がした。

 しかし、それは一瞬で、彼はまた鋭い眼光を男に向ける。一瞥された男は屈辱そうに唇を噛んだが、消え入りそうな声で「申し訳ない」と絞り出したかと思うと、そのまま踵を返して玉葉殿を出て行った。

 黒衣の男性が短く溜息を吐き、そしてもう一度私を見た。目つきから先ほどまでの鋭さはなくなり、どことなく呆れているように見えた。しかし、決して冷たい目ではなかった。


「そういう生き方はご立派だが、寿命を縮めるぞ」

「……それでも自分の名に恥じぬように生きたいのです」

「そうか」


 男性は大して興味も無さそうに頷くと、あっさりと背を向け、玉葉殿を出て行った。

 男の周りで騒ぎ立てていた初品たちが、バツが悪そうに俯いている。頭を下げていた女官が私の手の裾を引いた。


「あの、ありがとうございました」

「いや……あれ?」


 よく見てみれば、さっき私のところに酒を持って来てくれた女官だった。そばかすが白い頬に散り、茶色に近い黒髪を一つに結っている。目ははしばみ色で、私を写してパチパチと瞬いている。


「本当に……ありがとうございました」


 少女の両目にあっという間に涙が溜まる。けれど、彼女は決して泣かないように、ずずっと大きく啜りあげている。きっと怖かったのだろうと思う。その身一つで城にやってきた日に、酒の回った男に触られるほど不快で恐ろしいことはないだろう。そう思うとまた怒りがこみ上げてきたが、私は出来るだけ感情を抑え、肩を竦めた。


「こちらこそ、騒動を大きくして済まない。あと、あまりにも服が酒臭くなってしまったんだけど、官衣の替えとかないかな。まだ一枚しか用意していないんだ……」


 思ったより言葉尻が情けなくなってしまった。つられたように少女はにこりと微笑んで見せる。同じように笑いながら、結月が声を上げた。


「僕の兄が昔使っていたものを貸すよ。僕には大きすぎて着れなくて」

「こちらへ」少女が手招きしてくれる。「乾いた布がありますから。とりあえず身体をお拭きになられてください」

「ありがとう」

 

 私が微笑むと、結月も少女も少しだけ顔を赤らめて見せた。


「ところで、君の名前は何て言うの?」

「私ですか? 樹杏じゅあんといいます」


 少女――樹杏はにこりと笑った。桃色の唇の隙間から、やんちゃな八重歯が見え、それが非常に可愛らしかった。


「そうか。樹杏。これからよろしく頼む」


 ――そうして、初品としての一年間はあっという間に過ぎて行ったのであった。

以上にて冒頭は終わりです。こんなちょっと頭の固い奴が主人公です。

ここから一年の時が過ぎ、やっとこさ本題に入ります。

そして少女小説のアクセルも全開で頑張ろうと思います。

小説書くのって楽しいなぁ。

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