絶望の影
その姿を見ただけで竜人は本能的に後ずさった。あまりにも不吉で、異質な存在がそこにあったのだ。第六感が警鐘を鳴らしている。
“それ”は影だった。真っ黒に、そこだけ塗りつぶされたかのような影。
輪郭も揺らめき、固定形を成していない。
そして、影はゆっくりと竜人に近づき呟いた。影に口はなかったが、声を発していたのだ。だがそれは影から発せられたのではなく、頭に直接響くような声だった。
冷たく、おぞましい声ー。
複数の人の声が幾重にも重なったような、喋る度に不快なノイズを発している。
ー寒い、寒い、寒い、寒いー
影はただそれだけを発し続けている。
影は黒いのだが、体からあの正体不明の攻撃が放たれた。
竜人は間一髪で避けた。いや、逃げたのだ。
それは絶対に食らってはいけない攻撃だと、本能でわかる。
魔物の雄叫びは徐々にまとまっていき、やがて合唱のように木霊する。
それは影を崇め奉るかのような、歌のようだった。
勇者機関本部
「何なんだ…あれは…」
大司教でさえ、その影に怯えの色を見せている。誰もが水晶の映像から目を離せなかった。
「馬鹿な…結界が全て消えている…?」
「この建物が攻撃を受けています!このままでは持ちません!」
機関の人間から焦りが見える。
この本部にいる限り、敵の攻撃は直接受けることはない、皆そう思っていたのだ。本当に絶望的な状況にならなければ、ここが一番安全なのだとー。
だがその幻想は瞬く間に打ち砕かれた。あの影によって。
「映像越しからでもわかる…あれは…在ってはならないモノだ…」
皆未知の存在に怯えている。だがそんな中、ヨハンだけがただ堂々としていた。
「あれは、魔王の手の者に違いないが…今まで見たどの魔物とも違う。いや…あれは魔物なのか…?」
「王よ…あれが恐ろしくないと仰るか…情けないのは承知の上で申し上げます。私は…あれとは戦えません…あれは…何と表現したらいいのだ…?」
シモーヌが恐怖に満ちた声色で呟く。
シモーヌだけでない。講堂全体が慄き、ざわめいている。
今の講堂はさながら爆発寸前の爆弾だ。
何かの拍子で爆発し、一気にパニックに陥る。そんな危険がそこにあった。
「あれを見ているだけであらゆる戦意が削がれ、絶望が湧き上がる…申し訳ありませぬアーサー王よ、私はあれの前では無力ですぞ。」
ヨハンはじっと映像越しに影を見つめていた。
「確かに…常人では、いや、勇者と呼べる者でもあれとは戦えないだろう。
だが解せん。何故今なのだ?このようなモノ、最初の戦いで出していたなら、我々人間に勝ち目はなかったはずだ。」