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第十七話 王位継承


 ――コンコン、と軽く戸を叩く音がして、私は目を覚ました。

 「月予様」と呼びかけているのは伽藍の声だ。私は枕元に放り出していたかつらを被り、寝台から両足をおろす。窓からは緑色がかった太陽光が差し込んでいた。朝だ。


「入っていいわよ」

「失礼します」


 声をかけると、扉が開けて、伽藍が入ってきた。彼女は頭を下げてから、しずしずとこちらへ近づいてくる。両手には着替えらしきものを持っていた。

 彼女は両目を伏せたまま、相変わらずの平坦な声で言う。


「昨夜は玉緒様とご一緒されなかったのですね。余計なことを致しました」

「ま、まぁ、いいのよ」

「今夜はどうなされますか」

「……いや、だから、私と玉緒はそういうのじゃないから。別々で寝るわよ」


 頬が引きつるのを感じながら言うと、伽藍は少しだけ柳眉を上げて私を見た。


「違うんですか?」

「違うわよ!」


 はっきりと否定すると、彼女はぴたっと動きを止め、目を丸くした。


「……それはどうも失礼しました」


 その声音が、平坦ではあるものの、僅かに戸惑いを含んでいた――この人、私に冷たいんじゃなくて、表情に乏しいだけかもしれない。それどころか、少し天然かもしれない。

 伽藍はそのまま制止した後、ゆっくりと動き出すと、今度は別人のような素早さで私を着替えさせた。かつらが取れないようにばかり気を遣っていると、気が付けば綺麗な衣に着替えさせられていて驚いた。そしてすぐに出て行ったかと思うと、水桶を持って戻ってくる。それで簡単に顔を洗い、必要最低限の化粧を施してくれる――こういうお嬢様扱いも久々だ。化粧が一段落すると、彼女は私の後ろに回り込んだ。


「髪も結い上げます」

「よろしく……あの、頭皮が弱いからあんまり引っ張らないでね」


 情けないお願いをすると、彼女は真顔のまま、神妙に頷いてみせた。


 仕度を終え、一人で朝餉を摂った後、私は屋敷をぶらぶらと歩くことにした。朝から晩まで本を読んでるというのも身体に悪いだろう。実は弓を射たかったのだが、朝から弓術を嗜む娘はあまりにも目を引く。

 後ろをひたすらに付いてくる伽藍と共に、鳳凰建築の美しい建物を歩き回っていると、ふと、見慣れた姿が目に入った。


 庭に面した廊下。ここだけわざと玉龍国風の作りになっているらしく、廊下から庭へ出るための横開きの戸がついている。その戸が大きく開かれていて、縁側に玉緒が腰かけていた。胡坐を掻き、背筋をピンと伸ばして、庭を眺めている。姿勢は凛々しいが、眼はどことなく死んでいて、気だるげに見えた。何もかも面倒くさそうな、そんな雰囲気を漂わせている。相変わらず、何を考えているのやら、よくわからない人だ。


 玉緒とはまだ距離があった。私は立ち止まり、何となく彼の様子を眺めていた――すると、いきなり彼がこちらを振り返り、バチンと目が合った。


「そこで何してるんだ」

「……気付いてたの?」


 玉緒は当たり前だ、と言いたげに肩を竦めている。流石、第二皇子の護衛ともある人だ、と言うべきだろうか。

 彼が何か言おうとした瞬間――その顔が急に強張った。

 何だろう、と思ったのもつかの間、後ろから気配がして、私は振り返った。振り返るのと、その人物が声を放つのはほぼ同時だった。


「あら、月予さん、おはようございます」


 ――祥華だ。

 私は玉緒と同様に、自らの顔が強張るのを感じた。それでも何とか笑顔を浮かべ、挨拶を返す。


「おはようございます、祥華様」

「こんなところで何をしてらっしゃるの?」


 祥華はにこにこと微笑み、扇子で自らの口元を隠している。昨日と同じく、きっちりとした衣服を身に纏っていた。結い上げた髪は一本の毛も垂れておらず、その神経質さが伺える。


「あ……ちょっと散歩を」

「そうなの。お暇なら、おしゃべりにでもお付き合いくださらない? ……良かったら玉緒さんも」


 いきなり声をかけられ、玉緒は顔を強張らせたまま、おそらく、断る為の口実を述べようとした。しかし、その唇がぴたりと止まる。彼は怪訝そうな顔になると、素早く立ち上がり、さらに遠くの方を見る目をした。それを見て、祥華が柳眉を寄せる。


