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おんなたち

 冬休みもあと2日に迫った頃だった。

 一条はあれからちゃんと学校に来るようになった。相変わらず誰とも話さないが、それでも良かった。

 田中先生には、『君のおかげだね』と感謝されたがあまり響かなかった。

 トワコに対しては、一応小学校からの仲だし謝っておいた。もういいよ、と返事をされたっきり話していない。

 そんな矢先、しばらく平和だった教室に再び不穏な空気が流れる出来事が起こった。

「あんた、あいつの事好きなの?」

 休み時間。トワコとお付きの女子達が一条の席に集まったと思えば、唐突にそんなことを言った。

 イヤホンをつけていた一条はよく聞こえなかったのか、不思議そうにトワコ達を見上げる。

 教室内にいた誰もがお喋りを止めたので、窓際の一角が浮き彫りになった。みんな固唾を飲んで見つめている。

 やがて一条はゆっくりとイヤホンを外した。それを見てトワコの後ろにいた女子がもう一度言う

「あいつのこと好きなのって聞いたの」

 あいつ、と言った時に俺の方を指差された。

 自分の顔から血の気が引いていくのが分かる。

 ご指名だぞ、とからかい半分の清田に肩を小突かれた。

(一条、なんて応えるんだろう……)

 聞きたいような、でも、少しこわい。みんなの前で思いっきり否定でもされたら立ち直れそうにない。

「何でそう思うの?」

 まさかの質問を質問で返されたトワコ。彼女は味方を引きつれているからか、いやに強気だ。

 俺は一先ずホッと胸を撫で下ろす。

「だって、あいつとはよく話すじゃない」

「私だって、話し掛けられたらちゃんと返すよ。あなたとも今こうして話してるし」

 聞きたいのはそれだけ? と一条が言った。ならば話すことは何もないと言うように、彼女がイヤホンを手に取った時、

「ちょっと、まだ終わってないからっ」

 ぺちん、とトワコが一条の手の甲を叩いた。痛くはないはずだが、教室の空気が歪んだ気がした。さすがにハッとしたのか、トワコも罰が悪そうな表情を浮かべる。

「おい、いいのかよお前あれ」

 雅人に言われたが、俺は止めに入ることが出来なかった。

 それには色々と理由があった。

 今俺が一条を庇えば、やっぱり好きなんだと思われるのではないか。それによって更に一条に対する風当たりが強くなるのではないか。

「……」

 だけど一番の理由は……俺に勇気が無かったことだ。

 一条がトワコを見上げる。

 トワコが一瞬怯んだように見えた。

 が、クラスメイトの手前、逃げるわけにはいかないと思ったのだろう。トワコは言った。

「……私、あなたのこと嫌いだわ」

 うわ、言った。と、見ていた誰もが思った筈だ。俺も思った。

 私も嫌い、とトワコの友達までもが追いうちをかける。

 しかし、一条はいつもと変わらぬ表情でただ頷くだけだった。

 そして今度は無垢な少女のような目でトワコに問い掛ける。

「どうして?」

「どうしてって……生意気だし、不良だし、いやらしいからよ」

 いやらしい、という言葉にどこか納得してしまう。確かに、同姓からいやらしいという印象を受けるほど、一条は大人びた横顔を見せるのだ。

「その短いスカートも、紺色の靴下も髪の毛も全部嫌いなの」

「私も嫌い。あなたのそのシャンプーの匂い。媚びてるみたいで、吐き気がする」

 一条の静かな反撃に、トワコの顔がみるみるうちに赤くなった。それを見て一条が余裕の笑みを浮かべる。彼女は頬杖をついたまま、諭すように緩やかな口調で言った。

