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こどもたち

 一条は先生に連れられて教室を出て行ったっきり帰りまで戻って来なかった。

 あとからきた田中先生は苦笑いで誤魔化したあと、校則は守りましょうと一言投げただけで、さっさと『今年の目標』なんてものを黒板に書き始めそれ以上一条の話はしなかった。

 新学期初日で、学校は昼には終わった。

「おーい、お前も今日清田んち行くよなぁ」

 みんながまばらに帰り始める教室で、集まっていた仲の良い男子が俺を呼ぶ。

「あー、俺、あとから行く」

「そっかー。早く来いよー」

「おー」

 クラスメイトを尻目に教室を飛び出した。

 とりあえず職員室を覗いて見た。ドア近くのコピー機で、山本先生が立っていた。

「あの、先生」

 小さな声で呼び掛けると、ぼんやりした様子の山本先生はハッとしたようにこちらを向く。もう泣いてはいなかった。

「職員室に入るときは、失礼しますでしょ」

 力なく先生は俺を咎める。

 すみません、と答えてから尋ねた。

「あの、一条って、帰ったんですか?」

 教室に鞄を残したままだったから、そんなはずはないと思ったが、こんな聞き方しか思い付かなかった。

 山本先生は怪訝そうな顔をしてから顔を反らしてしまった。そして、知らないと言う。その姿はとても先生というより、大人というより、不貞腐れた子供だった。

 先生も人間なんだなと思ったが、その姿を生徒に平気で見せる底の浅さに少し落胆した。

 まだクラスメイトの残る教室で待つのも変だし、次に生徒指導室へ向かった。ビンゴだった。

「いい加減何か言ったらどうだ」

 有田先生の声がする。そっと中を覗くと、パイプ椅子に座った一条と彼女を見下ろす有田先生。こちらに背中を向けている一条の表情は分からない。

 服装のことで問い詰められているのかと思ったが違ったようだ。

「お前を見たと言っている生徒が何人もいるんだ。一体夜中に出歩いて何をしてる」

 何故か俺の方が焦ってしまう。固唾を呑んで一条の言葉を待った。

「なぁ、一条。俺はお前を悪い生徒だとは思ってない。大変な事情もあったと分かってる。今なら

まだ間に合うぞ」

「……間に合う?」

「そうだ。クラスのみんなとも仲良くするんだ。何なら先生が悩みごとも聞くぞ」

 熱くなる有田先生だったが、一条がそんなことを望んでいるはずがなかった。

「俺も片親だから、お前の親御さんがいなくて寂しい気持ちはよく分かる。」

「違いますよ、先生」

「なに?」

「母が死んでくれたおかげで、私がいるんです。母を轢いたトラックの運転手には感謝してもしきれません」

 何を言ったのか、一瞬理解できずにいた。

 有田先生も同じだったようで、ポカンとした表情を浮かべる。

「一条、お前なんてことを……」

「とにかく、根っこから違うんです。先生達の考えとは。もういいでしょ」

「おい! 待て……」

 すっと立ち上がった一条。慌てて俺はその場から離れた。有田先生の声が聞こえるが、一条の足音が止まることはなかった。





「あっ、戻ったんだ」

「……まだいたの」

 一条より一足早く教室についた俺は、さも偶然かのように振る舞った。幸い他には誰もいない。

 忘れ物して取りに戻ったんだと説明するも、彼女は興味が無さそうに自分の荷物を手に取る。

「そう。じゃあね」

「え!? あ、俺も帰る!」

 素っ気なく教室を出ていく一条を慌てて追いかけた。

「一条、冬休み何してた?」

「別に何も。他の人は旅行に行ってたけど」

 隣に並んで歩くが、彼女は相も変わらず前を見据えたままだ。眉ひとつ動かさない。

「他の人って……一条の親戚の人達?」

 真っ先に浮かんだのは、私立の制服を誇らしげに着たあの女の子。

「そう。金持ちは、寒い時にはハワイに行って、暑くなればアイスランドへオーロラを見に行くの」

「なんで一緒に行かなかったの」

「意味ないでしょ」

「そうかな……」

 そうよ、と一条は応えた。

 そうか。一条がそう言うのならそうなんだろう。

「じゃあ、冬休みはずっと一人で留守番?」

「まぁね」

(……あ、嘘ついた)

