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月になる

 一条と一緒に帰ったあの雨の日以来、一言も口を利かずに2週間が過ぎた。






 随分と寒さも増した12月。

 教室のすみにひとつだけあるストーブには、休み時間のたびに人が集まる。俺もそのひとりだ。

 手をかざしながら、寒いねぇ、そうだなぁと誰かと適当に会話を交わせば、少しは寒さも紛れるというものだ。

「一条さん、あんな短いスカート履いて寒くないのかな」

「見てるこっちが寒いよな」

 からかうような声音でクラスの奴が一条を見る。

 もちろん、一条はストーブなんかには集まらない。

 相変わらず窓際でつまらなそうにしている。

 あ、と誰かが声を上げた。

「見ろよ。一条の奴、携帯触ってる」

 つられて見ると、確かに彼女はピンク色の携帯電話でメールか何かを打っていた。

 うちの中学では、学校に携帯を持ってくることは禁止されている。

 先生に見つかれば即没収。反省文を書かされる上、1週間は返って来ない。

 だからみんなはちゃんと電源を切って、密かに鞄の中に隠している。

 それなのに一条は、そんなの気にする様子もなく、堂々としていた。

「先生に言う?」

 誰かが言った。

「どうせ言っても、あいつ言うこと聞かねーよ。反抗するのが格好良いと思ってんだから」

(そうかな……)

 俺には、彼女がそんなことを思っているような人間には見えなかった。

 それよりも、そんな嫌味が一条に聞こえてしまうのではないかとハラハラしていた。

 聞こえたら、一条は傷付くのではないか。

 だけど、一条は相変わらず平気そうに携帯とにらめっこをしている。

(……誰とメールしてるんだろう)

 気付けばそんなことばかり気になるようになっていた。

 俺は、一匹狼を貫くこいつを何かと視界に入れるうちに、何故か分からないけれど、望んで彼女の姿を追うようになった。

 関わりたくない反面、どこか気になるという感情も確かにある。

 誰かが一条のことを悪く言うと、俺の方が嫌な気持ちになってしまう。

 窓際の席でひとり、コンビニ弁当を食べている背中を見ると何故か、いたたまれなくなる。

 休みの日は何をしているんだろうかとか、東京では友達がいたのかなとか、家に帰ってもそんなことを考えてしまうようになった。

 当然一条は、俺のそんな気持ちを知らない。

 誰かが自分のことを考えてはもどかしい想いをしているなんて、思ってもいないだろう。

 もし知ったら、大きなお世話だと言われるだろうか。あんたなんかに心配される筋合いはないのだと……。

(一条は、夜を歩いているのかもしれないな)

 今日も放課後のお喋りで騒がしい女子達のそばを横切って、ひとり帰ろうとする彼女を見てそう思った。

「おーい、何ぼうっとしてるんだよ。お前も帰ろうぜ」

「あ、うん」

 雅人たちに呼ばれて、俺も教室を出た。

「なぁなぁ、昨日のテレビ見た? 藤崎菜々出てたぜ」

「俺も見た! 相変わらずやばいべ、あの胸」

「俺昨日姉ちゃんにチャンネル取られてよぅ」

「馬鹿だなー、見逃すなんて」

「……」

 たった一人きりで夜を歩くというのは、どういう気持ちなんだろうか。

 もしかしたらそれは、誰かが少し手を伸ばせば、明ける夜かもしれないのに。









「皆さんの、夢を描いてください」


 ある日、美術の時間だった。

 外はしんしんと雪が降っていた。

 冷えきった美術室には、ストーブの石油と絵の具のにおいが充満している。

 先生の声にみんな、えぇー、っと騒ぎ出した。

 夢なんて大層なものを口にするのは恥ずかしい。俺も例外ではなく、友達とわざとおどけていた。

「お前の夢なに?」

「えー? 総理大臣!」

「日本終わったな」

 中学1年の男子が話すようなことなんて、こんなものだ。

 みんな夢なんてものを押し付けられても、それが明確に決まっている奴なんて極僅か。

 女子は女子で集まっては、きゃーきゃー言っている。

 どうせ誰かが、だれだれ君のお嫁さんとかなんとか言ったんだろう。

 やはり俺は、一条を見た。

 退屈そうに、彼女はぽつんと座っている。

 しばらくの間、先生はあれやこれやと騒いでいるみんなを見ているだけだった。

 やがて先生は、机の間をぬってにこにこしながら、一条の前に立った。

 先生達の中では若い女の先生だ。色白で細身。綺麗だから、男子の中ではちょっとばかし人気がある。

「一条あやねさん」

「なんですか」

 一条が顔を上げる。

 心なしか、いつより怖い顔をしていた。先生は笑っているのに。

 いつもの如く、教室がしんとなる。

「先生、一条さんの夢聞きたいな」

「ありません」

 相変わらずの一条だった。ここまでブレないと、清々しささえ感じる。

 しかし、先生も引かなかった。

 膝を曲げて一条と同じ目線になり、子供を諭すように言う。

「夢があれば、色んなことがもっと楽しくなるよ。目標があるから人は頑張れるんだから。どんなことでもいいから、考えてみよう、ね?」

 子供扱いされたのが気に触ったのだろう。汚いものでも見るかのような目で先生を見た一条は、鼻で笑った。

「叶わないことばかりですから」

「そんなことないよ。一条さんは間違ってる。先生は、ずっと教師になるのが夢だった。だから今、こうしてみんなの先生でいられるの。だから一条さんも、自分の人生は自分で作らなきゃ。その為には、夢や目標が不可欠なの」