「男はシャンプーの匂いが好きだって、雑誌でも読んだの? あなたが自然に振る舞うほど、私にはわざとらしく見える」

「なんなの、あんた! あんただってそうじゃない! 香水つけたり、ピアス開けたり、大人ぶって馬鹿みたい!」

「そんな野暮ったい髪の毛してるあなたには分からないわ」

 トワコは今にも泣きそうな顔で一条を睨み付けている。怒りで言葉が出てこないのだろう。

 小学生の頃から変わらないトワコのポニーテールが、何だかひどく子供っぽいものに見えてしまったのは俺だけじゃないはずだ。

 トワコが泣こうが、殴りかかって来ようが一条にはどうでもいいのだろう。彼女は続けた。

「私は絶対、あなた達みたいに髪の毛をきっちり結んだり、お花のついたヘアピンで前髪を止めたりしない。長いスカートで足を隠したりしないし、太く見えるダサい靴下も履かない。それが私の自然だから」

 トワコだけでなく、後ろの取り巻き達にも……いや、もはやこの学校中の全ての女子に向けられた言葉だった。

 女子も男子も呆気にとられて一条を見る。彼女がこんなに長く喋ったのすら初めてだった。

 何も言わないトワコに代わって口を開いたのは、トワコの一番の親友である宮田だった。

「そんなこと言って一条さん、男子の気を引きたいだけでしょ。残念だけど、一条さんよりトワコの方が人気あるから」

 そもそも、彼女達はなんの話をしているのだろう。女って、いつも論点をすり替える癖があるような気がする。

 誰もその事に突っ込まなかったのは、きっと一条がどう応えるのか気になるからだ。

 宮田をじっと見詰める一条。

「それは、子供の世界の話でしょう」

(……あ)

 ふと、雨の日のことを思い出した。


分からないの? まだ子供ね―― 


 あのとき、俺に対してそう言った一条。

 その意味が、ぼんやりだけど解ったような気がする。

 遠回しで、とても難しい彼女の言葉は、俺達普通の中学生が使う言葉よりも、重みや深い意図を孕んでいるのだろう。

「だって、靴下も髪の毛も校則で決められてるじゃない! 守ってないから、あなた誰とも仲良くなれないのよ!」

「別にいい。仲良くなりたいと思う人、ここにはいないから」

 密かにショックを受けた俺だった。

 やはり、一条にとっては俺のしていること全て迷惑でしかないのか。

 休み時間終了を告げるチャイムが鳴り響いた。廊下にいた生徒がバタバタとそれぞれの教室に戻っていく。

 俺達の教室でも、みんな渋々といった感じで各々席についた。

 しかし、トワコは動かなかった。一条を睨みながら、ぎゅっと拳を握りしめている。

 そもそも何がそんなに気に入らないのか、俺には分からない。全く別のタイプのふたりなのだ。

「早く席についたら?」

「……」

「今度文句言いにくる時は、ひとりで来れば。好きな男の為でしょ。あんたも女なら、そのくらいのガッツ見せてよ」

 暫く黙ったままのトワコだったが、何も言い返さずに自分の席に戻っていった。

(――好きな、男?)

 雅人がこっそり耳打ちしてくる。

「トワコ、お前の事好きだったんだな」










 その日は、特に冷え込みが厳しい夜になった。

「はい、これ」

「なに」

 コタツを占領していた姉ちゃんが、千円札を差し出してくる。

「駅前の駄菓子屋でみかんアイス買って来てよ」

 おつりあげるから、と付け加える。

「こんな寒い日にアイス食べるなよ」

「知らないの? コタツにアイスは定番なのよ」

「知るかよ……」

 無視してテレビをつけたが、すぐに消された。さっさと行って来いと背中を蹴られる。脚ぐせの悪い女だ。こんな姉ちゃんでも、彼氏の前では猫撫で声を出している。女って、こわいな。

