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第十二話 面倒な人


 牛車が門の前で緩やかに止まった。玉緒が御簾の外を確認し、小さく顎を引く。


「ここが俺の家だ。ここから先は、出来るだけ女らしく振る舞ってくれ。迅を通して知り合った、貴族の娘で、家が少し大変な状態だから一時的に家に寄せる、そういうことになってる。身分や家柄は尋ねないようにと念を押しておいたから、お前の方も間違って神楽の名前を出さないように気を付けてほしい」


 玉緒はそう言うと、それから僅かに首を傾げた。


「そういえば、月國も男の名前だから変えた方がいいな。何て呼べばいい?」

月予つくよでいい」

真名まなか?」


 頷くと、玉緒は「わかった」と短く答えて、唇を一文字に結んだ。

 

 ――仕官に際し、官人たちは『官名かんめい』を名乗る。俗世に生きていた者から、皇帝に仕える神聖な者への転生を表す、という由来があるらしい。赤子の頃から呼ばれていた名前を『真名』と言い、通常、城の中で真名を呼ばれることはない。よって、真名を伝えることは、城の中での恋愛関係における、契りに似たものだという。あるいは、固く結ばれた友情を表す際にも伝え合うことがあるらしい。


「誰かに真名を名乗る日がくるとは思わなかった」

 

 私が何気なくそう言うと、玉緒が大げさに両肩を竦めた。


「相手が俺で済まないな」

「それは特に構わないんだけど。兄の名を借りて仕官しているから、月予と名乗れる時があると思わなくてね」

「あぁ……」


 玉緒は何を考えているのかよくわからない、ぼんやりした顔で返事をした。掴みどころのない人だ、と思う。


 しばらく牛車の籠の中で待機していると、外側から後ろの御簾が開けられた。さっきは飛び降りたが、今度は下男が降りる為の台を用意してくれている。私は笠を被り、薄い垂れ衣で顔を隠した。これからは女性として振る舞わなければならない。だが、改めて考えてみると、女性らしさって何だろう。私は生まれながら女性だけれど、でも、きっと本能のままに動くのはよくない気がする。私にとって、月予として生きるより、月國として生きる方が本能に合ってるから。

 ――女性らしさ、女性らしさ、と口の中でモゴモゴ呟きながら台を踏み、地面に降りると、先に降りていた玉緒が不思議そうな顔でこちらを振り返っていた。


「不安なのか?」


 小声で尋ねられたから、黙って頷くと、彼は目を丸くした。私はその反応に違和感を覚えながら、小さな声で言った。


「女性らしく振る舞うのって、どうすればいいんだろうな」


 すると、玉緒は拍子抜けしたように笑うと、軽く息を吐いた。


「困ったら、黙ってにっこり笑ってるといい」

「それが玉緒の理想の女性像か?」

「知り合いの美女がよくそう言っていた」


 玉緒はそう言い、前を向く。つられて前を向くと、そこには立派な屋敷があった。

 壁の色は白く、瓦は黒緑に輝いている。二階建ての屋敷で、随分と広々としており、天辺の中心の瓦の上には小さな龍のようなものが踊っていた。屋敷は一辺の欠けた四角の形で、その中央部分に、庶民の家なら三つか四つほど入ってしまいそうな大きな庭があり、たくさんの桜の木が蕾を膨らませている。その屋敷全体を、赤い壁の屏がぐるりと囲んでいた。全体的に鳳凰国風の建築らしい。


「桜の花は化野家の家紋だ」


 庭や門先に伸びている桜を眺めていると、玉緒が柔らかな表情でそう言いながら、開かれた門をくぐっていった。そのまま屋敷へ近づいていくと、扉が向こうから開かれる。


「おかえりなさいませ、玉緒様」


 廊下には下男・下女が三人ほど並んでいて、その奥に一人の女性の姿があった。玉緒は私が進むのを片手で押しとどめ、下男たちの挨拶にも返事をせず、その女性に軽く頭を下げた。


「どうも、叔母上」


 ――この女性が、特に気を付けて欲しいという人か。

 叔母上、と呼びかけられた女性は、少しだけ白髪の混じる髪を、きっちりと結い上げていて、着物の着方もどこか堅苦しいほど礼儀に沿ったものだった。顔つきも鋭く、しかし、整っていて美しい。白い瞼に乗せた紫の色が映え、年相応の見繕いを弁えている、綺麗な婦人という印象が強い。誰かと似ている気もしたが、誰かは思い出せなかった。彼女は鋭い目つきをさらに細めると、私と玉緒とをちらちらと見比べた。