「玉緒さん、」

「――玉緒」


 祥華の声を遮るように、涼やかな声が響いた。聞き覚えのある声だ。見れば、廊下の先に、白い官服を着た男性が立っていた。艶やかな長い黒髪と、切れ長の黒目に、端麗な顔立ち――迅だ。


「迅」玉緒が呆れかえったような声を上げる。「ここで何してるんですか。雪平は?」

「門前に置いてきた」


 迅は悪びれもなくそう言い、廊下を我が物顔で歩いてくる。通りがかった下男・下女たちは慌てて頭を下げているが、どこか慣れた様子があるから、いつものことなのかもしれない。

 近くに立っていた祥華も、しばらくぽかんとしていたが、すぐに表情を引き締めると、流れるような動作で迅に頭を下げた。


「おはようございます、迅皇子。朝から御見えになられるなんて光栄ですわ。出迎えが出来ずに申し訳……」

「よい」迅は低い声で言葉を挟んだ。「挨拶ならこの家の主人に伺おう」

「……城におられますので、」

「なら子息である玉緒に伺う」


 迅にはっきりと拒絶され、祥華はぐっと唇を噛んだ。しかし、すぐに微笑みを浮かべると、頭を下げ、周りの下女たちと共に廊下を歩いてゆく。

 迅は彼女が立ち去るのを見届けた後、両目を細めて玉緒を見た。


「お前の家は相変わらずだな」

「相変わらずで構いませんよ」


 玉緒は素知らぬふりで答え、それから迅に詰め寄る。


「で? 何であなたはここにいるんですか」

「何で、とは失礼だな」


 迅はそう言い、私に手を伸ばしてきた。あれっ、と思ったときには、肩をぐいと引き寄せられていた。もう一方の肩が迅の胸にぶつかる。


「月國の為に情報を持って来てやったのに」

「つ、月予です」


 伽藍が無表情のままこちらを見ている。私は慌てて名前を訂正した後、ハッとして彼を見上げた。端正な顔がすぐそこにある。睫毛が長いなぁ、とどうでもいいことを思った。


「情報ですか?」

「あぁ。調査の進捗を報告しに来た。とりあえず場所を変えよう」


 迅は屋敷に慣れた様子で、私の肩を抱いたまま歩きだす。そして、そうしながら、伽藍に軽く目をやった。


「退いていいぞ」


 伽藍はその場で立ち止まり、ぺこりと頭を下げる。

 彼女に見送られるまま、私たちはそのまま場所を移動した。迅が私を連れて向かったのは、昨日、祥華との茶会が開かれた部屋だった。昨日の事を思い出し、苦々しく感じる。


 部屋に入ると、迅は私を離し、迷いなく、一番奥の席に座った。最も位の高い人間が座る席だ。玉緒が何も考えていない動作で彼のすぐ脇に立ったが、それを迅は冷ややかな目で見上げた。


「お前も適当な席に座れ。今は私の護衛じゃないだろう」

「……はぁ」


 ――本当に、皇子相手にそんな返事で大丈夫なんだろうか。

 こっちが心配になるほど適当な返事をした玉緒は、ふらふらと近くの椅子を引き、そこに腰を下す。私は最も扉に近い席に腰を下ろした。


「それで、何かわかったんですか?」


 座った途端聞くと、迅は小さく顎を引いた。


「とはいえ、お前にとって喜ばしいことはあまりないな。女官について少しわかった程度だ」


 私の腕の中で亡くなった女官の事だろう。私と恋仲だの、私の子供がいるだのと嘘を言っていた。


香鈴かりんという名前でな、地方の名家の娘なんだが、当主が病気に伏せたらしく、家が傾きつつあったんだと。まだ仕官していない、幼い息子の為に、彼女が何とか家を支えていたらしい。なかなか健気な娘で、他の女官も色々と手助けをしてやっていたそうだ」


 あの女官はまだ若かった。私とそう歳は変わらないだろう。その身に余る苦労に心が痛んだ。


「だが、半年ほど前から、良家の子息と恋仲になったらしくてな」迅がつまらなさそうに言った。「女官の話だから、どこまで信憑性があるかはわからないが。本当に好いている相手だし、家の事も助けてやるから安心しろと言われたのだと、とても喜んでいたそうだ。相手の名前は誰にも言っていなかったらしい。周りの女官たちも大喜びで祝福してやったそうだが、数カ月前から、香鈴が暗い顔をし始めたそうだ。誰が聞いても、何も答えないのだと――まぁ、大方ふられたんだろうと察しはつく。誰でもな」