「昨日までは喜んで自分からパシリになってたじゃん」

「……」

 お金を集める為だ。だけどなかなか貯まらないし、もうそんなことしても意味がない。一条の高校の為なんて、とんだお節介だった。

 今日の彼女の言葉は俺に向けられたものじゃないかと思ってしまう。

「もう8時だし、とっくに店閉まってるよ」

「大丈夫! あそこのおばちゃん戸叩いたら開けてくれるから」

「えー……やだよ俺、そんなことするの」

「いいからはよ行け」

 弟のセンチメンタルな心情も露知らず、無理矢理俺をリビングから追い出した姉ちゃん。

 逆らうとこわいし、俺は仕方なくダウンを羽織って玄関のドアを開けた。

 外は冷蔵庫の中のようにキンキンに冷えている。

 人が通るたびに吠えるお隣のバカ犬も、今日は大人しく小屋に隠れているようだ。

(あ、星が――)

 田舎の醍醐味は、やはり星空だ。夏もいいけど、空気の冷たい冬は、より綺麗に見える。

 藍色の夜空に浮かぶ光り物。まるでガラスの破片みたいだ。

(一条は、もう見たかな……)

 一条がこれを見たら、綺麗だと言ってくれるだろうか。彼女が星を見る時は、一体どんなことを想うのだろう。

 そんなことを考えながら、誰もいない夜道を、歩いていると、いつの間にか繁華街の近くまで来ていた。駅前の駄菓子屋はもうすぐだ。

 前から歩いてきた酔っ払いとすれ違った。酒とニンニクが混ざったような臭いが鼻をつく。思わず眉間に皺を寄せた。

 夜のネオン通りはガラが悪いので歩きたくなかったが、ここを通るのが一番の近道だ。

 仕方なくその狭い道に入ると、早速飲み屋の女と客らしき男が口論しているのが視界に入ってきた。

 道の反対側ではスーツ姿のおじさん達が酔って騒いでいた。その内のひとりに『子供は早よ帰らんか』と笑われた。

 早足で歩き、あともう少しで通りを抜けるというとき、それは俺の目に飛び込んできた。

「……」

 数メートル先にいたのは、一条だった。制服のままだ。

「いちじ、」

 声を掛けようとして辞めた。ひとりではなかった。

 彼女は知らない男と一緒にいた。それも、俺の父さんと同い年くらいの中年と。

 心臓を直接ビンタされたような重い衝撃が走ったのは、ふたりがこそこそとホテル街へ消えていったからだ。

 慌てて追いかけたが、一足遅く、彼女と中年男の姿は既にない。

「一条、だよな……?」

 見間違いかも、とも思ったが、あれは、あの横顔は……彼女以外に考えられない。

 え、何で? ていうか、誰だよ隣の男。父親……じゃないよな。親戚のおじさんかも。でも、それなら何でふたりでラブホテルに? え。だって。え。じゃあ一条は、

「……」

 残念ながら、悪い噂は本当だったようだ。

 それも、よりによって一番最悪な噂。

 隣町の中学生と煙草でも吸っていてくれたなら、どんなに良かったか。だって、嘘だろ……。

 俺は逃げるように、もと来た道を走った。

 派手な女とぶつかったが構うことなく走った。それどころか、みかんアイスとか、今日の出来事とか、貯金とか、星空とか、何もかもどうでも良くなった。全部、死んでしまえとさえ思った。

 自分の中で、怒りにも似たどす黒いものがどんどん溢れてくるのが解る。走るたびに増えていく。こんなこと初めてだ。この感情は今までどこに隠れていたのだろう。それとも、今この瞬間に生まれたのだろうか。

(見なきゃ良かった)

 知らなきゃ良かった。でも遅い。見てしまったし、知ってしまった。知らなかった時には、戻れない。

 ネオンが見えなくなった頃、走り疲れて足を止める。

 息を整え、ゆっくり歩き始めると、今度は涙が止まらなくなった。

「なんで、なんでだよ……」

 なんで、と繰り返し問うも応えてくれる人はいない。分かってはいるがそれでもやはり、口から出るのは『なんで』という言葉だった。


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