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第十話 処罰

「香鈴……どうしてそんなところで寝ているの?」


 吉祥はか細い声でそう言い、無理やりに微笑みながら、横たわった女官――香鈴の元へ駆け寄った。動揺の為か足元がおぼつかず、途中で倒れ込むように転んでしまう。しかし吉祥は香鈴の傍まで這いよって近づくと、血の気が抜けて真っ白になった手を掴み上げた。両手でそれを包み込み、香鈴の顔を覗き込んでいる。


「香鈴、こんなところで眠っていたらいけないわよ、早く起きるのよ……」


 呼びかける声が震えてゆく。香鈴の頬に透明な雫が落ちた。

 同胞の死に涙を流している吉祥の姿は、背筋が凍るほど美しかった。まるで絵画を見ているような光景だった。

 

「……吉祥殿、その人は……」


 居たたまれなくなって、声をかけようと近づくと、吉祥はキッと黒目を吊り上げてこちらを睨み、突然身を翻して飛びかかってきた。予想外の行動に反応が出来ず、そのまま押し倒されてしまう。私に馬乗りになった吉祥は、私の胸元の衣を震える手で掴み上げた。


「貴方だったのね! 貴方が、貴方が香鈴を苦しめたのね!」


 吉祥が私を揺さぶる。何度も床に後頭部を打ち付けた。視界の吉祥がぼやけて見える。けれど、私の頬や首元に落ちてくる雫から、彼女がどんなに悲痛な表情をしているのかはよくわかった。


「誤解だ、私は彼女と今日初めて会っ……」

「この期に及んでまだしらばっくれるつもりなの!?」

 

 速水が吉祥を私から引きはがそうとしているのが見えた。しかし、吉祥はそれに抵抗し、私の衣から手を離さない。


「香鈴が、香鈴がどれだけ苦しんだと思ってるの、あんなに良い子だったのに、それを騙すような真似をして、挙句の果てに殺して――貴方だけは絶対に許さない、私が殺してやる……」


 吉祥の手が衣から外れた。そう思った途端、細い指が私の首にかかった。咄嗟にその手首を掴み、抵抗する。女同士と言えど、鍛え上げている身体とそうでないものには大きな差がある。私は吉祥の手を自分の首から引き剥がすと、そのままの勢いで後ろに突き飛ばした。


 床に倒れ込んだ吉祥は、起き上がることなく、そのまま震えていた。どうやら泣いているようだった。香鈴と彼女は親しい関係だったのだろう。武のことを思い出し、また胸が痛んだ。そして、存外に気遣うような声が出た。


「吉祥殿、私は今日初めて彼女に会ったんだ。嘘じゃない。信じてくれ」


 吉祥がまたこちらを睨みつける。私は身体を起こしながら、静かに首を振った。


「友を失う悲しみはよくわかっているつもりだよ。私は誰かの友を殺すような真似は出来ない」


 ――吉祥が私を見る瞳が、わずかな戸惑いで揺れた気がした。

 しかし、それをはっきりと確認する前に、私の目の前には刀が閃いていた。


「御託はいい」


 押し殺したような声でそう言い、私の首元に刀を突きつけているのは、雪平だった。


「説明しろ。何が起こってるんだ」


 言えることは一つしかなかった。


「……私にはわからない」


                 *


 そのまま、私は別室に通された。そこは机や椅子、棚、寝台くらいの最低限の物しかなかった。棚を開けたが中には何もなく、窓も外も外から鍵が掛かっている。誰かを軟禁する為の部屋だろう。とはいえ、囚人を通すには、絨毯は薄いながらも毛は良質だし、寝台も柔らかさがあった。隅々まで掃除も行き届いているようだったし、今の状況にそこまで絶望することもないだろう。


 それから、私はその部屋の寝台に横たわってじっとしていた。実際は数十分程度の時間しか過ぎていなかったのかもしれない。しかし、私には何時間にも思われるような途方もなく長い時間だった。


