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第十四話 茶寄合


 ――玉龍国の協力により、白虎国は独立を果たし、以来、両国は良好な関係を結んでいる。それにより、両国の技術力が上昇した。特に軍事に当たっては著しい発展を見た。以下に詳細を載せる。特に際立っているのは部隊編成における――


「月予様」


 ――ハッとした。顔を上げ、振り返ると、扉を少し開けて、その隙間から伽藍が顔を覗かせていた。


「済みません、戸を叩いてもお返事がなかったので……」

「ごめんなさい」私は慌てて本を閉じた。「読みだすと止まらないのよ。何か用?」


 伽藍は怪訝そうな目で私と手元の本を見比べた後、平坦な声で言う。


「祥華様がお茶にお誘いなさってます。いかがなされますか?」


 祥華、といえば玉緒の叔母ではないか。嫌な予感がして、胸がざわつく。しかし、無下に断るともっと面倒なことになるだろう。後ろ髪を引かれる思いで手元の本を机上に置き、私は椅子から立ち上がった。


「ありがたいお誘いね。喜んで行かせてもらうわ」

「ではこちらへ」


 伽藍は軽く頭を下げ、扉を大きく開けて私を待つ。私は一つ深呼吸した後、廊下に出た。伽藍は扉を閉めると、何も言わないで静かに進みだす。その後を追いかけながら、私は尋ねた。


「夕餉はいつも個別で摂るの?」


 さっき部屋で読書をしていたら、伽藍が夕餉を持って来てくれたのだった。この家ではそういうしきたりなのだろうか。私の家ではみんなで卓を囲んでいたから、不思議な気持ちがした。


「はい」伽藍は前を向いたまま答える。「ほとんどの方が仕官なされているので、私どもを除けば、普段は祥華様や李燕様しかいらっしゃらないのです。お二人とも自室で食べることを好まれますから、基本的には個別に食べております」

「そうなの」

「明日からは、誰かと共に食事をされますか?」

「いえ、いいのよ。私はどうでも気にしないから」


 そうですか、と伽藍は言うが、相変わらず声音は冷たい。流石に悲しくなるような心地を覚えつつも、その背中についていく。しばらく歩いた後、彼女は扉の前で立ち止まり、それを軽く叩いた。すぐに中からそれは開けられ、前にいた伽藍が流れるような動きで脇に退き、私に道を譲る。譲られたままに部屋の中に入ると、そこも豪奢な空間だった。天井まで繊細な装飾で飾られたり、絵が刻まれたりしていて、あまりの煌びやかさに目が眩む。


「お待ちしていましたわ、月予さん」


 部屋の中央には、長い卓が置かれていた。その一番奥に、祥華が座っている。ちょうどその反対側の席が一つ空いており、卓の両側には下女が何人か着席していた。その後ろに控えている下女もいるので、彼女らは位の高い下女、ただの下働きではなく、そこそこ良い家の出の娘たちなのだろう。良家の出身でも、三女や四女などは、上の姉たちと競合しないように、城以外の貴族の家へ送られることが多々ある。


「そこの席にお座りになって」

「お誘いありがとうございます」


 祥華が細い指で空いた席を指差した。微笑んで頭を下げ、席につく。

 目の前には、三つの杯が置かれていた。それぞれに別の色をした茶が注がれており、どれからも湯気が昇っている。良い匂いが鼻孔をくすぐった。祥華の前にも、娘たちの前にも、同様のものが置かれてある。


「どれも有名なものですのよ。月予さんは茶を嗜まれたりするのかしら」祥華は微笑んでから、あら、と自らの口元を抑えた。「当たり前でしたね。失礼な質問をしてしまって、お恥ずかしいわ」


 彼女がクスクス、と微笑んで見せると、席に座っている他の娘たちも揃って笑い声を上げた。こういう何かを探るような笑い方は大嫌いだったが、場を乱すわけにもいかないので、ひとまずの笑みを浮かべておく。

 一体何をさせる為に呼び出したのだろう? まさか仲良くしようというわけではあるまい。

 警戒しながらも笑みを浮かべたままでいると、彼女は微笑んだまま、両手を軽く広げた。


「さぁ、みなさん揃ったことですし、ゆったりと茶を味わうことに致しましょう」


 細められた彼女の目が、一瞬だけこちらを睨みつけているように見えた。

 ――まさか、茶に毒でも仕込んだのか?

 考えてから、それはありえない、と自分で打ち消した。いくら疎まれているとはいえ、そんな物騒なことはしないだろう。最近おかしな事が続きすぎて、思考が変になっている。

 それでも自然と手が震えた。人が毒で死ぬのをもう二度も見たのだ。

 他の娘や祥華は微笑みながら杯に手を伸ばしている。ここまできて、やっぱり飲まない、とは言いづらい。

 私は周りが警戒心なく茶を飲むのを確信した後、一番右の杯を掴み、一口だけ飲んでみた。


「いかがですか?」


 祥華が問うてくる。

 意外にも、茶は美味しかった。少し渋みがあるが、すっきりとした飲みごたえで、冷やして飲むともっと喉に気持ち良いだろう。これからの季節、夜や早朝の勉強のお供として、眠気覚ましにちょうどいいかもしれない。そんなことを思いながら、私は軽く頷いた。