 可哀想な話だ。そう思いながら頷くと、迅はため息交じりに言った。


「それなのに、最近、急に明るく振る舞うようになったらしい」

「よりを戻したってことですか?」


 尋ねたが、迅は頭を斜めに傾けた。


「それはお前自身がよく知ってるんじゃないか?」

「――は?」


 迅は肘をつき、その手の甲に頬を乗せて、世間話でもするような軽さで言った。


「香鈴は、神楽月國がその相手だと、仲の良い女官に打ち明けたそうだからな。実際、どうなんだ?」


 ――香鈴が、私に縋ってきた時のことが蘇る。


「実際も何も、まるっきりの大嘘ですよ」

「嘘だと信じていいんだな?」

「もちろんです。私はあの子にあの場で初めて会いました」


 はっきりと言うと、彼は満足そうに頷いた。

 私は身を乗り出し、さらに尋ねる。


「他に分かったことはないんですか?」

「恵比寿武に盛られた毒と、私に盛られた毒が一致した。また、香鈴に盛られた毒も、症状を見るに、同じ原料から作られたものだと考えるのが自然だろう――同一犯である可能性が高い」


 迅はさらりと述べた。


「ま、それくらいだな」

「……そうですか」


 私は肩を落とした。私への疑いが晴れるどころか、一層怪しくなっている気がする。

 ――香鈴の本当の相手は誰なのだろう? それが分かれば、真相がわかるかもしれない。

 しかし、その考えを見透かしたように、迅が言った。


「死人に口なし、だからな。そう簡単に真相はわからないぞ」


 正論だ。そうですね、と答え、溜息を吐く。ほぼ同時に、玉緒も溜息を吐いていた。


「それくらいの情報なら、わざわざあなたが来なくてもいいでしょうに」

「別に構わないだろう。仕事はちゃんとやってるんだ」

「後で、私が、雪平に小言を言われるんですよ」

「小言を聞き流すのは得意だろう?」

「わりと疲れるんです。あれは。適当に返事をしたら、すぐに抜刀しようとするので」

「あれ呼ばわりしたら、またうるさいぞ。あいつは」

「面倒極まりないですよ。これ以上厄介事を増やさないでください」


 玉緒は文句を言いながら、憂鬱そうにこめかみを抑えた。


「雪平っていうのは……あの、化野の、宗家の男か?」


 女であることが玉緒にバレた時、飛び込んできた男。また、香鈴との騒動の時、私に剣を向けてきた男だ。確かに血気盛んそうだった。


「そうだ」玉緒が頷く。「ちょうど同い年だからな。何かと目の敵にされてる」


 ――何か含みがあるような気がした。ただそれだけの話ではないような。

 しかし、玉緒はそれ以上語る気がないらしく、恨みがましそうな眼で迅を見た。


「話が終わったなら城へ戻ってください。第二皇子が気楽に外出なさらないでくださいよ。ただでさえ、城内で事件が続いているのに」

「城の外だとはいえ、お前が近くにいれば大丈夫だろう」


 玉緒は本気で心配しているようだが、迅の方は素知らぬふりである。

 

「でも、流石にまずいと思いますよ」私も口を挟んだ。「第二皇子なら、皇帝になられるかもしれない御身でしょう?」


 気を付けてくださいね、と続けようとした。その時、二人の顔の色がさっと変わったことに気付いた。

 迅が暗い顔になり、視線を落とす。


「皇帝になる事はないさ。余程の事がない限りな」

「……え? で、でも、順位は二番目でしょう?」


 歴代の皇帝は、決して第一皇子だけが務めてきたわけではない。能力に勝っていれば、第二、第三皇子でも皇帝になった場合が多々ある。一番珍しいもので、第四皇子が皇帝として就任した時もあったというのだから、第二皇子なら、皇帝になる可能性は非常に高い。

 それなのに、迅は機嫌の悪そうな顔をして卓を睨んでいる。玉緒も、何も言わずに唇を一文字に結んでいた。


「……何か事情があるんですか?」

「事情も何も」迅は鼻で笑った。「兄が優秀なだけだ。あの人が皇帝にならないで、誰がなるというんだ」

「でもあなたも優秀でしょう?」


 第一、第二皇子の噂はよく耳にする。現皇帝の血を引いていることもあって、両者ともに非常に優秀だと、誰もが褒めちぎっている。


「まだ王位継承は先なんだから、今からそんなに卑屈にならなくても――」

「月國」


 そっ、と触れるような声で玉緒が私を押しとどめた。見れば、彼は固い顔をして、首を小さく横に振っている。何やらまずいことに踏み込んでしまったようだ。私は慌てて言葉を飲み込んだ。

 ――しかし、遅かったらしい。

 迅が、聞いたこともないほど低く、冷たい声で言った。


「出てゆけ」


 

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