第十三話 歓迎
玉緒の家は、外観ももちろんの事、内装も非常に立派だった。
貴族の最近の流行は、隣国の鳳凰国の伝統建築だ。それは玉龍国伝統の平屋造りとは対照的に、狭い土地に二、三階建ての高い建物を造るものである。貴族たちは広い領地に高い建物を造ることで、それぞれの力を示し合っているそうだ――玉緒の家もその鳳凰国式だった。
内装も鳳凰国の形式に沿っているらしく、鮮やかで力強いものを好むかの国らしいものだった。厚い布を何枚も重ねて垂らしてある豪奢な斜幕や、炎の形に作られた照明などが次々と目に付く。
共に廊下を歩いている玉緒をちらりと伺ってみる。彼は死んだような目で宙を眺めていて、やっぱり何を考えているのやらさっぱりわからない。この彼の家が、ここまで豪華な造りだとは思わなかった。まさか、家屋の素晴らしさを鼻にかけたり、それを他人と比べるような人ではあるまい。家族の趣味だろうか。
そんなことを考えていると、赤い扉から一人の男が飛び出してきた。
「あ、玉緒サン、お帰りなさい」
――奇妙な訛りがある。外国人だとすぐに分かった。
男は赤茶色の短髪と、小麦色の瞳をしていた。濃い緑色の枠縁の眼鏡をかけ、愛嬌良く微笑んでいる。歳は三十を超えたくらいだろうか。
彼に気付くと、玉緒は死んでいた目を細め、わずかに微笑んで見せる。
「やぁ、李燕」
「ソチラの方は?」
李燕と呼ばれた彼は、眼鏡の奥の目を細めながら私を見る。好奇心に溢れた視線だが、心地悪いものではなかった。どこか、キラキラと輝いているようにも見える。私は自然と微笑みながら、頭を下げた。
「初めまして。か……月予といいます。しばらくこちらでお世話になります」
「アァ! 玉緒サンのコイビト?」
「違う」
否定が早い。最後まで言い切る前に首を振られ、李燕は眼を白黒させながら玉緒を見た。
「え? チガウですか?」
玉緒は軽く頷き、それで話は終わりだと言いたげに再び歩きだす。私もそれに続くと、李燕はにこにこと微笑みながら小さく手を振ってくれた。良い人のようだ。
彼が見えなくなってから、私は玉緒に尋ねた。
「彼は鳳凰の人?」
「そうだ」玉緒が振り返って言った。「この家を設計してくれた」
「へぇ、凄い人なんだ」
周りの豪奢な装飾を眺めながら言うと、玉緒は眉尻を下げ、同じように周りを見渡した。
「俺は質素な方が好きなんだけどな」
「鳳凰造りなのは誰の趣味なの?」
「俺以外はみんな喜んでたよ」
「まぁ、今、流行りですものね。あなたも好き? 鳳凰造り」
後ろの下男を振り返って尋ねてみる。しかし、彼はさっと顔を強張らせると、何も答えずに視線を逸らした。唇をぎゅっと結んでおり、頑として答えようとしない意思が見える。予想外の反応に怯んでいると、玉緒が立ち止まった。しかし、下男の反応に気付いたわけではないらしい。彼は近くにある、銅色の厚い扉を指差した。
「ここが客室だ。自由に使ってくれ」
玉緒はそう言い終わると、また廊下を歩いていこうとした。
「え、玉緒はどこ行くの?」
「自分の部屋に戻る。始末書を書かないといけなくて」玉緒は憂鬱そうにこめかみを指で押さえた。「後で月予の部屋に下女を送るから、わからないことがあったら彼女に聞いてくれ」
「あぁ、そうなの……」
特別、玉緒に用事があるわけではなかったから問題はない――とはいえ、さっきの下男の反応を見ると、不安なものがあった。叔母を筆頭に、私はあんまり歓迎されていないように思える。思わず先を案じて視線が下に落ちた。
すると、突然、玉緒がこちらに近づいてきた。顔を上げると、思ったより近くに相手の顔があって驚く。彼は至近距離で囁くように言った。
「この屋敷の中では誰かに狙われる危険もないから安心していい。何か不安なことがあったら、遠慮なく言ってくれ。一応、預かっている身なんだから、責任を持って守る」
柔らかい声音だった。ぽん、と肩を叩かれ、ほっと気持ちが緩むような心地がした。
良い人だ――と感動したのもつかの間、彼は寄せた眉をさらに寄せ、声音を低くして言った。
「叔母はなんとかしてくれ……」
「――な、情けないな……」