「おかえりなさい、玉緒さん。一週間の自宅謹慎とは大事じゃありませんか」


 声は高く、暗に責め立てる口調が嫌に気にかかる。しかし、玉緒は気にした様子もなく、軽く笑って受け流した。

 次に彼女ははっきりと私を見て、鼻で笑ってみせる。


「しかも女人連れの帰宅だなんて。お恥ずかしいこと」

 

 思わずカチンとくるものを覚えたが、玉緒はやっぱり薄ら笑いを浮かべているだけだ。


「彼女は迅の知人です。そういう関係ではありませんよ」


 しかし、彼女は冷たい目で玉緒を見るだけで、納得した様子はない。

 彼女はしばらく玉緒を睨みつけてから、その後ろに控えている私に視線を移す。


「そんなところにいないで早く上がってらっしゃいな。それとも今更恥を覚えたの」


 やたらと攻撃的だ。衣越しに玉緒を窺うと、彼は私の為に一歩横に動いてくれた。私は彼の空けてくれたところに進むと、笠を外した。そして名乗ろうとして――その前に叔母が甲高い声を上げた。


「信じられない!」


 身元がばれたのか。そう思い、私はぎょっとした。少なくとも私は彼女と会ったことはないはずだ。彼女はわなわなと震えたまま叫ぶように言った。


「あなた、どういうつもりなの、あなたは――私たちを見捨てるつもりなの」


 その目は真っ直ぐに玉緒の方に向けられている。彼女は震えた手で玉緒に掴みかかろうとして、それを近くにいた下女が慌てて押しとどめた。


祥華しょうか様! 落ち着かれてください!」

「これが落ち着いていられますか!」


 祥華、と呼ばれたその叔母は、自分を押しとどめてくれた下女を突き飛ばした。突き飛ばされた女の子は小さな悲鳴を上げてこちらに倒れ込みそうになる。私は腕を伸ばし、彼女を受け止めてやった。


「大丈夫?」


 身体を起こしてやりながら尋ねると、彼女は何が起きたのかよくわからないような顔をして私を見上げた後、恥ずかしそうに頬を桃色に染め、パッと身を離した。ありがとうございます、と消え入りそうな声で言い、頭を下げる。

 

「あなた、名前は何というのです」


 突然、祥華が鋭い声で言った。

 身元に気付いたわけではないらしい。私は内心で首を捻りながら、表面上は笑顔を作って答えた。


「月予と申します。どうぞ、よろしくお願いします」

「そう、月予」


 私が言い終わらないうちから、祥華は吐き捨てるように名前を繰り返し、そして苦虫を噛み潰したような、不快感溢れる表情で言った。


「私は認めませんから」


 彼女はそう言うと、踵を返し、廊下の奥へ去っていった。さっき突き飛ばされた下女が、その後ろを慌てたように着いていく。

 一体、何を認めないというのだろう? 

 疑問が、どうやら顔にまで出ていたらしい。隣で息を詰めるようにしていた玉緒が、盛大に溜息を吐きながら言った。


「やっぱり、面倒な勘違いをされたようだ」

「面倒な勘違い?」

「俺が、お前と結婚するつもりで、お前を連れてきたと思ってらっしゃるんだよ」

「……へ」

「しばらくちょっかいをかけてくるかもしれない」


 それは、ちょっかいをかけてくる、というくらいの可愛い話なのだろうか。

 さっきの剣幕を見た後ではどうにも不安である。


「でも、どうしてあそこまで気にしてるんだ……気にしてらっしゃるの?」

 

 まだ周りに下男・下女が控えているのを思い出して、作り笑いと女言葉で尋ねると、玉緒は少しだけ可笑しそうに唇を歪めて答えた。


「彼女の娘、つまり俺の従妹と俺を結婚させようとご執心だからだよ」

「あぁ、なるほど……。それにしても、顔を見てから急に激しくお怒りになってたけど、それは?」

「さぁ」


 玉緒はとぼけるように肩を竦めた。私はむっとしたが、周りの下男たちも理由を察しているような笑みを浮かべてこちらを見ている。わかっていないのは私だけらしい。


「さぁ、って……」

「細かいことは気にするな。とにかく、出来るだけ、刺激しないように頼む」


 玉緒は真面目な顔をしてそう言った。押しの強い叔母に、相当な面倒をかけられてきたのだろう。

 しかし、想像以上に面倒なことに巻き込まれそうだ。私も真面目な顔をして頷いた。真剣に応えたつもりだったのに、何故か玉緒は心配そうに眉尻を下げていた。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


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