蝉の声
「私、もう少しで死ぬんだって」
二週間ほど前に転校してきたコイツは何気なくそんなことを言い出した。
ペラペラとつまらなそうに数学の教科書をめくっている。
外では耳障りなくらいに蝉が鳴いていた。
「意味わかんねぇ」
数学を教えてくれと頼んできた彼女に付き合い、昼休みまでこうして教えている。
教科書から顔を上げた彼女はいつもと変わらない表情。
カチカチとシャーペンをノックしながら転校してきた理由を述べる。
「もうすぐで死ぬんなら、好きなことさせてやろうって。だから学校に来たの」
真っ白なノートに教科書の公式を写す。
彼女の声に変化はなく何を考えているのかわからない。
「ねぇ、ここわからない」
コツコツとシャーペンで問題文を指し示す。
俺はそんな彼女に急かされるように問題を見た。
問題を説明しながら彼女の顔を盗み見る。
白い肌に長いまつげの少し病弱な少女。
でもいつも笑っていて元気。
それでいてたまに変。
説明をすれば「わかった」と頷く彼女。
それから黙々と問題文と向き合う。
暑い。
雲一つない晴天を教室の窓から眺める。
延々と鳴き続ける蝉。
「………うっせぇ」
特に何も考えずに溢れた言葉。
その言葉に反応した彼女は顔を上げて俺の方を見た。
こてん、と小首を傾げる。
「蝉、嫌いなの?」
教室に吹き抜けてくる風が教科書のページをめくった。
それを横目で見ながら俺は「うるさいしな…」とだけ答えた。
好きとも嫌いとも答えずに曖昧な答えだが、彼女はそれについては特に気にせず頷いた。
「私は好きだよ」
一瞬心臓が締め付けられた。
彼女に視線を向けるも、彼女は俺を通り越して窓の外を眺めている。
近いような果てしなく遠くを見ているような目。
「だって私に似てるもん」
外では一層蝉の鳴き声が強くなる。
「蝉って寿命が短いでしょう?私と一緒。生きたい、生きたいって鳴いてるんだよ」
ふっと小さく笑う彼女。
口元にだけ小さな笑みを浮かべている。
蝉の寿命は大体が一週間ほどだ。
生きたいという鳴き声。
彼女は寂しそうな顔もせずにさらりと言い放った。
俺と目が合うと彼女は満面の笑みを見せたる。
「大好きだよ」
それは蝉なのか俺なのか。
「私は陽向くんが好きだよ」
問いかけようとした言葉を先読みするように答える彼女。
清々しい笑顔だった。
それから夏が終わって秋が来て冬が来る頃。
アイツは学校に来なくなった。
そして俺はアイツが死んだことを聞いた。
アイツと過ごした夏が過ぎてまた同じ季節が戻ってくる。
俺の隣にアイツはいない。
学校に来なくなった時風邪を引いたと聞いた。
一回でも見舞いに行けば良かったと今更思う。
今年の夏もけたたましいくらいの蝉の声。
俺を好きだと言った彼女の笑顔は瞼の裏に焼き付いて離れない。
夏と蝉と君と。
俺は君と過ごした夏を忘れない。