 教室中に聞こえるような声で先生は言う。

 クラスの誰もが、先生の言葉に感嘆の溜め息を吐いた。

 先生は興奮しているのか、少し頬が赤くなっている。

 良い先生だ。と、思うのが普通だろう。

 だけど俺には、一条が晒し者にされているようにしか見えなかった。

「本気でそう思ってるなら、先生はすごく幸せな人ですね」

 一条は少しも動じない。余裕の笑みでそう返した。

「本気だよ。だって先生は、」

「教師になる程度の夢を叶えたからって、それがどうしたんですか」

「一条さん、あのね」

「他の人の夢も、それくらい簡単だったら世界は平和ですね」

 一条はそう言った。

 もう先生の顔に先程までの勢いはない。

 と、その時誰かが勢い良く立ち上がった。椅子が動く音がして、みんなの視線が一斉にそちらへ移動する。

「いい加減にしろよ、一条!」

 その怒鳴り声に、近くの女子がびくりと肩を上げる。

 声の主は、勉強も部活も真面目な中岡だった。みんな驚いて中岡を見た。

「先生に謝れ!」

 中岡の夢は、野球選手だ。いつも甲子園や、メジャーリーグがどうのこうのと話しているから、クラス中が知っている。そして、中岡がそれを何よりも大切にしていることも。

「謝れよ!」

 顔色ひとつ変えない一条に向かって、再度そう叫んだ。

 一条は、馬鹿馬鹿しいとでも言うように腕を組んで中岡を見る。

 やがて、他の男子がそれに加わった。一人がそうなると、次々に声は増えていく。

「そうだ一条、謝れよ!」

「先生かわいそう」

「調子に乗んなよ!」

「転校生のくせになぁ」

 暴力的な視線が一条に注がれる。

 集団というのは、どうしてこうも狂暴性が増すのだろう。

 やめなさい、と先生が言う。

 そうか、と俺は思った。

 先生は、一条のことが嫌いなのだ。だから、わざとこうなるようにしたのだ。

「……」

一条は何も言い返さない。何を言っても無駄だと思っているのか、じっとしていた。

「ほんと一条って、性格悪いな」

「東京に帰れよ」

 残酷な言葉が飛び交う。もう授業どころではない。

 俺は、一条を助けたかった。彼女が夜を歩いているなら、今こそ手を差し伸べるチャンスではないのか。

「やめろよ……」

 蚊の鳴くような声では、誰にも聞こえない。

 もう少し大きな声で言わないと。

 意を決して、再び口を開こうとした。だが、その瞬間、目が合ってしまった。一条と。

「……」

 言葉に詰まった。恐ろしいくらい、悲しい目をしていたからだ。

 俺が言葉を発するより先に、彼女は立ち上がった。

 一瞬にして、みんなの声もぴたりと止む。

 何を言うのだろうと焦ったが、彼女は何も言わなかった。

 机に広げた絵具と紙をそのままに、ドアに向かって歩き始めた。

「一条さん、どこに行くの? まだ授業中よ」

 これが授業というのだろうか。

 無言で出ていった……いや、出ていかざるをえなかった一条。

 ざわざわとみんなが話し出す。中には、清々したと言う声も聞こえた。

「一条さん、泣いてるんじゃない?」

「えー、泣かないでしょ」

「……」

 先生やみんなに対しての腹立だしさと、一条に対するもどかしさ。

 こんなタイミングで、俺はこの感情の名前に気付いてしまった。

 すると、何か考えるよりも先に、不思議と体は動き出す。

「先生、頭が痛いので、保健室に行ってきます」

 引き止めようとする先生の声を無視し、俺は美術室を出ていった一条を追いかけた。

 廊下にはもう、いなかった。

 慌てて階段を降りると、後ろ姿が見えた。

 こんな時でも甘い匂いを漂わせている彼女をただ追いかける。

「待って! 待てよ、一条……さん!」

 彼女が、夜の中にいるのが俺には分かる。

 親もいない、傘を持たせてくれる大人もいない、友達もいない。たった一人でその道を歩くのはきっと、とても勇気のいることだろう。

 だけど、止まない雨はないし、明けない夜もない。

「一条さん、待って……一条!」

 冬の次には春がくる。

 曇り空に差す光が あることや、夜明け前が一番暗いことを本当 はみんな知ってる。







 やがて振り返って足を止めた一条。

 泣いてはいなかった。そのことにとりあえず安堵し、相変わらず迷惑そうに俺を見る彼女に言った。

「俺んち途中だから、一緒に帰ろうぜ」

「……馬鹿じゃないの」

 ひとりよりも、ふたりで歩けば、夜道も少しは楽しくなるはずだ。

「夜道は危険だからさ」

「まだ昼なんだけど」

 勝手にすれば、と一条は背を向ける。

 その時ふわりと靡いた髪の毛に、視線を奪われた。

 窓から入った光りに当てられ、茶色い毛先が金色に輝いたのだ。






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