 扉を叩き、迅と玉緒が入ってきた。玉緒は少々の疲労を顔に浮かべていたが、迅の表情はいたって平静で、毒を飲んだ後とは思えなかった。


「迅皇子、お身体の方は……」


 寝台から飛び降りるようにしながら尋ねると、彼は薄い微笑を浮かべた。


「問題ない。毒には慣れている……それより問題はお前だぞ、月國」


 迅は椅子に腰かけると、微笑のまま、私を見る。私は思わず息を呑みながら、彼を見返した。


「私はどうなるんですか?」

「今、大司冠たちと話をしてきた」迅は視線を逸らさないまま答えた。「ひとまず、城からは退いてもらおう」


 心臓が凍り付くような心地がした。


「追放……ということですか?」


 聞き返した声が震えている。喉に何かが絡まっているような変な感覚がした。


「いや、違う」


 迅がすぐに否定する。


「一時的な自宅謹慎のようなものだ。四品・初品・女官の殺害、それぞれに関わっているお前を、城の中に放置しておくのは好ましくない、という考えでな」

「……あの女官は、殺害されたんですか?」

「自殺かもしれないが。おそらく遅効性の毒だろう」

「……そうですか」


 思わず手を握りしめた。腕の中で命が消えていく、生々しい感覚がまだ残っている。

 玉緒がそんな私を見つめながら、ぶっきらぼうに言い放った。


「俺も一週間程度の自宅謹慎を食らったし、処罰をそう重く捉えなくても大丈夫だ。事件が解明すれば、お前は城に戻って来られる」


 玉緒は気を遣ってそう言ってくれたらしい。しかし、私は、わかりました、とは言えなかった。


「でも、第二皇子の護衛と、ただの初品じゃ違うだろう。城から体よく追い出して、もう二度と呼び戻さない可能性だってゆうにある……いや、私にはそうとしか思えない」


 一度口に出すと、疑惑が次々に溢れだした。


「それどころか、城から追い出した後で、全ての罪を私に押し付けるつもりじゃないのか? 私から反論の場を奪って、一方的に濡れ衣を着せる……」

「月國」玉緒が呆れたように言った。「本来なら牢座敷行きなんだぞ。そこを迅が口添えしてくれて、自宅謹慎になってるんだ。大人しくそうしていた方がいい。下手な抵抗は、かえって疑われる。自分の身が潔白なら城を信じて待っていた方がいい」


 玉緒が、私の事を考えてそう言ってくれているのは、その言いぶりを聞けばすぐにわかった。けれど、私は首を横に振る。


「私は父がいないし、親族も城内にはいない。大人しく城から追い出されてしまったら、抵抗の手段がないんだ。私は自分の人生を他人に賭けてしまいたくない。それに、そもそも……」


 私はそこで慌てて言葉を飲み込んだ。

 

 自宅謹慎になったら、家の者に事情がばれてしまう。男として、城に入っていることが。

 母はきっと卒倒するだろう。女中や下男たちも見逃してはくれないはずだ。

 性別を偽って仕官することはれっきとした犯罪になる。ばれてしまえば牢座敷行き、最悪は首を切られてしまう。そんな危険な状況に身を置いていることを母は許さないだろう。きっとあらゆる手を使って、もう私を家から出さないに違いない。


 自宅に戻ることは、城からも切り捨てられる恐れがあるし、家からも押さえつけられる恐れがある。一番避けたいことだった。


「……とにかく、城から一時的に離れるのはいいが、自宅に引き下がるのはお断りしたい。……もちろん牢座敷もお断りしたいけど……」

「どうしてそこまで……」


 玉緒は呆れに呆れて溜息を吐いたが、ふと私と眼が合い、家に帰りたくない事情をある程度察したらしかった。溜息が、あー、という何とも言えない声の漏れに変わる。

 

 自分でも、場違いなわがままを言っていることはわかる。それなら牢座敷に行くしかないな、と言われてしまう可能性も感じていた。

 どうすればいいかわからず、途方に暮れていると、突然迅が手を打った。


「良いことを思いついたぞ」

「――本当ですか!?」


 頷いてみせた迅はニヤリと笑っていた。何か嫌な予感がした。それは付き合いの長い玉緒の方が強く感じているらしく、頬を引きつらせて自らの主人を振り返っている。

 迅は二人の視線を受けながら、笑って答えた。


「玉緒の家に置いてもらえばいいじゃないか」

「――は?」


 私と玉緒の声が重なった。

 迅はより一層楽しそうな顔をして言った。


「男のままで行くと身元がバレそうだから、いっそのこと、女のふりをして転がり込んだらどうだ。お前の家なら、お前が何も聞くなと言えばみな従うだろう。女ときたら尚更だろうな」

「迅、そういう冗談はやめてもらえますか!?」

「――名案だ」


 思わず声が飛び出した。


「玉緒! 頼む! 私を玉緒の家に置いてくれ!」


 玉緒はともかく、言い出した迅でさえ、きょとんとした顔で私を見ていた。そして、しばらくして、やっと言葉の意味を理解したように、迅が笑い出した。玉緒が、困り果てた顔をして、笑っている迅を見ている。

 


「そんなこと罷り通るわけが……」

「玉緒」


 迅が笑いを浮かべたまま、玉緒の肩に手を置いた。

 

「諦めろ。月國は私に似てるんだろう? なら、こうなったらおしまいだぞ」


 玉緒が盛大な溜息を吐き、こめかみを指で押さえた。


「それがわかってるから、そういう冗談はやめろと言ったんですよ……」

これで一段落がついた感じですね。


ここまで読んでくださってありがとうございました!

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