「美味しいです」


 すると、そうですね、と私の近くに座っていた娘が反応し、続けて言った。


「――これは玄天国で採られた茶葉でしょうか。この色なら玄桂げんけいですね」


 その娘の言葉を皮切りに、他の娘も口々に話し始めた。


「こちらは蜜蓮みつれんかしら。花のような匂いがして、少し甘いですね」

「鳳凰国の南、比翼ひよくで採れるという茶葉を使ってるんじゃありませんか?」

「その通りだと思いますわ。比翼の茶葉は光枝みつえだのものよりも甘みが強いですね」

「匂いもずっとしますわね。けど、やっぱり比翼の茶は良いですわ、渋みとの絡み合いが絶妙ですもの」

「こちらの玄桂はどちらで採られたと思います?」

「東の浅見じゃございませんか?」

「いえ、浅見にしては口当たりがすっきりしすぎてる気がします」

「相楽かしら」

「きっとそうですわ」


 ――訳が分からなかった。

 娘たちが口々に話すのを聞きながら、茶を飲んでみるが、確かに、真ん中の茶は右のものよりもずっと甘い。甘い茶として有名な蜜蓮だというのはわかる。しかし、それが比翼で採れただとか、光枝で採れただとかは全く分からなかった。

 私が話についていけていないのにも関わらず、娘たちは茶の話で盛り上がり、それに祥華は満足そうに微笑んでいる。とにかく私も笑顔を保ち、話を伺っていると、祥華と目が合った。祥華は両目を歪ませて笑いながら、まだ誰も話題へ上げていない、左の茶を指差した。


「これ、お飲みになられた? 私が一番気に入っているのだけど……」

「……まだ飲んでません」

「あら、せっかくですから、お飲みになって」


 悪意のある笑みだ。城で何度も見たことがある。誰かを貶めようとする時の笑み。

 反射的に、左の茶に手を伸ばし、ごくりと飲んでいた。しかし、味などよくわからない。玄桂よりは渋みがなく、蜜連よりは甘みが弱い。蘭の花によく似た匂いが強く、口内で広がる。とてつもなく美味しいのだが、それが何かはわからない。城での宴会の際に口にしたような気もするが、さりとてそれで銘柄がわかるわけではない。


「――どこの茶葉がおわかりになります?」


 祥華が、私の戸惑いを見透かしたように、楽しげな声で言った。周りの娘たちもクスクスと小さく笑いながら私に視線を向ける。私が何も言わずに話を聞いていただけであったことに気が付いていたのだろう。

 

「蘭の花の匂いがしますけど……」


 とりあえず感じたことを口にすると、祥華はより一層笑みを深くした。


「そう。そうね、その通りね。とてもいい、蘭の匂いだわ……それで?」


 これ以上は答えられない。

 思わず唇を噤むと、祥華は私から視線を逸らし、近くにいる下女を見た。


「あなた、蘭の花の匂いがする茶と言えば、何かしら?」


 声をかけられた下女に見覚えがあった。今朝、祥華に突き飛ばされ、転びそうになったところを支えてやった娘だ。彼女はいきなり話しかけられて驚いたようで、えっ、と素っ頓狂な声を上げた。卓を囲んでいる娘たちが一斉にそちらを見る。視線を浴び、彼女は顔を真っ赤にして俯いた。


「え、あの……その……」

「遠慮しなくていいのよ」祥華は笑う。「いつも私の近くにいるなら、わかるでしょう?」

「あ……」


 彼女の顔がみるみる青くなる。かと思えばすぐに真っ赤になり、顔からだらだらと汗が流れ始めた。並んで立っている他の下女たちが、気まずそうに俯き始めた。


「あら、わからないの?」


 祥華は冷たい声で言った――この娘が答えられないと知っていて尋ねたのだ、と直感的に思った。しかし、何故そんなことをするのだろう。

 そう考えた矢先、祥華はまたこちらを見た。


「困りましたわね、月予さん、悪いんだけど教えてあげてくれる?」


 と、言われても私もわからない。

 彼女は何がしたいのだ。私は不思議に思いながら、背筋を伸ばして、堂々と答えた。


「ごめんなさい、私も存じ上げないわ」


 すると、祥華は残念そうに目を細め、しかし口元は笑いに歪めながら、また下女を見た。


「残念ね」祥華は残念どころか楽しそうな口ぶりだ。「月予さんはわからないんですって」


 下女はさらに困ったように俯く。

 それを見ていると、悔しさがこみ上げてきた。

 私を馬鹿にしたいのなら、私を真正面から罵倒すればいい。

 それなのに、どうして他の人間を巻き込むのだ。どうして彼女までも辱めるのだ。

 その怒りを口にしようとして――私はハッとした。

 そんなことをすればこの家から追い出されるのではないか? 玉緒の言葉を思い出す。叔母を刺激するなと彼は言った。ここで怒りのまま振る舞うのはよくない。


 ――済まない。

 下女が真っ赤になって震えているのを見ながら、私は今まで感じたことのない悔しさと惨めさに打たれた。自分の保身の為に、彼女を見捨てているのだ。そんなことをするのは初めてだった。後で彼女に謝っても仕方のない事だろう。彼女は、今、助けを求めているのだから。

 嫌だ――自分の誇りに泥を塗っている。それが悔しくてたまらない。


「月予さん、恥を覚えるべきよ」


 祥華にいきなりそう言われ、心臓が跳ねた。しかし、彼女は想定と違うことを言った。


「下女並の知識しかお持ちじゃないなんて。それでよくこの家に踏み込めたものね」


 祥華の声は低い。もう愛想笑いさえ浮かべていない。

 ――だが、そんなこと全く恥ずかしくない。

 視界の端で、下女は俯き続けている。理不尽に辱められて、その上に「下女並の知識」と揶揄され、それをじっと耐えている。

 

「……下女並の知識、だなんて、彼女に失礼ですわ」


 私はかろうじてそう口にした。けれど、祥華は軽く鼻で笑ってみせるだけだった。

 

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