とはいえ、彼女とは良好な人間関係を結ぶのは難しそうだが、身体的な危険を及ぼされることはないだろう。女同士のドロドロに巻き込まれるのは少し厄介だけれど。身を守ってもらう上に、城へ戻れる道が残されることへの代償だと思えばなんてことはない。
「じゃあ、また。本当にありがとうね」
玉緒に手を振り、私は客室と言われた扉の前に立つ。後ろに着いてきていた下男も軽く頭を下げ、玉緒の後を追いかけてゆく。
扉はなかなかの重みがあった。両手を使って押し開けてみると、部屋の光景が目に飛び込んでくる。
やはり鳳凰国風の、豪奢な装飾品で飾られた部屋であった。天蓋付きの、三人の大人が眠れそうな広々とした寝台。布団は紅色で、枕は白と黒の二色が並べられている。斜幕から見える寝台の柱は銀製だろうか。壁には本棚や棚が並んでいる。床は板張りで、そこに黒と赤と白を配した薄く固い絨毯が広がっており、その真ん中には脚が湾曲した丸い机と椅子があった。正面に大きな窓があり、窓の硝子は薄い緑色で、龍の絵柄がうっすらと見える。
真ん中の机の上に、三冊ほど厚い本が重ねられていることに気が付いた。
近付いて見れば、鳳凰国について書かれた本など、国際的な歴史や文化に対する文献ばかりであった。そのどれもが書名は有名だが手に入れるのが困難なものだ。
「嘘!? これ本物!?」
「――本物でございますよ」
涼やかな声がして、振り返ると、開けたままの扉から一人の女性が部屋を覗いていた。玉緒の言っていた下女だろう。私が頭を下げると、彼女も深々と頭を下げた。
「伽藍と申します、どうぞよろしくお願いします、月予様」
「よ、よろしくお願いします」
伽藍、と名乗った彼女は、振り返って扉をきちんと閉めた後、こちらへ素早く歩み寄ってきた。そして手元の本をちらりと見、にこりともせずに言う。
「玉緒様がご用意するようにと仰られたので。お気に召しましたか?」
「えぇ、とっても嬉しいわ」
玉緒がわざわざ用意してくれたのか。国際的な知識は城での出世に大きく関わる。このような本は初品が喉から手が出るくらい欲しいものだ。しかも、それを花立の再試より前に手に出来るなんて。詩や物語などの娯楽作品ではなく、そのような本を用意してくれたのが、自分でも驚くほど嬉しかった。
そう思いながらニヤニヤと笑っていると、伽藍が眉一つ動かさないままに言った。
「難解な文献でございますが、どれか読ませましょうか?」
――一瞬、何を言っているのかわからなかった。
読ませましょう、とは、読むのは私なのに、何を言っているのだろう。
しばらく考えてから、ふと、読めないと考えられていることに気付いた。確かに、貴族の子女は詩や物語を嗜むくらいの国語力はあれど、歴史や科学等に関する文献を読む程度の学習はしていないのが普通である。だから、特別に学んだ下男や学士を雇ったりして音読してもらい、あるいはわかりやすく説明してもらうのが常なのだ。
そこも男女の差だな……と思いながら、私は首を振った。
「大丈夫。自分で読むから。もしわからないところがあれば、後でまとめて聞くわ」私はそう言いながら本を机の上に戻した。「もしよかったら、屋敷の中を案内してもらってもいい?」
「どちらへ?」
「軽く見て回りたいんだけど……その、ご迷惑にならない程度に」
「わかりました」
「嬉しいわ、ありがとう」
伽藍は真顔のままぺこりと頭を下げ、「こちらへ」と手招きし、厚い扉を開けた。やっぱり表情を変えない彼女を見ながら、淡泊な対応だな、と感じた。
――まぁ、歓迎されないのは当たり前か。
城へ戻りたいが為に、玉緒を体よく利用してしまった。迅に毒を盛った容疑者である自分がここに匿われていることが城にばれれば、玉緒たち化野家にも多大な迷惑がかかることも重々に承知しているつもりだ。
――それでも天上人になりたいんだもの。
私は自らの手首を、もう一方の手で掴んだ。もう諦めるという道はない。
「あの、よかったら、弓を射れる場所があればそこにも案内してほしいんだけど」
伽藍はちらりと振り返り、少しだけ不思議そうな顔をしながら頷いてくれた。