 一条の瞳が微かに揺れるのを見て、直感でそう思った。

 嘘だと解ってしまうと、胸の辺りがもやもやする。訊きたいけど、安易に踏み込めない。踏み込んだら最後。体ごと深い穴へ落っこちてしまうような気がする。

 冬休みに何かあったのだろうか。そして、誰といたのだろう。

 無意識のうちに、口をついてでていた。

「……見たよ。一条と、あのオジサンが一緒に歩いてるところ」

 嘘には嘘を。カマをかけてしまった。

 上履きからローファーに履き替えている一条は何も云わない。

 新しくはないけれど、綺麗に手入れされた黒いローファー。そんな気取ったものを履いてるのは一条くらいだ。だけど不思議なくらい、よく似合ってる。

 俺もスニーカーに履き替えながらドキドキしていた。嘘がバレたのではないか。一条の嘘が解ってしまったように。

「見たの?」

「え?」

「そう。見たんだ」

「……一条、会ってたの?」

「見たんでしょ」

「う、うん」

「じゃあ聞かなくても分かってるじゃない」

「うん……」

「ほんと、せまい町って、嫌になる」

 心底うんざり、という感じで一条は溜め息を吐いた。

(……)

 先ほど生徒指導室で有田先生は一条に対して、夜中に出歩いて何をしてるんだと言っていた。

 一条は、まだあのサラリーマンと会ってたのだ。

 また、あのホテルで。

 俺を置いてさっさと帰ろうとする一条の背中を見つめる。

 真っ直ぐな髪の毛が歩くたびに揺れ、あの甘い匂いを放っていた。

 その、匂いで、男を、引き寄せて、カモにするのだ。

 彼女はそういう生き方をするのだ。

 ずるい女だ。こんな女は初めて見た。

 きっとこれからも、そのずるさを餌にするのだろう。

「もうしないって言っただろ!」

 俺は泣きたかった。反対に、意地でも泣きたくなかった。代わりに怒鳴った。一条は、少し驚いたように振り返った。

「何を?」

「……援交だよ」

 この部分は声を落とす。周りに人はいないけど、念のためだ。

 今にも笑い出しそうなくらい口許を歪めた彼女は、してないよと言った。

「ちょっと会ってただけ。もうすぐ最後だから。話をするだけでいいからって電話で泣かれて」

 嘘は、ついていないように見える。

 俺は気恥ずかしくなって、言葉が出ずに俯いた。

「今日も会うけど、ただ会うだけ」

「……本当に?」

「うん」

「一条、その人のこと好きなの?」

「お金くれるから、会ってるだけ」

「じゃあ、男の方が一条を好きなんだ」

「やっぱりアンタ、まだ子供ね」

 馬鹿にされたようでカチンときたが、どこか物悲しそうな一条の横顔を見てしまうと、続く言葉が見当たらなかった。

「あのサラリーマン、結婚してるよ」

「えっ」

 ……たしかに結婚していてもおかしくないような年齢に見えた。

「じゃあ何で、一条と会おうとするんだよ。ひどいよ」

「あの男はね、自分の奥さん以外の女が欲しかったのよ。そしてそれは若いほど良いのよ。でもね、田舎丸出しの芋臭い女はダメなの」

「なんで?」

「リアリティーがありすぎるからよ。あの男に限ったことじゃないけど。だから私は、白い靴下は絶対に履かない」

 リアリティーがありすぎる。

 いつもよりよく喋る一条の言葉を聞いても俺にはピンとこない。

 そして、それがどうして、白い靴下を履かないことに繋がるのか。

「悪いこととは思ってないのかよ」

 俺はもし、俺の父さんが浮気なんてしてたら相手の女のことも恨んでしまう。

 一条には、そうなってほしくなかった。誰かに恨まれたり、憎まれたりしてほしくない。それだけなのだ。

「思ってない」

「なんで?」

「アンタ、もしかして私を責めてるの? どんだけ立派な存在なのよ。私を責めれる程のものをアンタは持ってるの?」

 口許に笑みすら浮かべて一条が言った。

 北からくる風が俺たちの間を吹き抜ける。寒くて咄嗟に学ランのポケットに両手を突っ込んだ。

「……さっき、もうすぐ最後だから。って言ったよね。その人、どこか引っ越すの?」

 ガラス玉みたいな瞳が真っ直ぐ見つめてくる。背筋をしゃんと伸ばして、唇を真一文に閉じた一条は、何かに怒っているような気がした。

「さぁ。興味ない」

 ばーか、と吐いてから、彼女は走って行ってしまった。

 追いかければ、追いつく。

 だけどそうしなかったのは、追いついたあと、どうしていいのか俺にはまだ分からなかったからだ。







 



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